第1話 邂逅
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小学3年生の頃、3ヶ月ほどお世話になっていた家がある。
その家の両親は共働きでほとんど家にいなかったのだが、代わりに高校生のお兄さんがいた。
とても優しいお兄さんだった。
美味しいご飯も作ってくれたし、服や文房具なんかも買い与えてくれた。
藤原夫妻に出会う前では、きっと一番よくしてもらった場所だと思う。
その家のお兄さんの名前が「花緒」だったのだ。
当時の花緒さんは17歳。
ということは、今年で24歳のはずだ。
順当に進学、就職したのだとすれば、社会人2年目の年齢。
若手教師という立場であってもおかしくはない。
(いや、でも……。)
「んじゃあ、今日はここまで。次回までに、教科書見ながらこのプリント埋めてきてください。」
鳴り響いたチャイムに被せるように、咲良が言う。
それと入れ違うように、生徒たちはざわめき出した。
何人かは咲良へ話しかけに行っているようだ。
その輪の中に入っていけるほど、夏目はあの教師が「花緒さん」であるという確信は持てていない。
(それにもしかしたら、花緒さんは……。)
「夏目くん。」
と、不意に声がかかる。
はっと顔を上げると、笹田と目が合った。
それを見ると笹田は、咲良へ目を向けて言う。
「彼です、今日の日付が出席番号の夏目くん。」
「え?」
なんの話だと思っていると、今度は咲良と目が合った。
咲良はにこりと笑う。
「教材とプリント運び手伝ってほしいんだ。」
「は、はあ……。」
「次理科室なんでしょ?教科書とか持ってって、そのまま次の授業行っちゃっていいからさ。」
「……わかりました。」
夏目は理科の教科書やノートをまとめて席を立つ。
西村が小声で「ドンマイ」と言ってきたのに苦笑して、咲良の示した教材を手に教室を出た。
向かった先は、社会科準備室。
理科室などと違い、普段は滅多に来ることのない教室だ。
「ごめんねー、休み時間奪っちゃって。」
眉を下げて笑う彼に、夏目は人当たりのいい笑顔を返す。
「いえ、別に。」
とくに何か話すということもなく、ただ静かに教材を運んで歩くだけ。
すれ違う生徒たちの喧騒が、いやにはっきり聞こえたほどだ。
社会科準備室に着くと、咲良はドアをノックする。
数秒待っても返事はない。
すると無遠慮にドアを開けた。
「入ってどうぞ。」
自身も室内へ足を踏み入れつつ、夏目へ言う。
夏目も「失礼します」と断って、中へ入る。
そこは、資料室と職員室の中間のような雰囲気だった。
棚にまとめられた教材や資料、机に置かれたプリント類。
雑多だが、乱雑ではない空間だ。
「ありがとう、そこ置いといて。」
「はい……。」
咲良の示した机に、夏目は持っていた教材を置く。
咲良は奥にある電気ポットを使ってコーヒーを淹れ始めまた。
一瞬の迷い。
けれど、聞かないわけにはいかないだろう。
「……あの。」
夏目は意を決して口を開く。
確かめなければならない。
そう思った。
「……どうして、おれを呼んだんですか?」
カップにお湯を注ぎ終えた咲良が、夏目に目を向ける。
「……何が言いたい?」
ふっと細められたその目は、何かを探っているように思えた。
夏目は慎重に言葉を選ぶ。
「……先生、教室に来るときは、プリントも教材も一人で持ってきましたよね?今も本当は、手伝いなんていらなかったんじゃないですか?」
そう、引っかかっていた。
授業を始めるとき、彼は教材もプリントもまとめて持ってきた。
一人で運べないわけじゃない。
ならばわざわざ生徒を、夏目を、呼び出す理由があったということだろう。
咲良はカップに口をつける。
一口コーヒーを飲むと、ゆっくりと口を開いた。
「……正解。別に手伝いがほしかったわけじゃない。」
その表情はどこか楽しげだ。
対照的に眉間にシワを寄せた夏目に、咲良はクスクスと笑う。
「わからない?」
まるで悪戯のタネを明かす子供のよう。
その笑顔に、夏目は見覚えがある。
やはり、そういうことなのだろう。
「…… 花緒さん。」
口を突いて出た、その名前。
そして咲良は、否定しなかった。
「久しぶりだね、貴志。」
ああ、やはりこの人だったのだ。
『おかえり、貴志。』
記憶の中の笑顔が蘇る。
間違いない。
この人が、7年前に夏目がお世話になっていた親戚のお兄さん。
「徒士 花緒」だ。