第5夜 〜閑話〜
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ラビとブックマンが教団に来てから、早いもので1ヶ月が経とうとしている。
あの初任務から、彼らはいくつかの簡単な任務をこなし、ある程度イノセンスを使った戦闘にも慣れてきたという。
おれはというと、あれを最後に任務には就いていない。
もともとおれを頻繁に使うことを、コムイさんはあまり良しとしていなかった。
その上、簡単な任務ならラビたちに振り分けることができるようになったわけで、おれは「何かあった時の保険」として、自然と平常時の任務が減らされたわけだ。
まあそれでも、1ヶ月の休暇というのは異例だろう。
嬉しい反面、落ち着かなくもある。
前世でも社畜を極めていた上、ここ7,8年はエクソシストとして教団に使われてきているのだ。
休んでいいと言われたとて、素直にそれを享受できるほど、今更平和には生きられない。
何かしていたい。
そんな漠然とした欲求から、おれは科学班に顔を出していた。
「……うおっ。」
そして、挨拶より先に驚きの声が出る。
見事なまでの死屍累々が広がっていた。
まあ、科学班に活気がある時なんて、一周回って非常事態だから、この鬱屈とした空気の方が安心感があるとも言える。
「おはようございます……。」
おれは躊躇いながらも、比較的まともそうなリーバーさんへ声をかけた。
リーバーさんは、目元に濃いクマをたたえ、おでこに冷えピタ的なものを貼りながら、それでもおれを見ると力なく笑いかけてくれた。
「おー、エリー……どうした?ウチになんか用か?」
例え何か用があっても、この惨状を見たら一も二もなく出直すだろう。
内心そう思いながら、おれはリーバーさんへ笑い返す。
「いえ、なんか手伝うこととかないかなって。コーヒー淹れたりとか、資料整理とか……。」
おれがこうして科学班の手伝いを申し出るのは初めてじゃない。
過去にも、長らく任務がない時なんかは、何度か雑用をしにきている。
それを知っているリーバーさんは、すぐに察した顔をして思考を巡らす。
おれにできそうな仕事を探してくれているのだろう。
かえって手間を取らせてしまったことを少し申し訳なく思いつつ、おれは彼の言葉を待った。
だが、そんなおれに言葉を投げかけてきたのは、彼ではなく彼の背後にいた人物。
「えっ、エリー暇!?今手伝える!!?」
それは、今にも倒れそうな形相のジョニーと、心なしか頬の痩けたタップ。
おれの返事を待たずに、2人はおれの腕をガッシリと掴むと、そのまま引きずるようにデスクまで連行してくる。
驚きと困惑で固まっているおれに構わず、2人は目の前のデスクを指差した。
「ここ……片付けてもらえたりする……?」
……これはデスクと呼んでいいのだろうか。
いや、僅かに覗く天板から、そこにデスクがあるのは間違いないのだろう。
けれど、大量の資料や書物、巻物のようなものに埋もれたそれは、もはやその機能を果たしていない。
「……これは酷い。」
咄嗟にその言葉しか出てこなかった。
おれはとりあえず、どこに何を片していいのかを確認すると、ジョニーとタップを別のデスクに追いやり、気合を入れて片付けを開始した。
「悪いな……」と心底申し訳なさそうなリーバーさんに、「大丈夫です」と苦笑を返しつつ、けれど疑問は口にする。
「でも、珍しいですね。コムイさんでもないのに、ここまでデスクが酷い惨状になるなんて。」
科学班の部屋が綺麗な時など存在しないのだが、それでも限度というものがある。
ジョニーとタップは、言うほどデスクが荒れるタイプではない。
多少とっ散らかりはするが、ここまでデスクが見えなくなるほど資料を積み上げるのは稀だ。
それだけ、何か難しい研究に手をつけているのだろうか。
ほんの好奇心から、おれはリーバーさんへ問うた。
リーバーさんは苦い顔をすると、手にしていた資料を捲りつつおれの言葉に返してくれる。
「ちょっと前に、とある地域に言い伝えられていた伝承が、実はイノセンスによる奇怪だったって一件、あっただろ?それを受けて、今各地にある怪しげな伝承を片っ端から調べていってるんだが……如何せん量が多い上に、国や地域によって言語も違う……んで、このザマってことだ。」
「なるほど……。」
至極納得のいく話だった。
ここは本編開始前の時間軸だから彼らに話すわけにはいかないが、アレンが初任務に就いたマテールの亡霊のことだって、周辺地域では昔からある言い伝えのようだったし、伝承や伝説、言い伝えの類いを掘り下げるのは、教団の意義を考えれば有用な調査と言えるだろう。
おれはデスクを埋め尽くす資料を揃えて、紐やピンでまとめていく。
一応資料ごとにナンバリングや識別用のアルファベットが振られているから、内容がわからなくても同種の資料ごとに分けていくことはできる。
そこはさすが研究者だな、などと思いつつ、おれは次の資料を手に取った。
「……あ。」
と、そこで、目にしたことのあるイラストに、思わず手を止めた。
といっても、目にしたのは今世ではなく、前世での話。
「……ジェヴォーダンの獣。」
18世紀半ばに、フランスのジェヴォーダン地域で起きたとされる、獣による大量殺戮被害。
その資料があったのだ。
(そうか、Dグレ世界は19世紀末……ジェヴォーダン事件はおよそ100年前の出来事か。)
おれの生きていた21世紀でも、ジェヴォーダンの獣の正体は不明とされていた。
ならば当然、この世界でも「奇怪な伝承」として扱われていてもおかしくない。
(……もしかして、他にもおれが知っている伝承があるんじゃないか?)
好奇心が湧き出す。
おれは資料をまとめつつ、それらに軽く目を通し始めた。
(これは……挿絵からして、吸血鬼伝説か?こっちはよくわからん……あ、これ日本の妖怪。)
手にした巻物に描かれた絵を見て、おれは思わず動きを止めた。
そこには、草書体ではあるが、懐かしい日本語が書かれている。
いや、懐かしいと言うには時代が違いすぎるが、この際それは置いておこう。
微かに漂う墨の香りに、妙な安心感を覚えた。
(……妖怪絵巻的なものか。……河童、海坊主、座敷童、天狗……。)
これは余談だが、おれは大学で民俗学を学んでいた。
とくに地域の伝承や土着の信仰文化の調査、研究を行っていて、日本の妖怪や地域文化には多少の知見がある。
そういったものの資料は、往々にして古い字体で書かれていることが多いから、多少なら草書も読み解ける。
(ここにきて日本語に触れると思わなかったな。)
前世にいた頃なら、資料館なんかに許可をもらって閲覧させてもらわなければいけないような貴重な書物、もとい巻物だろう。
昔の血が騒いでしまい、おれは暫くそれを読み耽った。
「……エリー、それ読んでるの?」
そんなおれへ困惑気味に声をかけてきたのは、いつの間にか点滴を打たれているジョニー。
そこでおれは、本来の目的を思い出した。
「あ、ごめん、面白くてつい……。」
片付け中に出てきた本や思い出の品を見て、手を止めてしまうのは悪い癖だ。
おれは慌てて巻物を閉じると、資料整理に戻ろうとする。
けれどそれは、他でもないジョニーの手で止められた。
「お、面白くてって……え!?これ読めてるの!!?」
青白い顔でげっそりとした今のジョニーに迫られると、正直恐怖を覚えるわけだが、それでもおれは何とか彼の言葉を噛み砕く。
「えっと、え……これって、この巻物……?えっと、全部じゃないけど、だいたいは……?」
しどろもどろに答えると、ジョニーが「ヒョッ」っと変な声を出して震え出す。
何かまずいことを言ったのかと固まっていると、様子をみていたらしいリーバーさんが横から巻物の文字を指さし始めた。
「なら、ここの項目、何が書いてある?」
「え、えっと……天狗の伝承ですね。古くからある鞍馬の天狗の伝承を中心に、鴉天狗という存在について言及されてます。よくまとまってますね。」
「ならここは?」
「……あー、牛鬼かな、挿絵的に……祟り……臥したり……たぶん紀伊の国周辺の牛鬼伝説をまとめたものかと。」
「ギュウキ??そのイラストって、"ツチグモ"っていうモンスターじゃないのか??」
「あー、そこは混同されることが多いというか……見た目はほぼ同じものとして伝わっていますね。牛の頭に蜘蛛の体を持つ化け物。ただ土蜘蛛は、正確には妖怪ではなく、朝廷……えっと、日本の王族に楯突く連中のことをそう呼んでいたんです。妖怪としての土蜘蛛の伝説も多く残ってはいますが、おそらくそれらは、「恐ろしい化け物を倒した偉大な王族」という伝説を後世に残すために、土蜘蛛と呼ばれていた人々を妖怪として描いたものがほとんどだと思います。それに対して、ここに記されている牛鬼という妖怪は、紀伊の国……日本の西側ですね。そこらを中心に多くの伝承が残っています。創作物の影響もあって知名度が高いのは土蜘蛛でしょうが、正しく妖怪としての伝承といえるのは牛鬼の方だと思いますよ。」
そこまで話して、沈黙が降りる。
そしておれは理解した。
(……やっちまった。)
しゃべりすぎた。
自分の専門分野の話を振られると無限に話してしまう。
今日は悪癖のよく発動する日だ。
おれは謝る準備をしつつ、恐る恐るリーバーさんの様子を伺った。
「……マジか。」
だが返ってきたのは、おれの予想とは反するリアクションだった。
リーバーさんは勢いよくおれの肩を掴むと、血走った目でおれに言う。
「エリー、頼む。資料の解読手伝ってくれ。」