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山脈の向こう側に小さな雪雲の端が見えた。
夜空には所々に星が点在しているものの、間もなくこの集落にも雪が降りだすだろう冷えた空気が流れきている。
なまえのひたいに掌を添え、「少し熱ィな」と実弥は言った。
「たいしたことないわ。風邪なんて長いこと引いていないもの」
「いいから今日は早く休んじまえ。今生姜湯を作って持ってきてやる」
「そう···? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね。ありがとう実弥」
寝間の布団の上で微笑むなまえに「ん」とだけ返事をし、実弥はそのまま厨へ向かった。
なまえの顔色が幾分か良くないことに気がついたのは、鍛練を終え屋敷に戻ってすぐだった。
なまえはけろりとしているが、時期が時期である。
ここ数年は冷害で寒さの厳しい冬が続いている。たかが風邪だと見くびっているうちに悪化させ、そのまま帰らぬ人となる隊の者も少なくない。
身体を温める飲み物でも作ってやろうと
カアアッ!!
実弥の鴉、爽籟の鳴き声が屋敷の上空に轟いた。
「緊急招集!! 緊急招集!! 産屋敷家襲撃!!」
ゴトン······!
手にしていた生姜が落下する。
「────実弥!!」
日輪刀を手に素早く屋敷から飛び出すと、実弥に続きなまえも機敏に戸外に姿を現した。
「なまえテメェは来んじゃねえ!! 屋敷にいろ!!」
「っ!? どうして···っ、──嫌よ聞けないわ!」
「鬼舞辻だ!! 産屋敷邸が襲撃された!! おそらく今晩総力戦になるに違いねェ!!」
「ええ承知のうえよ! お館様の安否だって気がかりだもの! 私も行かなくちゃ」
「今のお前じゃ足手まといになるだけだ!! ひっこんでろ!!」
「身体の具合なら問題ないわ! 戦える! 私も実弥と一緒に」
「なまえ!!! 俺は!! お前には死んでほしくねェんだ!! わかってくれ!!!」
「だ、って···! 私、動けるのよ···っ、戦えるの···っ! この状況で私だけ戦わないなんて、そんなのありえな──」
「!?」
「···っ、?」
「ッ、オイなまえ!!」
ガクン、となまえの膝が地面に崩れた。
なまえは眩暈を起こしたときのように掌で目もとを抑えると、意識を失くしその場に倒れた。
「なまえ!? オイどうした···!!」
「緊急招集!! 産屋敷家襲撃!! 急げ!!」
爽籟がしきりに急き立てる。一刻を争う事態だ。狼狽している暇などない。
「──っ、クッソがァッ!!!」
なまえを上肢に抱えると、実弥は己の足に目一杯の力を込めた。
「不死川様!? どうなさいました」
「すまねぇがコイツを頼む」
「!? こちらは」
「突然倒れた。医者を呼んでやってくれ。俺はすぐに行かねぇとならねえ」
「は、はい! かしこまりました···!」
風柱邸のすぐ傍に構える藤の花の家紋の家。
実弥は家主の老婦になまえを預け、すぐさま踵を返し爽籟を追いかけた。
(お館様······っ!!)
「緊急招集──!! 緊急招集──!! 産屋敷家襲撃······ッ」
爽籟の
嫌な予感が的中してしまったと思った。
刀鍛冶の里襲来後、一抹の不安を抱いたのは実弥だけではないはずだ。
里の者や産屋敷家は、その在処を鬼に悟られないよう定期的に各土地を転々としている。しかし里は襲来を受けた。どこかで鬼に勘づかれたのだ。ならばいよいよ産屋敷邸も例外ではないとの危機を感じた。
耀哉の身を案じた実弥は今一度護衛をすべきだと柱合会議で提案したが、耀哉がそれを受け入れることはなかった。
爽籟の姿だけを頼りに無我夢中で疾走する。続く山道。どんな険しい道のりにも速度を緩めず爽籟を追いかける。疾走する。疾走する。
流れる景色が実弥の焦燥をより掻き立てた。全身からとめどなく汗が吹き出す。
(お館様······! お館様······!)
心の中ですがるように名を呼び続け、導かれるまま地を蹴り上げることだけに集中した。
ようやく屋敷の一部を捉え、実弥の心にほんのわずかな安堵が灯る。まだ襲撃とおぼしき異変は感じられなかったからだ。
禍々しさが渦巻いている様子もない。屋敷はひっそりと佇んでいる。
大丈夫だ。お館様たちは無事だ。間に合う。そう信じた。
(間に合っ···)
ドォン······ッ!!!
産屋敷邸が、爆発する瞬間までは。
息が止まるような衝撃に双眸を剥く。時の間停止する思考。
いったい、───なにが起きたのだ。
同じ頃、残る柱たちも皆血相を変え産屋敷邸周辺に集結していた。
無一郎。
蜜璃。
小芭内。
しのぶ。
義勇。
そして、義勇と共にいるのは炭治郎。
辿り着いた先、柱たちの目の前で当主の屋敷が吹き飛んだ。
夜空に向かって立ち上る炎は瞬く間に広大になってゆく。
流れてくる熱波。赤黒い炎の渦。噎せるよう煙の匂い。
当主が、その家族が屋敷にいたのだとしたら──。残酷な現実が柱たちの脳裏を過る。
だが怯んでいる暇はない。
実弥は迷うことなく奥へと突き進んでゆく。すると、巨大な無数の棘のようなものが一人の男の体躯を貫通している光景が双眸に飛び込んできた。
男の近くには行冥の姿があった。
「テメェかあァァぁあ! お館様にィ、なにしやがったぁぁぁ!!」
突進しながら喉も張り裂けんばかりにがなる。直後、行冥の放った言葉に柱たちの双眸の色が変化した。
「無惨だ!! 鬼舞辻無惨だ!! 奴は首を斬っても死なない!!」
鬼舞辻無惨。
今、柱たちの眼前にいるこの男こそ、長きに渡り憎み追い続けてきた、鬼の始祖。
( !!!! コイツがァ!!! )
無惨を前に、積年の恨みのすべてが実弥の血を滾らせる。
これまで巧妙に姿を隠し逃げ続けてきた無惨。故に、柱でさえその姿を誰も拝んだことがなかった男。
どんな見てくれかと思いきや、それは本当に自分たちと何一つ変わらない、普通の人間の姿をしている。
「無惨!!!」
背後から、無惨の名を大声で叫んだ隊士がいた。
隊士の声もまた凄まじい怒りに満ち満ちている。
市松模様の羽織を纏う、唯一無惨に遭遇したことがある少年。
竈門炭治郎だった。
霞の呼吸
蟲の呼吸
蛇の呼吸
恋の呼吸
水の呼吸
風の呼吸
皆が一斉に呼吸を振るう。
柱が一度に揃ったのだ。
ここで畳み掛けてしまえば───鬼は一気に消滅する。
ヒノカミ神楽
炭治郎が無惨との距離をぐっと縮めた。瞬間、無惨が『かかった』とばかりにニヤリと笑んだ。間を置かず、柱たちの足もとに出現した和の扉。障子が開き、皆の着地場所がなくなる。血気術だ。落ちる。飲み込まれる。
「これで私を追い詰めたつもりか?」
無惨は嬉々として双眸を剥きながら鬼殺の剣士たちに向かって声高に言い放った。
「貴様らがこれから行くのは地獄だ!! 目障りな鬼狩り共、今宵皆殺しにしてやろう!!」
為す術もなく、柱たちは異空間へと吸い込まれるように落下した。
この場所こそが、───無限城である。
熾烈を極める戦いが、今宵、無慈悲にもはじまろうとしていた。
無限城に落とされた面々は散り散りになり、各々で動くことを余儀なくされた。
炭治郎は義勇と。小芭内は蜜璃と。無一郎は行冥と共に無惨の居場所を探し求め駆け回る。
無限城には無数の鬼が存在している。元は下級の雑魚鬼が、無惨の力で下弦程度の力となり隊士たちの行く手を阻む。
柱はものともせず悪鬼の頚を落としてゆくが、逐一相手にしていては体力ばかりが削られてしまう。厄介なことこのうえない。
無一郎は、行冥から聞かされた耀哉の最期に涙を流し怒りに震えた。そして、無惨に地獄を見せてやると誓う。
皆も同じ気持ちだと、行冥も静かに怒気をあらわにした。
その頃、猪の被り物を頭に乗せた【嘴平伊之助】は、襲いかかる鬼にも怯むことなく猪突猛進で無限城を
見知らぬ場所に惑いつつ、兄、実弥の無事を祈りながら仲間を探し求める玄弥。
音を頼りに鬼へと変貌した兄弟子を追う善逸。
血の匂いに誘われて、とある扉に手をかけるしのぶ。
実弥は呆然と和の空間に端座していた。
(お館様······守れなかった)
目の前で爆発した産屋敷邸の瞬間がよみがえり、じわじわと、耀哉の死を実感する。
はじめて耀哉と対面した日、耀哉に向かって暴言を吐いた実弥に耀哉は言った。
『君たちが捨て駒だとするならば、私も同じく捨て駒だ』と。
代々、産屋敷家当主らは護衛を付けてこなかったという。
耀哉も然り。どこまでも自分を特別としなかった。
隊士一人一人に心を配り、殉職した者すべての名と生い立ちを記憶に刻む当主の慈悲深さは実弥に『付いていこう』という忠誠心を抱かせた。
尊敬していた。まだ、何も返せていなかったのに。
また砂のように滑り落ちてしまうのか。
視界の端で牙を剥く鬼を一瞥する。
人間だったはずの面影は一切ない醜い化け物。
──バラ······ッ
実弥は端座したまま一振りの刃でその巨躯をバラバラにした。
それでも鬼は途切れることなくぬらぬらと現れる。
「次から次に湧く塵共············かかってこいやァ」
ゆらり。
おもむろに腰を上げ、
「皆殺しにしてやる」
嘲るような笑みを浮かべ涙を流した。