鼓動の音は、不規則なみぞれ
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木刀を構え、なまえは実弥と対峙していた。
日輪刀は鬼を斬るために作られたものなので、対人稽古の際は基本竹刀や木刀を代用することになっている。
刃を人に向ける行為は公的にも御法度だが、隊員同士の争い事もまた隊律違反と見なされるうえ、場合によっては厳重な処罰の対象となる。
とはいえ、隊士とて人間だ。反りが合わない者同士でいざこざも生じるし、時には喧嘩も勃発する。
例えば取っ組み合いに発展しても大方自己責任として見過ごされる。かといって、任務に支障が生じるほどの大怪我をしてしまっては本末転倒。その場合は鎹鴉を介して厳しいお叱りというものがくだされるのである。
平和主義者でのほほんとしているなまえにお叱りの経験はない。反対に、実弥は血の気が多いから心配だとなまえは密かに気にかけていた。
粗暴で頑固な面が際立つ実弥。その実、とても情に厚い男であることの周囲の認知度は低かった。けれど実弥は場合に応じて礼節もわきまえられるし、規律だって重んじている。
怒りに任せて手が出てしまうこともある。そんな実弥を時折行き過ぎだと感じることはあるものの、そこには必ず彼なりの正当な理由が存在していた。
──全集中・常中。
これを扱える者は柱を含めた少数のみだが、なまえもまた以前より常中を会得していた。
びりびりと、実弥の圧で空気が震える。
もののわずかで戦闘態勢に切り替わった実弥を見据え、木刀を力強く握りしめる。
手合わせを願い出るたびに強くなる実弥。弟弟子の実力を肌でひしひしと感じる日々に、負けていられないとなまえは身の引き締まる思いがするのだ。
女だろうが、恩師の娘だろうが、実弥の稽古に怠慢や義理はない。
向かってくるものにはいつだってとことん。
いざ······!
───カン!! と木刀を打ち付ける音が青黒い夜空に響いた。間合いを詰めての至近距離戦。鬼の頸は刃が届く距離でなければ切り落とせない。
日輪刀は、個々の性質に合わせて作られるため様々なものが存在している。
平均より長い刃のものもいれば、ぐねぐねと柔くしなるもの、鎖を用いたものまであって千差万別。遠方からの攻撃で鬼にダメージを与えることができる優れた剣士ももちろんいるが、大抵は近距離からの攻撃であの醜い頸を一刀両断しなければならない。
「···ほォ、前回より速くなってんじゃァねェかよ」
実弥の口もとが挑発的に綻んだ。
反射神経や速度を極める修行は基礎体力向上の鍛練と共に日々の習慣となっている。しかし、称されても、なまえは悔しかった。
渾身の力の込めた一撃だったのだ。
まずは実弥の急所を一気に狙い打ち、怯んだところで首回りに木刀を入れ込むつもりでいたというのに、あっさりと交わされてしまったのだから。
実弥の体幹は乱れがない。笑みをこぼし、言葉を発する余裕まである。
──けれど。
私だっていつまでも負けていられない。
ぐっと奥歯を食いしばる。
今日こそ、絶対に実弥から一本取ってみせる──。
間を見計らい、なまえはひととき緩やかな呼吸を紡いだ。
腰を低く屈めると、わずか実弥の息が途絶えたのがわかった。
"
怯むな。止まるな。
目の前にいるのは鬼。手にしているのは木刀ではなく日輪刀。
"風の呼吸 伍ノ型"
実弥も技の体制に入った。
──くる。実弥の、凄まじい威力の風が。
『
『 木 枯 ら し 颪 』
ズザザザザァ!!
実弥の木刀が振り下ろされる。
同時にとてつもない風圧がなまえを襲った。鼻と口の空道まで塞がれて、いつ呼吸が絶たれてもおかしくない状況に追い込まれてゆく。
早く、風と風の隙間を見極め呼吸の道を確保しないと、技を出し続けられなくなってしまう。
なまえは下から実弥に向かい、無数に木刀を振り上げた。
『漆草・乱脈』は、枝分かれする葉脈のごとく相手の身体へ刃を乱れ打つ技。しかし、速さに重点を置くと一振りの力が弱まってしまうことが課題であった。
「まだまだだァア! 足りねェ、弱ェ! それがテメェの全力かァア!?」
「···く、」
言われるまでもなく、全力だ。
なまえは苦しげな声を吐き出した。
こんなときは、嫌でも思い知らされるのだ。
男と女の、圧倒的な力の差というものを。
いや、そんなものは単なる悔し紛れに過ぎないのかもしれない。
鬼殺隊としてここにいる以上、性別でとやかく言われぬために日々鍛錬に励んでいるのだから。
一年前とは比べものにならぬほど強くなっているという自負が、なまえにはある。
昨日の自分よりも今日。今日の自分よりも明日の自分は更に強くなっているのだろうと。
それでも、ふとしたときに思ってしまう。
日々技を磨く努力を惜しまず鍛練に励むのは最低限の儀。皆がやっていることだ。だが、生まれながらに恵まれた才や体格を持つ者がいるのもまた事実。
自分が努力で培ってきたものを易々と飛び越えてゆくような圧倒的強さを目の当たりにしたときの羨望は、今でもなまえの胸をチリリと焦がし続けてやまない。
「余計なこたァ考えんじゃァねェエ!! 塵屑共の頸かっ切るつもりでそれだけに集中しやがれ!!」
実弥の怒声が鼓膜を貫く。
そうだ、今は、どう動き何ができるかだ。勝つために、何をすべきか。
カンカンカンカンカンカンカンカン!!
瞬刻も途切れぬ木刀の猛然たる打ち合い。
既になまえは実弥の攻撃をかわすことしかできなくなっている。隙がまるで見つからない。
なまえは顔つきをより一層険しくさせた。
カン!!
実弥の猛攻を上に向かって受け流し、体勢を整える。
斜め後ろに跳んだ先、大木の幹に着地した直後、実弥が既にこちらに向かって来るのが見えた。
速い。さすが、瞬発力が並みじゃない。
また、──くる。
"風の呼吸 壱ノ型"
『 鹿 旋 風・削 ぎ 』
"季の呼吸 捌ノ型"
『
「───!」
はっとしたように、実弥の双眸が見開かれたのはそのときだった。
竜巻のごとく突進する実弥の『鹿旋風・削ぎ』に、これまでなまえは長らくその身を交わすことしかできずにいた。しかし今、なまえの双眸には思いがけないものに遭遇したような実弥の表情が映し出されている。
刹那、空中で体勢を変化させ、なまえは実弥の前から忽然と姿を消した。
「いいや、上かァ···!!」
ザアァァア!!
春嵐によって巻き上げられる塵のような目眩まし。
実弥の技の特性を利用して、自身の身体を旋回させながらの攻撃。
いける、かもしれない。
はじめて生まれたほんのわずかな手応えに、なまえの鼓動が高鳴った。
そう思えたのは、甘い夢だったか。
───ドンっ!!
「···うっ!」
木刀が脇腹を掠めたと思ったら、なまえは地面に背中を強く打ち付けていた。
かろうじて直撃を免れたのは、咄嗟の判断で身を交わしたからだった。
しかし、掠めただけで吹き飛ばされてしまうこの威力。地に叩きつけられる寸前に回転し受け身を取らなければしばらくは起き上がれなかっただろう打突だ。
「漆ノ型までだったはずだぜェ、季の呼吸は」
なまえの前に、素っ気なくも実弥の掌が差し出される。
血の滲むような鍛錬を覗かせる、皮膚の分厚い逞しい手。
「っ、そう、ね。惷塵飄来は、私が編み出した、型よ」
熱い。実弥の手を取りなまえは思う。
自分の身体もだいぶん熱を上げてはいるものの、それをより上回る熱さが実弥の掌から放たれていた。
「打ち込みと回転の威力がまだまだだ。甘ェ」
「数日前に、ようやく形になったの。実弥に一番に見てもらいたかったから、出来てよかった」
「まだ不完全だが、応用も効くだろう型ではある。磨きかた次第ってとこだなァ」
「精進します」
四季折々を思わせる、淡い虹色紅葉の羽織をはらりと脱ぎ捨てて、なまえは再び実弥に手合わせを願い出た。
実弥が掌を結んで開く。
ポキ、と小気味よい音を発したのを合図に、二人は水面からはね上がる魚のごとく互い目がけて地を蹴った。