天の邪鬼のあかぎれ
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柱稽古がはじまった。
なまえは実弥の稽古への参加を取り止め、ただし別の柱たちの稽古へはきちんと参加したい旨を正直に実弥に話した。
二つ返事とまではいかなかったが、実弥がそれ以上なまえに待ったをかけることはなかった。
「きゃーっ、なまえちゃんお久しぶり!」
甘露寺邸にたどり着くと、蜜璃が満面の笑顔で両手を広げ出迎えにやってきた。
「蜜璃ちゃん、この間はお手紙どうもありがとう。教えてもらったパンケーキ、おかげさまですごく美味しくできたの」
「わあ、さっそく作ってくれたんだ! 一緒に作れなかったのは残念だけど、お役にたてたならよかった!」
「実弥の提案でね、餡を乗せて食べてみてもすごく美味しかったのよ。蜜璃ちゃんにもぜひ試してもらいたくて」
「うそ不死川さんが···!? それ超絶美味しい予感しかしない···!」
「ふふ。実は実弥と一緒に作ったの」
「えええっ! 不死川さんてお料理もできるの!? 意外だけど素敵だわ!」
蜜璃は豊満な胸の奥を高鳴らせ、興奮した様子で頬を上気させた。
久方ぶりに再会した乙女たちの話は途切れることを知らない。しかしながら、本日は柱稽古にやってきたのだ。遊びにきたのではないという自覚を持ち直し、なまえは改めて気を引き締める。
「思ったとおり、なまえちゃんすっごく似合う! 可愛いわ···!」
まずはこれに着替えてきてね、と蜜璃から手渡された稽古着は、広げた寸刻意識が彼方へ吹っ飛んでしまったほど布地の面積が小さかった。
柱稽古は基本的に男女別で行われる。単純に男女の体力や能力の差を考慮してのことだ。そのため本日蜜璃の稽古は女子しかおらず、そうはいってもこんな小さな衣装に袖を通すのははじめてのことなので、別所で着替えを終えた参加者たちは皆恥じらいながら
みんなで行けば怖くない。の精神である。
本日の参加者の中ではなまえが最年長だったため、私が皆を引っ張らねば···! と先陣を切ったなまえを見た蜜璃の第一声だった。
それは、蜜璃いわく『れおだーど』という名の稽古着で、恋柱の稽古では揃ってこの衣装を着なければならないという彼女独自の決まりがあった。
女性用は、レオタードなるものに薄い素材の袖が付き、短い巻きスカートが付属されていた。
男性用は上肢も下肢も丸出しの形のうえ、(下肢には真っ白なタイツを着用)気持ちばかりとも言えないスカーフのようなリボンが腰に巻かれているだけのものであるらしく、蜜璃からその話を聞いたなまえはくらくらと目を回した。
しかしそれはこれから訪れる過酷な稽古の序の口に過ぎなかった。
さあ、はじめましょ!
にこっと愛らしく笑んだ恋柱。甘露寺蜜璃による、地獄の柔軟のはじまりである。
キャィヤアァァアアア!!!
道場にこだまする甲高い絶叫。失神寸前の激痛を伴う身体のほぐしは、もはや蜜璃による力技で行われていた。
「みんな、ガンバよ!」
笑顔で声援を送る蜜璃は決してほぐしの手を緩めない。心優しい蜜璃だが、訓練においては容赦ない柱なのだと思い知った瞬間だった。
なまえは柔軟だった。蜜璃ほどではないにしろ体幹も釣り合いがとれている。
時折辛いほぐし技はあったものの難なく耐え、蜜璃の訓練は三日で終了した。
その後、他の柱の稽古場を回り各々数日から一週間程度の訓練に励んだ。
霞柱・時透無一郎による高速移動は五日。
蛇柱・伊黒小芭内による太刀筋矯正は三日。
岩柱・悲鳴嶼行冥による筋肉強化訓練は十日を要した。
どれも楽な稽古ではなかったが、なまえは比較的他の隊士たちよりも器用にこなした。
ただひとつ、元より筋肉が付きにくい体質のなまえは巨大な岩を一町先まで押して動かすという行冥の稽古の課題は至難で、(岩は男性隊士の半分の大きさ)なまえは行冥に「改めてまた来ます」と告げ、先に宇髄天元の訓練へと出向くことにした。
二度目に対面した天元の外見は以前とは異なっていた。
隊服ではなく着流しを身に纏い、髪の毛が下りている。左目には宝石の装飾が施された眼帯が巻かれているものの、縦に長い傷痕が眼帯からはみ出していた。
今は羽織に隠れているが、左手も見えない。
鬼殺隊を引退した話は耳にしていたが、彼の怪我の状態の詳細は把握しきれていなかったため、上弦の鬼の並外れた力の強さになまえは改めて戦慄した。
天元の訓練は男女混合で、こちらも過酷なものだった。
「遅い遅い遅い遅い! 何してんのお前ら意味わかんねぇんだけど!! まず基礎体力が無さすぎるわ!! 走るとかいう単純なことがさ! こんなに遅かったら上弦に勝つなんて夢のまた夢よ!?」
走って走って、とにかく走る。ひたすら走る。目標地点で待ち構えている天元は、竹刀を翳して牙を剥く気満々だ。
「ハイハイハイハイ地面舐めなくていいから! まだ休憩じゃねぇんだよもう一本走れ!」
くたびれ果てた男性隊士が地に崩れると、バシンッ! 天元の竹刀が容赦なく隊士の背中を猛打する。
続々と根をあげはじめる隊士たち。一人、また一人とうずくまるたび「質が悪い!」と憤怒する天元を遠巻きに眺めながら、やっぱり怖い人かもしれない···となまえは怯みがちでいた。
「よォよォみょうじ、久しいなあ! 元気そうじゃねえか!」
水分で喉を潤していると、天元が右手を翳しながらみょうじのもとへやってきた。咳き込みそうになるのをこらえ、水の入った竹筒から離した口を掌で押さえる。
蝶屋敷での印象が根強く残っているせいか、どうにもまだ構えてしまう。
「みょうじは余裕そうだなあ! へばってる様子もねぇし大したもんだ」
「い、いえいえとんでもない、へとへとです···!」
「不死川は元気にしてるか?」
にこやかな表情を見せる天元の眼帯に目がいく。近くで見ると、眼帯からはみ出す傷は一段と深く大きい。
「ん? これか?」
「あ···っ、すみません···!」
「いや構わねぇよ。あのあと花街で上弦の鬼とやりあった時に負ったもんだ」
「凄まじい戦いだったと聞きました···。その後鬼殺隊は引退されたのですね」
「ああ、こうなっちまったら思うように戦えねぇからなあ。申し訳ねえ気持ちもあったが、お館様も認めてくださった」
「身を引く決断も容易なことではありませんから······立派な、選択だと思います」
直後、なまえはハッとし、「すみません、
「はは、ありがとな」
整った歯並びを覗かせた天元の笑顔は、なまえの肩から余分な力を取り去った。
接してみて思う。以前よりも穏やかな雰囲気を纏われていると。
考えてみれば、蝶屋敷で出会った日、天元は花街へ乗り込む直前だったのだ。急を要するとも言っていた。故に殺伐としていたのだろう。
本来はこんな風に優しくわらう人なのだと思えたら、いつしかなまえも自然と笑顔になっていた。
「あらー!? 女の子の隊士発見ですよお、まきをさん、雛鶴さん! っきゃああ!」
「ちょ、なにすっ転んでんのよ馬鹿須磨! アンタはもうちょっと落ち着きなさい! 危うく握り飯が落っこちるところだったでしょ!」
「あーん! まきをさんが馬鹿って言ったあ!」
天元の背後から、賑やかな三人組の女性たちがやってきた。
胸もとの大きくひらけた着物の着方は斬新で、活発さと女性らしさの両方を併せ持ったそれを彼女たちはとても上手に着こなしている。
年齢は三人ともさほど変わらない見た目に思えた。なまえとも同じくらいと感じる。
大量の握り飯が入った巨大な木の桶を抱えている二人。うちの一人が石に躓き派手に転んだ。すると、桶を一人で支えることになってしまった彼女がものすごい剣幕で憤怒し出した。
転んだ彼女がびえーんと泣き出す。
(もしかして、彼女たち)
「お腹空きましたでしょう? おむすびとお茶をどうぞ。向こうにはお魚や汁物もありますから、よろしければ取りにきてくださいね」
「あ、ありがとうございます」
握り飯を二つ。それから竹を割った湯飲みをなまえに丁重に差し出したのは、長い髪を高い位置でひとつに纏めた落ち着きのある女性。
礼を言い、なまえはそれを受け取った。
「天元様ぁ! まきをさんが、まきをさんが! 今の聞いてましたあ!?」
「あー、はいはい、ちょっと聞いてなかったわ」
「どうして聞いてないんですかぁ! 天元様はぼんくらですかぁ!」
「こら、桶から手ぇ離しっぱなしにすんじゃないわよバカ女! 重いじゃない! あとでまた口に石詰めてやるから!」
「ぎゃー! まきをさんがいじめるー! また口に石詰められるー!」
「ちょっと二人とも静かにしてよ···! 彼女びっくりしちゃってるじゃない···!」
なまえは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で双眸をしばたたかせた。
これが、噂の嫁たちだ。ものすごく賑やかだ。しかも今、ぼんくらって言った? 宇髄さんに向かって?
面食らっているなまえをよそに、天元は嫁たちのいざこざをのらりくらりと適当にかわしている。もしかしたらいつものことなのかもしれない。
「私はみょうじなまえと申します。しばらくこちらにお世話になります。どうぞよろしくお願いします」
「そんなにかしこまらないで。女同士、なにか困ったことがあったら遠慮せず言ってくださいね」
「そうですよお! 天元様に言えないようなことはあたしたちにおまかせください!」
「あんたじゃなにも頼りにならないだろうけどね須磨」
「むきーっ!」
なんて自由でのびのびしているお嫁さんたちなのだろう。彼女たちを見ていると、こちらまで楽しい気持ちになってくる。
女房が三人いる暮らしと小耳に挟んだときは折り合いが悪いものかと思っていたが、こうして口喧嘩をしていても互いへの信頼感が彼女たちから伝わってくる。天元が分け隔てなく彼女たちを大切にしている証拠なのだと思う。(そして皆思った通りの美人だ)
食事をしながら会話が弾んだ。三人は、各々【雛鶴】【まきを】【須磨】と名乗った。皆、元くの一だという。
天元の話になると、雛鶴も、まきをも須磨も、皆とても幸せそうな顔をする。なまえは興味深く彼女たちの話に耳を傾けた。
命の順序というものを自身の中で明確にしている天元は、ある日迷うことなく彼女たちにこう言ったそうだ。
『任務遂行よりも自分の命のことだけ考えろ』
『他の何を置いてもまず俺の所へ戻れ』
『派手にぶっちゃけるとお前らのが大事。だから死ぬなよ』
天元が、いかに彼女たちを大事に想っているかが伝わる言葉だと、なまえの唇から感嘆のため息が漏れた。
鬼殺隊として生をまっとうしてゆくなかで、私たちは必ず壁にぶち当たる。どれだけ最善を尽くしても、すべての命を救うことは叶わないのだという事実を問答無用で突きつけられる日が訪れる。
優先順位と言葉にすると、なにかを切り捨てなければならないとか、命に優劣をつけてしまうのではないかという己に対する失望感が心の片隅を蝕んでいた。
これも、己の無力さを認め受け入れることが恐ろしかった己自身の弱さに繋がる。
本当は、誰もが皆天元のような想いを抱いて生きているのかもしれない。
それが正しいか間違っているかなど、誰にも諭すことはできない。ただ、己の中のみにしか存在しない答えというものを導き出した天元の、堂々たる潔さに心を打たれた。そして、なまえにも等しくそれが無意識の中に存在していたことに気づいた。
真っ先に、実弥を想った自分がいた。
天元の訓練は五日目を迎え、本日終了との許可がなまえにおりた。
「みょうじ、ちょいと待った。お前にはこれやるよ」
去り際に声をかけられ振り向くと、天元は右腕に一升瓶を抱えていた。
祝いの酒だ、という天元を、なまえは小首を傾げて見上げる。
「え、と···? なんのお祝いでしょうか」
「なんのって、不死川とみょうじが派手に恋仲になった祝いに決まってんだろ」
「──えっ」
「えええ! 不死川ってまさか、あのとっってもおっかない顔した柱のかたですかあ!?」
「バカ須磨、失礼でしょ!」
バシンッ! 須磨の頬を平手打ちするまきを。もはやお決まりのような流れだ。
ぎゃいんと泣き出した須磨の隣で、なまえは赤面して狼狽えた。
「いえあの、どうしてそれを」
うつむいて、しどろもどろ訊ねる。
実弥の話はこれっぽっちもしていない。だというのになぜ見破られてしまったのか。
「···ふうん」
天元が、鼻を鳴らしてニッと笑った。
「いや悪ィ悪ィ。実のところ半々の見込みでちょいとカマかけさせてもらったんだが、こうも素直に認められちゃあ世話ねぇわな」
してやられた。
天元の勝ち誇ったような笑みを見上げ、なまえはますます赤面した。
この、掌で人を転がすような見事な振舞いには恐れ入る。さすが、嫁が三人いるだけのことはある。
なまえはなまえで実弥への想いが絡むとどうにも顔に出てしまう。別段隠すようなことでもないが、他言無用だと言われても隠し
なまえはしゅんと小さくなった。
「いやな、竹筒の底に罰点の傷があるだろ?」
「底? あ、本当」
「なんだ、みょうじは知らなかったのか。つっても俺も相当前に一度見た限りなんだが、不死川の持ってたやつにも同じ傷がついてたことを思い出してな」
水分補給用に持ってきた竹筒をひっくり返すと、確かに彫られたような罰点の傷がある。
そう、これは実弥の竹筒だ。屋敷を出る直前、自分のそれが割れていることに気づいて急遽実弥のものを借りた。
持ち運びできる竹筒はどれもほぼ同じ形をしている。罰点は、おそらく実弥が他人のものと区別できるようつけたのだろう。最初に天元に声をかけられたとき、なまえは水を飲んでいた。その際、天元は竹筒の底の傷に気づいたのだ。
「そういうことなら、次はぜひ二人で遊びにいらしてね」
優しく微笑む雛鶴に、なまえも恥じらいながら笑顔を返す。
実弥も酒は嗜む。
近頃は任務も落ち着いているし、昼間のうち、少量ならばお酌にも応じてくれるかもしれない。
残る柱稽古は水柱だけ。彼の訓練の詳細はまだ不明である。事情があるのか、義勇は他の柱よりも遅れて参加することになったと聞いた。
しのぶの訓練は行われないとのことだった。