とまれかくまれ
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とある日の、丑三つ時を過ぎた折。
ぐるりと田園を囲んで聳え立つ山々の向こうから、薄く細長い雲をかき分けやってきた紅葉が上空で急き込んだ。
「伝令! 伝令! 曇取山付近ノ集落二鬼! 曇取山ノ集落二鬼! 至急応援二向カエ! カア!」
「······曇取山···!?」
なまえの顔から血の気が引いた。
曇取山は、なまえの家から最も近い場所にある山だ。夏に縁日が催された神社のある集落もその山の麓に位置する。
即刻現地へ向かって駆け出した。
月明かりしか頼りのない山の道。この辺りの地形は既に隈無く把握している。時に急傾斜の崖を下り、大木の幹を伝って宙へ跳ぶ。
パチ、パチ、パキン、ザ···ッ!!
小枝を踏む音、葉が衣類を掠める音、木々の間を抜ける音。それらは誰に拾われることもなく、なまえが通り過ぎた後、幾枚もの葉が音もなくひらひらと舞い落ちる。
もっと早く···! 急いで······!
最短の距離を行きながら、なまえは紅葉に詳細を尋ねた。
もとは近隣の山の麓で鬼と奮戦していた一般隊士が、不運にも曇取山で別の鬼に出くわしたという。前鬼は仕留めたものの、隊士はその戦いで大きく負傷。隠が蝶屋敷へ運ぶ途中に現鬼と遭遇したらしい。
負傷した隊士は稀血の持ち主で、出血した箇所から鬼を引き寄せたのでは、との情報だった。
そんな状態で戦うことは困難だろう。さらには隠も共にいる。一刻を争う事態だ。
(······それに)
あの山の集落で生活を営む人たちには顔見知りも多くいる。
誰も危険な目に遭っていなければいい。
嫌な予感がした。
胸がざわめき、足腰に一層力を入れる。
到着した場所は山の中だった。幸い集落が荒らされた様子は見られずほっと胸を撫で下ろす。
辺りは闇。
さきほどまで煌々と輝いていた月明かりは風に流れる雲によって射し込んだり遮られたりする。
離れた場所から地を削る音や葉を蹴散らすような音が聞こえた。
呼吸の息遣い。鬼の気配。
奥に歩みを進めてゆくにつれ、徐々にそれが濃くなってゆく。
なまえは
人里からは離れているし、ここなら村人に及ぶ危険を考慮しなくても良さそうだ。躊躇いなく戦える。
そのとき、「ガ、ァ"···っ!!」という男の叫び声がし、ドン···っ!!という衝撃音が山を揺らした。
双眸を凝らしてみると、裾の短い着物を着た幼女とおぼしき人物の傍らで、うつ伏せに倒れている一人の隊士の姿があった。
(あの、幼子は······)
駆け寄ろうとした瞬間、なまえは震駭した。
肩ほどまである幼女の髪が逆立ち、着物から覗く首筋や四肢にボコボコと血管が浮かびあがっている。
肌の色は人間のものと思えず、青紫色に変色していた。
まさか、あれが───
鬼!!
確信と同時に力一杯で地を蹴り上げる。
懸命に立ち上がろうともがく隊士の上に手をかざす鬼。息の根を止めるつもりなのだろう。
「···っ」
お願いどうか、
"季の呼吸 壱ノ型"
───間に合って!!
『
ザン···ッ!!!
体幹に集中し、寸分たがわぬ正確さで一直線に鬼の頸めがけて刃を振るう。
「──!?」
ズザザァァ···ッ!
いない···!
直前までは確認できていたはずの鬼の姿が消えていた。頸を斬った感覚もない。
(仕留め損ねた···っ)
「っ、大丈夫ですか!?」
「···う"っ"、なん、とか」
隊士に手を貸しゆっくりその場に座らせる。
「あなたは···前の鬼との戦いで負傷したはずじゃ···」
「っ"、い···え、僕は、応援に駆けつけた隊士です···。彼らは、あそこの、木の影に···っ」
隊士は右手側方向を指差した。背中を痛めたのかしきりに苦しげな声を出し、背面へ手を回す仕草を見せる。
また月明かりが遮られ、辺りの視界がぐっと鮮明さを失った。
梟の声がこだまする山の中腹。姿を消した鬼はどこかで身を潜めこちらの様子を窺っている。
そんな気配がする。
なまえは、怪我をした隊士を支え歩き出した。
鬼の気配に細心の注意を払いつつ、もう一人の負傷している隊士と隠がいる場所へ向かう。
負傷した隊士はうつむいたまま大木によりかかっていた。隠が懸命になにか処置を施しているが、手持ちの応急処置では限界があるようだ。
隠の背中が振り返り、なまえは思わず足を止め「あなたは······」と声を漏らした。
雲に隠れていた月が再び姿を現すと、隠の目もとが柔らかく照らし出される。
──塚本だった。
「···あの鬼は異能を操ります。なかなか隙を見つけられず身動きができないうちに、彼はとうとう受け答えすら困難な状態に···。脈も弱まっています」
「一刻も早い処置が必要ですね。あとは任せてください。あなたは急いで彼を蝶屋敷へ。それから、こちらの彼もこれ以上の戦いは危険だと判断しました。幸い歩くことは可能ですから、三人ですぐにここから離れてください」
「承知しま、···く、っ」
立ち上がろうとした塚本が顔を歪め腕を押さえた。その手には大量の血液が付着している。
「あなたも怪我を···っ?」
「······鬼に出くわしたときに、少し···。たいしたものではありません。それよりも、彼らを早く」
塚本は、ぐったりと木にもたれかかる隊士に沈痛な眼差しを向けた。もしかしたら、責任を感じているのかもしれないと思った。
止血の処置は施しているものの意識は戻らず、隊士の顔面は蒼白している。かなり危険な状態だ。
「···わかりました。鴉は隠への応援を呼びかけているはずだから、蝶屋敷へ向かう途中で誰かと合流できるはずです。それまで、よろしくお願いします」
「···え、」
塚本の傷口に手巾を添えると、なまえ#は脱いだ羽織で塚本の腕を止血した。
「大丈夫。みんな助かるわ。絶対に大丈夫」
「······」
「っ、みょうじさん、僕はまだ戦えます···! 一緒に」
「ありがとう。けれど、できる限りで構わないからあなたは隠の彼を援護してあげて。ここは私ひとりで大丈夫。幸い十二鬼月ではないようだし」
「しかしあの鬼、短期間で相当な人間を食っているようです······幼子だからと見くびっていましたが、思いのほか強い···っ」
どくん、と、なまえの心臓が大きく震えた。
ゴゴッ···ゴ······ッ
足もとから、重低音が轟く。地鳴りだ。
次の瞬間、
ト"···ッ、ゴォ"ン···ッフ"シャァア······ッ!!!
「「「───ッ"ゥ!!!」」」
眼前の地を砕き、上空目がけて巨大な水柱が突き抜けた。
水圧で、あっという間に四人共々吹き飛ばされる。
「く、···ッ!」
宙で身体を捻り一回転。ダン···ッ。なまえは着地しすぐさま視線を四方八方へ走らせた。
他の三人は···!?
水飛沫でできた霧と土埃で視界が悪く見つからない。無事なのか、どの辺りにいるのかさえわからない。
けれど、
(大丈夫···。きっと、みんな生きてる)
絶望している暇はない。
──びちゃ···っ
「!?」
上空から水の塊が落ちてきたと思ったら、なまえは頭頂から足の先までずぶ濡れになっていた。
足もとを見下ろすと、金魚が数匹びちびちと跳ねている。
(血鬼術···!?)
後方へ跳び、その場から一旦距離をとる。すると、背後におぞましい影を感じた。
"季の呼吸 肆ノ型"
『
振り向きざまに刃を振るう。
全身の回転に勢いをつけ、激しく、鋭く斬りつける。
(いない···っ)
またしても忽然と鬼は姿を眩ませる。再度強い妖気を感じ振り返った先、鬼を真正面から捉えたなまえは己の目を疑った。
日輪刀を握りしめる腕が、だらりと下がる。
(この、子は)
うなじが、じりりと熱くなる。
酷熱の夏の日。通い慣れた田園の路。
陽光を反射し煌めく、澄んだ水面。魚捕り。
道すがら出逢った、仲睦まじい三兄妹。
花のような愛らしい笑顔の女の子は言っていた。
『あ た し、 あ か い お さ か な が ほ し い』