ささくれ
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『なあなあ、聞いたか? 粂野さんとみょうじさん、とうとう祝言を挙げることになったらしいぜ』
『それ本当か?』
『ああ。なんでも二人が梟邸から出てきたのを見たやつがいるらしい』
『祝言に使われることで有名な料理屋のあの梟邸か。下見でもしていたのかな』
『あ~! これで俺のささやかな夢は破れた』
『なんだそりゃ』
『お前だってみょうじさんに憧れてただろ』
『所詮は憧れだ。めでたい話じゃないか。なあ不死川。お前二人の弟弟子だろ? なんか聞いてないの?』
それは、匡近と自分に共同任務の指令がくだる数日前のことだった。
匡近となまえが結婚の約束をしている間柄であることは知っていた。しかしながら、正式に祝言を挙げることになったという話は寝耳に水だった。
「不死川様。刀はいったんこちらでお預かりさせていただきます。返納は明日の夕刻を予定しておりますが、調整で何度か鍛冶師のもとへ出向いていただきたく存じます故、その際は隠が不死川様のもとまでお迎えに上がります」
「あァ、わかった」
「では、しばし里でごゆるりとお過ごしくださいませ」
「頼んだぜェ」
実弥は刀鍛冶の里へ来ていた。繁忙を極めた生活も、任務を幾つか行冥へ任せたことによりずいぶんと負担は減っていた。
明日の夜にはまた新たな地区へと急がなくてはならないが、それまでは里の用意してくれた宿で存分に心身を休められる。
藤の花の家同様、食事や洗濯、寝床の確保など、身の回りの世話は里の人間がすべて無償で賄ってくれるため、隊士はひととき休息のみに専念できる。
里の山頂付近には、傷によく効く温泉があった。
生傷の絶えない実弥の身体。その湯に浸かれば格段に治りが早くなることもあり、滞在中は朝から晩まで頻繁に足を運ぶ隊士もいるほどだ。
食事の準備が整うまではもうしばらくかかるらしい。
(ひとっ風呂浴びてくっかなァ)
渡された浴衣を手に、温泉目指して山道を歩き出す。
道すがら、斜面に咲くキンランの花を流し見て、なまえを思った。
あのときのなまえの言葉は、いったいどういう意味なのか。
『匡近から、なにも聞いてなかったの······?』
『実弥の気持ちは、私にはもったいなさすぎるわ』
あんな風に思い詰めた表情を見せるほどのなまえの話は、匡近の口からも聞いたことはない。ただ、言われてみれば、思い当たる節がないこともなかった。
匡近との会話の断片が、ふと実弥の記憶を横切る。
共同任務当日の道中。
その日、実弥と匡近が顔を合わせたのは久方ぶりで、互いの消息無事を確認できた安堵感から何気ない会話に花が咲き、厄介な任務へ向かうという気の引き締まる思いの一方で、睦まじい雰囲気のまま目的の町までの片道を並んで歩いた。
そろそろ到着するだろうと思われた頃、歩みを止めた匡近に改まって名前を呼ばれた。
振り向いた実弥に、匡近は言った。
『──なあ、実弥。
······なまえのことなんだが』
つい先刻まで、くだらない話で大口を開けて笑っていた匡近の神妙な面持ち。
"粂野さんとみょうじさん、とうとう祝言を挙げるらしいぜ"
実弥に、数日前の仲間の会話がぐるりと巡った。
───···聞きたくねぇ。
一瞬、そう思った。
匡近なら、なまえを必ず幸せにしてやれる。人並みの人生を捨てて鬼狩りをしている俺と、匡近は違う。匡近やなまえのような人間は、そうでなければならない。
幸せにならなければいけない。
心の光を曇らせることなく生きている匡近が好きだった。匡近を見ているだけで、人並みを捨てたはずの実弥の心も人並みの喜びで満たされた。
その匡近が、新たな希望の門出を迎えようとしている。この上なく喜ばしいことだ。
納得している反面、祝いの言葉ひとつ贈る準備もすぐ整わぬほど、このときの自分はまだ
『屋敷はすぐそこだ。話なら後で聞いてやらぁ。こっから先は集中していくぜ』
目的の屋敷が見えたことを理由に、匡近の言葉を遮った。
実際、日も暮れかけていた。空模様も危なげで、異様な空気が先の屋敷から微かに漂ってもきていた。そして、屋敷に足を踏み入れ間もなくのこと、匡近と実弥は鬼の仕業で引き離され、下弦の壱との戦いに突入したのである。
山頂付近に到着すると、硫黄の匂いがむわりと顔面を覆い尽くした。
木々の狭間、野天風呂を囲う巨大な岩が見え、近場の木陰で隊服を脱ぎ取る。
視界を遮る湯煙をかき分けて奥へ進むと、人影が見えた。
先客がいた。
「あ」
「あ"?」
湯の中から振り返った顔を見て、実弥は露骨に顔を歪めた。
「不死川も来ていたのか」
「んだァ······冨岡かよォ」
一人でのんびり浸かりたかった気分を削がれむっとする。その上普段から気に食わないと見ている冨岡義勇とは。
水柱の【冨岡義勇】
義勇は寡黙で何を考えているのかよくわからない男だった。口を開けば実弥の癇に障ることばかり言う。故に、実弥は義勇のことが好かない。
義勇に悪意はないのだ。
口不調法な彼はなにぶん言葉足らずなことが多く、皆に誤解を与えがちなだけなのである。
引き返そうとも迷いかけたが、すでに実弥も一糸纏わぬ姿でいる。ここで出直すなどありえない。
とっととテメェが出ていけやァとでも言わんばかりの圧力で、実弥はザブンと湯の中へ身体を沈めた。
乳白色のしぶきが飛び散り、義勇の顔にびしゃりとかかる。
しかしながら、そこは義勇である。果たして実弥の醸し出すむかっ腹から思いを汲み取ることはできるのだろうか。
無言だ。
能面だ。
ものの見事とも言えるほどぴくりとも動じない。
実弥は「チッ」と舌打ちをした。
「冨岡ァ、テメェいつまでここにいやがるつもりだよ」
「深夜には発つ予定だ」
「里を出る時間じゃねぇ、この野天にいつまでいるつもりかって聞いてんだよォ」
「そうだな······浸かりはじめてそろそろ半刻(約一時間)になる。この辺りでと考えてはいたが」
「はァ!? 半刻ィ!? 正気かよ」
「? 極めて正気だ」
「とにかくなァ、俺はテメェと仲良く肩並べて湯浴みなんざごめんだぜェ。とっとと引き上げろ」
「肩は並べていない」
「そういうことじゃねえんだよテメェ」
実弥は湯の中で怒りに任せ拳を握った。
これだからこの男との会話は苛つくのだ。
柱合会議で柱が各々意見をしても、義勇は滅多に発言しない。それどころかまるで自分は無関係だとでもいうような顔をしている。
柱としての自覚が足りていないのかと思うたび憤慨し、掴みかかる寸前までいく。(毎度行冥に止められるが)
竈門炭治郎の肩を持ったことも気に入らなかった。
鬼となった禰豆子がもしも人間を襲った場合、鱗滝左近次という元水柱の師匠と共に腹を切って責任を取ると言う始末。
柱ともあろうものがたった一匹の得体の知れぬ鬼のためにその命をかけるというのか。ふざけているにもほどがある。
そんなものはなんの保証にもなりはしない。死にたいならとっとと勝手に死にくさればいい。
まったくもって、なにを考えているのかわからない男だ。
「ひとつ聞くが冨岡ァ」
「なんだ」
「なぜお前はあの鬼を連れた隊士を庇う」
「···炭治郎のことか」
「他に誰がいんだよォ、鬼を連れた隊士なんざ前代未聞だぜ」
ぱしゃり。
両手で湯を掬い上げ顔を洗うと、義勇はすぅ···と息を吸った。
「···あれは、二年以上も前のことだ」
「聞く気も失せるわァ」
「······」
なぜだ。
義勇はもの問いたげな顔で斜め上を見た。
夕刻に差しかかろうとしている階調の空が美しい···ではなく、確か以前しのぶにも同じような反応をされたことを思い出し首を傾げる。
「とにかく俺はあの野郎を認める気はねぇし、肩をもつテメェも気にくわねェ」
「······」
「おい、黙ってねぇでなんとか言えやコラァ」
義勇は微動だにせず口を閉ざしたままでいる。
とうとう痺れを切らした実弥は、乳白色から覗く肩を怒りに任せて強く引いた。
「!?」
「······」
「っ、冨岡ァァア···! テンメェェ······」
実弥が目の当たりにしたそれは、真っ赤な顔で失神しかけている義勇の姿。
義勇の肩から実弥の手が滑り落ち、ふらり、傾いた身体がぶくぶくと湯の中へ沈み込む。
ビ、キィ···ッ!!
瞬間、実弥のひたいに極太の青筋が浮かび上がった。
「───···のぼせてンじゃねェェエ···ッ!!」
実弥の怒声が里山に響き渡る。
周囲の木陰に潜んでいた鳥たちが、一斉に飛び立った。