創作のおはなし

読者の想像力と文章のリズムの関係について /『嫌われエースの数奇な恋路』を読んで

2024/01/27 09:17
5年ほど前の記事の転載です。

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『嫌われエースの数奇な恋路』。ネットで交流がある作家さんのデビュー作を拝見しての感想です。一度、2人で創作合宿をしようと話していたのですが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で流れてしまい、本当に残念でした。

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ストーリーについては軽くふれるに止めますが、

・"ある事情" から野球部で嫌われている元エースの少年、主人公・押井数奇。いまはマネージャーとして裏から部を支えるも、彼と部員の関係は良好とは言えない状況。
・数奇が中2になった春。野球部にマネージャー希望者が押し寄せる。前年に甲子園一歩手前まで行った影響。入れるかどうか判断を任された数奇は「新人は不要」と判断し、全員を追い返すことに。ところが、ヒロインの凛だけが残り、彼女だけマネージャーとして入部することに。
・凛は美人でテスト成績は学年1位、そしてなぜか野球にとても詳しい。加えて「一眼レフデジカメを首から7つぶら下げて校内を徘徊している」など妙な噂が絶えない変わった生徒。
・彼女は、なぜか妙に数奇に絡んでくる。もちろん数奇にその理由は検討もつかない。

こうした背景のもと、主人公の数奇が嫌われている事情と、凛がいったい何者なのか(なぜ野球に詳しいのか、野球部のマネージャーになったのか、数奇に絡んでくるのか)を少しずつ紐解きながら、甲子園をめざす野球部の日常を描いた青春ものという作品です。

以下、作品名に代えて「本作」と表記させていただきます。

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自分は基本、平和な青春を描いた小説が、そこまで好きではありません。リアリティがないため。青春は甘くも苦い(むしろ苦くも甘い)ものだと思っており、だからこそ、本作のようなギスギスした感じが正直、好みです。

少し書きたいことがあるので、感想のほうは簡潔に列挙しますと、

・凛がかわいい
・リアルなギスギス感が好み
・テンポが良い上、ストーリー展開に違和感がない
・コント調のやり取りが気持ち良い
・数奇の野球部や凛への気持ちの揺れ動きが、いかにも年頃という感じで良い
・言葉選びや言い回し、語りのリズムが好み
・凛が、いきなりバッサリやってしまう一面
・姉さんの飄々としていて"全部わかっています”というキャラクター性

このような感じです。キャラクターが内面・外見ともに好みなラインに乗ってたので、全体を通して楽しめました。

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本題です。先述の書きたいことというのは、感想の中にも書きました、

「テンポが良い上、ストーリー展開に違和感がない」

こちらについてです。

ただ、言語化するのが難しい話のため、ここから先は分かりにくいかと思います。どのように書いたらいいのか分からないため、いったん思ったことを整理せず、そのまま書いていきます。

まず本作の一部を引用させていただきます。なお、ここからはネタバレを避けられないので、読みたくない方はここで戻ってください。

本作の冒頭、一度マネージャー入部を断られた凛は、数奇が言った「マネージャーに向かない髪型」という断り文句を撤回させるため、黒髪ロングをバッサリ切り落として彼の前に再登場します。そのときの一幕がこちら。
「なあに? まだ気に入らないの? だったら野球部らしく五分刈りにでもすればいい?」
「いーよ、別にそんなことしなくても……」
 こいつの場合、うっかり「五分刈りにしてこい」なんて言ったら本当にやりかねん。
「髪なんて切らなくていいから、もう野球部には関わらないでくれ」
 凛は、「はあああああ」と大げさに溜息をついてから、わざとらしく腰に手を当てた。

※出典:田辺ユウ『嫌われエースの数奇な恋路』p.43より

この箇所を最初に読んだとき、一瞬「ん?」となりました。その理由はうまく言語化できないので、とりあえず以下をご覧ください。
「なあに? まだ気に入らないの? だったら野球部らしく五分刈りにでもすればいい?」
「いーよ、別にそんなことしなくても……」
 こいつの場合、うっかり「五分刈りにしてこい」なんて言ったら本当にやりかねん。
「髪なんて切らなくていいから、もう野球部には関わらないでくれ」
 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●。
 凛は、「はあああああ」と大げさに溜息をついてから、わざとらしく腰に手を当てた。

こちらのシーン、自分の中では最初、数奇の「髪なんて〜」というセリフの後に、それを言った彼に関する何らかの描写が入るほうが自然ではないかと感じました。数奇が面倒くさそうに項垂れる感じの描写が、●●●の箇所に挿入されるイメージです。

ですが、それが本作にはありませんでした。つまり、自分が良いと感じる「文章のリズム」と、作者さんが良いと感じるリズムが違っているわけです。

なぜ筆者の中で●●●の部分に一文あったほうが自然に感じたかといいますと、

1:脳内の映像で数奇が動いたから
2:直後の凛の行動が、彼に対する逆接になっているから

あたりです。

1について。こちらはそのままです。自分がこちらのシーンを読んだ時、脳内で数奇が動いただけです。文章と脳内の映像が食い違ったので「ん?」となったわけですね。

2について。数奇のセリフと凛の挙動は、逆接的です。逆接は「しかし」などの接続詞や真逆の描写を直前に入れて、意味内容を切り替えないと、受け手に違和感を与える恐れがあると思っています。

ただ、ここでふと思ったのが、以下のことです。

「自分の頭の中に画が浮かんでいるのなら、それをわざわざ描写する必要はないのではないか」

要は、自分の脳内の映像は「●●●にあたる一文がなくても、セリフを読んだ時点で勝手に切り替わっている」ので、わざわざ書く必要はないのでは、ということです。

そう思って改めて読み直しますと、本作のリズムは本当に綺麗にまとまっており、おかげでストーリーのテンポがとても良いです。話がどんどん進むのに、駆け足な感じはなく、しかし情報が不足している感じもありません。過不足なく必要な情報が、必要なタイミングでポンと出てくる、そのような印象です。

自分は作品を書いているとき、このリズムの調整でいつも困ります。たった一文のリズムを整えるのに5時間かかって、結局なにも解決しないまま先送りとなることも日常茶飯事なほどに。

このリズムが整っていないと、読んでいて違和感しかないので困ります。「場面が急に変わりすぎではないか」といった具合に。

これはストーリーが大きく展開する箇所に限らず、先の数奇と凛のやりとりのように、セリフのやりとり一つ一つでも、同じ苦労があります。むしろ、こうした小さな箇所のリズムを違和感なく描写するほうが難しい印象です。書きすぎるとテンポが悪くなりますし、かといって書かなすぎると、読者が場面展開についていけなくなります。

本作は、この「リズムの整え方」がとても上手いのが印象的でした。「読者(正確には自分)が自然に想像するところの描写が、きれいに省かれていて無駄がない」という感じです。

個人的に、これは凄いことだと思っています。

たとえばセリフを例としますと、セリフを読んだ読者の脳内に画が浮かぶためには、そのセリフを読んだとき、自然と「キャラがどんな表情・挙動・気持ちなのか」あたりが伝わらなければなりません。
これは言い換えれば、

・表情や挙動、気持ちなどを伝える必要がある=作品上セリフ化するのが必要な箇所が、しっかりセリフになっている
・言葉選びや言い回しの妙などによって、表情や挙動、気持ちなどがきちんと伝わるようになっている

ということです。

自分はこの「読者の想像に委ねる」リスクが怖く、どうしても色々と書きすぎるきらいがあり、文量が増えがちです。最近でこそ意識的に削るようになり、多少は落ち着きましたが、まだまだ無駄が多いと感じています。

読みのリズムは本当に大事だと思っていまして、無駄がなくリズムが整った作品は、伝わるべきものが伝えるべきタイミングで伝わります。これによって、たとえば、キャラクターへの共感度および共感の確実性が上がります。つまり、読者の没入感をより確実に担保できるようになります。

もちろん、そのためにはリズムの整え方(文章力および感性)だけでなく、構成力も大事になります。この2つが噛み合って初めて、文章のリズムは整うため。

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本記事に対する感想を、ましゅまろで頂きました。ありがとうございます。

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