KEEP ALIVE
爆発現場の消火作業が終わり消防機構に続いて警備機構が現場検証に入っていた。
メリルは邪魔にならないよう少し離れた煉瓦通りのベンチに腰を下ろしていた。先ほどまで愛を確かめ合っていたカップルの多くは野次馬と化して現場を取り巻いている。ずいぶんと暇なものだ。メリルは横目を遣りながら心の中で辛辣に毒づいた。
そんな人集りには一瞥も呉れず一人の男がこちらへ近づいてくる。巨躯の男。刈り上げた短髪から靴の先まで全身を純な灰色で包んだ野性的な風貌。その両手には軍用の装甲板を思わせる鈍色の鉄板を備えたグローブ。目元にはクリアブラックのサングラス。その向こうに透ける切れ長の双眸が威嚇するようにメリルを見下ろしてきた。微かに帯びる憐れみはなにが起こったのかを知り尽くしていることを明示していた。
「遅いわよ。一三分の遅刻」
メリルは責める風でもなくあっさりと言った。
「前の回収に時間がかかった。ここ最近、警備機構の対応が迅速でな」
いかにも体躯に似合った野太い声で男が返す。
「あれだけ頻繁に交通事故を起こしてたら、いくら無能な連中でも、そうなるわ。そろそろほかのプロシージャを考えなさい」
「しかし、ずいぶん派手にやってくれたものだな。シェア・カーを破壊するとは」
「やられた後に会社に連絡して確かめたわ。どうやらここら一帯の社会の目が閉じられてたようね。いったい誰の仕業か知らないけど」
「ここはあんたがいつも回収に指定する場所だ。そいつらが執拗に嗅ぎ回っていたなら、逆に利用されたとしても不思議はない」
「悪かったわね。次から気をつけるわよ」
「おそらくサブネットの連中だろう。前々から出所不明の妙なクラックは監督省のネットワーク全体でも散見されていた。今回の件についてもBlackBoxにそれらしいアタックの痕跡が確認されていた。手口もクラッカーも大方の目星はついている」
「社会のゴミのくせにやってくれたものね。で、その目星って?」
「アイ・パスというサイトを知ってるか?」
「初耳ね」
男は携帯を開いて何やら操作し始めた。どうやら当のサイトへ接続しているようだ。その様子をメリルは訝し気に睨みつけている。
「簡単に言えば社会の目の監視の盲点、サイト上では節穴と呼ばれているが、その節穴がどこにどれだけあるのかを知ることのできるサイトだ。節穴の数に応じて自分を中心とした指定範囲内のマップが色分けされる」
男は携帯を振った。飛ばされたデータをメリルが自分の携帯で受け取る。キャッチボールのように。転送されたページを見ると見慣れないサイトだった。画面には確かに界隈の地図が表示されていて一定の区画ごとに様々な色で細かく塗り分けられている。
「赤いエリアなら監視が万全だ。そこから黄、青、緑と節穴が増えていき、白いエリアは区画内すべての社会の目が閉じられていることを示す」
「こんなふざけたサイトがあったなんてね」
メリルが眉を顰める。心底憎らし気に。その苛立ちをぶつけるように携帯を思い切り閉じた。
「IPを探ってみたが、該当する運営会社がネットワーク上には見当たらなかった。どうやらこちらから指定したデフォルトゲートウェイを通さないでネットワークに接続している。十中八九サブネットに潜伏している奴らの仕業だろう。pingも届かないしな」
「正体が分かってないんじゃ意味がないわ。どこかの誰かさんの仕業でしたなんて、そんな当たり前のことをさもしたり顔で言われてもね」
「警備機構の連中は何か訊いてきたか?」
「そんなわけないじゃない。私はこれでもSSクラスの人間よ。彼らの組織のトップよりも社会的に信頼されてる。職歴、病歴、犯罪歴、生跡診断、どれをとっても清廉潔白。そんな人物を疑う余地なんてないって涼しいものよ。それに万一、事情聴取したことがばれたら、上司から叱責されるわよ。恥をかかせるなってね」
「どうやって破壊された?」
「さあ。どうせ定番通り爆薬とかじゃないかしら? あるいは拳銃とか?」
心底興味がないといった風にメリルは言い捨てた。
「さっき連中に話を聴いてきた。ヤツらの読みも、どうやら銃撃らしい。銃弾は跡形もなかったが、おそらく蒸発したんだろうとな。だが妙なことに、その銃創を見る限り銃弾で穿たれた傷とは考え難いようだ。撃ち抜かれたというよりかは鋭利な刃物で貫かれたような痕跡に近いと証言している」
「だからどうだって言うの? シェア・カーを破壊された手段がなにかなんてそんなことどうでもいいのよ。重要なのは私の妹が何者かに攫われた。その事実だけ」
「すでに情報統合部に緊急バッチを指示した。次のコンバージェンスの前に、あの少女の島民登録のすべてが削除される。その後に何らかの私紋認証が行われれば、誤紋が検知されてアラートが届く。それでおおよその潜伏先は掴めるだろう。すぐに近くの支部の人間を向かわせれば、巧くいけばその場で捕獲できるかもしれない」
「それが新しい自死誘発プロシージャってわけ? だとしたら随分と乱暴なやり方ね」
「露見のリスクよりも迅速性を優先した。依頼人があんただからこその特例だ」
「ありがたいわね。擬体の方は?」
「先ほど連絡を受けた直後に手配済みだ。あの少女の島民登録削除に間に合うよう作業を進める。もっとも、あの少女が先に回収されるかもしれんがな」
車道に一台の車が現れた。どうやらメリルが呼んだ迎えのようだ。セントラル・シティの中心街や高級市民街でしか目に出来ない光路対応のEV車。選ばれた者だけに許された特権車両だ。
「擬体の回収を先にしなさい。それも、あの子の目の前でね」
その一言に男の面が引き攣る。
「あの子と、それと、あの子を私から攫った連中にも思い知らせてやりなさい。人の妹に手を出した報いがどういうものかをね」
「……いいだろう。承知した」
その言葉を聴いて満足したのかメリルはベンチから立ち上がった。
「この島では社会的有益性だけがすべて。だから私はすべてを手に入れるためにここまで昇り詰めた。私が小さかった頃は、無能な連中がまだまだ島の中枢に蔓延ってたわ。それこそ五〇や六〇って、ただ年齢だけが取り柄の能無しがね。そんな社会に納得できると思う? 冗談じゃないわ。これから死ぬだけの連中が我が物顔で自分たちの未来を握ってるなんて、考えるだけで吐気がするわ。だから私はここにいるの。この島から社会的に不要な連中を根こそぎ排除するためにね。その意味が、グレイ、あなたには分かるはずよ」
「俺もあんたと同じ時代を生きた人間だ。そしてこれからも生き続ける。この時代をな」
その意外な一言にメリルは暫し茫然とした。そして小さく悠然とした笑みを浮かべて、
「ずいぶんと気の利いたコメントじゃない。どこで覚えたのかしら」
だがグレイと呼ばれた男は意に介さない。口を開くこともなく携帯をジャケットの内ポケットにしまう。
「相変わらず無愛想ね。少しは嬉しそうにしたら?」
「善処しよう」
「名前の通りの灰色会話だこと。もう少しジョークでも覚えたら? ……まあいいわ。私の前にあの子を連れ戻してくれればそれだけで文句はないわ」
それだけ言うとメリルは何事もなかったかのように身を翻した。そのまま迎えに来たEV車に乗りこみ颯爽と去っていった。車体の遠退く方をグレイはじっと見ていた。しかしその視線に意識はなく……それは回想を漂っていた。やがてその口がどこか懐かし気に呟いた。
「これから死ぬだけの連中、か。……それがこうまであいつと違うとはな」
メリルは邪魔にならないよう少し離れた煉瓦通りのベンチに腰を下ろしていた。先ほどまで愛を確かめ合っていたカップルの多くは野次馬と化して現場を取り巻いている。ずいぶんと暇なものだ。メリルは横目を遣りながら心の中で辛辣に毒づいた。
そんな人集りには一瞥も呉れず一人の男がこちらへ近づいてくる。巨躯の男。刈り上げた短髪から靴の先まで全身を純な灰色で包んだ野性的な風貌。その両手には軍用の装甲板を思わせる鈍色の鉄板を備えたグローブ。目元にはクリアブラックのサングラス。その向こうに透ける切れ長の双眸が威嚇するようにメリルを見下ろしてきた。微かに帯びる憐れみはなにが起こったのかを知り尽くしていることを明示していた。
「遅いわよ。一三分の遅刻」
メリルは責める風でもなくあっさりと言った。
「前の回収に時間がかかった。ここ最近、警備機構の対応が迅速でな」
いかにも体躯に似合った野太い声で男が返す。
「あれだけ頻繁に交通事故を起こしてたら、いくら無能な連中でも、そうなるわ。そろそろほかのプロシージャを考えなさい」
「しかし、ずいぶん派手にやってくれたものだな。シェア・カーを破壊するとは」
「やられた後に会社に連絡して確かめたわ。どうやらここら一帯の社会の目が閉じられてたようね。いったい誰の仕業か知らないけど」
「ここはあんたがいつも回収に指定する場所だ。そいつらが執拗に嗅ぎ回っていたなら、逆に利用されたとしても不思議はない」
「悪かったわね。次から気をつけるわよ」
「おそらくサブネットの連中だろう。前々から出所不明の妙なクラックは監督省のネットワーク全体でも散見されていた。今回の件についてもBlackBoxにそれらしいアタックの痕跡が確認されていた。手口もクラッカーも大方の目星はついている」
「社会のゴミのくせにやってくれたものね。で、その目星って?」
「アイ・パスというサイトを知ってるか?」
「初耳ね」
男は携帯を開いて何やら操作し始めた。どうやら当のサイトへ接続しているようだ。その様子をメリルは訝し気に睨みつけている。
「簡単に言えば社会の目の監視の盲点、サイト上では節穴と呼ばれているが、その節穴がどこにどれだけあるのかを知ることのできるサイトだ。節穴の数に応じて自分を中心とした指定範囲内のマップが色分けされる」
男は携帯を振った。飛ばされたデータをメリルが自分の携帯で受け取る。キャッチボールのように。転送されたページを見ると見慣れないサイトだった。画面には確かに界隈の地図が表示されていて一定の区画ごとに様々な色で細かく塗り分けられている。
「赤いエリアなら監視が万全だ。そこから黄、青、緑と節穴が増えていき、白いエリアは区画内すべての社会の目が閉じられていることを示す」
「こんなふざけたサイトがあったなんてね」
メリルが眉を顰める。心底憎らし気に。その苛立ちをぶつけるように携帯を思い切り閉じた。
「IPを探ってみたが、該当する運営会社がネットワーク上には見当たらなかった。どうやらこちらから指定したデフォルトゲートウェイを通さないでネットワークに接続している。十中八九サブネットに潜伏している奴らの仕業だろう。pingも届かないしな」
「正体が分かってないんじゃ意味がないわ。どこかの誰かさんの仕業でしたなんて、そんな当たり前のことをさもしたり顔で言われてもね」
「警備機構の連中は何か訊いてきたか?」
「そんなわけないじゃない。私はこれでもSSクラスの人間よ。彼らの組織のトップよりも社会的に信頼されてる。職歴、病歴、犯罪歴、生跡診断、どれをとっても清廉潔白。そんな人物を疑う余地なんてないって涼しいものよ。それに万一、事情聴取したことがばれたら、上司から叱責されるわよ。恥をかかせるなってね」
「どうやって破壊された?」
「さあ。どうせ定番通り爆薬とかじゃないかしら? あるいは拳銃とか?」
心底興味がないといった風にメリルは言い捨てた。
「さっき連中に話を聴いてきた。ヤツらの読みも、どうやら銃撃らしい。銃弾は跡形もなかったが、おそらく蒸発したんだろうとな。だが妙なことに、その銃創を見る限り銃弾で穿たれた傷とは考え難いようだ。撃ち抜かれたというよりかは鋭利な刃物で貫かれたような痕跡に近いと証言している」
「だからどうだって言うの? シェア・カーを破壊された手段がなにかなんてそんなことどうでもいいのよ。重要なのは私の妹が何者かに攫われた。その事実だけ」
「すでに情報統合部に緊急バッチを指示した。次のコンバージェンスの前に、あの少女の島民登録のすべてが削除される。その後に何らかの私紋認証が行われれば、誤紋が検知されてアラートが届く。それでおおよその潜伏先は掴めるだろう。すぐに近くの支部の人間を向かわせれば、巧くいけばその場で捕獲できるかもしれない」
「それが新しい自死誘発プロシージャってわけ? だとしたら随分と乱暴なやり方ね」
「露見のリスクよりも迅速性を優先した。依頼人があんただからこその特例だ」
「ありがたいわね。擬体の方は?」
「先ほど連絡を受けた直後に手配済みだ。あの少女の島民登録削除に間に合うよう作業を進める。もっとも、あの少女が先に回収されるかもしれんがな」
車道に一台の車が現れた。どうやらメリルが呼んだ迎えのようだ。セントラル・シティの中心街や高級市民街でしか目に出来ない光路対応のEV車。選ばれた者だけに許された特権車両だ。
「擬体の回収を先にしなさい。それも、あの子の目の前でね」
その一言に男の面が引き攣る。
「あの子と、それと、あの子を私から攫った連中にも思い知らせてやりなさい。人の妹に手を出した報いがどういうものかをね」
「……いいだろう。承知した」
その言葉を聴いて満足したのかメリルはベンチから立ち上がった。
「この島では社会的有益性だけがすべて。だから私はすべてを手に入れるためにここまで昇り詰めた。私が小さかった頃は、無能な連中がまだまだ島の中枢に蔓延ってたわ。それこそ五〇や六〇って、ただ年齢だけが取り柄の能無しがね。そんな社会に納得できると思う? 冗談じゃないわ。これから死ぬだけの連中が我が物顔で自分たちの未来を握ってるなんて、考えるだけで吐気がするわ。だから私はここにいるの。この島から社会的に不要な連中を根こそぎ排除するためにね。その意味が、グレイ、あなたには分かるはずよ」
「俺もあんたと同じ時代を生きた人間だ。そしてこれからも生き続ける。この時代をな」
その意外な一言にメリルは暫し茫然とした。そして小さく悠然とした笑みを浮かべて、
「ずいぶんと気の利いたコメントじゃない。どこで覚えたのかしら」
だがグレイと呼ばれた男は意に介さない。口を開くこともなく携帯をジャケットの内ポケットにしまう。
「相変わらず無愛想ね。少しは嬉しそうにしたら?」
「善処しよう」
「名前の通りの灰色会話だこと。もう少しジョークでも覚えたら? ……まあいいわ。私の前にあの子を連れ戻してくれればそれだけで文句はないわ」
それだけ言うとメリルは何事もなかったかのように身を翻した。そのまま迎えに来たEV車に乗りこみ颯爽と去っていった。車体の遠退く方をグレイはじっと見ていた。しかしその視線に意識はなく……それは回想を漂っていた。やがてその口がどこか懐かし気に呟いた。
「これから死ぬだけの連中、か。……それがこうまであいつと違うとはな」