KEEP ALIVE

 セントラル・シティとイーストエンドを結ぶ海橋を一台の車が走っていた。
 いまとなっては骨董的価値しかない旧時代のマニュアル車だった。乗って楽しむよりも見て楽しむ。そんな目的を失った車。車体は丸く車高は低い。流線型のフォルムは風の抵抗に強く動力はガソリンや水素がメイン。そのため太陽光や地熱を利用した公共エネルギーで走るタイプより燃費が圧倒的に悪い。走行可能距離も一〇分の一程度。しかし代わりに速度と機動性に優れている。そのため警備機構や民間救急会社など緊急性の高い任務を営む組織ご用達だ。当然この車はどちらでもない。
 この時間にセントラルへ向かう車は少ない。そのため流れは極めて良好だった。対向車線では仕事帰りの車が何台ものろのろと逆流している。
 運転席の女は若い。黒のシンプルなパンツスーツは明らかに機能美優先で体のラインとぴったり一体化している。首筋に甘えるように流れる短い銀髪が対向車のライトを照り返しては透き通るように淡く輝いていた。所々に愛嬌のような寝癖が目につく。グランブルーの綺麗な瞳は大きくて丸い。覆う瞼はやや切れ長でそれすら囲い切れないくらい細い眼鏡をかけている。というよりは目頭に乗っている。その右目を守るレンズがいまは蒼白く発光していた。表面に界隈の地図が表示されている。

《あとどのくらいだ》
「この調子なら、一五分もあれば着くわ」
《それにしても、なんで普通の島民のあの少女が、あんな大物と一緒にいるんだ?》

 助手席に置かれた銃が言葉を発した。黒光りするオートマチック型の拳銃。その重々しい外見には相応しくない若い声で。しかし何かを悟った風な妙に落ち着き払った雰囲気も感じさせる。明らかに年を上に誤解される心の老いた若者。そんな健気だが涼し気な声色。

「さあね。あたしだって教えて欲しいわ。まあ大方の予想はついてるけど」
《なにか心当たりでもあるのか?》
「あの子ね、《手のひらサイズのアイドル》なのよ。たしか二年くらい前からかしら。スピン・ライフのユーザーの間で大人気になって、その熱が度を越してリアルの世界でも、ってね」
《手のひらサイズのアイドル? なんだそれは?》
「いろんな意味で持ち運び便利なアイドルよ。モデル登録された人のCitizenBoxの公開情報を使ってユーザーが様々なメディア作品を二次的、三次的に量産するのがスピン・ライフってネットサービス。小説や動画、CG集や漫画、ドラマに短長編自作映画、R指定の諸々、まあいろいろね。そのモデルのなかでも、特に人気のある子たちが《手のひらサイズのアイドル》って呼ばれてちやほやされてるのよ。あの子はそんなアイドルのうちの一人ってわけ。あたしも詳しくは分からないけど、なんかジャンルごとにアイドルがいるみたいね」
《現実に存在する人物を敢えて電子的に加工して興に浸るサイトか、……なんだか理解に苦しむ文化だな。コストもかかるし現実感も失われると思うが》
「だから、あたしもよく知ってるわけじゃないわ。ちょっと覗いたことがあるくらいよ。――でもまあコストって点では、ちょっと違うけど外れてはいないわね。特に人気の高い上位の子たちは、作品自体が自動で課金対象になるみたいだから」
《金を取るのか? 旧体制下で横行していた売春や援助交際と似たようなものか?》
「アプローチ方法が変わったくらいね。実際、お金目的で登録してるアイドル志望の子も、どうやらいるみたいだし。実際、あの娘の作品も、いくつか良い値が張ってたわ。当座の時価とダウンロード数を掛け合わせたらビックリよ。下手したらあの子、あたしよりお金持ち」
《……まあいい。それで?》
「あの女には前々からその手の噂があったの。若い女の子を言葉巧みに攫っては自分のものとして飼ってるってね。スピン・ライフのアイドルは過去に何人か回収されてるけど、どれもあの女が手を回して自分のものにした可能性が高いって言われてる」
《女性が女性を好きになるのか? 人間の恋愛は異性間交友だけしかないと思ってたが》
「……その言い方、なんか複雑ね」

 女の表情が曇る。不味いものでも口にしたように。

《気のせいだ。それで?》
「……まあ、あの女が異常なのは確かね。オフィシャルじゃないけど、犬や猫を飼ってもいいなら人間も動物なんだから飼っても構わないじゃないって放言したって言われてるくらいだし」

 銃は女の言葉にしばし浸るように黙っていたが、

《まあ、たしかに動物愛護法のスクリプトからも人間を飼ってはならないと言う解釈を捻り出す方が困難だろう。生物学的にも分類学的にも人間は動物として括られるはずだ。まあ人間論的あるいは哲学的に言えば答えは否となるんだろうが、それはあくまでも人間という括りの中での問題だから論理としては苦しいだろうな。とは言え現実問題、……》

 止まらない理屈の波に女は些か困った風に目を細め、

「……ああ、いや。……うん、だからそういう話じゃなくてさ」
《しかしだ。犯罪行為なら車内の目で判定されるはずじゃないのか? 公共交通機関や公域での目のクローズは事前審査が必要だったはずだ》
「あの女は社会の目を開発してる会社の親玉よ? そんなのどうとでもなるわ。それにきちんと稼働してたって問題ないわ。いまの評価関数じゃ、その手の欲望は認識できないから」
《そうなのか?》
「知りたかったら今度のオーバーホールのときにあの人に頼むといいわ。とにかく、執行猶予期間が明けるギリギリに財界の大物が接触したってだけで状況証拠としては充分よ。明らかに裏があるとしか思えない。こんなに早く動かれるとは正直予想してなかったけど」
《処理執行猶予が明ける前から見張って、明けると同時に回収する算段か》

 吐き捨てるように銃は毒づいた。

「おそらくね。あの女が監督省に吹きこんだのか、彼女を利用した監督省の人間がいるのか分からないけど。でも、あの子がドナー登録されたのも確認できた以上、いずれにしてもなんらかの形で監督省が絡んでるのは確実でしょうね。そうじゃないと、猶予の明けるタイミングなんて掴めるもんじゃないわ」
《どうするつもりだ?》
「幸い今日あの女は自家用車じゃないわ。あの子のクラスじゃ見ず知らずの他人のEVには乗れないからね。公共のシェア・カーも、あの女相手じゃ、あの子のクラスだと相乗りの認証は降りない。だから、時代遅れの輪動タイプのシェア・カーで、おまけに動力は燃えやすい旧式の石油タイプのガソリンときてる」
《……だから?》

 そこで女は銃を手に取り、

「あなたの出番ってこと。頼りにしてるわよルファ」

 まるでご褒美でも与えるように女は銃口にキスをした。しかしルファと呼ばれた銃は静かなままだ。興奮する風も動揺する風も見せない。むしろその沈黙はぎこちなく女に同意しかねているようにも感じ取れる。

《……界隈の目を閉じさせたのはそういうわけか》
「そういうこと。公共交通機関の破壊なんて一発でCクラス落ちだもの」
《……まあいい。ただその少女を怪我させないように細心の注意は払えよ》
「あら優しいじゃない。白馬の王子様って気分?」
《軽口叩いてる場合か。さっさと行け》

 銃口からため息のような音が漏れる。決意とは裏腹のいかにも人間臭い呆れきった一息。
 これ幸いとばかりに女はアクセルを踏み直して車を加速させる。御伽の国をも思わせる妖艶の輝きに包まれた都市を目指して。
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