KEEP ALIVE

 グレイは眼下に広がるセントラルを眺めていた。
 いつ見ても代わり映えしない光景だ。光の反射具合ですら昨日と同じように思える。地上では島民がパケットのように規則正しく流れている。決められた道を決められた手段と決められた速度で。そうプロトコルから命じられたように。もっともそれは必然だった。そうなるよう監督省を立ち上げた先代たちが設計したのだから。
 自分が生まれるよりもう随分と前のことだ。いつからか列島国だったこの国は言語的な壁や国力の衰退から国際的な地位を落とし大陸に都合良く扱われていた。あるときは政経理論や医療技術の一実験場として。またあるときは不完全な評価関数の実験場として。
 さらにあるときは安全な戦場にも変貌した。大陸は昔から雇用創出政策の一貫として無職の若者の燻る愛国心を煽ることで軍隊へ入隊させてきた。それはいまでも続けられている。しかし旧体制下では美徳として国中の尊敬を集めた殉死もいまでは単なる一悲劇に過ぎない。国防という必然に殉じた若者は英雄だが一事業という任意に殉じた若者は単なる事故死扱いだ。そのため保護者や関係各位からの国への追及も容赦がなくなる。
 ゆえに雇用を維持するために必要となった彼らが死なない戦場――その白羽の矢が立ったのがこの劣等国だった。犠牲となるべき敵国。的に過ぎない属国。未完の評価関数を背負った生体型機甲装人。相対するは国のお荷物として検証闘争に巻きこまれる若者たち。
 グレイも半ば強制的に入隊させられた一人だった。
 孤児だった彼はいつからか空軍師団の錬成部隊に所属させられていた。とは言え愛国心もなければ任務も欲しなかった。しかし退役が頭を過ることもなかった。何もいらなかったが生きる場所は必要だったからだ。
 グレイが来島した一二歳のとき――そこにはすでに安全な戦場が用意されていた。戦争請負事業も営む軍事系の総合人材サービス会社。相手は彼らが用意してくれていた。その戦力の大半は関数実験用の生体型機甲装人とCSU-Po.が低く使い物にならないと判断された島民たち。人は生きるだけで一定のコストがかかる。それを上回る生産性を発揮できない島民は赤字島民――社会不利益者として秘密裏に処分される。
 戦争請負事業で展開される戦場は言わば彼らの最終処分場の一つだ。

「チーフ。少し時間いいですか?」

 いつの間にか部下が部屋に入ってきていた。らしくもなく気が抜けていたようだ。過去に耽るなどらしくもないと思わず心中で自虐を吐露した。

「どうした。なにかあったか?」

 そう言ってから彼に一つ仕事を頼んでいたことを思い出した。つい今しがたイーストエンドのAレイヤー専用マンションに内設されたショッピングモールで私紋認証エラーが検知された。その追跡調査だ。

「なにって調査の経過報告ですよ。最優先だって強引に捩じこんだの誰ですか。暢気に外なんか眺めてる時間があるなら自分でやって下さいよホント」
「別に暢気なわけじゃない。……まあいい。それで結果はどうだった」
「先に検出された誤紋ですが、チーフの読み通り、例の少女のものでした。すでに付近の分省には回収指令を通達してあります。社会の目によれば、いまはBE―5エリアを車で西に向かってます」

 グレイは左目を瞬いた。右目とは異なる銀碧に輝く瞳を。執行者のトップに立った際に組織から授かった全島監視用の《方眼》――瞬く回数と眼球の動きでリンクする社会の目を切り替えて望んだエリアを監視できる全知の瞳だ。グレイはBE―5エリアの目に次々とリンクして一帯を転々と回った。だがそれらしい車は見当たらない。さらに西のエリアの目へ《方眼》を切り替える。AG―5エリアの目の一つにリンクすると一台のガソリン車が明らかな法定外速度で暴走しているのが映った。

「その車、黒い旧式のガソリン車か?」
「そうです。天道虫みたいな丸い車です。何て車種だったか忘れましたけど……。しかしまだあんなポンコツを乗り回してるヤツがいるとは正直驚きですね」
「ということは、どうやらこいつで間違いないか。しかし、なんだこのスピードは? ずっとこれでイーストエンドの湾岸エリアから逃げてきてるのか? 今の今まで警備機構の連中はなにをしてたんだ」
「無人タイプの巡回車は事前にインプットされたルートしかトレースしませんからね。それにあの辺りは犯罪率が低いですから通報機能は持っていても追跡機能は持っていない車両が大半です。無理な注文ですよ。信号機もないからAVSも作動しません」

 グレイは《方眼》のリンク先を次々と切り替えて車体を追い続ける。

「まあ、それはいい。ところで擬体の手筈は?」
「準備は整ってます。あとはタイミング次第です。でも本当に良いんですか」

 部下の男は苦々しくグレイに訊ねた。一気に老けて見えるほどの顰めっ面で。それが彼の虫の苦さを如実に示していた。だがグレイは敢えて素っ気なく、

「……なにがだ?」

 その虫の居所を知りつつも無関心を装って返した。

「だから、あの女ですよ。こっちの仕事に好き勝手に口を出してくるわ、挙句の果てには現場にまでついてくるわ。あの女の気紛れでこっちのスケジュールは毎度のことながら大崩れですよ。ほかの仕事が滞って、そっち方面からも不満が漏れる始末です。今回だって強制的にドナー登録に回したり擬体の回収に注文つけてきたりホント信じられませんよ」

 どことなく諦めたような口調で男は言った。大袈裟に両手を広げながら。それは省内の大勢が心に秘めている悩みの種だった。そしてその誰もが分かっていた。その悩みに解決策などないということを。
 だからこそ苛立ちだけが募った。向け所のない不満が皆の身の内で淀んだ。そしてそれは愚痴や不満となって上役であるグレイたちに投げつけられるのだ。
 秘密裏に回収された存在の大半は島を牛耳るハイランカーたちの都合で行く末が決まる。敗北を宿命づけられた兵士。新療法や新薬を死ぬまで施される被験体。ハイランカーの嗜好や性癖を満たすための人間玩具。その用途はハイランカーの価値観の数だけ存在する。
 回収された者は何者でもあり何者でもない。
 そうしたニーズに合致した島民は回収対象としてドナー登録に回される。そこでも拾われなかったが最後。待っているのはそれ以上に残酷な消去処理。文字通り世界から消される。跡も形もなく。
 そうした事情から回収についてハイランカーの注文がつくこと自体は珍しくない。だが今回は異例尽くめだった。審議前のドナー登録。処理執行猶予期間の短縮。処理完了前の島民登録の削除。擬体回収の場所とタイミングの指定。どれか一つならさほど問題ではない。しかし一連の作業全てへの介入は本来なら看過できない。
 だが今回の依頼者はあのメリル・フレイクスだ。

「仕方ないだろ。なにせ光学系の情報統合機器はすべてあの会社のものだ。あの会社のおかげで俺たちは仕事があるようなものだからな」
「それはそうですけど、それにしたって納得しろって方が無理ですよ。社会の目を通して一部始終を収めたいとか個人的な趣味で回収のプロシージャにまで口を挟んでくるなんて、どうかしてます」
「言いたい気持ちも分かるが、愚痴はほとほどにしとけよ。俺の部屋に耳はないが、どこで誰が聴いてるか知れたもんじゃないからな」

 それでも男の表情は変わらず不満気だ。鴨嘴のように口唇を尖らせている。

「それで、その指定された時間と場所は?」
「イーストエンドとサウスエンドの越境地帯。座標で言えばU―9。断河沿いに広がる産学混合型の区画整理都市の巨大交差点です」
「老若男女、選り取りみどりという訳か」

 グレイは《方眼》を切った。本来の視神経が再覚醒して部屋の風景が徐々に鮮明になっていく。――この瞬間だけは何度経験しても慣れない。いつも陽の下から闇の中へ踏みこんだような無力感に襲われる。なによりも色濃い闇がグレイの右目を塗り潰す瞬間。

「どれだけ見せつけたいんでしょうかね。悪趣味と言うか何と言うか」
「あの女はそういう女だ」

 そのグレイの一言に部下の男は呆気に取られた。おそらく意外だったのだろう。これまで何度もメリルの依頼を専属で遂行してきたのは当のグレイだ。彼の文句や不満などこれまで欠片も聴いたことはなかった。

「それで、少女の方は誘導できそうなのか?」

「ああ、ええと」と男は少し慌てて気を取り直す。

「なんとか踏ん張ってます。分省からの報告では、もう近くまで引きこめています。向こうも張られてることに気づいてるみたいですから、こっちの誘導にうまく嵌まってくれてますね」
「まあ、あいつがついてるだろうからな。こっちの動きはすべて筒抜けだろう」
「はっ? ……と言うと?」
「あの少女を連れ回してるヤツは元々、監督省にいた女だ。社会不利益者のネガティブ・ドナーとしての流用を考案した一人でな。いまは逆に《生存確認》を生業としてるわけだが。そんなわけで、あちらには、こちらがなにを考え、そしてどう動くのか、手のうちは最初から全部バレているに等しい」
「あの偽善者連中の一員ですか。なんだってまた」
「さあな。そう言うなら、俺だってこの仕事についた理由なんて分からんがな」
「まあ、俺も人のこと言えませんけど。……どんな人だったんです?」
「興味があるなら自分で調べてくれ。まだ生きてるからCitizenBoxにデータは残ってる。俺から聴こうが検索をかけようが大して変わらない」
「単に面倒臭いだけじゃないですか」
「時間は無駄にしたくないだけだ」
「分かりましたよ、まったく。じゃあPerfect No.っていま分かります?」

 そう言いながら男は懐から携帯を取り出した。どうやら早速調べるようだ。グレイは溜息を一つ吐いた。蠅でも払うように手のひらを返しながら、

「自分のデスクに戻ってやれ」
「この島の先住種の言葉にあったじゃないですか。思い立ったが吉日って」
「いまじゃなくて今日中に調べれば問題ないだろ。しかし、若いくせによくそんな言葉を知ってるな。……まあいい、ナンバーは77812303だ」

 部下の男は礼を言いながら早速検索し始めた。

「新世代の生まれでも、この島で生まれた連中は意外に旧体制下の事情に詳しいですよ。まあ、経験じゃなくて知識として持ってるってだけですけどね。タワーで習わされたり電子図書館で覗いたりしてますから。……なんだ、反体制的な人にしては全うそうじゃないですか。特に犯罪歴があるわけでもなし、ルックスも女性の規定プロパティに収まってますし。面白くない」
「別に面白いと言った覚えはないがな」
「でも、確かに監督省の出身みたいですね。……それにしても、この島って女の子が全然代わり映えしないのがホント残念ですね。身長も体重も体型も髪型も、全部が似たり寄ったりだから、みんな同じに見えますし。大陸とは大違いですよ」
「俺から見れば、お前たちも同じに見えるんだがな。というか、ここ数年で社会に出てきた島民たちは世代全員が似通いすぎてて識別に困る。正面から向き合っても職員証がないと誰が誰だか分からん」
「リソースの再配分が加速してますからね。選定の規定値が厳格に定義されてますから、トップ企業や省庁に通ってる人間たちなんて外も中も似たり寄ったりで仕方ないですよ。俺もあまり人のことは言えませんけど」

 そう言う男は薄ら苦笑いを浮かべた。だが自嘲という風ではなかった。
 ここ数年の採用基準は確かに厳格化されている。それは監督省でも同様だ。まず外見で一次の足切りが行われる。仕事において見た目は極めて重要だ。客商売を生業とするための外見。役人としての外見。指導医としての外見。その壁は厳然として存在する。そして企業や団体は自分たちの理想とする外見の身体座標をフルに公開している。許容できる誤差の範囲とともに。逆に言えば満たない者は例外なく諦めざるを得ない。
 ここ一〇年くらいで恒例化された慣習だった。表向きにはミスマッチによる不幸を撲滅するためという名目で行われた。確かに叶わない夢を無駄に追わせない慈悲と言えば聴こえは良い。その実態がなんであれ。
 そうして外見判断で七割近くが対象外となる。課された容姿を先天的に持って生まれてくる人間など三割もいれば多い方だ。次にタワーでの成績や素行といった生跡が定めた規定値を満たしているか否か吟味される。それでようやく内定候補が決まる。監督省では新人は入省当日まで職員と会うことはない。それで十分なほど採用基準が厳格に定義されているからだ。

「誰だって自分の好みを優先してまで社会から捨てられたくはないだろうさ。自分を犠牲にするだけで将来の安定が確約されるなら喜んで捨てるだろう」
「この娘は違うみたいですけどね」

 そう言って男は一枚の書類を宙で遊ばせた。例の少女のBlackBoxのプロフィール画面のコピーだ。

「おい。BlackBoxの情報は最高機密だぞ。どうやってプリントアウトした」
「これでも一応はエンジニアですからね。やり方は色々と知ってますよ。まあ当然ですけど普通に端末からは出せませんからね」

 そう言いながら男は意味深気に笑う。呆れたグレイは鼻で短い息を漏らした。

「省外には絶対に持ち出すなよ。すでに彼女はこの島に存在しないことになってるんだ」
「分かってますって」

 釘を刺すグレイに男は半真面目に頷いた。それから自分の携帯に再び視線を戻した。
 部下の男は再び端末に目を戻すと、

「それにしても、……なんでこの人、まだステータスがAliveのままなんです? 実際の生死に関わらず反体勢力は漏れなくCitizenBoxからデータを消去されるはずじゃ? それにこの人、両親はすでに死亡してるじゃないですか。妹とも交流が乏しいみたいですから、別に擬体の回収だって必要ない」
「……さあ、なんでだろうな」

 彼の問いにグレイは背を向けて沈黙を決めこんだ。

「とぼけないで下さいよ。執行部のトップのチーフが知らない訳ないでしょう」

 男の言う通りだったがグレイは口を開かなかった。消去や回収の対象となった島民の情報はまずグレイのもとに回ってくる。彼の方で処理上の優先順位の設定や対象外の島民の申請を取り下げたりするためだ。

「――もうそろそろ時間だな。《方眼》のリンク用に一羽だけFlyingEyesを手配しておいてくれ。一〇分後にエントランスに集合だ。俺もすぐ下に降りる」

 結局グレイは男の質問に答えることなく命令だけを下した。そのまま口を閉ざした。部下の男はグレイの背中を窺っていたが首肯するとすぐ部屋を引き払った。
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