白船一番艦の受難
「救出したとき、この子はわざわざ人の姿で船を漕いでいました。大海原なら人魚の姿のほうが楽なはずなのに。たぶんこの子は人の姿でいる必要があったんじゃないかと思うんです。では、その理由とは一体なんでしょうか」
問われたカイルとアヴリルは、眉根を寄せて思案する。
「……俺たちに怪しまれないようにするため?」
カイルが疑問形で口にした答えにシルヴィアは頷く。
「おそらくそうだと思います。この子はなにか目的があって私たちと接触した、あるいは人類の生活圏に行こうとしたのではないでしょうか」
「じゃあ、ランティスに戻ってカレンさまたちに話しても大丈夫そうじゃないですか? ミネルヴァさんもいるだろうから、いきなりひどいことされたりはしない気もしますし」
「カレン様やミネルヴァさんたちはそうでも、ほかの人たちも理解を示してくれるとは限りません。嫌な言い方ですが、この子に害意や敵意がないことを確認してからにしたほうが良いと思います」
「まあ、確かにな。だがそうなると、せめてどこから来たかくらいは分からないと、どうしようもないな」
「そうですね……言葉が通じないわけではなさそうですから、なんとかして少しでも情報を引き出せれば良いんですが……」
シルヴィアはいったん席を立ち、その椅子に少女を座らせると、彼女の目線までしゃがむ。そして自分たち三人を指差しながら名前を呼んで、最後に少女を指差した。彼女の名前を尋ねているのだ。アヴリルだけは憧れの人に「あぶ」と呼ばれるのが嫌らしく「やめてー!」「いやー!」と騒いでいたが、気にしている場合ではない。
だが結局、彼女の名前は分からなかった。何度試しても首を傾げるばかりだ。人親なら名前をつけそうなものだが、そうなると彼女を育てたのは海獣ということだろうか。
名前を諦めたシルヴィアは、次に宿屋の人から紙と鉛筆を借りてきて、そこに地図を書き始めた。世界地図だ。ランティスを中心に、自分たちが知り得る限りの島々、そして海域に生息しているよく見られる海獣や自然物を書きこんでいく。
少女はその様子を面白そうに眺めていた。
……だが、一方のカイルとアヴリルは、シルヴィアの生み出す自分たちの世界を前に、その表情を見る見る渋らせていく。
「……いや、さすがに絵心なさすぎだろ」
「……シルヴィアさまぁ……これはさすがにあたしもひどいと思います」
「う、うるさいですよ! 分かればいいんです!」
「いや、なにも分かんねぇって」
「これなんですか? イスカンダリオ海域の東にいる毛の生えたミミズみたいなヤツ」
「海龍ですけどなんか文句でもあるんですか《あぶ》」
「ぐへぇはぁっ!」
膨れっ面でアヴリル撃退用の宝刀を抜き放つシルヴィア。アヴリルは干からびた蛙が腹を見せてひくひくするように両手足を投げ出して泡を吹き出してしまった。
「ああもう見てらんねぇな。ちょっと貸してみろ」
痺れを切らしたカイルはシルヴィアから紙と鉛筆をひったくると、紙の裏に同じような地図を書き始めた。
それを覗きこんだ三人は、
「……う、うまっ!」
その圧倒的な速さと描写力に度肝を抜かれた。
島は海岸と森林、そして町が鉛筆一本で綺麗に書き分けられており、海では沸き立つ白波が見事な立体感で逆巻いている。シルヴィアが「毛の生えたミミズ」と評された海龍も、獰猛な顔つきや表面の龍鱗まで精緻に表現されており、いまにも紙のなかから飛びかかってきそうだ。
紙の裏一面に見る見る広がっていく、お伽話のような幻想感あふれる世界。神話の絵本に挿絵として挟まっていても、全くおかしくない出来だ。
少女はシルヴィアの絵を眺めていたときより、数段楽しそうにその瞳を輝かせている。
「な、なんでそんなに上手いんですか……」
完全敗北を喫したシルヴィアは、唖然とするしかなかった。
「いつだったか、孤児院のガキんちょたちにせがまれて何かの絵を描いてやったら、似てないって袋叩きにあってな。それでムカついて見返してやるって練習してたら、いつの間にか描けるようになってたな」
「いやぁ。それにしたって上手すぎでしょ。軽くひくわー」
そう言うアヴリルの目も羨望に染まっている。
「……っし。まあ、こんなもんだろ」
一〇分もすると、カイル渾身の世界地図が完成した。
(こ、こんなものって……)
そんな一言で片づけるには、とても割に合わない傑作が目の前にはあった。
「んで? これでなにするんだ?」
「え? ―――あ、ああ、ええ。この子に見てもらって、見覚えのある海獣や場所を教えてもらおうと思いまして。それでどこから来たか分かるんじゃないかと。世界地図が理解できるか分かりませんが、方位を掴めるなら、たぶん大丈夫だと思うのですが」
「なるほど。そういうことか」
納得したカイルは、絵を眺める少女に海獣を一つずつ指差して「これ知ってるか?」と尋ねていった。最初は首を傾げていた少女も、すぐカイルの意図に気づいたのか、ある海獣を示すと海獣の鳴き真似をしてみせたり、べつの海獣を示すと大きく口を開けて獲物をぱくりと食べる仕草をしてみせたりした。
そんな二人の対話を眺めていると、徐々に彼女の生活圏が見えてきた。
カイルがランティスより西の海―――シュピーゲル海域やヘルガ海域の海獣を示しても、少女は首を傾げるだけだった。それらについてはなにも知らないのだろう。対して、東側のイスカンダリオ海域、そして最東端のメガリス海域の海獣を示すと、鳴き声や挙動の真似をした。
「……もしかして、メガリス海域で暮らしてたのか?」
「そのようですね。イスカンダリオ海域であれば、噂の一つも立つでしょうし。……ただメガリス海域にはいまのところ島はないんですが……」
シルヴィアが困惑するのも無理はない。メガリス海域については、彼女が誰よりも詳しい。同海域の調査航海を任されているのが、ほかならぬ彼女の一番艦だからだ。しかし、すでに四年以上メガリス海域を調査しているが、島は未だに一つも発見できていない。
いったい少女はどこから来たのか、そして何者なのか。
途方に暮れかけて沈黙する三人。
だが、当の少女が次に見せた振る舞いで、場の空気は一転、緊張感を帯びる。
彼女はメガリス海域の東の果て―――雲のような塊が立ちこめる部分を指差して嬉しそうに笑った。三人には理解できない鳴き声めいた言語を発しながら。
「ここがどうかしたんですか?」
シルヴィアが尋ねるも、少女は笑いながら「もくもく!」と指差すばかりで要領を得ない。
いったいこの子はなにが言いたいのか……。
「……もしかして、こっから来たってのか?」
最初に察したのは、カイルだった。
「ま、まさか……」
シルヴィアは思わずカイルの言葉を否定した。
そんなことあるわけがない。
あるわけがない……。
……だが、彼女は心の奥底でまったく逆のことを考えてもいた。
恐らくは彼の予想通りだろうと。
それ以外に考えられる可能性もないからだ。
―――それにも関わらず、なぜ彼女はカイルを否定したのか。
そうせざるを得ないだけの理由が、この雲海にはあったのだ。
そこは、史上最高の船乗りとまで呼ばれた彼女をして、未だ走破の叶わない絶海の領域。
―――パンデモニウム。
メガリス海域の遥か東に広がる、巨大にして広大な謎の濃霧。
四方四〇海里とも五〇海里とも言われるその化け物じみた霧の塊は、どこまで続いているのか、どこまで広がっているのか、その全容の欠片すら掴むことが叶わない。
かつて《大災禍》が去った直後に発生したとされ、これまで一度として晴れたことはなく、この先も永遠に晴れることがないと言われる。その不気味な神秘性から俗に《神の霧》―――パンデモニウムと呼ばれるようになった。
ある者曰く、その巨霧は生物の如く意志を持ち、呑みこんだ船を二度と還さない。
―――再び訪れる沈黙。
外は既に宵闇に包まれていた。いつの間にか雑踏の行き交う音や声も消えている。
「……どうします?」
地面で胡座を掻いているアヴリルが神妙に呟く。
(……)
シルヴィアは世界地図を見ながら楽しそうに笑う少女の横顔を眺めながら―――やがて意を決したように立ち上がる。
「……ちょうどいいです。私もあの奥になにがあるのか、ずっと気になっていました。それに、もしこの子があの雲海の奥からやってきたのなら、あそこを走る方法を知っているということです。それを解明できる絶好の機会をみすみす逃す手はありません」
「……大丈夫なのか? 二度と帰ってこられないって有名なんだろ?」
「大丈夫ですよ。少なくとも私は一度、入って帰ってきました。それに―――」
カイルの忠言にも、シルヴィアは自らを鼓舞するように微笑んで、
「―――一番艦は沈みませんよ。私がいる限り」
誰よりも清楚で可憐な外見からはおよそ想像もつかない強気な一言に、カイルも思わず苦笑いを見せるしかなかった。
「シ、シ、シシ、シ、シシシルヴィアさま――――――っ! かっこよすぎますっ! 一生ついていきます――――――っ!」
そんな彼とは裏腹に、アヴリルは黄色い雄叫びを張り上げながらシルヴィアの胸につっこんできた。「ちょ、ちょっとアヴリル」と困惑するシルヴィアに構わず、感動で号泣しながら彼女をぎゅっと抱き締めて離さない。
あることに気づくまでは。
「……ん?」
隣室からの苦情も覚悟するほど騒がしかったアヴリルが突如、泣き止んだ。
いったいどうしたのか。
尋ねようとしたシルヴィアだったが、口を開く前にアヴリルがあまりにも唐突に彼女の胸を鷲掴みにした。
「ひゃうっ!? ちょ、なにしてるんですか!」
「あれ……おっかしぃなぁ。まえに計ったときは、もう二センチ大きかったのに……」
その一言が、シルヴィアの逆鱗に触れた。
「……アヴリル。前に計ったって、なんですか?」
鬼の形相でアヴリルを見下ろすシルヴィア。
アヴリルは「……あ」と自らの不手際に気づき、その身を恐怖で完全に硬直させた。頭のてっぺんから大量の冷や汗が滝のように流れ落ち、彼女の足元にだけ強烈な地震が襲いかかったかのようにその体が激しく震え出す。
そんな二人を興味深そうに交互に見上げていた少女は、そっと近づいてきたカイルに「あっち行こうな……」と、その両目を優しく塞がれて、すいすいと扉のそばまで連れて行かれた。
直後、宿屋そのものを揺るがすような怒声と衝撃、そして夜空を切り裂かんばかりの阿鼻叫喚が響き、窓から放り出された一つの人影が煌めく夜空に綺麗な放物線を描いた。
問われたカイルとアヴリルは、眉根を寄せて思案する。
「……俺たちに怪しまれないようにするため?」
カイルが疑問形で口にした答えにシルヴィアは頷く。
「おそらくそうだと思います。この子はなにか目的があって私たちと接触した、あるいは人類の生活圏に行こうとしたのではないでしょうか」
「じゃあ、ランティスに戻ってカレンさまたちに話しても大丈夫そうじゃないですか? ミネルヴァさんもいるだろうから、いきなりひどいことされたりはしない気もしますし」
「カレン様やミネルヴァさんたちはそうでも、ほかの人たちも理解を示してくれるとは限りません。嫌な言い方ですが、この子に害意や敵意がないことを確認してからにしたほうが良いと思います」
「まあ、確かにな。だがそうなると、せめてどこから来たかくらいは分からないと、どうしようもないな」
「そうですね……言葉が通じないわけではなさそうですから、なんとかして少しでも情報を引き出せれば良いんですが……」
シルヴィアはいったん席を立ち、その椅子に少女を座らせると、彼女の目線までしゃがむ。そして自分たち三人を指差しながら名前を呼んで、最後に少女を指差した。彼女の名前を尋ねているのだ。アヴリルだけは憧れの人に「あぶ」と呼ばれるのが嫌らしく「やめてー!」「いやー!」と騒いでいたが、気にしている場合ではない。
だが結局、彼女の名前は分からなかった。何度試しても首を傾げるばかりだ。人親なら名前をつけそうなものだが、そうなると彼女を育てたのは海獣ということだろうか。
名前を諦めたシルヴィアは、次に宿屋の人から紙と鉛筆を借りてきて、そこに地図を書き始めた。世界地図だ。ランティスを中心に、自分たちが知り得る限りの島々、そして海域に生息しているよく見られる海獣や自然物を書きこんでいく。
少女はその様子を面白そうに眺めていた。
……だが、一方のカイルとアヴリルは、シルヴィアの生み出す自分たちの世界を前に、その表情を見る見る渋らせていく。
「……いや、さすがに絵心なさすぎだろ」
「……シルヴィアさまぁ……これはさすがにあたしもひどいと思います」
「う、うるさいですよ! 分かればいいんです!」
「いや、なにも分かんねぇって」
「これなんですか? イスカンダリオ海域の東にいる毛の生えたミミズみたいなヤツ」
「海龍ですけどなんか文句でもあるんですか《あぶ》」
「ぐへぇはぁっ!」
膨れっ面でアヴリル撃退用の宝刀を抜き放つシルヴィア。アヴリルは干からびた蛙が腹を見せてひくひくするように両手足を投げ出して泡を吹き出してしまった。
「ああもう見てらんねぇな。ちょっと貸してみろ」
痺れを切らしたカイルはシルヴィアから紙と鉛筆をひったくると、紙の裏に同じような地図を書き始めた。
それを覗きこんだ三人は、
「……う、うまっ!」
その圧倒的な速さと描写力に度肝を抜かれた。
島は海岸と森林、そして町が鉛筆一本で綺麗に書き分けられており、海では沸き立つ白波が見事な立体感で逆巻いている。シルヴィアが「毛の生えたミミズ」と評された海龍も、獰猛な顔つきや表面の龍鱗まで精緻に表現されており、いまにも紙のなかから飛びかかってきそうだ。
紙の裏一面に見る見る広がっていく、お伽話のような幻想感あふれる世界。神話の絵本に挿絵として挟まっていても、全くおかしくない出来だ。
少女はシルヴィアの絵を眺めていたときより、数段楽しそうにその瞳を輝かせている。
「な、なんでそんなに上手いんですか……」
完全敗北を喫したシルヴィアは、唖然とするしかなかった。
「いつだったか、孤児院のガキんちょたちにせがまれて何かの絵を描いてやったら、似てないって袋叩きにあってな。それでムカついて見返してやるって練習してたら、いつの間にか描けるようになってたな」
「いやぁ。それにしたって上手すぎでしょ。軽くひくわー」
そう言うアヴリルの目も羨望に染まっている。
「……っし。まあ、こんなもんだろ」
一〇分もすると、カイル渾身の世界地図が完成した。
(こ、こんなものって……)
そんな一言で片づけるには、とても割に合わない傑作が目の前にはあった。
「んで? これでなにするんだ?」
「え? ―――あ、ああ、ええ。この子に見てもらって、見覚えのある海獣や場所を教えてもらおうと思いまして。それでどこから来たか分かるんじゃないかと。世界地図が理解できるか分かりませんが、方位を掴めるなら、たぶん大丈夫だと思うのですが」
「なるほど。そういうことか」
納得したカイルは、絵を眺める少女に海獣を一つずつ指差して「これ知ってるか?」と尋ねていった。最初は首を傾げていた少女も、すぐカイルの意図に気づいたのか、ある海獣を示すと海獣の鳴き真似をしてみせたり、べつの海獣を示すと大きく口を開けて獲物をぱくりと食べる仕草をしてみせたりした。
そんな二人の対話を眺めていると、徐々に彼女の生活圏が見えてきた。
カイルがランティスより西の海―――シュピーゲル海域やヘルガ海域の海獣を示しても、少女は首を傾げるだけだった。それらについてはなにも知らないのだろう。対して、東側のイスカンダリオ海域、そして最東端のメガリス海域の海獣を示すと、鳴き声や挙動の真似をした。
「……もしかして、メガリス海域で暮らしてたのか?」
「そのようですね。イスカンダリオ海域であれば、噂の一つも立つでしょうし。……ただメガリス海域にはいまのところ島はないんですが……」
シルヴィアが困惑するのも無理はない。メガリス海域については、彼女が誰よりも詳しい。同海域の調査航海を任されているのが、ほかならぬ彼女の一番艦だからだ。しかし、すでに四年以上メガリス海域を調査しているが、島は未だに一つも発見できていない。
いったい少女はどこから来たのか、そして何者なのか。
途方に暮れかけて沈黙する三人。
だが、当の少女が次に見せた振る舞いで、場の空気は一転、緊張感を帯びる。
彼女はメガリス海域の東の果て―――雲のような塊が立ちこめる部分を指差して嬉しそうに笑った。三人には理解できない鳴き声めいた言語を発しながら。
「ここがどうかしたんですか?」
シルヴィアが尋ねるも、少女は笑いながら「もくもく!」と指差すばかりで要領を得ない。
いったいこの子はなにが言いたいのか……。
「……もしかして、こっから来たってのか?」
最初に察したのは、カイルだった。
「ま、まさか……」
シルヴィアは思わずカイルの言葉を否定した。
そんなことあるわけがない。
あるわけがない……。
……だが、彼女は心の奥底でまったく逆のことを考えてもいた。
恐らくは彼の予想通りだろうと。
それ以外に考えられる可能性もないからだ。
―――それにも関わらず、なぜ彼女はカイルを否定したのか。
そうせざるを得ないだけの理由が、この雲海にはあったのだ。
そこは、史上最高の船乗りとまで呼ばれた彼女をして、未だ走破の叶わない絶海の領域。
―――パンデモニウム。
メガリス海域の遥か東に広がる、巨大にして広大な謎の濃霧。
四方四〇海里とも五〇海里とも言われるその化け物じみた霧の塊は、どこまで続いているのか、どこまで広がっているのか、その全容の欠片すら掴むことが叶わない。
かつて《大災禍》が去った直後に発生したとされ、これまで一度として晴れたことはなく、この先も永遠に晴れることがないと言われる。その不気味な神秘性から俗に《神の霧》―――パンデモニウムと呼ばれるようになった。
ある者曰く、その巨霧は生物の如く意志を持ち、呑みこんだ船を二度と還さない。
―――再び訪れる沈黙。
外は既に宵闇に包まれていた。いつの間にか雑踏の行き交う音や声も消えている。
「……どうします?」
地面で胡座を掻いているアヴリルが神妙に呟く。
(……)
シルヴィアは世界地図を見ながら楽しそうに笑う少女の横顔を眺めながら―――やがて意を決したように立ち上がる。
「……ちょうどいいです。私もあの奥になにがあるのか、ずっと気になっていました。それに、もしこの子があの雲海の奥からやってきたのなら、あそこを走る方法を知っているということです。それを解明できる絶好の機会をみすみす逃す手はありません」
「……大丈夫なのか? 二度と帰ってこられないって有名なんだろ?」
「大丈夫ですよ。少なくとも私は一度、入って帰ってきました。それに―――」
カイルの忠言にも、シルヴィアは自らを鼓舞するように微笑んで、
「―――一番艦は沈みませんよ。私がいる限り」
誰よりも清楚で可憐な外見からはおよそ想像もつかない強気な一言に、カイルも思わず苦笑いを見せるしかなかった。
「シ、シ、シシ、シ、シシシルヴィアさま――――――っ! かっこよすぎますっ! 一生ついていきます――――――っ!」
そんな彼とは裏腹に、アヴリルは黄色い雄叫びを張り上げながらシルヴィアの胸につっこんできた。「ちょ、ちょっとアヴリル」と困惑するシルヴィアに構わず、感動で号泣しながら彼女をぎゅっと抱き締めて離さない。
あることに気づくまでは。
「……ん?」
隣室からの苦情も覚悟するほど騒がしかったアヴリルが突如、泣き止んだ。
いったいどうしたのか。
尋ねようとしたシルヴィアだったが、口を開く前にアヴリルがあまりにも唐突に彼女の胸を鷲掴みにした。
「ひゃうっ!? ちょ、なにしてるんですか!」
「あれ……おっかしぃなぁ。まえに計ったときは、もう二センチ大きかったのに……」
その一言が、シルヴィアの逆鱗に触れた。
「……アヴリル。前に計ったって、なんですか?」
鬼の形相でアヴリルを見下ろすシルヴィア。
アヴリルは「……あ」と自らの不手際に気づき、その身を恐怖で完全に硬直させた。頭のてっぺんから大量の冷や汗が滝のように流れ落ち、彼女の足元にだけ強烈な地震が襲いかかったかのようにその体が激しく震え出す。
そんな二人を興味深そうに交互に見上げていた少女は、そっと近づいてきたカイルに「あっち行こうな……」と、その両目を優しく塞がれて、すいすいと扉のそばまで連れて行かれた。
直後、宿屋そのものを揺るがすような怒声と衝撃、そして夜空を切り裂かんばかりの阿鼻叫喚が響き、窓から放り出された一つの人影が煌めく夜空に綺麗な放物線を描いた。