白船一番艦の受難

◯二日目 海塔島 商業都市ラグーン

 ランティスの北東に拓かれた商業都市ラグーンの朝は早い。日が昇る前から漁船の出港準備が始まり、それに伴って港の関係者が一斉に動き出すからだ。そして日の出からしばらくすると、今度は商船や移民船などが入ってきて、その荷降ろしなどで賑わい出す。
 正午すぎ、港には多くの船が停泊していた。漁船や移民船、商船、さらには艦船。船はその種類ごとにべつべつの桟橋に集まっている。
 ラグーンの港からは何本もの桟橋が海に張り出しており、それぞれが目的別の埠頭として機能している。運んできた人を降ろす《客船埠頭》や雑貨を降ろす《雑貨埠頭》、さらに穀物を降ろす《穀物埠頭》、魚を揚げる《魚埠頭》といった具合だ。目的に応じて必要な設備が異なるため、このような分業体制が敷かれている。たとえば《魚埠頭》には、漁船の水槽の魚を引き上げるための巨大な木製巻上機が何台も置かれていた。
 最も賑わっているのは、商船が集まる埠頭だ。一〇〇人を軽く超える人が集い、何隻もの船から荷樽を休みなく運び出していく。
 荷降ろしは意外と大仕事だ。人を降ろすだけなら舷側から埠頭にタラップをかければそれで終わりだが、荷降ろしはそうもいかない。大型の輸送船には軽く数百を超える荷樽が積まれており、普通に降ろせば一日がかりだ。しかし一隻の船の荷降ろしに一日もかけていては、ほかの船が入港できない。入港を待つ船は沖で踟躊して埠頭が空くまで待機するが、それが三日にも四日にもなると、そのあいだに天候が荒れて波に呑まれるといった危険性も高まる。
 そのため、荷降ろしには艀と呼ばれる専用の小型ボートを駆り出し、陸側の舷側からだけでなく海側の舷側からも積荷を降ろす。それほど多くの樽は積めず、航行に人手を要するため効率は悪いが、片舷のみから降ろすよりは圧倒的に早く終わる。
 ―――そんな活況ぶりを眺め、行き交う人々と挨拶を交わしながら、シルヴィアは自分の船へ向かった。《白船》が停泊しているのは、港の北端にある小さな埠頭だ。
 八隻の《白船》が一堂に会する光景は、壮観の一言だった。ほかの木造船と違い、一点の曇りも汚れもなく陽光を受けて燦然と輝く純白の船体は、まさに神が遣わしたという伝説に相応しい威光を放っている。
 もっとも、同じ《白船》といっても、その形は微妙に異なる。たとえば、シルヴィアの一番艦は三本あるマストすべてに縦帆を張るが、ダグラスの二番艦は先頭のマストにのみ横帆を張るタイプだ。またアレンの三番艦はすべてが横帆となっている。ちなみにシルヴィアと同じ型は、ほかにライエの四番艦とカイルの七番艦がある。残りは二番艦と同じ型だ。
 一番艦の周りでは、クルーが積み荷を運びこんでいた。
 その指揮をとっていた少女がシルヴィアに気づき、彼女の方を振り向く。

「ずいぶん早いね。こっちはまだ終わってないよ」

 ライエと同じく、ランティスではあまり見ない褐色の肌を持つ少女。ノースリーブのシャツに七分丈のズボンというシンプルな格好。ぼさぼさの茶髪をサイドでまとめており、腰に巻いたベルトには長剣が収められている。
 リオ。性はなくその名前のみを持つ、シルヴィアの懐刀だ。幼少期に自船が難破したところをランティスの艦船に拾われ、それ以来ラグーンで暮らしている。つまり、彼女はランティスの出身者ではない。その故郷は彼女も知らない。

「あとどのくらいかかりそうですか?」
「ざっと一時間かな。急ぐなら少し省くけど?」
「いえ、それなら大丈夫です。七番艦と八番艦も、もう少しかかりそうですし」

 隣に停まっている七番艦と八番艦を見ると、そちらもまだ出港準備中だった。甲板にはすでにカイルとアヴリルの姿もある。
 就船試験と祝賀会から一夜あけた翌日。八隻の《白船》はそれぞれ自分の海域へ戻る準備に入っていた。
《白船》に与えられた仕事は、受け持った海域の調査。より具体的には新天地の探索だ。将来的に予想される資源の枯渇や人口増による土地不足に対処するため、未踏破海域の調査を行っている。
 それぞれの担当海域は、ランティスを中心とすると、まず最も危険と言われる南東のメガリス海域と南西のヘルガ海域をそれぞれ一番艦と二番艦が担っている。そして北西のシュピーゲル海域を三番艦、北のリベリウム海域を四番艦と六番艦、南のイスカンダリオ海域を七番艦と八番艦といった具合だ。唯一、五番艦だけはミネルヴァの研究者としての仕事に配慮して、近海警備を任としている。
 シルヴィアは今日の昼に、カイルの七番艦・アヴリルの八番艦と共に出港することになっていた。前任者からの七番艦の受け渡しも昨日のうちに終わっており、いまは一番艦と同様、クルーたちがせっせと荷積みを進めている。
 一時間後、リオの言葉通り、一番艦の出稿準備は整った。
 そのころ一番艦の周りに人だかりができはじめた。クルーの家族や友人たちが見送りにやってきたのだ。七番艦と八番艦にも同様の光景が見られた。
 それに気づいたクルーたちが、仕事を終えたものからそちらへ歩み寄って行く。
 ―――そのひとときを、シルヴィアは港の端から静かに見つめていた。
 クルー一人ひとりの表情を、交わされるやりとりのすべてを、その目に、耳に焼きつけるように。
 知り合いのクルーを冗談まじりに励ます友人。
 離ればなれになる寂しさから泣きわめく赤ん坊。
 無言で抱き合いながら無事を祈る恋人。
 そのすべてを、クルーたちは思い思いに受け止める。
 どんな練達の船乗りでも、決して無事に帰る保証などない。いまこの瞬間が文字通り、ともに過ごす最後の時間となるかもしれない。それが海へ出るということだ。
 友人の他愛ないからこそ愛すべき、屈託ない馬鹿らしい冗談も、
 まだ生まれたばかりで父親の顔すら分からないのに、本能で別れを察している赤ん坊が求めてくる小さな手も、
 いけないと分かっていても流れてしまう不吉な涙を、崩れた笑顔と抱擁で必死に隠そうとする恋人の健気さも、
 すべては明日、あっさり失われるかもしれない。
 そんなクルーたちの人生を背負い、無事に再会させる使命を艦長は背負っている。
 その事実を心に刻みつけるために、航海前のシルヴィアは必ず、こうしてクルーたちの一幕を胸に刻む。絶対に一人として失うことなく、全員そろって島に帰る―――そう心に固く、固く誓うために。

「シルヴィアさまー! 準備できましたよー!」

 出港準備が整った八番艦の甲板から、アヴリルが元気に手を振っている。カイルの七番艦も万端のようで、すでに全員が船に乗りこんでいた。
 彼女の声を聴いたクルーたちが、一人また一人、別れを惜しみながらも一番艦へ乗艦する。そして最後の一人が乗りこんだのを確認すると、シルヴィアは見送りの群衆へ一礼してから、自らも一番艦に乗った。

「―――抜錨! 全スパンカー、左舷開き! 針路一三〇度!」

 シルヴィアの令を受けて、船首前方に繋がれた大型ボートが一番艦を引き、徐々に初速をつける。そして必要な速力が確保されるとボートは曳航索を切って離れていった。
 一番艦は港を離れ、別れを惜しむ声に背中を押されながら、静かに走り出した。



 三隻の《白船》は、一番艦を先頭にイスカンダリオ海域の南東を目指した。
 まず向かうのは、海域の東にあるワイアードという町だ。シルヴィアはメガリス海域へ向かう途上の休憩地として、カイルは同海域の警護艦隊のトップに新艦長として挨拶に向かう。アヴリルはそのまま海域調査へ行けば良いのだが、やはりシルヴィアについてきた。
 航海は特に困難なく順調に進んだ。
 イスカンダリオ海域は一年を通して荒れることが滅多にない。船乗りを目指すアカデメイアの学生たちが研修で走ることが多いほど安全な海だ。海獣もほとんど棲息しておらず、遭遇したとしても気性の穏やかな群遊魚くらいで凶悪な海獣はほとんどいない。

「スターボード!」

 唯一の障害は、一部で見られる暗礁だ。
《大災禍》以前、この一帯は広大な山脈地帯だったと言われており、かつての稜線が暗礁を成している。そこまで複雑な形状ではないが、海面が荒れると意外と視認しにくいため、座礁する初心者もわりと多い。
 とは言え、もちろんその程度の障害で失態を演じるような《白船》ではない。
 三隻は悠々と暗礁を躱して走り続ける。

「……しかし、相変わらず凄いね。あの子の船」

 シルヴィアの隣で待機しているリオが、左舷後方を見ながら溜め息を零す。
 視線の先にあるのは八番艦だ。一番艦と同様、暗礁をものともせず軽快に走っている。もっとも、リオが呆れたように驚いたのは、その腕に対してではない。

「まがれまがれー!」

 驚きを禁じ得ないのは、アヴリルの令の出し方だ。
 当然だが、シルヴィアたちは面舵や取舵、針路や帆の開きなどを明確に指示する。だがアヴリルの令は、転舵なら「まがれー!」、帆の開きなら「出してー!」「入れてー!」などと、とにかく適当なのだ。それにも関わらず、クルーたちは彼女の真意を的確に汲んで、瞬時に彼女が望む通りの操船を行う。
 また、彼女にはもう一つ不可解な才能があった。それは「船の動きを見ていれば、艦長がなにを考えているかが分かる」というものだ。もっとも、これは相手がシルヴィアに限定されるため、あまり役には立たないのだが。
 ちなみに、シルヴィアは以前「なんで分かるんですか?」と尋ねたことがある。自分の動きに癖でもあるのかと思ったからだ。もし相手から見て分かりやすい癖があれば、高い知性を備えた海獣相手には決定的な弱点になりかねない。
 だが、アヴリルの答えは、たった一言。

「シルヴィアさまの考えてることなら、なんでも分かります♪」

 間の抜けた答えに、シルヴィアは真面目に悩んでいた自分を後悔した。

「あんたたちもよくあの子に八番艦を任せたよね」
「まあ、クルーの入れ替えが効かないんじゃないかとか異論は出ましたけどね。あの子の船に乗るとなぜか慣れると、当のクルーの皆さんが証言したので……」

 まるで以心伝心でも働いているかのような連携には、さすがのシルヴィアも苦笑いだ。
 対してカイルの七番艦は至って普通だった。無難に暗礁を躱して走り続ける。すでに船の性能と限界も掴んでいるようで、その操船に危な気はない。

(……それにしても、本当に海の声とか聴こえるのでしょうか)

 七番艦の様子を見ながら、シルヴィアは昨晩の会話に思いを馳せていた。
 カイルは幼少期から「海の声が聴こえる」「風が見える」と恥ずかしげもなく言っていた。船乗りとしての天性や常識を覆す操船も、その助力があってこそだと。もっとも、もちろんシルヴィアは当初から信じていない。人が海や風と話せるわけなどないからだ。
 シルヴィアも海や風の変化を事前に読むことはできる。だが、それは長年かけて積んだ研鑽と磨いた感性に基づく経験則だ。海や風に教えてもらっているわけではない。
 そんな妙な二人の艦長を引き連れて、シルヴィアはワイアードを目指す。
 最初の三日は、何事もない航海が続いた。



 ―――異変が訪れたのは、四日目だった。
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