白船一番艦の受難
その夜。
シルヴィアはカイルの家にいた。彼の艦長就任祝いに参加するためだ。
本来は《就船の儀》と合わせて宮殿で盛大に開かれるものだが、彼の希望で大々的な開催はなしとなった。かわりに用意されたのが、この席だ。
彼の家は海宮島 の西に浮かぶ海塔島 、その北東にある商業都市ラグーンの一角にあった。建物は教会を思わせる尖塔建築で、孤児院も兼ねているためかなり大きい。四階建てで一階は食堂やリビングなどの共用スペース、二階と三階が孤児たちの部屋、そして四階がカイルと母であるユランの個室となっている。
祝賀会の会場となった食堂は大人が三〇人くらい入っても余裕があるほど広く、小さなパーティーくらいは簡単に開けそうだった。
「んでさー! カレンさまったら相変わらず本音ズバズバで、似合ってないって堂々と言ったかと思ったら、そっからやれ『もっと服装に気を遣え』とか『その貧相な顔をなんとかしろ』とか、もう止まんないの! あははは! 思い出したらおなか痛い!」
その隅っこで酒乱のように話が止まらないのは、アヴリルだ。孤児院のこどもたちに《就船の儀》の一部始終を聴かせており、途中で何度も思い出し笑いに襲われている。
集まったのは、シルヴィア以外に、ライエ、ラムザ、アヴリル、カレンの母・ユランと孤児院のこどもたち。そしてなんとカレンもいた。曰く「歴代の祝いの席に同席して、貴方だけ弾くわけにはいきません」とのことだ。
だが、その理由が建前であることを、その場の誰もが知っている。それを証明するかのように、彼女はいまユランと一緒に台所にこもっていた。
ちなみにダグラスは仕事があり、アレンは敗者が自分の弟だったことに気を遣い、ミネルヴァは「研究時間がもったいない」という理由で参加を辞退した。かわりに、ダグラスとアレンからは大広間の別れ際に個別の祝辞を、そしてミネルヴァからは「新薬の被験体が必要だったのよ。ちょうどいいからプレゼント」と怪しい薬を贈呈されていた。ちなみに後者は「あとで五〇〇〇文字以内で報告書をお願いね」という依頼つきだ。
「いやーもう最高だったね! みんなずっとぽかんとしててさー! わひゃひゃひゃ!」
「……おい。あのバカ、酒とか飲んでねぇだろうな?」
ラムザの危惧に隣のシルヴィアが当人の様子を見ながら、
「だ、大丈夫だと思いますよ? グラス持ってませんし……」
アヴリルは未成年だが、場酔いしやすい性格のためか、気分が昂揚するとわりと酒乱と見分けがつかない。
「なにも飲まないであそこまで酔えるなんて、もう才能だな」
「……いや。それだけ飲んでまったく酔わないライエさんの方が凄まじいんですけど」
唖然とするラムザの感想にシルヴィアも心底同意だった。彼女のまえには、すでに二〇を超える空のグラスが並んでいる。しかし、正面の本人はまるで素面だ。
「……まあ、あの馬鹿の笑い話はさておき、お前も災難だったな。カレンちゃんの性格を考えりゃあ、仕方ねぇって感じだが」
頬杖をついたラムザが正面のカイルを気遣う。もっとも、当人は全く気にする風でもなく、なにやら騒がしい台所の様子を眺めていた。
「こどものころから裏表のないヤツでしたからね。冗談であいつに嘘ついたとき、マジで待ち針千本もってきて『口を開けなさい』って真顔で言われましたし」
「あぁ……ありましたねぇ、そんなこと」
昔を懐かしむように目を細めて天井を見上げるシルヴィア。
「シルたちは昔から知り合いなのか?」
新しいグラスを傾けながらライエが尋ねる。
「私はもともと家同士の付き合いがあったので、自然とミルディアス家の屋敷に出入りするようになりました。それでカレン様にご一緒させていただくことが増えて、カイルとはカレン様に紹介されて知り合ったんです。たしか五歳のときですね」
「腐れ縁だったのか」
「事あるごとに『本当に腐り落ちればいいのに』って、俺なんかは思いましたけどね」
「は、はは……」
「しかし、カレン様も大胆というか……このあいだ、たまたま呼び出されたかと思えば、いきなり『七番艦の艦長にカイルを推薦して欲しい』と言われたときは驚いたな」
「らしいっすね。アヴリルのヤツもそんなこと言ってましたけど。一歩間違えれば贔屓って言うヤツが出てきてもおかしくないってのに」
「まあ、推薦を強要したわけじゃないからな。私も相応しいと思わなかったら推薦する気なんかなかったし。シルもそうだろ?」
「ええ」
「アヴリルは……怪しいな。シルが白と言えば、あいつはどれだけ黒いものでも白いと言い張るだろうし……。でも、最終的に三人の推薦は得られたし、試験も完勝。七人全員が認めた以上はべつに問題でもない。《白船》の艦長は完全な実力主義だしな」
《白船》艦長の就船試験を受けるには、まず現役の《白船》艦長と近衛感隊司令のうち三名以上から推薦を受けなければならない。今回カイルがシルヴィア、ライエ、そしてアヴリルの、対するローランがダグラス、アレン、パーシバルの三人から推薦を受けたように。その上で模擬戦に臨み、《白船》の艦長たちに相応しいと認められたものが晴れて艦長に選任される。
「……しっかし、それで言えば、だ。あんまり悪いことは言いたかねぇが、なんだってオッサンやパーシバルさんは、ローランなんかを推薦したんだ? アレンさんは兄貴だから仕方なくってとこだろうが……」
頭の後ろで手を組み、椅子の背もたれに大きく背中を預けるラムザ。
彼の質問にシルヴィアは答えなかったが、その真意には心中で同意していた。カイルと同時に推薦されたローラン・シルヴァラントは、どれほど甘く見ても《白船》の艦長には相応しくない―――それが彼女の嘘偽りない見解だ。
噂によれば、彼は最近、傲慢な態度や辛辣な言動が目立つようになり始めていた。実際、シルヴィアも何度か目にしたことがある。相手を見下し、蔑み、それによって自らを立て、その自尊心を満たす……そんな振る舞いを平気で見せるのだ。
アカデメイア時代はそんな品性下劣と無縁の真面目な生徒だったらしく、その変化に昔の彼を知る者たちは困惑を隠せない様子だった。一説には、彼より優秀な実績を上げ続ける兄・アレンと比較されるうちに、その性格が歪んだのではないかと言われている。
「親心じゃないか? 私も何度か聴いたが、近衛艦隊のなかでもあいつの悪態は目立ってるらしいからな。たとえば、その鼻っ柱をへし折れば、少しは落ち着くだろうと考えたとか」
ラムザの疑問に臆することなく口を開いたのは、ライエだった。
「あー、たしかにパーシバルさんならやりそうっすね。聖人君子みたいな顔して、とんでもなく非情で腹黒っすからね、あの人。間違ってもカイルに勝てるわけねぇって考えて、当てたとしても不思議じゃない。……ってか、とんでもないで言えばお前だけどな。カノンにカノンをぶち当てるとかなに考えてんだ」
「あれが一番楽ですから」
「私は楽でもやらないな」
「まあ、昔から妙なとこありましたからね。海の声が聴こえるとか、風が見えるとか平気で言ってましたから」
「実際、聴こえるし見えるんだから、しょうがないだろ」
「医者いった方がいいね」
即答したライエに、ラムザとシルヴィアも「違ぇねぇ」「ですね」と大きく頷く。カイルは納得できないのか、そっぽ向いて冷茶の入ったグラスを一気に呷った。
「おっ、ようやくかな?」
ラムザが台所のほうに視線を向けた。シルヴィアたち三人も釣られてそちらを見遣る。
「おっまたせー。ほらみんな、席についた席についた」
明るい笑顔を振りまきながら快活に登場したのは、カイルの母・ユランだ。春先の新緑よりも深く鮮やかな緑色の髪に、透明感あふれる丸い碧眼。その肌は驚くほど白く、括れた腰は誰もが憧れるほど高い。白いシャツの裾を鳩尾あたりで縛っており、それがもとより豊かな胸元の魅力をいっそう強調していた。
その後ろを恥ずかしそうについてくるカレンの姿もあった。いまは綺麗なセミロングを後ろで一つにまとめており、昼間とは少し雰囲気が違う。シャツの腕をまくり、腰にエプロンを巻いた庶民的な姿は元首に相応しくない気もするが、ラムザなどが言うには「それはそれでまた良い」ものらしい。シルヴィアにはまるで理解できないが。
二人はテーブルと台所を忙しなく往復して次々と料理を並べていく。そのどれもが食欲をそそる湯気や香りを振りまいており、アヴリルの話を聴いていたこどもたちも、その魅力にあっさり負けてテーブルへ駆け寄ってきた。
全員が席につくと、ユランがグラスを持って立ち上がる。
「はーい! それじゃあ不肖わが馬鹿息子のためにお集まりいただきまして、みなさんもホントに暇ですねーというわけで、さっさと始めちゃいましょうでかんぱーい!」
彼女の妙な挨拶で祝賀会が始まった。皆、慣れているのか、自然と音頭に合わせて「かんぱーい」とグラスを掲げ、そこから先は料理の争奪戦となった。
カレンはカイルの隣に座り、ユランはこどもたちのなかに混ざった。シルヴィアの隣には案の定アヴリルが腰を下ろす。
「しっかし、カレンちゃんが料理をするとは、ちょっと驚きだな」
「あら。私だって家事くらいやるわよ」
やや拗ねて口を尖らせるカレン。プライベートだからか、その口調は砕けていた。
シルヴィアが全員分の皿に目の前の料理を取り分ける。小ぶりに切った様々な魚介類を春野菜と特製のソースで炒めたものだ。それもカレンの手によるものだった。
「おー! おいしー!」
「ホントだ、上手いもんだね」
「カレンちゃんの手料理とか、こんな機会でもねぇと一生食えねぇよなぁ」
アヴリルを皮切りに称賛の声が上がる。続いて一口を運んだシルヴィアも、
「美味しいです。前よりさらに上手になってますね」
「そ、そう? ……あ、ありがとう」
照れ臭そうに視線を外すカレン。
だが、そこでカイルが余計な一言を口にした。
「ははは。そりゃ、シルが前にカレンの料理を食ったのは、なにつくっても黒焦げにしてたころだからな。上手くなってなかったら逆にヤバんもぐぐぐ!」
「ちょ! 黙りなさいよっ!」
その口を必死に塞ぐカレン。そのままカイルを窒息させてしまいかねない剣幕だ。
「へぇ……そんな面白そうな話が?」
興味津々といった薄ら笑いを浮かべるラムザ。そんな彼の好奇心に応えたのは、たまたま近くを通りかかったユランだった。
「そうなのよねー。火を使ってもいないのになんでも黒く焦がしたのよ、カレンちゃん。あれはもう一種の才能よね才能! 大道芸とかでお金とれるレベルよ!」
「ユ、ユランさん!」
カレンの抗議をユランは「あははは!」と笑いながら躱し、そのまま台所へ消えていった。
「……まったく、余計な話するんじゃないわよ」
「べつに恥ずかしがることでもないだろ。いまは十分上手いんだし」
「う、上手い?」
怒らせたのを不味いと思ったのか、カイルは一転、優しい言葉をかける。カレンはもじもじしながらうつむき、その頬には薄っすらと朱が差した。
そんな二人の仲睦まじい様子を、箸をくわえながら遠慮がちに眺めている少女がいた。
―――シルヴィアだ。
(……やっぱり家事ができる子のほうが、好きなんでしょうか)
その視線と胸中に宿るのは、羨望であり焦燥感だった。
シルヴィアは少し前から、自分のなかにカイルに対する恋心が芽生えつつあるのに気づいていた。まだ仄かで淡いものだが、折りに触れ微かに痛む程度には自己主張していたからだ。
……だが、気づいてからのシルヴィアは、それを敢えて無視してきた。
理由は単純。カレンもカイルのことが好きなのを知っていたからだ。
それは一二歳のときだった。先代元首のレミリア・ミルディアス・カルヴァートが急逝し、カレンが第六二代の元首に就いたばかりのころ。その重責に潰されかけるたび、彼女は幼馴染のシルヴィアとカイルに相談を持ちかけてきた。まだ側近との信頼関係も浅かったころ、不安や不満のすべてを打ち明けられるのは二人だけだったのだろう。そのとき話の流れから、シルヴィアはカレンのカイルに対する恋心を知るに至る。
以後、カレンはそれを隠そうともしなくなった。彼に気に入られるために、母の味をマスターすべくユランに料理修行を頼み、時間があれば「孤児院の視察」という名目で彼の家へ通った。もちろん表沙汰になるといろいろ面倒なため、お忍びでの逢瀬ではあったが。
そんな健気なカレンからカイルを奪う度胸など、シルヴィアにはなかった。
カレンには、カイルが必要だ。彼女はそう考えている。
そして、おそらくはカイルも彼女に惹かれている。
彼はもともと、将来は孤児院を手伝うつもりだった。自分を女手一つで育ててくれたユランに早く恩返しするためだ。だが、カレンの「助けて欲しい」という一言で、彼は船乗りを養成するアカデメイアに入学、船乗りとして彼女を支える決意を固める。元《白船》一番艦の長だった父の血を継いだのか、幼いころから卓越した素養を秘めている片鱗があったので、それこそが天職とも言えた。
……それでも、やはり簡単に諦め切れないのが乙女心。
シルヴィアはいまだにカイルへの恋慕を引きずっている。そんな自分の未練がましさに小さくない嫌気と、最愛の友への申し訳なさを覚えながらも。
「―――ん? どうひたんでふふぁ? しるふぃあさま? もごごご」
口いっぱいに突っこんだ料理で齧歯類のように両頬を膨らませながら尋ねるアヴリル。
「……いえ。なんでもないですよ」
やや間を置いて、精一杯の笑顔をつくってシルヴィアは答えた。
ぎこちなさを残していないか、やや不安に思いながら。
シルヴィアはカイルの家にいた。彼の艦長就任祝いに参加するためだ。
本来は《就船の儀》と合わせて宮殿で盛大に開かれるものだが、彼の希望で大々的な開催はなしとなった。かわりに用意されたのが、この席だ。
彼の家は
祝賀会の会場となった食堂は大人が三〇人くらい入っても余裕があるほど広く、小さなパーティーくらいは簡単に開けそうだった。
「んでさー! カレンさまったら相変わらず本音ズバズバで、似合ってないって堂々と言ったかと思ったら、そっからやれ『もっと服装に気を遣え』とか『その貧相な顔をなんとかしろ』とか、もう止まんないの! あははは! 思い出したらおなか痛い!」
その隅っこで酒乱のように話が止まらないのは、アヴリルだ。孤児院のこどもたちに《就船の儀》の一部始終を聴かせており、途中で何度も思い出し笑いに襲われている。
集まったのは、シルヴィア以外に、ライエ、ラムザ、アヴリル、カレンの母・ユランと孤児院のこどもたち。そしてなんとカレンもいた。曰く「歴代の祝いの席に同席して、貴方だけ弾くわけにはいきません」とのことだ。
だが、その理由が建前であることを、その場の誰もが知っている。それを証明するかのように、彼女はいまユランと一緒に台所にこもっていた。
ちなみにダグラスは仕事があり、アレンは敗者が自分の弟だったことに気を遣い、ミネルヴァは「研究時間がもったいない」という理由で参加を辞退した。かわりに、ダグラスとアレンからは大広間の別れ際に個別の祝辞を、そしてミネルヴァからは「新薬の被験体が必要だったのよ。ちょうどいいからプレゼント」と怪しい薬を贈呈されていた。ちなみに後者は「あとで五〇〇〇文字以内で報告書をお願いね」という依頼つきだ。
「いやーもう最高だったね! みんなずっとぽかんとしててさー! わひゃひゃひゃ!」
「……おい。あのバカ、酒とか飲んでねぇだろうな?」
ラムザの危惧に隣のシルヴィアが当人の様子を見ながら、
「だ、大丈夫だと思いますよ? グラス持ってませんし……」
アヴリルは未成年だが、場酔いしやすい性格のためか、気分が昂揚するとわりと酒乱と見分けがつかない。
「なにも飲まないであそこまで酔えるなんて、もう才能だな」
「……いや。それだけ飲んでまったく酔わないライエさんの方が凄まじいんですけど」
唖然とするラムザの感想にシルヴィアも心底同意だった。彼女のまえには、すでに二〇を超える空のグラスが並んでいる。しかし、正面の本人はまるで素面だ。
「……まあ、あの馬鹿の笑い話はさておき、お前も災難だったな。カレンちゃんの性格を考えりゃあ、仕方ねぇって感じだが」
頬杖をついたラムザが正面のカイルを気遣う。もっとも、当人は全く気にする風でもなく、なにやら騒がしい台所の様子を眺めていた。
「こどものころから裏表のないヤツでしたからね。冗談であいつに嘘ついたとき、マジで待ち針千本もってきて『口を開けなさい』って真顔で言われましたし」
「あぁ……ありましたねぇ、そんなこと」
昔を懐かしむように目を細めて天井を見上げるシルヴィア。
「シルたちは昔から知り合いなのか?」
新しいグラスを傾けながらライエが尋ねる。
「私はもともと家同士の付き合いがあったので、自然とミルディアス家の屋敷に出入りするようになりました。それでカレン様にご一緒させていただくことが増えて、カイルとはカレン様に紹介されて知り合ったんです。たしか五歳のときですね」
「腐れ縁だったのか」
「事あるごとに『本当に腐り落ちればいいのに』って、俺なんかは思いましたけどね」
「は、はは……」
「しかし、カレン様も大胆というか……このあいだ、たまたま呼び出されたかと思えば、いきなり『七番艦の艦長にカイルを推薦して欲しい』と言われたときは驚いたな」
「らしいっすね。アヴリルのヤツもそんなこと言ってましたけど。一歩間違えれば贔屓って言うヤツが出てきてもおかしくないってのに」
「まあ、推薦を強要したわけじゃないからな。私も相応しいと思わなかったら推薦する気なんかなかったし。シルもそうだろ?」
「ええ」
「アヴリルは……怪しいな。シルが白と言えば、あいつはどれだけ黒いものでも白いと言い張るだろうし……。でも、最終的に三人の推薦は得られたし、試験も完勝。七人全員が認めた以上はべつに問題でもない。《白船》の艦長は完全な実力主義だしな」
《白船》艦長の就船試験を受けるには、まず現役の《白船》艦長と近衛感隊司令のうち三名以上から推薦を受けなければならない。今回カイルがシルヴィア、ライエ、そしてアヴリルの、対するローランがダグラス、アレン、パーシバルの三人から推薦を受けたように。その上で模擬戦に臨み、《白船》の艦長たちに相応しいと認められたものが晴れて艦長に選任される。
「……しっかし、それで言えば、だ。あんまり悪いことは言いたかねぇが、なんだってオッサンやパーシバルさんは、ローランなんかを推薦したんだ? アレンさんは兄貴だから仕方なくってとこだろうが……」
頭の後ろで手を組み、椅子の背もたれに大きく背中を預けるラムザ。
彼の質問にシルヴィアは答えなかったが、その真意には心中で同意していた。カイルと同時に推薦されたローラン・シルヴァラントは、どれほど甘く見ても《白船》の艦長には相応しくない―――それが彼女の嘘偽りない見解だ。
噂によれば、彼は最近、傲慢な態度や辛辣な言動が目立つようになり始めていた。実際、シルヴィアも何度か目にしたことがある。相手を見下し、蔑み、それによって自らを立て、その自尊心を満たす……そんな振る舞いを平気で見せるのだ。
アカデメイア時代はそんな品性下劣と無縁の真面目な生徒だったらしく、その変化に昔の彼を知る者たちは困惑を隠せない様子だった。一説には、彼より優秀な実績を上げ続ける兄・アレンと比較されるうちに、その性格が歪んだのではないかと言われている。
「親心じゃないか? 私も何度か聴いたが、近衛艦隊のなかでもあいつの悪態は目立ってるらしいからな。たとえば、その鼻っ柱をへし折れば、少しは落ち着くだろうと考えたとか」
ラムザの疑問に臆することなく口を開いたのは、ライエだった。
「あー、たしかにパーシバルさんならやりそうっすね。聖人君子みたいな顔して、とんでもなく非情で腹黒っすからね、あの人。間違ってもカイルに勝てるわけねぇって考えて、当てたとしても不思議じゃない。……ってか、とんでもないで言えばお前だけどな。カノンにカノンをぶち当てるとかなに考えてんだ」
「あれが一番楽ですから」
「私は楽でもやらないな」
「まあ、昔から妙なとこありましたからね。海の声が聴こえるとか、風が見えるとか平気で言ってましたから」
「実際、聴こえるし見えるんだから、しょうがないだろ」
「医者いった方がいいね」
即答したライエに、ラムザとシルヴィアも「違ぇねぇ」「ですね」と大きく頷く。カイルは納得できないのか、そっぽ向いて冷茶の入ったグラスを一気に呷った。
「おっ、ようやくかな?」
ラムザが台所のほうに視線を向けた。シルヴィアたち三人も釣られてそちらを見遣る。
「おっまたせー。ほらみんな、席についた席についた」
明るい笑顔を振りまきながら快活に登場したのは、カイルの母・ユランだ。春先の新緑よりも深く鮮やかな緑色の髪に、透明感あふれる丸い碧眼。その肌は驚くほど白く、括れた腰は誰もが憧れるほど高い。白いシャツの裾を鳩尾あたりで縛っており、それがもとより豊かな胸元の魅力をいっそう強調していた。
その後ろを恥ずかしそうについてくるカレンの姿もあった。いまは綺麗なセミロングを後ろで一つにまとめており、昼間とは少し雰囲気が違う。シャツの腕をまくり、腰にエプロンを巻いた庶民的な姿は元首に相応しくない気もするが、ラムザなどが言うには「それはそれでまた良い」ものらしい。シルヴィアにはまるで理解できないが。
二人はテーブルと台所を忙しなく往復して次々と料理を並べていく。そのどれもが食欲をそそる湯気や香りを振りまいており、アヴリルの話を聴いていたこどもたちも、その魅力にあっさり負けてテーブルへ駆け寄ってきた。
全員が席につくと、ユランがグラスを持って立ち上がる。
「はーい! それじゃあ不肖わが馬鹿息子のためにお集まりいただきまして、みなさんもホントに暇ですねーというわけで、さっさと始めちゃいましょうでかんぱーい!」
彼女の妙な挨拶で祝賀会が始まった。皆、慣れているのか、自然と音頭に合わせて「かんぱーい」とグラスを掲げ、そこから先は料理の争奪戦となった。
カレンはカイルの隣に座り、ユランはこどもたちのなかに混ざった。シルヴィアの隣には案の定アヴリルが腰を下ろす。
「しっかし、カレンちゃんが料理をするとは、ちょっと驚きだな」
「あら。私だって家事くらいやるわよ」
やや拗ねて口を尖らせるカレン。プライベートだからか、その口調は砕けていた。
シルヴィアが全員分の皿に目の前の料理を取り分ける。小ぶりに切った様々な魚介類を春野菜と特製のソースで炒めたものだ。それもカレンの手によるものだった。
「おー! おいしー!」
「ホントだ、上手いもんだね」
「カレンちゃんの手料理とか、こんな機会でもねぇと一生食えねぇよなぁ」
アヴリルを皮切りに称賛の声が上がる。続いて一口を運んだシルヴィアも、
「美味しいです。前よりさらに上手になってますね」
「そ、そう? ……あ、ありがとう」
照れ臭そうに視線を外すカレン。
だが、そこでカイルが余計な一言を口にした。
「ははは。そりゃ、シルが前にカレンの料理を食ったのは、なにつくっても黒焦げにしてたころだからな。上手くなってなかったら逆にヤバんもぐぐぐ!」
「ちょ! 黙りなさいよっ!」
その口を必死に塞ぐカレン。そのままカイルを窒息させてしまいかねない剣幕だ。
「へぇ……そんな面白そうな話が?」
興味津々といった薄ら笑いを浮かべるラムザ。そんな彼の好奇心に応えたのは、たまたま近くを通りかかったユランだった。
「そうなのよねー。火を使ってもいないのになんでも黒く焦がしたのよ、カレンちゃん。あれはもう一種の才能よね才能! 大道芸とかでお金とれるレベルよ!」
「ユ、ユランさん!」
カレンの抗議をユランは「あははは!」と笑いながら躱し、そのまま台所へ消えていった。
「……まったく、余計な話するんじゃないわよ」
「べつに恥ずかしがることでもないだろ。いまは十分上手いんだし」
「う、上手い?」
怒らせたのを不味いと思ったのか、カイルは一転、優しい言葉をかける。カレンはもじもじしながらうつむき、その頬には薄っすらと朱が差した。
そんな二人の仲睦まじい様子を、箸をくわえながら遠慮がちに眺めている少女がいた。
―――シルヴィアだ。
(……やっぱり家事ができる子のほうが、好きなんでしょうか)
その視線と胸中に宿るのは、羨望であり焦燥感だった。
シルヴィアは少し前から、自分のなかにカイルに対する恋心が芽生えつつあるのに気づいていた。まだ仄かで淡いものだが、折りに触れ微かに痛む程度には自己主張していたからだ。
……だが、気づいてからのシルヴィアは、それを敢えて無視してきた。
理由は単純。カレンもカイルのことが好きなのを知っていたからだ。
それは一二歳のときだった。先代元首のレミリア・ミルディアス・カルヴァートが急逝し、カレンが第六二代の元首に就いたばかりのころ。その重責に潰されかけるたび、彼女は幼馴染のシルヴィアとカイルに相談を持ちかけてきた。まだ側近との信頼関係も浅かったころ、不安や不満のすべてを打ち明けられるのは二人だけだったのだろう。そのとき話の流れから、シルヴィアはカレンのカイルに対する恋心を知るに至る。
以後、カレンはそれを隠そうともしなくなった。彼に気に入られるために、母の味をマスターすべくユランに料理修行を頼み、時間があれば「孤児院の視察」という名目で彼の家へ通った。もちろん表沙汰になるといろいろ面倒なため、お忍びでの逢瀬ではあったが。
そんな健気なカレンからカイルを奪う度胸など、シルヴィアにはなかった。
カレンには、カイルが必要だ。彼女はそう考えている。
そして、おそらくはカイルも彼女に惹かれている。
彼はもともと、将来は孤児院を手伝うつもりだった。自分を女手一つで育ててくれたユランに早く恩返しするためだ。だが、カレンの「助けて欲しい」という一言で、彼は船乗りを養成するアカデメイアに入学、船乗りとして彼女を支える決意を固める。元《白船》一番艦の長だった父の血を継いだのか、幼いころから卓越した素養を秘めている片鱗があったので、それこそが天職とも言えた。
……それでも、やはり簡単に諦め切れないのが乙女心。
シルヴィアはいまだにカイルへの恋慕を引きずっている。そんな自分の未練がましさに小さくない嫌気と、最愛の友への申し訳なさを覚えながらも。
「―――ん? どうひたんでふふぁ? しるふぃあさま? もごごご」
口いっぱいに突っこんだ料理で齧歯類のように両頬を膨らませながら尋ねるアヴリル。
「……いえ。なんでもないですよ」
やや間を置いて、精一杯の笑顔をつくってシルヴィアは答えた。
ぎこちなさを残していないか、やや不安に思いながら。