白船一番艦の受難

 ―――西暦4852年。
 そこにあるのは、大小二〇ほどの島を残して、すべてが海に沈んだとされている世界。人類はその島々に町を切り拓き、海獣の脅威と戦いながら必死に生きていた。
 ランティスは、そんな人類生存圏の中央にある三つの島からなる海洋国家だ。
 ここは《大災禍》以後、人類が唯一生存していた島々だと言われてきた。海域の中心にある海宮島パレスには政務関係者が、その西の海塔島ヴァナハイムには一般市民がそれぞれ暮らしている。海宮島パレスの東には最も巨大な海階島リファイアがあり、ここ五〇〇年、死者はこの島に弔われてきた。
 ちなみにランティス以外で人類の生存が確認された島は一つしかない。そのため、いま世界中で暮らしている人々は、ほぼ全員がランティスからの移住者だ。
 島々は距離が離れているため、移動には帆船が用いられる。これは、人類が遥か昔に神から授かった《方舟》つまり《白船》を模して自ら生み出したものだ。
 だが、海にはところによって凶暴凶悪な生物―――海獣が棲息しており、そのためどこへ行くにしても、航海には常に危険がつきまとった。
 海獣には、たとえば、高速で飛来して船体に穴を穿つトビウオの亜種《バルフライ》や、吸いこんだ水を強烈な水圧砲として射出する巨大な二枚貝《ボルトシェル》、さらに二足歩行して武器も扱う高度な知能を持つ魚人《サハギン》などがいる。人類の航海は長らくこうした海獣の脅威に晒され続け、多くの船が沈み、多くの人々が命を落としてきた。
 当初はその恐怖から航海を控えた人類だった。だが、しばらくしてそうも言っていられない事情が浮上する。ランティスの資源が部分的に枯渇し始めたり、人口が増加したりして新天地が必要となったのだ。
 以降、帆船や兵器、操船技術の研究が進められ、遠洋航海が可能となり、結果いくつかの新天地も発見された。
 だが、その探求に終わりはない。新天地の資源や土地もいずれは尽きる。
 人類は飽くことなく未踏破海域に挑み、新天地を求め続けていた。
 そして、時代は今に至る―――。



 ―――試験が終わり、シルヴィアはほかの《白船》の艦長、カレン、そして近衛艦隊の司令と共に、海宮島パレスの宮殿―――政の中枢であるヴァース宮殿、その大広間に集まっていた。
 広間の奥の執務机に腰をかけるのはカレンだ。彼女はこのランティスを切り拓いたミルディアス一族の末裔で、本名をカレン・ミルディアス・カルヴァート。同一族の第六二代・元首として、ランティスだけでなく世界の島々の政を一手に担っている。
 その執務机から広間の入口までは瀟洒な赤絨毯が敷かれており、それを挟むように漆黒の外套に身を包んだ《白船》の艦長が四人と三人に分かれて左右に並んでいた。
 手を前で重ね、静かに佇む、一番艦・艦長、シルヴィア・ベルグハイネ。
 腕を組み、仏頂面で控える、二番艦・艦長、ダグラス・オーウェン。
 直立のまま微動だにしない、三番艦・艦長、アレン・シルヴァラント。
 外套に手を突っこんでいる、四番艦・艦長、ライエ・エトランゼ。
 天井に欠伸を連発している、五番艦・艦長、ミネルヴァ・イクシード。
 頭の後ろで手を組んでいる、六番艦・艦長、ラムザ・ウィザール。
 左右に揺れて落ち着かない、八番艦・艦長、アヴリル・グランハイム。
 彼らこそ、船乗りだけでなく、全人類の羨望と憧憬を一身に集める、最強最高の七人の船乗りだ。操船の腕はもちろん、白兵戦でも超人的な実力を誇る。
 部屋の壁際には、宮殿に仕える大勢の関係者が控えていたが、誰もがその面を緊張で引きつらせていた。《白船》の艦長が一同に会する機会など滅多にないため、目の前の光景にこの上ない畏怖と感銘を覚えているのだ。
 女性はシルヴィアと同じ身形で、男性陣は簡素なシャツに黒いズボン、そして蒼いネクタイというシンプルな格好だ。そして全員《白船》の艦長の証である漆黒の外套を羽織っている。さらにそれぞれ艦長就任の際に授かった武器を携えていた。

「……ふぁぁぁ……ねぇ、いつ始まるの? 私、研究で忙しいのよね……」

 寝ぼけ眼を擦りながら愚痴を零したのは、五番艦のミネルヴァだ。アップにまとめた薄紫色の鮮やかな髪は寝癖でぼさぼさで、眠気で弛んだ目尻や口角、そして曲がった背中が、本来なら人目を惹きつけて止まないはずの美貌を完全に打ち消していた。

「まあまあ姉さん。そうぼやかないぼやかない。綺麗な顔が台なしっすよ」

 そんな彼女を正面に立つ六番艦のラムザが飄々となだめる。学者然とした眼鏡と優男めいた雰囲気が印象的な青年だ。だらしなく緩んだネクタイや裾が出しっぱなしのシャツなど、良くも悪くも彼の魅力である軽薄さが随所に滲み出ている。

「時間は有限なのよ。……ああもう、暇ねぇ……ラムザ、あんたその頭ちょっと割らせなさいよ。どうせ必要ないでしょ」
「酷ぇ! いや、たしかに姉さんのためなら脳みその一つや二つは安いけど、脳みそには今まで溜めに溜めた『女の子を確実に落とす二〇〇の名言』が……」
「確実なのに二〇〇個もある時点でぜんぶ役立たずでしょ、それ。ぷぷぷ!」

 彼の斜向かい立つ八番艦のアヴリルが笑いを堪えるように口を両手で押さえる。子犬の耳のように両サイドで結んだ向日葵色の短髪が愛らしい少女だ。ときおり見せる跳ねたり揺れたりといった小動物のような振る舞いが、その愛らしさをより際立たせている。

「いつもシルヴィアにつきまとって袖にされてるお前に言われたくねぇよ、セクハラ野郎」
「あれはスキンシップだし。ねー、シルヴィアさまー♪ ところでカレンさま、ランティスはいつ女の子同士で結婚できるようになるんですか?」

 唐突に話題に上げられたシルヴィアは「あ、あはは……」と苦笑いを浮かべる。その困惑がラムザの証言こそ真実であると鮮明に物語っていた。実際、世間的に見れば万人がセクハラと断じる怪しい行為を、アヴリルから何度も受けている。それでも笑って済ませているのは、アヴリルに悪意がなく、彼女が自分に憧れていることを知っているからだった。それでも、嫌なものは嫌なのだが。

「いい加減、静かにしろ。カレン様の御前だぞ」

 三人の無駄話に口を挟んだのは、二番艦のダグラスだ。刈り上げた頭髪に強面の髭面、そして無骨な無表情という謹厳実直を絵に描いたような男性。四〇を超えたとは思えない質実剛健な体躯や漲る気迫が、その威厳に一層拍車をかけている。

「やーい、怒られてやんの」
「てめぇもだ。―――ってか、カレンちゃんには申し訳ないけど、怒るんなら宮殿の連中でしょ。ちゃんと準備しとけって話ですよ」

 騒いだ責任を転嫁するラムザ。だが、彼の主張にも一理はあった。
 七人はこれから《就船の儀》に臨む予定だった。これは新たに選ばれた《白船》の艦長を迎える儀式だ。だが、本来ならすでに始まっているはずの儀式の開始が遅れているのは、彼の言う通り、その準備を行う宮殿関係者たちの仕事が遅れているからなのだ。

「まあ仕方ないよ。ここ数年は近衛艦隊の再編もあれば、僕ら艦長も世代交代でほぼ総入れ替え。そのおかげで仕事が大量に発生して、みんな忙しいからね」

 そんな彼らを弁護するように、三番艦のアレンが穏やかな口を開く。目鼻立ちの良い面立ちに痩躯ながら引き締まったスタイルは、学生時代から多くの異性を惑わせてきた。若くして許嫁と婚姻を交わした今でも、彼を諦めきれない女性は軽く三桁を超えるとまで言われる。

「相変わらず懐がでかいっすねぇ、アレンさんは。―――っつぅか、ライエさん、さっきから黙ってますけど大丈夫っすか?」
「……ああ」

 ラムザの隣で一人、目を瞑って興味なさげに黙っていた四番艦のライエは、そう一言だけ返した。七人のなかでただ一人、褐色の肌を持つ女性だ。野暮ったい短髪は雪のように白く、同性でも見惚れるほど蠱惑的で扇情的な曲線美と黄金比を宿した体躯は、野性的な女性味の極致をそのまま人形に固めたようですらある。

「まあまあ、軽い息抜きだと思えばいいじゃないか。君らは普段、たった一隻で危険極まりない任務に当たってるんだ。たまには気を休めることも必要さ」

 七人を労ったのはカレンの隣に立つ男性だった。長身長脚という抜群のスタイル。金色の短い髪に同色の瞳は内から光を放つように輝き、甘く柔和な、それでいて凛々しい面立ちがその幻惑的な魅力をさらに磨き上げている。まるで神の依怙贔屓を一身に集めたとしか思えないほどに完成された容姿は、アレンと並んでランティスの女性たちの憧れだ。
 名をパーシバル・フィルブライト。《白船》一番艦の前・艦長にして、現在は数年前に立ち上げられた近衛艦隊の総司令を務めている。いわばランティス全艦隊の最高指揮官だ。

「そう都合の良いこと言って濁そうとしても、ごまかされませんよ」
「はは。まあ、あと数分もすれば―――っと、来たようだね」

 パーシバルの一言で、大広間の全員は入口のほうを向いた。シルヴィアも視線を向ける。
 二人の男性によって重々しく開かれる豪奢な両開きの扉。
 その奥の薄闇から、一つの人影がゆっくりと現れた。

「入りなさい。―――カイル・クロフォード」

 カレンの厳かな呼びかけに応じて入ってきたのは、一人の青年だ。
 黒く野暮ったい短髪に同色の瞳。ワイシャツに海色のネクタイ、七分丈のズボンという身形は一般の艦長に共通する制服だ。その表情に緊張はまるでなく、気怠そうに頭を掻きながら歩いてくる様は、艦長には相応しくない粗雑でシニカルな雰囲気すら感じさせる。
 彼は七人に目をくれることもなく、場の空気に臆することもなく、ただ淡々と執務机へ通じる階段の麓に立った。

「―――まさかこれほど早くここまで辿り着くとは思ってもいませんでした」

 カレンは席を立ち、机の横に控えた。

「引きずりこんだ張本人が、なに言ってんだか」

 苦笑いを浮かべるカイル。
 ―――そう。試験の勝者はカイルだった。結果は七対〇の圧勝。シルヴィアが懸念していた彼の乱暴な操船も、むしろ実力の高さを裏づける好材料として働いた。

「私が与えたのはきっかけだけ。決断したのはあなたよ。―――パーシバルさん」

 パーシバルは畳まれた漆黒の外套と一振りの剣をカレンに差し出す。彼女はそれを受け取ると、ゆっくりと階段を降り、カイルの前に立った。

「―――近衛艦隊、第二分隊・旗艦長兼分隊長、カイル・クロフォード。海女神テティスの名のもとに、その命、この海に捧げることを誓えますか」
「ああ、誓う」

 古来より《就船の儀》は、神々と人類を重ね合わせて行われてきた。ここで言う「海女神テティス」とはランティスの元首であるカレンを、続く「この海」とはランティスそのものを指している。

「重ねて問います、カイル・クロフォード。海神トリトンの鉾のもとに、この剣、その命を賭すために握ることを誓えますか」
「誓う」

 そして「海神トリトン」はテティスと同じくカレンを、「この剣」とは彼女がいま手にしている剣を指している。つまりカレンが問うているのは「ランティスのためにその命を賭けられるのか」ということだ。ちなみに、テティスはカレンの女性性―――転じて内政における彼女の―――そしてトリトンは男性性―――転じて戦場における彼女の象徴でもある。知においても武においても、ランティスの元首である彼女のために命を懸ける―――それを誓うのが《就船の儀》というわけだ。
 二つの問答を経て、カレンはじっとカイルの目を見つめ返す。その色と力をしっかりと見定めるように。

「―――いいでしょう。明日より《白船》七番艦を貴方に託します。受け取りなさい」

 納得したのか、カレンはカイルに《白船》艦長の証である漆黒の外套、そしてランティスに古来より伝わる国宝《刻聖器》の一振りを差し出した。
《刻聖器》とは、ミルディアス家の初代当主、ジャンヌ・ド・ミルディアス・アトカーシャの時代に生まれた八つの武器だ。神が《大災禍》とともに地上へ落とした伝説の海龍の鱗をもとに、名工ナスターシャ・ヴァレリアハートが生み出したと言われている。
 シルヴィアが授かった《暴君》リヴァイアサンの龍鱗による、双剣・ヴァルフレア。
 ダグラスが授かった《屍王》ザッハークの龍鱗による、剛拳・アブソリュート。
 アレンが授かった《巨龍》ケイトスの龍鱗による、長槍・トライデント。
 ライエが授かった《嵐王》ヒュドラの龍鱗による、斧槍・イズナ。
 ミネルヴァが授かった《人龍》ファーブニルの龍鱗による、煌弓・シルフィード。
 ラムザが授かった《幻王》ネレイアの龍鱗による、短剣・ファントム。
 カイルが授かった《賢君》ガルグイユの龍鱗による、長剣・マルドゥーク。
 アヴリルが授かった《天龍》アルティマの龍鱗による、大剣・グランシャリオ。
 神龍たる《伝説の八龍》の力を宿した、文字通りの神器だ。
 カイルはまず外套だけ恭しく受け取り、早速それを羽織った。そして次に《刻聖器》であるマルドゥークを受け取り、収められたベルトを腰に巻く。
 この瞬間、カイルは晴れて《白船》の艦長として認められた。
 横で見守っていたシルヴィアも、すべてが終わると小さく安堵の息を吐いた。カイルの性格を考えれば、無礼な発言の一つも飛び出しそうだと内心で不安だったからだ。
 だが、すべては無事に終わった。
 あとはカレンがこの場を締めて終わりだ。
 ―――おそらくその場の誰もがそう思い、気を緩めたそのときだった。

「……あんまり似合わないわね」

 およそ新たな艦長の誕生を祝うには相応しくない一言が、大広間にぽつりと響いた。
 ……当のカレンの口から。
 途端に水を打ったように静まり返る大広間。
 緩い笑顔を貼りつけたまま白眼を丸くして凍りつくシルヴィア。またかと呆れた風に頭を振るダグラス。ただただ苦笑いを浮かべるばかりのアレン。両手で口を塞ぎ、必死に笑いを堪えるラムザとアヴリル。パーシバルをはじめとするそれ以外の同席者も軒並み、一気に冷えこんだ雰囲気に戸惑いを隠せない。変化が見られないのは、目を瞑ったまま無表情で動じないライエと、儀式の最初から立ったまま寝ているミネルヴァだけだ。
 そんな彼らの視線の中心、カレンの渋い表情を正面から受け止めながら、

「……嘘でも似合うって言えよ」

 カイルは目を細め、彼女を責めるようにじっと見つめ返していた。
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