白船一番艦の受難

「シルさん!《白船》が出てきた! 全艦だ! 二番艦にはカレン様も乗ってるらしい!」

 医務室へ駆け込んできたクルーの報告を受けてシルヴィアは甲板へ向かう。リオは一足先に戻っていた。

「全艦ってことは、やる気ってことかな」
「いえ。それなら近衛艦隊も出すでしょう」
「ってことは、チャンスありってことか」
「ですね。―――信号機! 白旗を上げてください!」

 交戦中以外での白旗は、ランティスでは「敵意がない」ことを示す意味で使われる。
 一番艦の白旗に応じて、カレンが乗っているという二番艦にも白旗が上がった。どうやら話し合いには応じてくれるようだ。
 そして、ランティスから距離およそ五〇〇の海上で、八隻の《白船》は相対した。
 ダグラス、アレン、ライエ、ミネルヴァ、そしてラムザ。見慣れたはずの五人の顔がいまはずいぶんと懐かしく感じる。ミーシャと出逢い、ガルグイユと出逢い、ランティスを裏切り、そして再び戻ってきた。わずか三ヶ月くらいのあいだに、本当に色々なことがあった。
 二番艦からの信号機を受けて接見は一番艦で行うことになり、カイルとアヴリル、ミーシャの三人も同席することが指示された。カレンが自ら出向いてくるとは予想していなかったので意外な気もしたが、シルヴィアは素直に従うことにする。
 カイルたち三人はそれぞれの船からボートで一番艦へ。
 そして、二番艦は一番艦に接舷し、渡されたタラップからはカレンとパーシバルがやって来た。

「またずいぶんと派手にやってくれたものね。おかげで島は大騒ぎよ」

 まるで世間話でも語るようにカレンは口を開いた。

「……申し訳ありません」

 対して、謝罪を口にするシルヴィアの表情は硬かった。心の奥でカレンに裏切られたという事実が尾を引きずっており、まだ警戒感としてわだかまっていたのだ。

「まぁでも、咎めるつもりはないわ。元を辿ればこちらの非なわけだし」
「……え?」

 だが、続けてカレンの口から飛び出した一言に、シルヴィアは思わず首を傾げる。
 そして、その整理をつける前に、さらに驚くべき光景を彼女は目にした。
 カレンが四人に向かって頭を下げたのだ。

「カ、カレン様!? なにを……っ!」
「あの時は本当にごめんなさい」
「あ、あの時?」
「あの子にまつわる一連の騒動よ」

 カレンの言葉に理解が追いつかずに茫然と立ち尽くす三人。
 当のミーシャは暇を持て余したのか、甲板を走り回ったりシュラウドを登ろうとしたりして、クルーの手を焼いている。

「い、いったいどういうことですか?」

 カレンは顔を上げると、あの事件のすべての真実を教えてくれた。
 あの夜―――。四人と分かれた直後、カレンは近衛騎士団を呼び、念のため孤児院の様子を見に行かせた。シルヴィアたちを信じはしたものの、さすがに安心できず、ユランたちを気遣う振りをさせて密かにミーシャを監視していたというわけだ。
 だが、これが裏目に出た。
 近衛騎士団の中に情報を外へ漏らしたものがいたのだ。
 そして、その人物を経由して情報を仕入れたローランが奸計を画策したとカレンは言った。
 彼女によれば、事の次第はこうだ。
 彼はまず「近衛騎士団が孤児院へ匿っている海獣の引き渡しを要求。だがユランがこれを拒否。近衛騎士団は慎重を期すため一旦、撤退した」といった具合の事実を捏造。これを海獣に対する恨みや歪んだ正義感を持つ者たちへ喧伝。そうして偽りの図式を吹きこまれた彼らが翌朝、怒りのまま孤児院を襲撃したというわけだ。
 ちなみに、そのあとカレンがシルヴィアを裏切った一幕も演技だった。あの場を収拾するには、自分がすべてを預かるのが一番だと判断したのだ。下手に両者を立てようとすれば、事態はさらに悪化すると考えたのだろう。その事実にシルヴィアは心底ほっとした。

「もちろんローランが中心だったのかは、まだ不確定よ。でも、先んじて艦隊を動かしてあなたたちを沈めようとしたところから考えて、ほぼ確実ね」
「で、ですが、いったいなんで……」
「カイルに対する私怨じゃないかしら。早い話、艦長試験で敗れた腹いせね。……まあ、あいつの場合、ほかにもいろいろありそうだけど。たとえば、シルは飛び級でローランと同じときに卒業して、一〇歳でいきなり一番艦の副長に選ばれた。聴いた話だけど、その時の嫉妬は相当だったらしいわよ。あなたは他にもいろいろ有名人だったしね」
「そ、そう言われましても……」
「カイルは言わずもがなね。あなたもパーシバルさんの提案で、飛び級でアカデメイアを卒業してるし、その後はあいつと同じ近衛艦隊に配属されて、あっさりあいつを抜いて旗艦の副長に抜擢された。そして極めつけが今回の艦長試験。昔は秀才で《白船》の艦長も確実だって言われてたあいつからしたら、自分より年下の子たちがどんどん特別待遇で自分を追い抜いていくんだから、内心は穏やかじゃなかったんでしょう」
「内心どころか顔に出てたけどな、あいつ」
「そのあとも、シルが史上最年少で一番艦、実兄のアレンさんが三番艦の艦長に就任。ライエさんとラムザさんの就任は関係ないと思うけど、その後のミネルヴァさんとアヴリルの時も結構、周囲に言い散らしてたらしいわよ。アヴリルは《白船》のクルーの一人にすぎなかったし、ミネルヴァさんはそもそも船乗りですらなかった。本来なら挑戦すらできない二人を例外的に審査した結果、見事に艦長に就任してしまった。その時に推薦者を集められなかったあいつからしたら、座れたはずの椅子を横から掠め取られた感じだったのかもね」
「だって下手くそなんだから、しょうがないじゃないですかぁ」
「ここしばらくは世代交代で《白船》の艦長も一気に変わったわ。あいつもその点では時代に恵まれていたわね。だから内心、自分は大丈夫って慢心してたんじゃないかしら。それが蓋を開けてみたら、次々と自分より若いあなたたちが追い抜いていった。―――そういう意味では時代に恵まれなかったのね。いまの《白船》の艦長たちは間違いなく史上最強。これから千年たっても、今を超える八人は絶対に出てこないって言い切れるほどに。そんな八人が相手じゃ仕方ないけど、あいつは納得できなかった、ということね。ここ最近は隠れて、あなたたちを『いつか沈めてやる』とか言ってもいたみたいだし、出世の目が消えたことで自棄になったんじゃないかしら」
「ま、まあ、その話はいいとしまして……一つ疑問があるのですが」

 なんだか自分が責められているようで落ち着かないシルヴィアは、話をすり替えた。

「なに?」
「もしカレン様の話のとおりだとしますと、なぜユランさんはラグーンの人たちに詰め寄られたとき、ミーシャを匿っていたことや逃がしたことを認めたんですか? 誰もその姿を見ていないわけですから、ごまかすこともできたはずです。その後で事情を知るカレン様たちに協力を仰いで事態を取り繕うことはできたと思うのですが……」
「―――そこは直接、訊いてみたらいいんじゃない?」
「直接?」

 シルヴィアの疑問にカレンは彼女の背後を指差すことで答えた。
 振り返ると七番艦が近づいてきており、その舷側にユランの姿が見える。頭部や頸部に包帯こそ巻いているものの、幸い大事はなさそうだ。
 七番艦は一番艦に寄せて止まると、両船のあいだにタラップを渡す。ユランはその上をしっかりした足取りで進み、こちらへ移ってきた。

「いやぁ。いきなり邪魔しちゃって悪いね。助けてもらったのにお礼も言わないのは嫌でさぁ。お願いして連れて来てもらったのよ」
「母さん、寝てろって言ったろ」
「ユランさん、体は大丈夫ですか?」
「あははっ、べつにたいしたことないよ。それよりありがとね」

 朗らかに微笑むユラン。しばらく痛々しい姿しか目にしていなかった彼女の人懐っこい笑顔に、シルヴィアの頬も思わず緩む。
 ―――だが、誰よりも彼女との再会を喜んだのは、シルヴィアでも、カイルでも、アヴリルでも、カレンでもなかった。

「ゆらん! ゆらん!」

 船首甲板で遊んでいたミーシャが、いきなりユランの名前を呼びながら、彼女めがけて一目散に走り出した。そのまま物凄い勢いで彼女の腰に抱きつくように飛びつく。

「おーミーシャ。相変わらずみんなに迷惑かけてるようでなによりだねぇ」
「ゆらん! ゆらん!」
「はいはい。分かったから」

 ユランはミーシャを抱き上げてやる。するとミーシャは嬉しそうな笑顔を浮かべながら、まるで母親の腕に抱かれて眠るように静かになった。

「凄いですね。あの夜の数時間くらいしか一緒にいられなかったのに、まるで本当のこどもみたいに懐いて」

 心を許してもらうまでに何日もかかったシルヴィアは、ユランとミーシャのつながりの強さに感嘆した。
 ―――だが、それがとんだ勘違いだと、彼女はすぐに気づかされることになる。

「ああ。違うの違うの。あたしら、もう何年も一緒だから」

 ユランがいつも通りの軽い調子と明るい笑顔で、あっさり答えた。
 一瞬、彼女がなにを言っているのか理解しかねたシルヴィアは、言葉を失った。

「……え? あ、あの……いま、なんて……」
「ん? いやだからさぁ。あたしとミーシャはもう何年も一緒に暮らしてたのよ。あたしが島を出るまでは、どこ行くにもついてきてさぁ。ガルグイユの側が一番安全だからそこにいろって言ってんのに、まったく言うこと聴かなかったんだよねぇ。いやぁ懐かしい」

 楽しそうに思い出をけらけらと語るユラン。だが、周囲は誰もが固まったまま動かない。

「ちょ、ちょっと待ってください。ということは、パンデモニウムを飛び出して人類との共存をめざした人魚というのは、まさか……」
「あたし」

 あっさりと認めた。

「まあ、最初はそんな大層なこと考えてたわけじゃなくて、単純に霧の外が見たいなぁってだけだったんだけどねぇ。その途中でちょっとしくって怪我しちゃってさ。そこをあの人に救われたのが、こっちで暮らしてみようって思ったきっかけだね」

 あの人。おそらくカイルの父であるディアス・クロフォードのことだろう。

「それでラグーンに移ったのが、人で言えば一五、六歳のときかな。んで、次の年にレミリアさんから孤児院の管理を頼まれて、さらに次の年にカイルが生まれて、そのまた次の年にあの人が亡くなって、なんか一気に色々あって帰るタイミングがなくなっちゃってね。この子には悪いと思ったんだけど」
「で、でも。私、何度かユランさんにお風呂に入れてもらったり、一緒に海に入ったりしましたけど、人魚の姿に戻ったことなんて一度も……」
「そりゃ我慢してたからね。いやー、慣れるまでつらかったよ、ほんと。もうくすぐったくてくすぐったくてさぁ」
「じゃ、じゃあ……本当に……」

 彼女は人魚なのだろうか。まだ信じ切ることができない。
 だが、そう考えれば解消できそうな疑問もいくつかあった。
 その一つは、なぜミーシャが最初、カイルだけにしか懐かなかったのか、ということだ。
 カイルはいわば、人類と海獣のクォーター。つまり海獣の血を引いていることになる。その血をミーシャは感じ取ったのだろう。
 また、カイルの「風や海の声が聴こえる」というのも、彼に海獣の血が流れているなら、なんとなく納得できる。具体的にどういう理屈かは分からないが、海獣には海や風の変化を人類とは違う方法で把握する特性があり、海獣の血がそれを可能にしたのかもしれない。
 そうして一つずつ無理やりにでも説明をつけていくと、シルヴィアの心もだんだん落ち着いてきた。
 すると今度は、突然の告白に困惑した自分を納得させるための理屈が欲しくて質問攻めにしたことが申し訳なくなってくる。

「ユランさん。町の人たちに海獣を匿っているのかと追及されたとき、なぜ素直に認めたんですか? シルが言ったとおり、隠し通すこともできたはずです」

 カレンがシルヴィアの質問を代弁した。

「ん? だって人と一緒に仲良くやりたいって思ってるのに、その人に対して嘘なんかつけるわけないじゃん。嘘ついた人のこと信用する?」

 ユランは当たり前のように答えた。
 あまりにもシンプルで真っ直ぐな答えに、シルヴィアだけでなく、その場の全員がぽかんと呆気にとられてしまった。カレンだけはある程度、予想がついていたのか「相変わらずですね」と溜め息まじりに笑顔を零す。

「残念だけど、人と海獣のあいだには、まだきちんとした信頼関係がない。あたしも人の姿ならみんなと話せるし遊べるけど、人魚の姿ならたぶん無理。正直、自信もない。だから、いつか本当の姿をさらしても、あたしたちには敵意がないって信じてもらうためにも、あたしのほうから嘘なんかつくわけにはいかないって。―――というのは建前で、ウソとホントを使い分けるのって面倒臭いし、なにより気分悪いしねぇ。ははは」

 最後は冗談で締めたユラン。おそらく照れ隠しなのだろう。
 ともあれ、事の経緯はこれですべて明らかになった。色々と消化不良ではあるが。

「それで、カレン様。あの話なのですが……」

 シルヴィアは話を本題に戻す。

「ええ。パーシバルさんたちと相談して、正式に交渉することになったわ。一部では反対の声も上がったけど、あんなもの見せられたら、仲良くしておいた方が良いって彼らも分かるでしょ」

 カレンは海宮島を振り返る。視線の先にあるのは頂上をごっそり削り取られた大山だ。たしかにあの脅威と対峙できるだけの戦力は、ランティスにはない。

『元首というのはお主か?』

 ガルグイユが一番艦に近づいてきた。その背中には船に乗り切らなかったローラン配下のクルーたちが乗っている。彼が救出に奔走し、ここまで連れてきてくれたのだろう。

「ええ。あなたが噂の《賢君》ですね。お会いできて光栄です」
『堅苦しい挨拶も敬語も不要だ。それよりこやつらを船か島に移したい』
「あらそう? それじゃあ遠慮なく。クルーたちについては、白い船に分散して乗せるからもう少し待ってて」
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