白船一番艦の受難

 あろうことか、艦長が自ら乗りこんできたのだ。
 その襲来に、甲板に残ったクルーたちが騒然とする。

「まさか、あんたとこんな形で向き合うことになるとはな……」

 周囲の喧騒を気にも留めずに、ゆっくりと立ち上がるライエ。その肩に担ぐのは、刻聖器のなかでも随一の破壊力を宿した斧槍・イズナ。彼女の膂力と合わさることで、その一撃は帆船のマストをも軽々と粉砕するとさえ言われる。
 後部甲板で対峙するシルヴィアとライエ。
 彼女の表情は、いたって平静だった。シルヴィアの裏切りで怒りに歪むことも悲痛に染まることもない。その瞳の変わらぬ輝きからは、ただ事実を事実として受け入れ、その上で自らの責を果たそうとする使命感だけが伝わってくる。

「いったいどういうことだ? 海獣を匿ってランティスを裏切るなんざ正気の沙汰とは思えない。あんたはもっと冷静なやつだと思ってたけど」
「……いまはなにを言っても信じてもらえないでしょう」
「私はランティスに忠誠を誓った身だ。もとより裏切り者の言葉を聴くつもりはない。あんたのことは好きだし、同じ船乗りとして尊敬してもいたけど……だからこそ、あんたの暴挙を許すわけにはいかない」
「……分かりました」

 やはり言葉でどうにかなるほど甘い相手ではない。
 シルヴィアも、腰のベルトからヴァルフレアを抜き放つ。
 もはや刃を交えることでしか、互いを拒絶することでしか、この戦いは終わらない。
 その現実に痛む心を押さえつけ、シルヴィアは敢えて心を鬼にする。
 こんな自分を信じてくれたクルーを守るためにも……。

「構えなっ!」

 ライエが動いた。一歩で懐へ潜りこんできたと見紛うほどの神速でシルヴィアの目の前に現れる。
 地面すれすれから豪快に振り上げられる斧槍。
 咄嗟に双剣を十字に構えて受けるシルヴィア。
 だが、単に防ぐだけでは、その剛力は受け流せない。
 彼女の体は逃しきれなかった力で宙に浮き、右舷すれすれまで吹き飛ばされた。

「くっ!」

 舷側の一歩手前で踏み止まる。
 だが、目の前にはすでにライエが迫っていた。

「ふっ!」

 文字通り殺す気で振り下ろされる渾身の一撃。
 横に避けずに防ぐシルヴィア。
 だが受け切れない。勢い余った斧槍の刃が左肩に浅く食いこんだ。

「……痛っ!」

 鈍い痛みに顔が歪む。

「船は傷つけたくないってわけか。その気持ちは痛いほど分かるけど、それで私に勝とうなんざ甘すぎるんだよ!」

 そのまま一気に押し切ろうと、斧槍にさらに力を乗せるライエ。
 シルヴィアは強引に斧槍を弾き、舷側から逃げ出す。
 そして―――彼女が繰り出した次の一手に、今度はライエが思わず息を呑んだ。

「……ッ!?」

 彼女は双剣の片方を投げつけてきたのだ。
 量産されている市販の剣ではない。
 国宝でもある刻聖器を、だ。
 だが、距離と驚きで躱す余裕がなかったライエは咄嗟に弾いてしまう。

「しまっ……っ!」

 剣の行く末を振り返るライエ。国宝を海に沈めるなどあってはならない。
 ―――が、

「なっ!?」

 その目の前に、弾いたはずのヴァルフレアの一振りが迫っていた。
 猛烈な勢いで回転しながら、襲いかかる剣を躱し切れず、今度はライエの右肩が裂けた。

「ちぃっ……っ!」

 しかし、痛みを気にする余裕などなかった。
 その背中を三たび、ヴァルフレアが猛然と狙っていたのだ。
 同じ手は食らうまいと、横に飛び退いて躱すライエ。
 同時に彼女は、この攻撃が一体どういう理屈で飛来しているのか冷静に分析していた。
 先ほどからヴァルフレアの一振りが、意志を持った鳥のようにこちらを的確に狙って飛来する。だが、もちろん剣が変幻自在に飛び回るわけがない。なにか絡繰りがあるはずだ。
 ―――その理屈は、すぐに分かった。

「……なるほど。そういうことか」

 笑みを浮かべるライエ。

「二対一だったとはね」

 後ろを振り返ると、そこには剣を抜いたリオが立っていた。

「これは海戦ですからね。一人で敵わないと判断すれば、手を借りるまでです」

 そう。シルヴィアが投げた剣は、リオが剣で弾き返していたのだ。ライエが逃げた方向へ正確に。そうして二人は、互いが弾き飛ばした剣をライエ目がけて弾き返すことで、攻勢をしかけていたのである。
 およそ尋常な戦い方ではない。剣を弾き飛ばして飛び道具のように使うという発想もそうだが、なによりそれを実現してしまう二人の技量は想像を絶する。ライエが剣を弾いた方向を瞬時に見極める目。そちらへ即座に回りこむ瞬発力。その剣をライエめがけて正確に弾き返す剣術。しかもそのすべてを同時に、瞬間的にこなさなければならない。
 そしてなにより、失敗したら剣を失うという、圧倒的なプレッシャーを跳ね除けるだけの精神力が必要だ。普通の剣なら問題ないが、シルヴィアの剣は刻聖器。不慮の事態で失われるのは許されても、こんな乱暴な使い方をして海に落としたなどと知れたら極刑ものだ。

「あんたにしては、ずいぶんと大胆な使い方をするもんだ」
「武器はあくまでも武器にすぎません。それに手段を選んではいられませんから」
「……惜しいな。あんたを失うことがランティスにとってどれほど大きな損害になるかわかっていながら、それでも排除しなきゃいけないなんて」
「まるで勝ったような口ぶりですね」
「残念だけど、純粋な操船勝負なら分からないが、白兵戦で負ける気はしない。たとえ一番艦の全員が相手でも」
「さあ。どうでしょうか」

 不敵に言い返したものの、シルヴィアは内心、焦りを感じていた。
 二体一で、しかも奇襲同然でしかけた攻撃を、ほぼ完璧に躱された。その事実が互いの地力の差をなによりも鮮明に表している。
 ライエの一言は虚勢でもなんでもない。彼女には絶対の自信があるのだ。

(……さて、どうしますか)

 次なる手を迷っているシルヴィアに、そのとき更なる追い打ちがかけられた。

「シルさん! 右舷から《白船》が接近してる! 五番艦だ!」
「……ッ!?」

 思わぬ報告に右舷を振り向くシルヴィア。その心は無意識に嘘であって欲しいと叫んでいた。
 だが、クルーの言う通り、それはたしかに南の海上にあった。
 ―――《白船》五番艦。
 ミネルヴァ・イクシードの船だ。
 その姿を目にしたシルヴィアは、歯を食いしばるほどに自分の不明を悔いた。
 そうだ。メガリス海域から戻ってきたとき、港に停泊していた《白船》は三隻だった。その事実を今の今まで完全に失念していた。

「珍しいこともあるもんだ。研究所にこもりっぱなしのあいつが出てくるなんて」

 五番艦の甲板上を見つめながら、ライエもやや驚いている。そこに普段はほとんど見られない艦長・ミネルヴァの姿があったからだ。
 ミネルヴァ・イクシードは、もともと船乗りですらない。わずか六歳のときにカノンの構想を発案して注目を集めた天才肌の研究者だ。そして、八歳のときにカノンの試作機を完成させ、あふれんばかりの名声を浴びた。だが、本人は寄りつく人々を「研究の邪魔」と一蹴したという、いかにもな逸話を持っている。それがなによりも彼女の性格を表していると言えるだろう。
 その後、ディノマイトなど様々な兵器を開発するうちに、彼女のなかで「自分の目で効果を見られないのは嫌だ」という気持ちが膨み、ついに爆発。五番艦の後釜を選定する際、強引に三名の推薦を集めて艦長選任の試験に参加してしまった。推薦者は「言っても聴かないから、一度だけやらせよう」「無理だとわかれば諦めもつくだろう」という魂胆だったのだが、彼女はなんと文字通りの処女航海で見事に合格。五番艦の艦長に就任してしまったのだ。
 以来、ミネルヴァは《白船》五番艦の艦長となった。
 だが、彼女の本業はあくまでも研究者だ。そのため航海に出ることもあまりなく、いつもは副長が実質的な艦長として船を走らせている。普通なら許されないが、ミネルヴァの研究が国を支えているのは事実なため、カレンたちも特別に認めていた。

「さて。諦めな、シル。これで二対二だ。私の四番艦も、そろそろ追いついてくる。さすがのあんたでも私たち二人を同時に相手にすることはできない」
「……っ」

 悔しいが、ライエの言う通りだ。
 南に五番艦、西に四番艦、そして正面には八番艦と交戦をつづける二番艦。
 絶望と呼ぶに相応しい窮地に、一番艦のクルーたちも固唾を呑む。
 ―――だが。
 そのとき事態は思わぬ展開を見せた。

「……なっ!」

 突如、ライエがその場から慌てて飛び退いた。
 五番艦からなにかが飛来したのだ。常人の目では到底、捉えきれない速度で。
 だが、シルヴィアの目は、その正体を正確に捉えていた。

(……矢?)

 五番艦から放たれたのは一本の矢だった。神速とも見紛う一閃が、ライエに襲いかかったのだ。
 しかもそれは一発で終わらなかった。躱したライエを目がけて、二の矢、三の矢が次々と放たれる。それも間隔が尋常ではなく短い。文字通り息をつく間もないほどの連射で何本もの矢がライエを襲撃する。
 だが、ライエもそのすべてを見切ってみせた。後部甲板を獣のように跳ね回り、チャートルームの上に退避。直後、その右眼を射抜こうと襲いかかった矢を右手でつかんで見せた。
 五番艦は目の前に迫り、針路を北東やや東よりに変更。一番艦と並走する。

「ミネルヴァ! どういうつもりだ!」

 予期せぬ襲撃者に、怒りをぶちまけるライエ。
 ―――そう。矢はすべてミネルヴァが放ったものだったのだ。
 だが、ライエの激昂もどこ吹く風。五番艦に立つ麗人のような艦長はまったく悪びれる様子もなく飄々と言い放った。

「私、しゃべる海獣に凄く興味あるのよね」

 その一言がすべてを物語っていた。彼女は国への忠義より、研究者としての本能を優先したのだ。もともと突飛な言動や気違いめいたアイデアの宝庫だが、まさか国を裏切ってまで研究を取るとはライエも思わなかったのだろう。

「……ッ! ふ、ざけてんのか!」
「失礼ね。私が研究のことでふざけるわけないじゃない」

 まるで話が噛み合わないライエとミネルヴァ。だがどちらも大真面目だ。

「そういうわけで、私、しゃべる海獣に逢いたいの。だから、その邪魔をするあなたたちの方がむしろ邪魔なわけ。わかる? それでもまだ邪魔したいっていうなら、今度はこの距離で本気で射ってあげるけど?」

 ミネルヴァがその手にした弓を引く。陽光を反射して煌めく薄鈍色の弓は、八龍で最も美しいと言われるファーブニルの龍鱗から創造された《煌弓》シルフィード。その綺羅びやかな見かけとは裏腹に、千里先を射抜くとまで言われるほどの剛弓だ。
 歯を食い縛って怒りを抑えるライエ。
 ミネルヴァとの距離はおよそ二〇。とても躱せる距離ではない。そしてあの女は本気だ。こちらが意に添わない行動に出れば、本気で自分を射殺す。決して容赦などしない。
 諦めたライエは、手にした斧槍を下ろした。殺気同然に迸っていた闘気も一気に収まりを見せる。そしてチャートルームから跳び下りたところで、シルヴィアを見た。

「……あんた、ほんとになに考えてんだ」

 その声色にシルヴィアも双剣を鞘に収めた。責めるでもなく詰るでもなく、ただこちらの身を案ずるように響く優しい声。そこにもはや敵意はなかった。

「すみません。ですが、ランティスのためにならないことだけは決してしません。約束します」

 シルヴィアはライエを真っ直ぐ見つめ返す。その答えに「この期に及んでよくも」と呆れたのか、ライエは小さな溜め息を吐いた。

「……まあいい。これ以上、身内で揉めたって仕方ない。それにあんたたちを追うと、あの馬鹿に本当に殺されかねない」
「ライエさん……」
「いいさ。どこ行ってなにしてくるつもりかしらないけど、こうなったら結果が見えるまではあんたを信じてやる」

 餞別のようにその胸中を言い残すと、ライエは舷側に向かって歩き出し、そのまま五番艦に飛び移った。四番艦はまだ距離があり、そちらへ戻ることはできない。
 彼女の乗艦を確認すると、ミネルヴァも弓を副長に渡した。そしてシルヴィアのほうを向くと、

「ほら、さっさと行きなさい。ここまでしてあげたんだから、そのしゃべる海獣、ちゃんと連れてくるのよ。失敗したらシル、あなたには新しい兵器の実験体になってもらうわ。カノンを小型化してみたんだけど、人間が撃つと腕が吹っ飛びそうだから、実際どうなのか確かめたいのよね」
「……ぜ、善処します」

 ミネルヴァとの恐ろしいほど生々しい約束に引き攣った笑顔を返して、シルヴィアの一番艦は五番艦から距離を取る。
 その五番艦の上げた信号機で二番艦も趨勢を察したのか、八番艦との交戦を停止。そのまま西へ走り、一番艦の横を抜けて、四、五番艦の二隻と合流した。
 すれ違いざま、甲板上のダグラスの姿がちらりと見えた。こちらを見遣ることもなく、目を瞑ったまま、ただ泰然と正面を向いている。
 シルヴィアが一番艦の艦長に就任する前から、ダグラスには本当に多くの場面で世話になった。そんな彼と決別したかのような一瞬の邂逅に、彼女の心は甚く傷んだ。
 だが、もはや引き返すことはできない。
 自らが信じ、踏み出した道を進むしかない。
 シルヴィアはアヴリルの八番艦と合流すると、そのまま東を目指して走り出した。
 すべては、新たな平穏に包まれた未来を切り拓くために。
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