白船一番艦の受難
「―――! い、一番艦?」
自身の旗艦である《白船》一番艦が、岸壁を回りこんでこちらに向かってきたのだ。
さらに、その後ろから八番艦も姿を現した。
「い、いったいどうして……」
「シルヴィアさまが騎士団に捕まったって聴いて、リオさんに頼んで海に出してもらったんです。港にいると騎士団に押さえられちゃいそうだったんで」
「そ、そんな……」
目の前に現れた一番艦を前に、シルヴィアの胸中は複雑に波立った。
リオたちが自分を助けに来てくれたのは明白だ。それは素直に嬉しい。だがそれは同時に、彼女たちがランティスを裏切った自分に加担したことも意味していた。
自分のせいで彼女をはじめクルーたちは、裏切り者の汚名を被ることになったのだ。おそらくアヴリルから全ての事情を聴き、その上で自らその決断を下したのだろうが……。
「時間がないんでこっから飛び移ります。そのあとはいったん東に逃げましょう」
二隻はこちらを視認したようで、船を岸壁すれすれまで寄せてきた。島の北側は綺麗な断崖になっているため、近くに暗礁などはほとんどない。
「シルヴィアさま!」
アヴリルの言葉に背中を押され、シルヴィアは走り出した。岸壁から跳躍し、海を越えて自船の甲板に降り立つ。
「―――ハードポート! 島から離れたら、そのまま東へ向かえ!」
シルヴィアの回収を確認したリオがクルーに取舵一杯を指示。八番艦もアヴリルが乗艦すると同様に針路を北東にとる。
一番艦に乗艦したシルヴィアは、その場でしばらく立ち竦んでいた。クルーたちを前にして、巻きこんでしまった気まずさが一気に押し寄せてきたのだ。
すると、当惑する彼女にリオがすたすたと近づいてきた。
謝らなければ―――咄嗟にそう判断したシルヴィアは一歩を踏み出す。
「リ、リオ……あの……」
だが、それ以上を口にすることはできなかった。
「―――ッ!」
シルヴィアが目の前に立った瞬間、リオがその左頬を思い切り張り飛ばしたのだ。
海鳥の鳴き声のように甲高い破裂音が船上に響き渡る。あまりにも見事な張り手に、音に反応したクルーたちが反射的に二人のほうを振り向く。
暫し沈黙が流れる。
シルヴィアも突然のことに、ただただ唖然とするしかなかった。
―――やがて、リオが鬼の形相を浮かべて口を開く。
「……そんなにあたしらが信用できないのかい、あんたは」
その声色には敵意にも似た怒気が宿っていた……が、一方でその瞳は、深い失望と無念で薄っすらと滲んでもいた。
「あたしらが、なんでほかの船じゃなくて、この一番艦に乗ってると思ってんだい……なんでほかの艦長の下じゃなくて、あんたの下にいると思ってんだい……」
「リ、リオ……」
「……みんないろんな道を歩いて、この一番艦にやってきた。あたしみたいに腐ってたところをあんたに拾われたろくでなしだっている。だから、ここにいる動機はいろいろだろうさ。居場所を与えてくれた恩義を返そうとする奴もいれば、あんたを尊敬して、いつかあんたみたいになりたいと憧れて乗ってる奴もいる。……でもね。みんな、ほかの誰でもない、あんたと一緒に走りたいから、一番艦に乗ってるんだ」
「……」
リオは言葉を切ると、ついてくる八番艦のほうを見た。
「―――あんたが海獣をかばった人の肩を持って背信の疑惑をかけられたってあの子から聴かされたときは、たしかに驚いた。あんたはこれまでずっとランティスのために、誰よりも危険な航海に何度も出てきたんだからね。正直、耳を疑った。……でも、あの子が迷うことなくあんたを助けに行くって言ったとき、ああやっぱりなって思ったよ。あんたがそんな危険を犯したってことは、なにかデカい理由があるんだろうってね。だからあたしらも、たとえランティスを裏切ることになるとしても、一番艦を海に出した。あたしらは最後まであんたを信じるし、ついていくのは、あんただけだ」
そして、八番艦を見つめていたリオが、シルヴィアに向き直り、
「……辛いことを一人で背負わなきゃならないほど……そんなにあたしらは頼りないのか?」
その一言を最後に、リオは静かに口を噤んだ。
その表情は、シルヴィアに対する怒りを押し殺した悲痛で歪み、
その双眸は、彼女が無事だったことへの安堵で滝のように潤み、
その両手は、彼女一人にすべてを背負わせた自らの不甲斐なさで、固く、固く、血が滲むほど握り締められていた。
そんなリオの苦しみが、シルヴィアの心に重く、重く伸しかかる。
―――裏切りの重さが。
……そう。
自分は裏切ったのだ。一番艦のクルーたちを。
シルヴィアは今、その事実をリオの言葉によって気づかされた。
自分がカレンによって与えられた傷を、クルーたちに与えてしまっていたのだと。
心配をかけたくない。迷惑をかけたくない。そう思って、自分はリオたちに真実を伏せてきた。だが、それは自己満足にすぎなかったのだ。
本音はそうではない。
すべてを明かした結果、クルーたちとの関係が崩れるのではないか。軽蔑されるのではないか。見放されるのではないか。
それが怖かった。
それだけは嫌だった。
だから彼女は、すべてを自分で呑みこんだ。
それが、クルーたちへ寄せた信頼を自ら断ち切る行為であるとも気づかずに。
―――いや。
おそらく無意識のうちに気づいてはいた。
だから、先に逃げたのだ。
傷つく前に。
それがクルーたちのためだという理由をつけて。
失う前に手放しておくために。
自分はクルーに対して結んだ信頼を自ら振り解き、その痕を繕う方便まで練り上げて、自分の弱さを守ったのだ。
―――その後ろめたさが、リオの言葉をきっかけに、一気に押し寄せた。
その両手が堪らずに己の顔を覆う。
「……ごめんなさい……ごめん……なさい……」
開いた傷口から溢れ出すように繰り返される謝罪。
その声は、涙で汚れていた。
穏やかな海上。静まり返る甲板。
一人の少女の嗚咽だけが、ただ淡々と世界に響く。
そんな痛々しく震えるシルヴィアの肩に、リオがそっと、手を置いた。
彼女はそのままシルヴィアを抱き寄せる。親が我が子を慈しむように優しく。
「……なにがあったって、あたしらはあんたを裏切らない。あんたを見捨てたりしない。あんたのどんな無茶にだって、あたしらは必ずついていく。忘れんじゃないよ」
リオの言葉に、クルーたちは無言で、笑顔で頷いた。
―――これこそが、一番艦の強さだった。
欠片も揺るがない絶対の信頼で結ばれた、艦長とクルー。
その絆こそが、不可能を可能にしてきた。奇跡を現実のものとしてきた。
―――シルヴィアはリオの胸に顔を埋めたまま、何度も頷いた。
もう、裏切らない。
もう、ごまかさない。
もう、目を逸らさない。
そう固く心に刻むように、何度も、何度も……。
「……ほら、いつまでも泣いてんじゃないよ。まだ無事に逃げ出せたわけじゃないんだ。このままじゃランティスにも戻れないし、どうするのか考えないと」
「……そう、ですね」
シルヴィアはリオから離れると、涙を拭った。
泣き腫らした面には、クルーの誰もが憧れた彼女らしい晴れやかで力強い笑顔が、ぎこちないながらも戻っていた。
「んで? これからどうすんだい? 島を出られたのはいいとして、こっからランティスの人たちの誤解を解かなきゃ、あたしらは島に戻れない」
リオの言う通りだ。
―――だが。
「それもあるのですが……どうやらその前に一つ、やらなければならないことがあります」
「やらなきゃいけないこと?」
「ええ。……来たようですね」
シルヴィアは右舷、ちょうど真南の方角を指差した。
そこにあるのは島の東端、ラグーンの岬だ。港を隠すように張り出したそれは島民のあいだで絶景が臨める高台として有名で、先端には監視塔が立っている。
「―――ッ! あれって……っ!」
リオはシルヴィアが示唆した脅威の正体を認めて……そして、言葉を失った。
岬の向こうからその姿を見せたのは……
―――自船と同じ純白の船体。
ランティス最強の二柱。
―――《白船》二番艦。そして四番艦。
自身の旗艦である《白船》一番艦が、岸壁を回りこんでこちらに向かってきたのだ。
さらに、その後ろから八番艦も姿を現した。
「い、いったいどうして……」
「シルヴィアさまが騎士団に捕まったって聴いて、リオさんに頼んで海に出してもらったんです。港にいると騎士団に押さえられちゃいそうだったんで」
「そ、そんな……」
目の前に現れた一番艦を前に、シルヴィアの胸中は複雑に波立った。
リオたちが自分を助けに来てくれたのは明白だ。それは素直に嬉しい。だがそれは同時に、彼女たちがランティスを裏切った自分に加担したことも意味していた。
自分のせいで彼女をはじめクルーたちは、裏切り者の汚名を被ることになったのだ。おそらくアヴリルから全ての事情を聴き、その上で自らその決断を下したのだろうが……。
「時間がないんでこっから飛び移ります。そのあとはいったん東に逃げましょう」
二隻はこちらを視認したようで、船を岸壁すれすれまで寄せてきた。島の北側は綺麗な断崖になっているため、近くに暗礁などはほとんどない。
「シルヴィアさま!」
アヴリルの言葉に背中を押され、シルヴィアは走り出した。岸壁から跳躍し、海を越えて自船の甲板に降り立つ。
「―――ハードポート! 島から離れたら、そのまま東へ向かえ!」
シルヴィアの回収を確認したリオがクルーに取舵一杯を指示。八番艦もアヴリルが乗艦すると同様に針路を北東にとる。
一番艦に乗艦したシルヴィアは、その場でしばらく立ち竦んでいた。クルーたちを前にして、巻きこんでしまった気まずさが一気に押し寄せてきたのだ。
すると、当惑する彼女にリオがすたすたと近づいてきた。
謝らなければ―――咄嗟にそう判断したシルヴィアは一歩を踏み出す。
「リ、リオ……あの……」
だが、それ以上を口にすることはできなかった。
「―――ッ!」
シルヴィアが目の前に立った瞬間、リオがその左頬を思い切り張り飛ばしたのだ。
海鳥の鳴き声のように甲高い破裂音が船上に響き渡る。あまりにも見事な張り手に、音に反応したクルーたちが反射的に二人のほうを振り向く。
暫し沈黙が流れる。
シルヴィアも突然のことに、ただただ唖然とするしかなかった。
―――やがて、リオが鬼の形相を浮かべて口を開く。
「……そんなにあたしらが信用できないのかい、あんたは」
その声色には敵意にも似た怒気が宿っていた……が、一方でその瞳は、深い失望と無念で薄っすらと滲んでもいた。
「あたしらが、なんでほかの船じゃなくて、この一番艦に乗ってると思ってんだい……なんでほかの艦長の下じゃなくて、あんたの下にいると思ってんだい……」
「リ、リオ……」
「……みんないろんな道を歩いて、この一番艦にやってきた。あたしみたいに腐ってたところをあんたに拾われたろくでなしだっている。だから、ここにいる動機はいろいろだろうさ。居場所を与えてくれた恩義を返そうとする奴もいれば、あんたを尊敬して、いつかあんたみたいになりたいと憧れて乗ってる奴もいる。……でもね。みんな、ほかの誰でもない、あんたと一緒に走りたいから、一番艦に乗ってるんだ」
「……」
リオは言葉を切ると、ついてくる八番艦のほうを見た。
「―――あんたが海獣をかばった人の肩を持って背信の疑惑をかけられたってあの子から聴かされたときは、たしかに驚いた。あんたはこれまでずっとランティスのために、誰よりも危険な航海に何度も出てきたんだからね。正直、耳を疑った。……でも、あの子が迷うことなくあんたを助けに行くって言ったとき、ああやっぱりなって思ったよ。あんたがそんな危険を犯したってことは、なにかデカい理由があるんだろうってね。だからあたしらも、たとえランティスを裏切ることになるとしても、一番艦を海に出した。あたしらは最後まであんたを信じるし、ついていくのは、あんただけだ」
そして、八番艦を見つめていたリオが、シルヴィアに向き直り、
「……辛いことを一人で背負わなきゃならないほど……そんなにあたしらは頼りないのか?」
その一言を最後に、リオは静かに口を噤んだ。
その表情は、シルヴィアに対する怒りを押し殺した悲痛で歪み、
その双眸は、彼女が無事だったことへの安堵で滝のように潤み、
その両手は、彼女一人にすべてを背負わせた自らの不甲斐なさで、固く、固く、血が滲むほど握り締められていた。
そんなリオの苦しみが、シルヴィアの心に重く、重く伸しかかる。
―――裏切りの重さが。
……そう。
自分は裏切ったのだ。一番艦のクルーたちを。
シルヴィアは今、その事実をリオの言葉によって気づかされた。
自分がカレンによって与えられた傷を、クルーたちに与えてしまっていたのだと。
心配をかけたくない。迷惑をかけたくない。そう思って、自分はリオたちに真実を伏せてきた。だが、それは自己満足にすぎなかったのだ。
本音はそうではない。
すべてを明かした結果、クルーたちとの関係が崩れるのではないか。軽蔑されるのではないか。見放されるのではないか。
それが怖かった。
それだけは嫌だった。
だから彼女は、すべてを自分で呑みこんだ。
それが、クルーたちへ寄せた信頼を自ら断ち切る行為であるとも気づかずに。
―――いや。
おそらく無意識のうちに気づいてはいた。
だから、先に逃げたのだ。
傷つく前に。
それがクルーたちのためだという理由をつけて。
失う前に手放しておくために。
自分はクルーに対して結んだ信頼を自ら振り解き、その痕を繕う方便まで練り上げて、自分の弱さを守ったのだ。
―――その後ろめたさが、リオの言葉をきっかけに、一気に押し寄せた。
その両手が堪らずに己の顔を覆う。
「……ごめんなさい……ごめん……なさい……」
開いた傷口から溢れ出すように繰り返される謝罪。
その声は、涙で汚れていた。
穏やかな海上。静まり返る甲板。
一人の少女の嗚咽だけが、ただ淡々と世界に響く。
そんな痛々しく震えるシルヴィアの肩に、リオがそっと、手を置いた。
彼女はそのままシルヴィアを抱き寄せる。親が我が子を慈しむように優しく。
「……なにがあったって、あたしらはあんたを裏切らない。あんたを見捨てたりしない。あんたのどんな無茶にだって、あたしらは必ずついていく。忘れんじゃないよ」
リオの言葉に、クルーたちは無言で、笑顔で頷いた。
―――これこそが、一番艦の強さだった。
欠片も揺るがない絶対の信頼で結ばれた、艦長とクルー。
その絆こそが、不可能を可能にしてきた。奇跡を現実のものとしてきた。
―――シルヴィアはリオの胸に顔を埋めたまま、何度も頷いた。
もう、裏切らない。
もう、ごまかさない。
もう、目を逸らさない。
そう固く心に刻むように、何度も、何度も……。
「……ほら、いつまでも泣いてんじゃないよ。まだ無事に逃げ出せたわけじゃないんだ。このままじゃランティスにも戻れないし、どうするのか考えないと」
「……そう、ですね」
シルヴィアはリオから離れると、涙を拭った。
泣き腫らした面には、クルーの誰もが憧れた彼女らしい晴れやかで力強い笑顔が、ぎこちないながらも戻っていた。
「んで? これからどうすんだい? 島を出られたのはいいとして、こっからランティスの人たちの誤解を解かなきゃ、あたしらは島に戻れない」
リオの言う通りだ。
―――だが。
「それもあるのですが……どうやらその前に一つ、やらなければならないことがあります」
「やらなきゃいけないこと?」
「ええ。……来たようですね」
シルヴィアは右舷、ちょうど真南の方角を指差した。
そこにあるのは島の東端、ラグーンの岬だ。港を隠すように張り出したそれは島民のあいだで絶景が臨める高台として有名で、先端には監視塔が立っている。
「―――ッ! あれって……っ!」
リオはシルヴィアが示唆した脅威の正体を認めて……そして、言葉を失った。
岬の向こうからその姿を見せたのは……
―――自船と同じ純白の船体。
ランティス最強の二柱。
―――《白船》二番艦。そして四番艦。