本編
◯5月2日 國立市内 某ファミレス
霧島由仁こと霜月悠奈が顧問となった新生ライトノベル同好会の初顔合わせは、ゴールデンウィーク初日の5月2日となった。
場所は素性を隠している悠奈に配慮して、高校から少し離れた場所にある大手飲食チェーンのファミレス。
幸太と火恋、悠奈の三人は店内の角で向かい合っていた。興奮のあまり寝つけなかった幸太が集合3時間前の朝7時に確保した4人席だ。
その事実から、彼が今日という日をどれほど待ち望んだかは想像に難くない。
「……」
「……」
―――が。
「で、どうなんですか?」
三人がそろった15分前まで昂揚感一色だった彼の心は今、場のあまりにも重々しい空気に押し潰されかけていた。
原因は、悠奈が簡単な自己紹介のあとに「最初に聞いておきたいことがあります」とやや厳しい口調で切り出し、二人に言い放った一言。
(新人賞なめてるんですか?)
それから1分、場は無言のまま、今に至る。
先日までの彼女とはまるで真逆の、威圧感の塊としか思えない印象に、幸太は面食らった。
ルックスは先日までと違い、今日は霧島由仁の時によく目にしたものだった。
キャスケット風の帽子をかぶり、髪もポニーテールではなく、やや猫毛っぽい肩にかかる程度のミディアム。チェック柄のスカートは先日と同じだが、上は白のインナーと空色のカーディガン。眼鏡もかけていない。
「……ちょっと飲み物、取ってきます」
やや苛立たしげに席を立つ悠奈……いや由仁。
助かった。もしあと2分、いや1分でもあの重苦しい沈黙が続いたら、心が押し潰されていたに違いない。
息の詰まる雰囲気から解放された安堵感に、自分のグラスへ手を伸ばす幸太。
だが直後、その胸ぐらを火恋にいきなり掴まれた。
「げへぇっ!?」
「ちょ、ちょっと! ちょっとちょっとちょっとどういうこと!? 前に聞いてたのとぜんぜん違うじゃん! あんな怖い人だなんて言ってなかったじゃん! 説明してよっ!」
「く、くるし……っ! やめ……っ!」
「そこらのアイドルどころかハムスターすら足下にも及ばないくらい超絶かわいくてやさしくて愛らしくてお淑やかな女の子じゃなかったわけ!?」
「よく覚えてんなお前!? ってか、お、落ち着け……って! 俺だって驚いて……っ!」
まさか普段の顔と作家の顔、二つの人格を持っているなどとは、幸太にも予想外すぎた。
追及を諦めた火恋は、幸太から手を離し「ふぇぇぇ……」とテーブルに萎れる。
「そりゃあ受賞めざして教わるんだから、厳しいこと言われるのも覚悟はしてたけどさ……。初対面であの一言はさすがにちょっときついって……」
「……おまけにこれだしなぁ」
幸太は視線をテーブル中央に向ける。
ダブルクリップでまとめられた紙束が二つ置いてあった。幸太と火恋が直近で新人賞に送った原稿を由仁が印刷したものだ。現状把握のために過去作をすべて見せてくれと言われ、二人は由仁にデータを渡していた。
その紙束は今、真っ赤に染まっていた。トマトジュースでも零したのかと思うほど、白い部分がほとんど見当たらない。
まだ見ていないので内容は不明だが、色が赤いという一点から二人にも分かった。それがダメ出しの嵐だと。
その事実がまた、二人の心を深々と抉る。
「おまけになんですか?」
由仁が戻ってきた。手にしたグラスにメロンソーダと紅茶のティーバックが入っているのを見て、幸太は一瞬、目を丸くする。だが口を挟む勇気はない。
「で、どうなんですか?」
席につくと同時に改めて二人を詰める由仁。場は再び緊迫感に包まれる。
「受賞したいと言うのは簡単です。その言葉を口にすれば終わりですから。でも、そこから本気で受賞をめざして努力する人は、本当にひと握りしかいません」
「「……」」
「だいたい50パーセントは口だけです。最初の一歩すら踏み出しません。40パーセントくらいは新人賞をなめています。受賞に必要なものを考える努力もしないで、ただ漫然と書きつづけるだけ。9パーセントは、努力はしますが、その量も質も足りません。受賞するのは、残り1パーセントのさらに一握り。ライトノベル作家という夢に取り憑かれて、文字どおりすべてを捨てた人たちです。真っ当な学歴、友達づきあい、ほかの楽しいこと……」
「「……」」
「お二人の過去の原稿には、正直、努力の跡が見られませんでした。同じミスを何度も繰り返していたりしていて、改善すべき点をきちんと考えながら書いてこなかったのが明白です。はっきり言わせてもらうと、本気で受賞をめざしているのか疑うレベルです」
「「……」」
「新人賞を獲るというのは、すべてを捨ててまで努力する人たちに勝つことです。生半な努力でかなうものではありません。ですので、やるからには本気で……文字どおり死ぬ気でやってもらいます。その覚悟はありますか?」
「「……」」
「返事ッ!」
「は、はいぃぃッ!」「あ、ありますありますッ!」
幸太と火恋の背筋が一瞬で伸びる。
「……じゃあ、さっそくはじめましょう。お送りいただいた作品をまだぜんぶ読めていないので、目を通した作品をベースに先輩たちの現状を振り返ります」
由仁はテーブルに置かれた火恋の原稿のクリップを外す。
いよいよかと反射的に身構え、息を呑む幸太と火恋。
いったいなにを言われるのか……。
その恐怖に開始前から負けたのか、火恋がテーブルの下で幸太のズボンをつかんだ。
「まず如月先輩。全体を通してひとつ、致命的な欠点があります。ヒロインに魅力がありません。ヒロインが魅力的でないライトノベルは売れないので、このままではまず落ちます。編集部はライトノベルを売るのが仕事ですから」
ズボンを握る火恋の手に、力と熱がこもる。
ちらりと横顔を確認すると、耐えるように唇を固く結んでいた。
……このまま続けて大丈夫か? こいつ泣くんじゃないか?
そんな不安が幸太の頭を過った……その時だった。
「たとえば直近の作品の冒頭、主人公が登校中、怪物に襲われたところをヒロインに救われてパンチラを拝むシーンですが、展開もキャラクターもあまりにベタすぎて、これじゃ誰も惹かれな………………ぁ、ぅ、ッッッ!」
「「……?」」
突如、由仁は呻くような声を上げると、右手で口元を隠して苦しそうにうつむいた。
(……ど、どうしたんだ?)
紅茶風味のメロンソーダなどという奇妙なものを口にしたから吐き気でもこみ上げたのか。
「あ、あの……霧島、さん?」
彼女の表情を覗きこむように窺うと、
「…………へ?」
そこには驚愕などという言葉では足りない、あまりにも奇怪で強烈な状況があった。
大量の鼻血を吹き出していたのだ。
「ちょ! ちょ、ちょっと大丈夫ですかっ!?」
「へ、へいき、れす……ハァ……ハァ……こりぇ、くりゃい……な、なんてょもふべぇぅ!」
口元を覆った両手の隙間から大量の血が滝のように零れ落ちる。
「あぁぁあぁああぁああぁっ! ちょちょちょちょっと待って待って待って待って!」
パニックに陥った幸太は咄嗟に自分のグラスで由仁の血を掬う。だが見る見る鼻血で埋まっていった。一つではとても足りない。
「火恋! 店員さん! 店員さん呼んできてくれ早く!」
叫ぶ幸太。だが火恋は反応しない。なぜか口をぽかんと開けたまま茫然と固まっている。
この状況に動揺すらできないほど、すでに心を折られてしまったのか。
「おい火恋!」
勝手に火恋のグラスを手に取り、とまらない由仁の鼻血を掬いつづける幸太。
だが慌てる彼をよそに、火恋はなぜか……
「……ほれ」
自分の原稿を由仁に見せた。
「ぶふぇぅッッッ!」
「だぁぁあぁあぁぁッッッ!? な、ななななにしてんだお前ぇぇぇぇぇぇッ!」
再び盛大に鼻血を吹き出す由仁。もはやテーブルは阿鼻叫喚と流血三昧の地獄絵図だ。
だが、その中でただ一人、火恋だけはなぜか嬉々とした笑顔を浮かべながら、
「こ、こ、ここここ、幸太! 幸太! 幸太っ!」
とても嬉しそうに幸太の肩を揺すりだした。
「な、なんだよ! あとにしろ! いまはとにかく早く店員さん呼んでこ」
「この子ちょろい! すごいちょろかわいい!」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろうがぁッッッ!」
幸太は初めて友人に本気の怒りをぶつけた。
霧島由仁こと霜月悠奈が顧問となった新生ライトノベル同好会の初顔合わせは、ゴールデンウィーク初日の5月2日となった。
場所は素性を隠している悠奈に配慮して、高校から少し離れた場所にある大手飲食チェーンのファミレス。
幸太と火恋、悠奈の三人は店内の角で向かい合っていた。興奮のあまり寝つけなかった幸太が集合3時間前の朝7時に確保した4人席だ。
その事実から、彼が今日という日をどれほど待ち望んだかは想像に難くない。
「……」
「……」
―――が。
「で、どうなんですか?」
三人がそろった15分前まで昂揚感一色だった彼の心は今、場のあまりにも重々しい空気に押し潰されかけていた。
原因は、悠奈が簡単な自己紹介のあとに「最初に聞いておきたいことがあります」とやや厳しい口調で切り出し、二人に言い放った一言。
(新人賞なめてるんですか?)
それから1分、場は無言のまま、今に至る。
先日までの彼女とはまるで真逆の、威圧感の塊としか思えない印象に、幸太は面食らった。
ルックスは先日までと違い、今日は霧島由仁の時によく目にしたものだった。
キャスケット風の帽子をかぶり、髪もポニーテールではなく、やや猫毛っぽい肩にかかる程度のミディアム。チェック柄のスカートは先日と同じだが、上は白のインナーと空色のカーディガン。眼鏡もかけていない。
「……ちょっと飲み物、取ってきます」
やや苛立たしげに席を立つ悠奈……いや由仁。
助かった。もしあと2分、いや1分でもあの重苦しい沈黙が続いたら、心が押し潰されていたに違いない。
息の詰まる雰囲気から解放された安堵感に、自分のグラスへ手を伸ばす幸太。
だが直後、その胸ぐらを火恋にいきなり掴まれた。
「げへぇっ!?」
「ちょ、ちょっと! ちょっとちょっとちょっとどういうこと!? 前に聞いてたのとぜんぜん違うじゃん! あんな怖い人だなんて言ってなかったじゃん! 説明してよっ!」
「く、くるし……っ! やめ……っ!」
「そこらのアイドルどころかハムスターすら足下にも及ばないくらい超絶かわいくてやさしくて愛らしくてお淑やかな女の子じゃなかったわけ!?」
「よく覚えてんなお前!? ってか、お、落ち着け……って! 俺だって驚いて……っ!」
まさか普段の顔と作家の顔、二つの人格を持っているなどとは、幸太にも予想外すぎた。
追及を諦めた火恋は、幸太から手を離し「ふぇぇぇ……」とテーブルに萎れる。
「そりゃあ受賞めざして教わるんだから、厳しいこと言われるのも覚悟はしてたけどさ……。初対面であの一言はさすがにちょっときついって……」
「……おまけにこれだしなぁ」
幸太は視線をテーブル中央に向ける。
ダブルクリップでまとめられた紙束が二つ置いてあった。幸太と火恋が直近で新人賞に送った原稿を由仁が印刷したものだ。現状把握のために過去作をすべて見せてくれと言われ、二人は由仁にデータを渡していた。
その紙束は今、真っ赤に染まっていた。トマトジュースでも零したのかと思うほど、白い部分がほとんど見当たらない。
まだ見ていないので内容は不明だが、色が赤いという一点から二人にも分かった。それがダメ出しの嵐だと。
その事実がまた、二人の心を深々と抉る。
「おまけになんですか?」
由仁が戻ってきた。手にしたグラスにメロンソーダと紅茶のティーバックが入っているのを見て、幸太は一瞬、目を丸くする。だが口を挟む勇気はない。
「で、どうなんですか?」
席につくと同時に改めて二人を詰める由仁。場は再び緊迫感に包まれる。
「受賞したいと言うのは簡単です。その言葉を口にすれば終わりですから。でも、そこから本気で受賞をめざして努力する人は、本当にひと握りしかいません」
「「……」」
「だいたい50パーセントは口だけです。最初の一歩すら踏み出しません。40パーセントくらいは新人賞をなめています。受賞に必要なものを考える努力もしないで、ただ漫然と書きつづけるだけ。9パーセントは、努力はしますが、その量も質も足りません。受賞するのは、残り1パーセントのさらに一握り。ライトノベル作家という夢に取り憑かれて、文字どおりすべてを捨てた人たちです。真っ当な学歴、友達づきあい、ほかの楽しいこと……」
「「……」」
「お二人の過去の原稿には、正直、努力の跡が見られませんでした。同じミスを何度も繰り返していたりしていて、改善すべき点をきちんと考えながら書いてこなかったのが明白です。はっきり言わせてもらうと、本気で受賞をめざしているのか疑うレベルです」
「「……」」
「新人賞を獲るというのは、すべてを捨ててまで努力する人たちに勝つことです。生半な努力でかなうものではありません。ですので、やるからには本気で……文字どおり死ぬ気でやってもらいます。その覚悟はありますか?」
「「……」」
「返事ッ!」
「は、はいぃぃッ!」「あ、ありますありますッ!」
幸太と火恋の背筋が一瞬で伸びる。
「……じゃあ、さっそくはじめましょう。お送りいただいた作品をまだぜんぶ読めていないので、目を通した作品をベースに先輩たちの現状を振り返ります」
由仁はテーブルに置かれた火恋の原稿のクリップを外す。
いよいよかと反射的に身構え、息を呑む幸太と火恋。
いったいなにを言われるのか……。
その恐怖に開始前から負けたのか、火恋がテーブルの下で幸太のズボンをつかんだ。
「まず如月先輩。全体を通してひとつ、致命的な欠点があります。ヒロインに魅力がありません。ヒロインが魅力的でないライトノベルは売れないので、このままではまず落ちます。編集部はライトノベルを売るのが仕事ですから」
ズボンを握る火恋の手に、力と熱がこもる。
ちらりと横顔を確認すると、耐えるように唇を固く結んでいた。
……このまま続けて大丈夫か? こいつ泣くんじゃないか?
そんな不安が幸太の頭を過った……その時だった。
「たとえば直近の作品の冒頭、主人公が登校中、怪物に襲われたところをヒロインに救われてパンチラを拝むシーンですが、展開もキャラクターもあまりにベタすぎて、これじゃ誰も惹かれな………………ぁ、ぅ、ッッッ!」
「「……?」」
突如、由仁は呻くような声を上げると、右手で口元を隠して苦しそうにうつむいた。
(……ど、どうしたんだ?)
紅茶風味のメロンソーダなどという奇妙なものを口にしたから吐き気でもこみ上げたのか。
「あ、あの……霧島、さん?」
彼女の表情を覗きこむように窺うと、
「…………へ?」
そこには驚愕などという言葉では足りない、あまりにも奇怪で強烈な状況があった。
大量の鼻血を吹き出していたのだ。
「ちょ! ちょ、ちょっと大丈夫ですかっ!?」
「へ、へいき、れす……ハァ……ハァ……こりぇ、くりゃい……な、なんてょもふべぇぅ!」
口元を覆った両手の隙間から大量の血が滝のように零れ落ちる。
「あぁぁあぁああぁああぁっ! ちょちょちょちょっと待って待って待って待って!」
パニックに陥った幸太は咄嗟に自分のグラスで由仁の血を掬う。だが見る見る鼻血で埋まっていった。一つではとても足りない。
「火恋! 店員さん! 店員さん呼んできてくれ早く!」
叫ぶ幸太。だが火恋は反応しない。なぜか口をぽかんと開けたまま茫然と固まっている。
この状況に動揺すらできないほど、すでに心を折られてしまったのか。
「おい火恋!」
勝手に火恋のグラスを手に取り、とまらない由仁の鼻血を掬いつづける幸太。
だが慌てる彼をよそに、火恋はなぜか……
「……ほれ」
自分の原稿を由仁に見せた。
「ぶふぇぅッッッ!」
「だぁぁあぁあぁぁッッッ!? な、ななななにしてんだお前ぇぇぇぇぇぇッ!」
再び盛大に鼻血を吹き出す由仁。もはやテーブルは阿鼻叫喚と流血三昧の地獄絵図だ。
だが、その中でただ一人、火恋だけはなぜか嬉々とした笑顔を浮かべながら、
「こ、こ、ここここ、幸太! 幸太! 幸太っ!」
とても嬉しそうに幸太の肩を揺すりだした。
「な、なんだよ! あとにしろ! いまはとにかく早く店員さん呼んでこ」
「この子ちょろい! すごいちょろかわいい!」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろうがぁッッッ!」
幸太は初めて友人に本気の怒りをぶつけた。