本編

 少女を助けてくれたのは、彼女を追い回していた少年と警官だった。現場を目撃した彼が近くの交番へ駆けこみ、警官を連れてきてくれたのだ。
 少女は二人とともに交番へ移動して少し休んだあと、警官に事情を説明。それが終わると少年に付き添われて帰路についた。
 だが、気持ちはいまだに恐怖と安堵の狭間で揺れ動き、まったく落ち着かない。夢心地のように意識がふわふわしていて、歩くことにすら苦労する始末だ。
 そんな彼女の様子を不安に思ったのか、少年が近くの公園で休んでいこうと提案。少女はどうすればいいのかわからなかったが、その頭は反射的に頷いていた。
 二人は、國立駅へ向かう途中にある一矯大学へ入り、敷地の奥にあるグラウンドへ向かう。そこは誰でも利用できる場所で、二人の高校の陸上部などもよく練習で借りている。
 グラウンドに隣接する広場には、木製の大きなテーブルと長椅子のセットが4組。その一つに腰を下ろした少女は、グラウンドで走り回る中高生たちの姿をぼんやり眺めていた。

「お待たせしました。これどうぞ」

 近くの自販機から戻ってきた少年が、缶ジュースを少女に差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 少女が受け取ると、少年が向かいに座る。そしてさっそく自分の缶ジュースを開けると、

「……え?」

 そのまま気合でも入れるかのように一気に煽った。―――炭酸飲料を。

「ッ! げほっげほっ! げほっぇ!」

 喉の刺激に耐えきれなくなった少年が盛大にむせ返る。

「だ、大丈夫ですか!」

 思わず身を乗り出す少女。
 少年はしばらく咳きこんでいたが、すぐに落ち着き、そのまま炭酸飲料を飲み干した。

「……い、いったいどうしたんですか? 突然一気飲みなんて……」
「いや……ちょっと気合を入れようと思いまして……」

 あまりにも意味不明な理由に、ぽかんと黙りこむ少女。
 だが、少年の奇行はこれで終わらなかった。
 彼は空き缶を捨てて、テーブルに戻ってくると、

「本当にすみませんでしたぁッ!」

 いきなりテーブルに両手を叩きつけ、本日二度目、累計数十回目の土下座を披露した。
 同時に、聞くに堪えない鈍く巨大な音が響く。あまりに勢いをつけすぎた少年が、そのままテーブルに頭突きをかましたのだ。

「ちょ……ッ!?」

 驚き、絶句する少女。
 直後、少年が小刻みに震え出し、微かに啜り泣く声も聞こえてくる。だがその土下座はまるで崩れない。

「なんだなんだ?」「何事?」「あれか?」「お! 修羅場か!?」「男のほうが浮気して土下座って感じ?」「彼女すてるとか最低……」「ってか女の子のほう、レベル高くね?」

 周囲の大学生たちの視線が、二人に集中し始める。

「わ、わかりました! わかりましたから、やめてください!」

 居た堪れなくなった少女が懇願すると、少年は額を擦りながら顔を上げる。現れた表情はまるで泣き腫らした後のようだった。
 もちろん少女は相変わらず何もわかっていない。
 だが、とりあえず「わかった」といえば、彼はこちらの言うことを聞いてくれる。最近それだけはわかってきた。

「……いきなりどうしたんですか? 炭酸飲料一気飲みしたり、土下座したり……」

 土下座はいつものことだが。

「……いえ、その……さっきのこと謝っておかないとな、って思いまして……」
「さっきのこと?」
「えっと……やたら追い回さなきゃ、たぶんあんなことにはならなかったから……」

 頭を垂れながらぼそぼそ言葉を紡ぐ少年。どうやら先ほどの一件を自分のせいだと思っているようだ。
 素直に謝罪するあたり、根は意外と普通な人なのかもしれない。
 だが、そう思うと余計、非常識な行動に及んでまで自分に執着している理由が気になる。
 だから、少女は尋ねた。

「……なんでそんなに私に顧問になってほしいんですか? それに顧問って普通、先生がなるものだと思いますけど……」
「俺らの活動は同好会なんで、顧問の先生は必要ないんです。部活じゃないんで。ただ、ほかに呼び方がないから顧問って呼んでるだけで……」
「じゃあ、私になにしてもらうつもりで顧問なんて頼もうと……」

 ある程度、予想はつくが。

「ライトノベルの書き方を教えてほしいんです」

 少年は力強く即答した。微かに涙がにじむ瞳で少女を見据えながら。
 だが、彼女に驚きはない。予想した答えの一つだったからだ。
 大方、同じ高校にプロが入学したのを知って、頼んでみようと思ったのだろう。
 もちろん受けるつもりなどない。それに今は自分のことで手一杯だ。
 少女は断るタイミングを図りながら、少年の話に耳を傾ける。

「俺たち……ああ、同好会は俺ともう一人でやってるんですけど、高校卒業までになんとしても新人賞を取りたいんです。でも、今まで一次選考を突破したのも1回だけで……このままじゃダメだ、なんとかしないとって二人で話してたときに、霧島さんがうちの高校に入学したのを知って、これしかないって……」
「なんでそんな急いで……高校を卒業した後でも新人賞はめざせます。いま実力が足りないからって、そんな焦る必要もな」
「ダメなんです!」
「いぃ…………ッ!?」

 予期せぬ激しい返答に、少女は思わず身を引いた。

「俺らは高校卒業までしかチャンスがないんです! だから……ッ!」
「え、いや……あの……」

 少年の急変に、狼狽を隠せない少女。
 自分も同じ夢を持っていたから、わかる。
 彼の口調、態度、そして目の色は本気だ。
 本気で高校までに受賞しなければならないと考えている。
 理解ができない。いったいなにが彼をそこまで追い立てるのか。
 年齢か? 確かに年を取ると受賞できないと勘違いしている人は多い。だが10代で心配することではない。
 では進路か? 仕事をしながら創作を続けるのは難しいという固定観念から、就職をタイムリミットに設定する人は一定いるらしいが。

「……先輩は高校を卒業したら就職するんですか?」
「え? いや、まだ特に考えてないですけど……」

 違う。ではなんだ?

「……なんで私に教わりたいんですか? 今は専門学校とかもたくさんあるのに」

 気がつくと、少女はそう尋ねていた。
 かつての自分と彼が重なったことで感情移入を起こしたのか、彼が下心から頼んでいると決めつけていたことを恥ずかしく思ったためか……断ると決めていた気持ちが、無意識のうちに揺らいでいた。

「え、えっと……」

 少年はガラケーを取り出してなにやら操作した後、恥ずかしそうに少女の前に置く。
 そこにはツイッターのアカウントが表示されていた。
 霧組―――。自分の非公式ファンクラブアカウントだ。
 受賞作が発売された次の日には立ち上がっていたらしいが、詳しいことは不明。つぶやきは管理人による作品の魅力紹介を中心に、新刊やグッズの販売情報がメイン。
 フォロワーは1万と少し。ファンが自分たちを「霧組」と呼ぶくらい、その影響力は強い。
 実は少女もプライベートアカウントでこっそりフォローし、定期的に覗いている。
 つぶやきから垣間見える異常なまでのファン愛には背中が薄ら寒くなることすらあるが、眺めているとやはりうれしいものだった。

「これって……」
「こ、こんなアカウントを運営するくらいには……その、好きでして……」
「え゛?」

 突然の告白に思わず少年を見る少女。彼は恥ずかしそうに視線を逸らしながら頬を掻く。

(……え? ちょ、ちょっと待って……確かここの管理人さんって……)

 少女の直感がにわかに疼きだす。
 瞬間、彼女の脳裏に一つの人影が思い出とともに過った。

「あ! あなた、もしかして最初のサイン会で最後に並んでた……」
「……は、はい、まぁ……」

 思い出した。彼はサイン会の常連の一人だ。いつも最後尾に並んでは、誰よりもたくさん話して帰っていく、でも地味すぎて全く印象に残らなかった少年。
 少女はようやく理解した。なぜ彼が自分に顧問になってほしいのかを。
 過去のツイッターのつぶやきを少しでも思い返せば、わかる。
 彼の自分の作品に対する愛は……憧れは……
 紛れもなく本物だと。

「……」
「……あ、あの、霧島さん?」

 黙りこんだままの少女を心配してか、発言が失礼だったかと不安になったのか、少年が恐る恐る声をかける。
 だが、彼女は無言のままだ。うつむいて何事か考えこんでいる。
 少年はただ静かに、答えを待つ。
 ―――ほどなくして、沈黙は破られた。

「……少し」
「え?」
「……少し、時間をください」



     *



 幸太は連絡用に携帯のメールアドレスを交換してから、少女と別れた。
 帰宅後、夕飯と風呂を終え、ベットに横になる。ついさっきまで宿題と明日の予習をしていたが、まるで身が入らず早々に投げ出した。
 気持ちが落ち着かないのだ。

(……断られると思ってたけど)

 彼女は「時間をください」と言った。つまり考えてはくれるということだ。
 正直ダメ元だった。校内がダメなら校外でと屁理屈をこねてストーカー同然の振る舞いを繰り返し、今日に至っては危険な目にも遭わせてしまったのだから。
 枕元のガラケーを手に取り、アドレス帳を開く。
 さ行の1ページ目に登録された「霜月悠奈」の名前。霧島由仁の本名だ。
 憧れのライトノベル作家の連絡先を目にすると、優越感にも似た恍惚とした不思議な気持ちがこみ上げる。

(っと、違う違う! そんなことのために交換したんじゃない!)

 頭を振って雑念を振り払う幸太。

(それに、まだOKしてくれたわけじゃない。断られたら、また次の手を考えなきゃ……)

 そう。彼女に頼むことがゴールではない―――。幸太は自分に言い聞かせる。
 それから数日、彼はなにも手につかない生活を送り続けた。
 食事中は常に携帯を開きっぱなし。授業中も数分に一度、メールが届いていないか確認。時が経つにつれ、その頻度はどんどん多くなっていった。
 そうして迎えた月末。4月30日。
 6限目の途中に、こっそり机の下で着信を確認する。

「―――ッ!?」

 メールが1件、届いていた。
 差出人。霜月悠奈。

「……せ、先生」

 気がつくと、幸太は手を挙げていた。無意識の行動だった。
 それを、問題を解く意思表示だと勘違いした数学教師は、

「お……お、お……お、おおぉっ! な、長月が手を挙げるなんて……っ! 授業中は寝てばかりでキャバ嬢より興味なさそうにしか話を聞いてくれなかったあの長月が……っ! そうかようやく先生の言うことをわかってくれて……うぅ! 先生はうれしいぞ! よしじゃあせっかくだ! お前に解いてもらおう! さっそく前に出てき」
「ト、トイレ行ってきていいですか?」

 勝手に熱弁を奮い出した教師を置いて、幸太は足早に近くのトイレへ駆けこむ。
 最奥の個室に入ると、携帯を折らんばかりの勢いで開き、メール受信画面を確認。
 霜月悠奈からのメールが、確かに届いていた。
 思わずつばを飲む。心臓が走るように跳ね出した。
 汗が止まらない。手が震える。新人賞の結果を確認する前のような心境だ。いやそれよりも数倍、数十倍の緊張感が身を縛っている。
 メールを開こうと親指が動く。だが、すんでのところで止まる。
 もしイエスならいい。だがノーだったらどうする? 耐えられるのか? 無理だ。そんな自信はない。どうする? 見るのか? 見たい。でも見たくない怖い。見ろ。いやだ。どうしたらいい。見たい見ろ開けろ早くいやだ怖い見たくないでも見ないと……。
 気持ちが落ち着かないまま10分が経った頃。幸太は覚悟を決めた。

(ど、どっち……)

 震える親指がついに決定ボタンを押し、メールが開かれる。彼は反射的に目を閉じた。
 そして、恐る恐る片目を開く。

「……ッ! お……お、お、お…………」



『やるからには、本気で獲りにいってもらいます』



「お……っ、しゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!」

 放課後、彼が担任から激怒されたのは、言うまでもない。
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