本編

◯4月下旬 國立市内

(……どうしよう)

 コンビニ前から逃げ出した少女は今、高校の裏手にある駄菓子屋にいた。
 走り回ってさすがに喉が渇いたのだろう。両手でスポーツ飲料のペットボトルを大切そうに握り締めている。

(そういえば、いま何時だろ……)

 嫌な予感を覚えつつ、リュックから携帯を取り出し、時間を確認。16時。校舎を出たのは15時だ。
 かれこれ1時間も逃げ回っていた事実に、ため息を零す少女。仕事―――編集との打ち合わせは、これで遅刻確定だ。
 少し休むと少女は駄菓子屋を離れ、とりあえず駅につながる学園通りをめざす。

(でも……通りに出たあとはどうしよう)

 今度は迂回せず正面から駅をめざすか? それとも國立駅とは真逆の矢保駅へ向かうか?
 だが、どれほど裏をかいても、これまで尽く先回りをされてきた。どんな選択の先にも彼が待ち受けている気がしてならない。
 どうする? どうする? 少女は黙々と考えながら歩きつづける。

「きゃ……っ!」

 まもなく学園通りというところで、なにかにぶつかった。

「痛……ッ、ってぇなぁ。誰だぁ?」

 柄が悪い男の二人組だ。大学生だろうか。
 東京都から文教地区に指定されるほどの学園都市・國立市は、偏差値の高い高校や大学が多いため、いわゆる不良はほとんどいない。だが、もちろんゼロではない。
 少女はろくに前を見ていなかったため、二人が脇から出てきたのに気づかなかった。
 ―――そして、彼女の失態はそれだけではなかった。

「……おい。てめぇどこ見て……って、あぁ! なんだよこれシャツ濡れてんじゃねぇか!」

 二人組の一人、茶髪の男のシャツやジーパンの所々に大きなシミができていた。少女のペットボトルの中身が衝突した時にかかってしまったのだ。

「だっはは! ダっせぇ! 漏らしたみてぇ!」
「うるせぇ黙ってろ!」

 もう一人の黒髪の男に煽られた茶髪の男が激昂。怒りに満ちた視線を少女に向ける。

「……おいあんた。どうしてくれんだよコレ?」
「す、すみません……そ、その、急いでて……ホントにすみません! ごめんなさいっ!」

 突然の事態にどうすればいいのかわからず、ただただ必死に頭を下げて許しを請う少女。

「あのさぁ。こういうのってさぁ……謝れば済む問題じゃないよなぁ? キミ國高の子? だったら頭いいんだからわかるよなぁそれくらい? あぁ!?」
「ひ……ぃ、っ!」

 どうやら謝罪程度で収まりそうにはない。

「おいおい、あんまりいじめんなって、かわいそうじゃん」
「おまえは黙ってろ」
「ってか、この子、よく見なくてもめちゃくちゃかわいいじゃん。ねぇキミさぁ、いまから時間ある? これからどっか一緒に遊びに行こうよ。そうしたらこいつにお漏らしさせたの、俺のイケメンに免じてチャラにしてあげるから」

 割って入った黒髪の優男が、軟派な口調で少女に話しかける。
 だが穏やかなのは口調だけだ。彼の言動や表情に、少女は身を潜めて獲物を見定める蛇のような薄気味悪さを感じた。
 茶髪の男は、怖い。が、この黒髪の男は……不気味だ。
 怪しい笑顔で迫る優男を前に―――少女は反射的に駆け出した。

「おおっと!」
「痛‥…ッ!」

 だが読まれていたのか、同時に右腕をつかまれてしまう。

「残念でしたぁ。バレバレだよバ・レ・バ・レ。逃げるならもっとうまくやんないとねぇ。っていうか、なんでオレが話しかけると、いつもみんな逃げ出そうとするのかねぇ? お前のほうが顔イカついし体デカいしゴツいしで、ぜったい怖いと思うんだけどなぁ」
「知るか。まぁいい、そいつ逃がすんじゃねぇぞ」
「は、はなし、て……ぇ、っ!」

 腕を引き抜こうと抵抗するも、細身からは想像もできない男の強力にびくともしない。なら叫んで助けをと思ったが、1時間に及ぶ逃亡で渇き果てた喉からはまともに声が出なかった。
 すぐに抵抗する体力が尽きかけ、心が恐怖に押し潰されかけた……その時だった。

「おまわりさんこっちです! 早く早くッ!」

 誰かが叫んでいる。その声は次第に大きくなっていき、

「おい。この声……」
「……ありゃりゃ、バレたみたいだねぇ。逃げるかぁ」

 二人の男は少女をその場に残して、一目散に駆け出した。

「だ、大丈夫ですか!」

 直後、少女のもとへ誰かが駆け寄り、彼女に何度も大声で呼びかける。
 だが、その声は届かない。
 少女は焦点の合わない瞳で、ただ地面を茫然と見つめ続けていた。
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