本編

 弁当を食べ終えた幸太は、飲み物を買おうと近くのコンビニへ向かった。

(くそ……なんなんだよあいつはほんといつもいつも……)

 先ほどの火恋の一言に愚痴を零しながら。
 彼女はいつも、幸太が恥ずかしいのも構わずにお節介を焼いたり、楽しんでいる雰囲気を冗談ひとつで容赦なくぶち壊したりしてくれる。
 いわば極めて鈍感な悪戯っ子。生後16歳児だ。少しも悪気がないから余計に質が悪い。
 そして、幸太にとってさらに悪いのが、

(………………こっちの気もしらないで)

 そんな彼女に恋い焦がれる自分がいるということ。
 火恋は、なんの躊躇もなくこちらへ急接近してくるくせに、手が届きそうで届かないぎりぎりのところで必ず急停止する。
 彼女に惚れる幸太にとって、それは毒でしかなかった。

(……やめよう。考えるだけで胃が痛い……)

 頭を振って雑念を振り払い、足早に歩を進める幸太。
 校門前の広場に入ると、新1年生たちでお祭り騒ぎだった。張り出されたクラス分けの前で一喜一憂する者。部活の勧誘に励む先輩たちと盛り上がる者。購入した教科書の量に入学後の苦労を突きつけられて項垂れる者。皆、大忙しだ。
 もっとも、去年の同じ日にやることやってさっさと立河のゲーマーズへ走った幸太には、眺めていて蘇る懐かしい思い出もない。
 一帯の喧騒を尻目にコンビニへ向かい、さっさと買い物を済ます。

(しかしホントどうするかなぁ……)

 帰り道、幸太は改めて今後の方針について思考を巡らす。

(卒業まであと2年……来年は受験もあるから実質この1年が最後のチャンス。でも、たった1年で万年一次落ちから抜け出す方法なんてなぁ……)

 ある理由から卒業までに受賞しなければならない二人にとって、残された時間は少ない。
 だから最近は、少しでも空いた時間ができると新人賞のことばかり考えていた。休み時間に入ったトイレで思考に没頭し、授業に遅刻したことも何度かある。
 もっとも、そこまでして湧かなかったアイデアが、今すぐ閃くわけもない。
 幸太は校門を潜り、まっすぐ食堂へ向かう。気晴らしにかわいい新入生でも探しながら。

(……うーん。みんなレベル高いけど、やっぱり同じに見える。二次元ヒロインはみんな顔が同じって言われるけど、現実だってそうだよなぁ。どっかで見たアイドルっぽいというか……もっとこう、その子らしさがほしいというか……。そうそう、あの子みたいな…………ん?)

 新入生を物色していた幸太の足が、ぴたりと止まる。
 視線の先にあるのは、本棟1階の入り口から外へ伸びる列。スマホをいじりながら教科書の購入を待つ新入生たちだ。
 その中に一人、両手で大事そうに抱えた文庫本を読んでいる少女がいた。
 自分より頭ひとつくらい小柄で細身の体型。陽光を反射して薄っすら青色を帯びる綺麗な濃紺の髪を、空色のリボンで緩くポニーテールに結んでいる。どこか小動物を思わせる愛らしい小顔にスクエアフレームの眼鏡、服装は薄手のパーカーにチェック柄のスカート、そして黒のストッキング。パーカーはサイズが大きいのか萌え袖気味で、それがまた可愛らしい。
 一人だけレベルが違う容姿のためだろうか。怪しまれない程度に彼女へ視線を向ける男子もちらほら目につく。
 だが、幸太が彼女を見つめているのは、その魅力に惹かれてのことではなかった。
 どこかで見たことがある。そう直感が告げていたのだ。
 でもどこで見た? まるで思い出せない。
 なら人違いか? ……いや自分は絶対に彼女を知っている。さっきからなにかが脳裏に引っかかっている。ひとつの映像だ。
 これは? 一体いつのことだ? ……そう、たしか数ヶ月前だ。
 場所は―――

「―――ッ! あぁああああぁぁあぁぁぁあああぁあぁぁぁぁッッッッッ!」

 幸太の叫びに周囲が一瞬にして沈黙。全員の視線が彼に集中する。
 件の少女も、驚いた表情で彼のほうを向いた。
 その表情が一瞬で青ざめる。
 幸太が彼女めがけて一目散に駆け寄ったからだ。

「ひぃぃぃぃッ!?」
「マ、マ、ママ、マ、ママママジで!? マジでマジでマジで!? マジでウチに入るんですか!? 絶対そのまま専業になると思ってたのに! マジでこれどんな奇跡!? ヤバイってヤバすぎますって! あっそうだ! 5巻の出版、改めておめでとうございます! 今回もほんと最高でした! 序盤中盤終盤まったく隙がないどころか息をつく暇もなくてオリオン近くのカフェで酸欠で倒れちゃいましてホントそれくらいすごかったです!!」
「―――ッ!?」

 幸太が捲し立てはじめた途端、少女の表情が一変した。
 その瞳が驚愕によって見開かれる。まるで秘め事を見抜かれたかのように。

「いやでもホント5巻はマジで驚きましたよ!! ミーシャの正体が海獣だっていうのは薄々気づいてたんですけど、まさかユランまでミーシャの眷属だったなんて! ってことはあれですかやっぱりカイルの天性の勘は海獣の血が流れてるからなんですかね!?」
「あ、あの……」
「っていうか今回シルさんかっこかわいすぎません!? パンデモニウムの海龍族との一戦あれホントやばすぎますって!! 4巻のとき泣きすぎてページ濡らして破れちゃったんで、5巻は保険で10冊買ったんですけど、もう全部しわしわになっちゃいましたよ!! あのシーンで毎回号泣して先が読めなくなっちゃって、そっから先に進むまでに5冊くらいダメにしちゃって申し訳ないというか……」
「ちょ、ちょっと……」
「あーあと!! 5巻といえばやっぱりラス前の二番艦と四番艦との一戦!! 誰よりもシルさんのこと買ってたライエとの一戦!! シルさんのこと裏切り者だと言いつつも、心の底ではまだシルさんのこと信じてるあの葛藤に悶える姿がいじらしいというかいつも姉御肌で勝ち気な姉さんのあんな姿を見せられたら、もう胸が痛いどころか」
「待ってください!」

 少女が、叫んだ。
 エスカレートして我を失っていた幸太を、あっさり現実へ引き戻すほどの大声で。
 そして……沈黙。
 幸太は、ただただ茫然と少女を見下ろす。

「……ちょ、ちょっと来てくださいっ!」
「え? ……うわっ!」

 小声で、だが拒否を許さない断固とした口調で命じると、少女は幸太の腕を取りその場から逃げ去るように校舎の奥へと駆け出した。
 あまりに突然のことに、彼は引かれるがまま、彼女についていくしかなかった。
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