本編

◯3月27日 國立高校 運動施設棟1階 食堂

 少年が少女と出逢ったのは、高校1年の3月下旬にまで遡る。
 学校は春休みに入り、新入生を迎える準備で慌ただしくしていた。その日も受験を乗り越えた新1年生が、教科書など入り用のものを購入しに来ており、甚く賑やかだった。

「……それで? なにかいい手は思いついたの会長さん?」
「火恋もちょっとは考えろよ。副会長だろ」

 そんな校内の奥、運動施設棟の一階に入った食堂で、少年は一人の生徒と話していた。二人仲良くテーブルに顎を乗せながら。

「それ幸太が勝手につけたんじゃん。あたしは同好会つくりたいっていうから名前を貸してあげただけなのに」
「しかたないだろ。同好会でも会長と副会長は必要だっていうんだから」
「……校則は上履き履け以外ないくらいゆるいのに、そういう無駄なとこ細かいよね、うちの学校」
「ってか、そんなことどうでもいいんだよ。お前も本気で受賞したいなら少しは協力しろ」
「そうはいうけどさぁ……そんな簡単に打開策ぽーんって出る頭もってるなら、お互い万年一次落ちなんて状況にはなってないと思うんだよねぇ」
「……言うなよ。虚しくなるだろ……」
「幸太が中1から8回、あたしが中2から6回……」
「……やめい」
「合計14回の応募で一次選考を突破したのは1回だけ……」
「……だからやめい」
「3年以上やってまったく成長してないってねぇ……」
「いやぁぁああぁぁぁやめてぇぇええぇええぇぇぇぇえぇぇぇッ!」
「それでラノベ同好会の会長とかっ」
「笑ってんじゃねぇよお前も同じだろッ!」

 少年―――長月幸太の猛烈な抗議にも、彼女はけらけら笑うばかり。まるで堪えていない。
 少女の名は、如月火恋。女子高生にしては高めの身長に細身だが抜群のスタイル、緋色に近いブラウンの短髪、そして身なりはシンプルなTシャツにジーパンと、外見はかなりボーイッシュ。性格は快活で裏表がなく、元気印を擬人化したような少女だ。おまけに勉強も運動も学年トップクラス。同性異性を問わない学年きっての人気者である。
 そんな彼女とはまるで釣り合わない、どこからどう見ても地味一色で冴えない幸太が一緒にいるのは、同じ同好会に所属しているからだった。
 ライトノベル同好会。
 幸太が入学直後に火恋を誘って立ち上げた会だ。
 その活動内容は、ライトノベルの創作。目標は、在学中に新人賞を獲ること。
 だが二人の成績は散々で、これまで一次選考を突破したことすら幸太の一度だけ。
 そのため新学期からのリスタートへ向け、抜本的な対策を模索するために開かれたのが、今日のミーティングだった。

「じゃあそうだなぁ……小説の書き方みたいな本を読むとか? ほらいっぱい売ってるよ」

 火恋は幸太の前にスマホを置く。画面には巨大通販サイトの検索結果一覧、小説の書き方をテーマにした指南本が大量に並んでいた。
 だが幸太の表情は渋い。

「うーん……こういうのってなんか胡散臭くないか?」
「っていうと?」
「そもそも小説の書き方に正解なんかないだろ? でもこういう本は『これが正解』って書いてる。その段階で信用ならないっていうか」
「っていうか幸太の場合、プロが自分と同じことやってるの知って安心して終わりそうだから向いてないかもね」
「う、うっさいわ!」
「じゃあねぇ……こういうのは?」

 火恋が次に見せたのは、セミナー募集の告知ページだ。ライトノベル作家の志望者が集まり、互いのプロットを叩き合い、最後にプロ作家が講評してくれる、そんな内容だった。

「……これこそ胡散臭いだろ。そもそもこの作家さん、誰だ? 名前、聞いたことないぞ」
「わがままだなぁ。じゃあどうしたいのさ?」

 両頬をぷくっと膨らませ、器用にジト目で幸太を睨む火恋。

「そうだなぁ……やっぱ見てもらうなら人気も実力もあってかわいい子がいいよな! そうたとえばいま人気絶頂! 中学生にしてGB文庫6年ぶりの大賞受賞! デビュー作は今年中に50万部とアニメ化が確実! おまけにそこらのアイドルどころかハムスターすら足下にも及ばないくらい超絶かわいくてやさしくて愛らしくてお淑やかな霧島由仁ちゃんとか霧島由仁ちゃんとか霧島由仁ちゃんとか霧島由」「水とってきたよ」「聞けよッッッッッ!!」

 いつのまにか席を立っていた火恋に、今日一番の怒りをぶつける幸太。

「だぁってぇ……幸太、霧島由仁のことになると話、長いんだもん」
「当然だろ。あのすばらしさを語り尽くすには、どれだけ時間があっても足りない。ツイッターのつぶやき10万を超えてもまだ褒め足りないくらいだ。……あぁでも再来月また新刊が出るから、少なくとも1巻の感想だけでもそろそろ終わらせないと……でも第3章の神展開だけでもたぶん3ヵ月はかかるってのにどうすりゃいいんだぁぁぁぁぁぁッ!」
「……ほんとにね。すごいと思うよ。作品を1行ごとにまったくかぶらないコメントで褒められるのもう才能だよね」
「お前ホントはちょっと気持ち悪いと思ってるだろ」
「だいぶ」
「……ああそうだよそうですよ俺は気持ち悪いですよ。由仁ちゃんのおみ足で足蹴にされたいとか太腿に挟まれたいとか罵倒されたいとか耳たぶ噛んでほしいとか首すじ舐めてほしいとか思ってますけどそれがなにか!?」
「妄想がポジティブなほうにいかないあたり、もう手の施しようがないよね」
「うっさいわあぁぁぁあぁあぁぁッ! なんか文句あんのかぁぁああぁぁああぁぁうわぁああぁぁあぁぁッッッ!」

 居たたまれなくなり号泣する幸太。

「まぁまぁ。そうイライラしない」
「お前がさせてんだろ……」
「ほらおなか空いてるのがいけないんだって。というわけで、ほいお弁当」
「……」

 まるで悪びれない火恋。
 対する幸太の怒りは、

「…………さんきゅ」

 彼女がすっと差し出した弁当箱を前に、一気に沈んでいった。まるで魔法のように。
 実際、それは魔法の弁当箱だった。
 特に頼んだわけでもないのに、両親が共働きでコンビニ飯ばかりの幸太を見かねた火恋は、いつからか自分の弁当のついでに幸太のぶんもつくるようになった。
 最初は恥ずかしさから受け取るのを拒んだ彼も「じゃあ捨てるしかないかぁ」という火恋の一言に負けて渋々完食。以来、それが毎日の日課となった。明日はいらないと言っても聞く耳を持たなかったので、今はもう断るのを諦め、弁当代を払って気持ちの整理をつけている。
 だから幸太は、火恋の弁当を前にすると、彼女に頭が上がらなくなる。

「「いただきます」」

 ミーティングをいったん中断し、昼食を取る二人。中身は五目飯に厚焼き玉子、夕飯の残りと思しき小さなハンバーグに野菜炒めとシンプルだ。

「おいしい?」

 臆面も躊躇もなく感想を求める火恋。
 幸太は、ただ無言で顔を逸らし、弁当に集中する。いつものように。頷くことすらなく。年頃の彼にとって、その質問は拷問に等しい。
 だから火恋は、幸太の感想を一度も聞いたことがない。
 だが、そんな彼の様子を眺めながら、彼女はいつも満足げな笑顔を浮かべていた。見れば分かるとでも言わんばかりに。
 周りのどこよりも騒がしかった二人のテーブルが、無言に包まれる。
 やや赤ら顔の幸太と、涼しい微笑みを浮かべる火恋。
 静かに流れる、甘酸っぱい時間。
 それは照れくさい……けど、ある理由から、幸太がなによりも好きな時間だった。
 ―――そんな彼にとって至福とも呼べる雰囲気を、

「いやぁ。それにしてもさ」

 火恋がいつものように、木っ端微塵に打ち砕いた。

「幸太ってほんと安いよね。原価50円未満のお弁当でなんでも水に流してくれるんだから」
「お前いまここでそれ言う!?」
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