本編

 コンビニを出た車は、矢保天神の前を左折して國立附中インター方面へ。途中で右に折れて青果市場の前を通過し、ひたすら直進。附中四谷橋を渡り、先の信号を右折して京桜線の百草苑駅を過ぎる。そして高畑不動駅が見えてきて……
 目的のマンションの前に到着した。
 悠奈の自宅だ。

「……ほ、ほんとに行く、の?」

 道中高まり続けた緊張が頂点に達し、尋ねる声が裏返る。

「ここまで来て弱気になってんじゃねぇよ」
「い、いや来たっていうか、俺は連れてこられただけ……」
「お前はいざってときに弱気になって尻込みするタイプだからな。さっきも夜遅いから迷惑だとか言いかけたろ。だから無理やり連れてきた。そうじゃなきゃ、お前はいつまでも逃げ続けるだけだ。その逃げ癖をここで克服しろ」
「……」

 自分の性格を見事に見抜いている佳苗に、言葉もない幸太。

「まぁとはいえ、いきなり相手の家に行くのはハードル高いだろうからな。私が霜月を呼んできてやる。お前は、そうだな……さっき通りかかった公園あったろ。あそこにいろ」
「わ、わかったよ……」

 二人は車を降り、幸太は指示通り近くの公園へ。佳苗は悠奈のマンションに向かった。
 公園はマンションから徒歩1分ほどの近場にあった。砂場とブランコと滑り台しか遊具のない小さな市営公園だ。
 一つだけ置いてあったベンチに腰を降ろす。
 人はいない。灯りもない。蝉も鳴かない。
 静かだ。
 ―――途端、幸太の頭を弱気が過った。いまここで帰ってしまえば……と。

(……ッ! だ、ダメだダメだ! かなちゃんにも言われただろ!)

 頭を振って雑念を払う幸太。
 じっとしていると逃げ癖が顔を出してしまう。そう思った彼は、ブランコのひとつに座って軽く漕ぎ出した。
 だが、いざ悠奈と顔を合わせたら、何をどう話せばいいのか。そもそもどんな顔をして彼女に会えばいいのだろう。俯きながら必死に考える。
 どうすれば……どうすれば……。
 ―――しかし、その答えを導くには、彼には肝心のものが足りなかった。
 時間が。



「……あの」



 突然の呼びかけ。咄嗟にブランコを止める幸太。
 聞こえたのは、どこか物怖じしたような、しかし芯のある、聞き慣れた声だった。
 途端に競り上がる緊張感。思わずつばを飲む。喉が驚くほど大きく鳴った。
 ……恐る恐る、頭を上げる。
 目の前には、Tシャツとジャージ姿の、一人の少女が立っていた。

「……あ」



 悠奈。



 実に1ヵ月ぶりに顔を合わせる、憧れの後輩が。

「……お、おひさしぶりです」
「……お、おひさしぶりです」

 挨拶する悠奈。オウム返しで応える幸太。
 だが、どちらも後が続かない。
 無言のまま、ただ無言のまま、互いに俯き加減で向かい合う。
 1分。
 ……2分。
 …………3分。

「……あ、あの」

 先に口を開いたのは、幸太だった。

「このあいだは……すみませんでした……締め切り何度も破って……悪いのこっちなのに、その……逆ギレして……勝手なことばっか言って……」

 謝罪の言葉とともに、深々と頭を下げる。
 まるで整理されていない、しかしだからこそ真摯な言葉が、夜陰に響く。
 悠奈は、なにを思うだろうか。
 怒りは収まらないだろうか。今更なにをと呆れているだろうか……。
 願わくば、また元の関係に戻れるように……その思いと共に、ブランコで頭を下げたまま、ただひたすら彼女の言葉を待つ。
 続く沈黙。
 脈打つ心臓の音だけが、耳に届く。
 そして―――1分後。
 悠奈が応えた。



「……わ、私のほうも……すみませんでした……」



(……え?)

 意外な一言に、幸太が顔を上げる。
 悠奈は……頭を下げていた。
 怒るでも、呆れるでも、悲しむでもなく。
 幸太と同じように。

「え……なん、で?」

 疑問は、気がつけば口をついていた。

「え、えっと……」

 どもりながら、答えに困る悠奈。
 やがて彼女は、やや恥ずかしそうに、しかしはっきりと、その理由を教えてくれた。




 ―――始業式前。幸太と火恋がまだ自転車置き場にいた頃。
 悠奈はすでに学校にいた。二人と顔を合わせるのを避けるため、朝早く登校していたのだ。
 だが、彼女は今、教室にいなかった。
 中庭に置かれた木造りのベンチに腰をかけている。

(……)

 その表情は、暗い。
 理由は、文化祭にあった。
 下駄箱からクラスへ向かった彼女の足は、教室から漏れる音や声を耳にした時、はたと立ち止まった。

(お店の制服、結局どうする?)(うーん……今からつくるのは間に合わないし、かといって買うだけの予算もないし……)(あそこのファミレスで借りてくるとか?)(えーやだよ。あそこの制服ダサいじゃん)(だよねぇ……)(じゃあ、諦める?)(でも、せっかくここまで作りこんだんだから、制服も妥協したくないよね)(((((ねー)))))

 どうやら文化祭の準備が間に合っていないらしく、始業式の朝だというのにクラスメイトたちは準備で忙しない。
 悠奈はしばらく教室前の廊下に立っていたが、中へ入る勇気が湧かず、中庭へ避難。始業式まで時間を潰すことにした。

(……みんな、あんなに頑張ってる)

 クラスメイトたちの姿に、不意にあのときの……幸太と衝突した夜の一幕が脳裏を過る。
 ―――後悔とともに。
 この高校は本当に文化祭に力を入れている。自分にとってのライトノベルのように。
 それを「たかが文化祭」などと貶められれば、怒りに震えて当然だろう。
 謝らなければならない。ちゃんと。
 でも……どうやって?
 今さら面と向かって幸太に会う勇気など、悠奈にはなかった。由仁に頼ることも考えたが、それは許されない。謝るべきは自分なのだから。
 結局、答えは見つからないまま時間が限界を迎え、彼女は教室へ向かった。



「……クラスのみんなを見て、わかったんです。うちの高校の人たちって、本当に文化祭を頑張ってるんだなって……」

 隣のブランコに腰を下ろした悠奈が、強張った声で間を置きながら語り続ける。

「でも、私……入学式で失敗して……友達ができなくて……夏休みに何度か準備を手伝いに行こうとしたんですけど、でも……ダメで……そんな時、先輩から締め切りが遅れますって連絡をもらって……正直うらやましくて……クラスのみんなと楽しんでるのが……それで……我慢できなくて……カチンときちゃって……」
「そ、そう、だったんですか……。でも、入学式の失敗……って?」

 踏みこんでいいのか不安はあったが、幸太は尋ねた。

「……私、中学のとき友達いなくて……ライトノベルとかアニメとかゲームしか好きなものなかったんで……でも、それをみんなに知られると、馬鹿にされるんじゃないかって怖かったんです。……だから、どんな趣味でも馬鹿にされない高校に行きたいって思って、國高を選んだんです。去年の文化祭でメイド喫茶があったので、この学校なら大丈夫だろうって。漫研の展示とかも、普通に萌え絵とか並んでましたし。親も國高の偏差値なら喜んだので……」

 悠奈の告白を、ただ静かに聞き入る幸太。

「それで國高を受験して、合格したときは嬉しくて仕方なくて……これでやっとアニメやゲームの話ができる友達がつくれるはずって舞い上がっちゃって。……でも、入学当日の自己紹介で勇気が出なかったんです……名前だけ言って、そのまま終わっちゃって……そのあとも結局うまくみんなと話ができなくて……そのまま1学期も終わっちゃって……」

 悠奈の告白が続く。微かに涙を帯びた声で。
 その話に耳を傾ける幸太は……驚きに目を見開いていた。
 ―――同じだ。
 悠奈の抱えてきた悩み、そして行動は、昔の幸太とまったく同じだった。
 だからこそ彼には、彼女の苦しみが我が事のように理解できた。

「それで……夏休みに先輩たちがクラスの人たちと遊びに行くって由仁から聞いたとき、なんで時間ないのに……ってカチンときちゃって。その日の夜、由仁とも喧嘩になって。ミーティングはそっちの仕事だけど、原稿をレビューするのは自分だから、こっちのスケジュールに影響すること勝手に決めないでって。由仁は別にいいでしょって譲りませんでしたけど……。その頃、仕事でもかなりストレスかかってて、もう何が何だかわからなくて……ほんとにすみませんでした……」
「い、いや……どう考えても悪いのは、締め切り何回も破ったこっちですから……ほんと申し訳ありませんでした」

 お互いに謝罪を繰り返すと、場は再び無言に支配された。
 だが、先ほどまでと違い、もはや重苦しい空気は、そこにはない。
 今は重荷から解放された安堵感が、二人を包んでいる。
 その事実が、幸太に確かに教えてくれた。
 ようやく、もとに戻れたのだ、と。

「……原稿、順調ですか?」

 悠奈が尋ねてくる。その声にも不安や緊張は宿っていなかった。

「順調……なんですかね? 少なくとも火恋は順調だと思います。俺は正直、ちょっと悩んでるといいますか……」
「? なにかあったんですか?」
「実は…‥」

 幸太は作品をネット投稿サイトに掲載した経緯とその経過を悠奈に伝えた。

「なるほど。そういうことですね……」
「それで、実は火恋のヤツにも強く当たっちゃいまして……それは明日謝るんですけど、自分の作品は正直どうしたらいいのかわからなくて……」
「今までどおりでいいですよ」
「……え?」

 幸太の悩みの根深さとは対照的に、あっさり答えを口にする悠奈。

「今回はあくまで公募で編集者に読んでもらう前提の原稿ですから、ネット投稿サイトで評価されない可能性は十分にあります。気にしないで大丈夫です」
「で、でも、投稿サイトで不人気なら、公募も通らないんじゃ……」
「それはないです。編集者の好みと投稿サイトのユーザーの好みは別ですから。もしそこが一致していたら、売れないライトノベルはありません」
「……あ」
「そもそもネット投稿サイトのユーザーは、大半が読みたいものを読みにきてるので、基本それ以外には目を向けません。大量の作品が投稿されてるから探すのも面倒ですし。だから大半の作品は人目にふれることなく、埋もれ続けます。目を向けられるのはランキングの上位くらいです。ネット投稿サイトで読まれないのは作品の魅力云々ではなく、そもそもそういう場所だからです」
「な、なるほど」
「今回の先輩たちのターゲットは、あくまでも編集者です。編集者が気に入るものでなければ、受賞はできません。いまやるべきは、ネット投稿サイトで面白い作品ではなくて、編集者が面白いと思える作品をつくることです」
「わ、わかりました」
「あと、読まれてないから不人気っていうのは違います。ネット投稿サイトで大切なのは、一人でも読んでくれてる人がいれば、その人に楽しんでもらうことです。ブックマークを獲得したり、評価ポイントやアクセスを集めたりすることが目的になってはいけません。それはもう創作ではなくて、ただの自己満足です」
「は、はい」

 悠奈の言葉に、素直に頷く幸太。厳格なロジックに貫かれた彼女の論理は、安心と勇気を与えてくれる。
 これまでのように。
 きっと、これからも。
 会話が途切れた。公園の時計を見ると20時になろうとしている。

「……とりあえず、今日はもう遅いから帰りますね。夜遅くにすみませんでした」

 幸太はブランコから立ち上がろうと、腰を上げる。
 が。

「……え?」

 彼の動きが止まった。何かに体を引っ張られて。
 原因を確認しようと、ゆっくり横を振り向く。
 悠奈が彼のシャツの裾を掴んでいた。照れ臭そうに俯きながら。

「……し、霜月さん?」

 彼女の意図が読めず、また予想だにしない気恥ずかしい状況に、言葉を詰まらせる幸太。

「……から」
「え?」

 悠奈が何か呟いた。だが声が小さすぎて聞こえない。
 裾を握る彼女の手に力がこもる。
 離さない、離したくないと言わんばかりに。

「……こ、この1ヵ月……なにも、教えられなかった、から……」

 悠奈が繰り返した。小さいが、しっかり聴こえる声だった。

「い、いやでも……いま原稿ないですし……」
「……」

 咄嗟に口をついた切り返しがまずかったのか、悠奈が黙りこむ。
 戸惑いつつ、とりあえずブランコに再び腰を下ろす幸太。彼女の行動からそれだけは求められている答えだとわかった。
 だが、会話は戻らない。ただ夜風が木々を揺する音だけが月夜にさざめく。
 沈黙を破ったのは、悠奈だった。

「……さ、さいきん……なに、よみ……ました?」

 恐る恐る尋ねてくる。どこか恥ずかしそうに。精一杯に。
 その一言で、幸太は彼女が求めているものを理解した。

(これでやっとアニメやゲームの話ができる友達がつくれるはずって……)

 話したいのだ。
 自分の好きなことを。好きなだけ。好きなように。
 ―――いますぐに。

「え、えっと。最近は『喪国の刻聖姫士』や『ロスト・オブ・ジェヴォーダン』とか、あと昨日『過保姉』買いにいったくらいですかね」
「あ。私も今日『過保姉』買ってきました!」

 悠奈の目に輝きがあふれる。
 それから夜遅くにもかかわらず、二人は趣味の話で盛り上がった。



 同じ頃。

(……ったく。近所の迷惑も考えねぇで、デカイ声で騒ぎやがって)

 悠奈を幸太のもとへ送り出した佳苗は、木陰から密かに二人を見守っていた。
 口をつくのは溜め息。心に浮かぶのは愚痴。だが、その頬は緩み、表情は朗らかだ。

(さて。あとは如月の件だが……あの様子なら、まぁ大丈夫だろ)

 笑顔を取り戻した幸太と悠奈を眺めながらスマートフォンで時間を確認。間もなく20時30分。そろそろ幸太を自宅に届けないと、さすがに親も心配するだろう。
 ちょうど二人も話を切り上げて、ブランコを立った。
 佳苗も木陰を出て、二人のもとへ向かおうとする。……が、

「すみません。ちょっとよろしいですか?」

 背後から誰かに声をかけられた。

「あ? なんだうっせぇなこっちはいま忙し」

 振り返った佳苗が途端、言葉に詰まる。
 目の前に立っていたのは、年配だが体つきのしっかりした警察官だった。

「この近くの方から、子どもを付け狙ってる不審な人がいると連絡がありましてね。お話を伺いたいので、ちょっと交番まで来ていただけますか?」
「は? あ、怪しくなんかねえっての! 私はあの二人の学校の」
「話は交番で聞くんで、とりあえず来てもらいま…………ん? あなた、どっかで見たことある気が……」
「な、なに言ってんだ、私は別に手前ぇのことなんか知ら」
「あぁ思い出した! お前さては真名島だな! 昔このあたりで悪さしてた!」

 素性を見抜かれた佳苗は、思わず身を強張らせる。

「て、手前ぇ、なんで私のこと知って……」
「当たり前だろ。何度お前をしょっぴいたと思ってんだ。いやぁ懐かしいなぁ」
「しょっぴいた……って、あんた! も、もしかして、堂上のおっさん!?」
「おうよ。昔と違ってすっかり白髪になっちまったしなぁ。視力が落ちて眼鏡もかけるようになったから、気がつかないのも無理ねぇか。って、そんな昔話はどうでもいいんだ。とりあえずお前、不審だからちょっと来い」
「ちょ、ちょっと待てって! だから私はあそこの二人の教師だっつってんだろ!」

 握られた右腕を強引に引き抜こうと、駄々っ子のように抵抗する佳苗。昔は喧嘩番長で勇名を馳せた彼女だが、騒動のたびに現場へ現れて自分を叱り宥めた堂上のことは、今でも思い出すだけで体が縮む。

「はいはい。冗談は交番でいくらでも聞いてやるから、とりあえず来い」
「ふ、ふざけんな! 放せっ!」

 半ば強引にその場から引き離される佳苗。
 その後、二人の騒ぎを耳にした幸太と悠奈がかけつけて事情を説明し、なんとか潔白を証明して事なきを得た。
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