本編
◯4月下旬 國立市内
挙動不審な少女がいた。
その身なりはスクエアフレームの凛々しい眼鏡に薄手のパーカー、そしてチェック柄のスカートと至って普通。首筋に甘える濃紺のミディアムは、空色のリボンで緩くポニーテールに結ばれている。
身の丈に合わない大きなリュックを頑張って背負う姿は愛らしく、普通に歩いていれば良い意味で衆目を引いたに違いない。
だが、今の彼女に向けられる視線は、不審者を見るそればかりだ。
もっとも、電柱の陰から周囲をこそこそ窺う人物を目にすれば、当然の反応だろう。
(……大丈夫)
リュックの背負い紐を握り直すと、電柱から小走りで駆け出す少女。今度は10メートルほど先のコンビニの陰に身を潜めた。
そこで再び周りを確認。
(……いない)
それがわかるとほっとしたのか、壁にリュックを預けて溜め息を一つ。気持ちを落ち着けてから状況を整理する。
あと少しだ。駅はもうそこに見えている。改札をくぐれば、あの人も追ってはこられない。
……だが、すぐに別の思考が押し寄せてきた。
もし、先回りされていたら?
向こうもこちらが國立駅を使うのは知っている。なら駅で待ち伏せていても不思議ではない。
では北口の改札に回るか? いっそのこと矢保駅へ向かうか? だがもう時間がない。このままでは仕事の待ち合わせに遅れる……でも……
―――ひとたび加速した不安は止まらない。
緊張から思わずつばを飲む。走りすぎて渇いた喉が痛い。胸も苦しい。だがいつまでも隠れているわけにはいかない。
壁の陰から少しだけ顔を出し、目の前の大通りの様子を窺う。
誰もいない。
(……よしっ)
大きく深呼吸して勇気を入れ直すと、少女はコンビニの陰から大通りへ一歩を踏み出し、
「おねがいしますッッッ!」
「ひゃあぁあぁああぁあぁッッッ!」
絶叫しながら盛大に尻もちをついた。
―――道端で人目も憚らず堂々と土下座している少年と鉢合わせて。
「な、なななななにゃにゃにゃにゃ……っ!」
道端で片や尻もちをついたまま、片や土下座のまま向き合う二人。周囲は当然、見てみぬふりだが、そんな痛々しい視線を気にする余裕は今の少女にない。
見つかった見つかった見つかってしまったまずいまずいまずい逃げなきゃ逃げなきゃでもどうやってどうすればいいのどうすれば……っ!
思考が暴れるばかりで落ち着かない。
少女が不審者の疑いに耐えてまで慎重に帰路を選んでいた原因こそ、この少年だった。
ここ1ヵ月ずっと彼につきまとわれている。毎日帰路を変えても、携帯に発信器を埋めこまれたのかと思うほど不気味な正確さで先回りされて。
そして、少女を捕まえた少年が口にするのは、いつも、
「無茶を言ってるのはわかってます! 時間があるときだけでかまいません! 週1いや月1だけでも! それも厳しかったら暇なときだけでもいいです!」
「あ、あの……」
「おねがいしますっ!」
困惑する少女をよそに彼の勢いは止まらない。
「え、えと……」「おねがいしますッ!」
三たび懇願を重ね、
「だ、だから……」「おねがいです力を貸してくださいなんでもしますから!」
額を地面に擦りつけるほど深々と頭を下げ、
「そ、その……」「一生のおねがいですッ!」
ついにはその命を賭けはじめ、
「俺たちラノベ同好会の顧問になってくださいッッッ!」
顔を上げた。
デビューして調子に乗り始めたミュージシャンのような緩くパーマした黒髪と黒縁の丸眼鏡以外は、どこにでもいそうな普通の外見。服装は無地のポロシャツにジーパンと無個性全開。
一つとして目立つものがない地味な青年。だがその瞳だけは違った。
双眸に滾る輝きには、彼に対する煩わしさや置かれた状況の恥ずかしさを少女に忘れさせるほどの力があった。
その奥に秘められた並々ならぬ決意の徴が。
…………だが、
「……あ」
少年がなにかに気づいた。
途端、その輝きは淡く霧散。かわりに彼の顔が一瞬で真っ赤に染まり果てる。
訳がわからない少女。だが、その答えをすぐ理解した。
「―――ッ!?」
スカートで尻もちをついたまま見事なM字開脚を披露している自分。
地面すれすれから少女を見上げる目の前の少年。
丸見えだった。
「やぁぁああぁあぁあぁぁぁッ! へんたいッッッ!」
「ごふぇッ!?」
反射的に振り上げた右足で少年の顎を撃ち抜いた少女は、急いで立ち上がると駅とは逆方向へ走り去っていった。
挙動不審な少女がいた。
その身なりはスクエアフレームの凛々しい眼鏡に薄手のパーカー、そしてチェック柄のスカートと至って普通。首筋に甘える濃紺のミディアムは、空色のリボンで緩くポニーテールに結ばれている。
身の丈に合わない大きなリュックを頑張って背負う姿は愛らしく、普通に歩いていれば良い意味で衆目を引いたに違いない。
だが、今の彼女に向けられる視線は、不審者を見るそればかりだ。
もっとも、電柱の陰から周囲をこそこそ窺う人物を目にすれば、当然の反応だろう。
(……大丈夫)
リュックの背負い紐を握り直すと、電柱から小走りで駆け出す少女。今度は10メートルほど先のコンビニの陰に身を潜めた。
そこで再び周りを確認。
(……いない)
それがわかるとほっとしたのか、壁にリュックを預けて溜め息を一つ。気持ちを落ち着けてから状況を整理する。
あと少しだ。駅はもうそこに見えている。改札をくぐれば、あの人も追ってはこられない。
……だが、すぐに別の思考が押し寄せてきた。
もし、先回りされていたら?
向こうもこちらが國立駅を使うのは知っている。なら駅で待ち伏せていても不思議ではない。
では北口の改札に回るか? いっそのこと矢保駅へ向かうか? だがもう時間がない。このままでは仕事の待ち合わせに遅れる……でも……
―――ひとたび加速した不安は止まらない。
緊張から思わずつばを飲む。走りすぎて渇いた喉が痛い。胸も苦しい。だがいつまでも隠れているわけにはいかない。
壁の陰から少しだけ顔を出し、目の前の大通りの様子を窺う。
誰もいない。
(……よしっ)
大きく深呼吸して勇気を入れ直すと、少女はコンビニの陰から大通りへ一歩を踏み出し、
「おねがいしますッッッ!」
「ひゃあぁあぁああぁあぁッッッ!」
絶叫しながら盛大に尻もちをついた。
―――道端で人目も憚らず堂々と土下座している少年と鉢合わせて。
「な、なななななにゃにゃにゃにゃ……っ!」
道端で片や尻もちをついたまま、片や土下座のまま向き合う二人。周囲は当然、見てみぬふりだが、そんな痛々しい視線を気にする余裕は今の少女にない。
見つかった見つかった見つかってしまったまずいまずいまずい逃げなきゃ逃げなきゃでもどうやってどうすればいいのどうすれば……っ!
思考が暴れるばかりで落ち着かない。
少女が不審者の疑いに耐えてまで慎重に帰路を選んでいた原因こそ、この少年だった。
ここ1ヵ月ずっと彼につきまとわれている。毎日帰路を変えても、携帯に発信器を埋めこまれたのかと思うほど不気味な正確さで先回りされて。
そして、少女を捕まえた少年が口にするのは、いつも、
「無茶を言ってるのはわかってます! 時間があるときだけでかまいません! 週1いや月1だけでも! それも厳しかったら暇なときだけでもいいです!」
「あ、あの……」
「おねがいしますっ!」
困惑する少女をよそに彼の勢いは止まらない。
「え、えと……」「おねがいしますッ!」
三たび懇願を重ね、
「だ、だから……」「おねがいです力を貸してくださいなんでもしますから!」
額を地面に擦りつけるほど深々と頭を下げ、
「そ、その……」「一生のおねがいですッ!」
ついにはその命を賭けはじめ、
「俺たちラノベ同好会の顧問になってくださいッッッ!」
顔を上げた。
デビューして調子に乗り始めたミュージシャンのような緩くパーマした黒髪と黒縁の丸眼鏡以外は、どこにでもいそうな普通の外見。服装は無地のポロシャツにジーパンと無個性全開。
一つとして目立つものがない地味な青年。だがその瞳だけは違った。
双眸に滾る輝きには、彼に対する煩わしさや置かれた状況の恥ずかしさを少女に忘れさせるほどの力があった。
その奥に秘められた並々ならぬ決意の徴が。
…………だが、
「……あ」
少年がなにかに気づいた。
途端、その輝きは淡く霧散。かわりに彼の顔が一瞬で真っ赤に染まり果てる。
訳がわからない少女。だが、その答えをすぐ理解した。
「―――ッ!?」
スカートで尻もちをついたまま見事なM字開脚を披露している自分。
地面すれすれから少女を見上げる目の前の少年。
丸見えだった。
「やぁぁああぁあぁあぁぁぁッ! へんたいッッッ!」
「ごふぇッ!?」
反射的に振り上げた右足で少年の顎を撃ち抜いた少女は、急いで立ち上がると駅とは逆方向へ走り去っていった。