本編

◯7月19日 國立高校 2年2組

「―――っし、こんなところか。っと、そうだ。忘れねぇうちに言っとくが、男と女で海とか行くんじゃねぇぞ。隠してもわかるからな」

 終業式を終えた2年2組の教室では、1学期最後のホームルームが行われていた。夏休みへ向けての注意事項を担任の佳苗がクラス一同に言い聞かせている。

(……っていうかさ、ホントなんでわかんの?)(知るわけねぇだろ……)(でも去年、大輝たちが実際にバレたし……)(2学期の体育は洒落にならないくらい辛かったな……何人か吐いたし……)(っていうか自分が男と遊びに行けないから生徒にあたるとか大人気ないにも程があんだろ)(器ちっちゃいよね)
「なんか文句でもあんのか」
「「「「「「「「「「ありません」」」」」」」」」」

 夏の楽しみを早速ひとつ奪われた生徒たちは、今年もまたひとり寂しく夏を越すであろう担任を刺激しないよう、ただ静かに耳だけを傾ける。
 そのままホームルームは何事もなく終了し、一学期は幕を閉じた。
 明日からは夏休み。
 部活動、夏期講習、里帰り……誰もが思い思いに楽しみ、いつもは近所迷惑上等の喧騒に包まれる学び舎も、しばらくは静かになる……



 ……かというと、そんなことはない。

「煉瓦どうするよ?」
「もらう?」
「どっから」
「っていうか、ほんとに本物つかうの?」
「いやどう考えてもハリボテでいいだろ」
「だね。危ないし」
「ハリボテかぁ……でもどうやって作るよ?」
「「「「「うーん……」」」」」

 終業式翌日の夏休み初日。大音量のJーPOPが満ちる2年2組の教室には、20人近い生徒が集まっていた。
 全員、文化祭の準備のためだ。
 午後には部活や夏期講習を終えた生徒も加わり、さらに増える。

「これでいいんじゃないか?」

 幸太の姿もその中にあった。外装班の彼は今、同じ班のメンバーとお化け屋敷の外壁に使う煉瓦の調達法を考えている。
 その手に、なぜか新聞紙を握って。

「新聞紙で煉瓦って、どうやるんだ?」
「これバケツに入れて、水で溶かしてさ、そこに茶色の絵の具を入れる。で、それを四角くまとめて木の板に貼っていくといい感じになる…………気がする」
「気がするだけかよ!」「……なんかイメージつかないな」「ちょっとやってみるか」

 クラスメイトの一人が数枚の新聞紙と少量の水、焦茶の絵の具をポリバケツに入れて角材で混ぜる。水を吸ってボロボロになった茶色の新聞紙を取り出し、ハンバーグを作る要領で四角い塊にまとめてみると……

「あ。なんかそれっぽいかも」「ちょっと板に貼ってみようぜ」

 木の板を持ってきて試しに馬目地に並べてみる。

「おー! これいい感じじゃん!」「これでいこうぜ! これで!」「新聞紙どっから集めよっか?」「事務室にでもあんじゃね?」「とりあえず今ある新聞紙、ぜんぶ煉瓦にしようぜ」

 方向性が決まり、意気揚々と作業に乗り出す外装班。
 もっとも、調子に乗って90リットルのポリバケツに大量の新聞紙と水と絵の具を放りこんだ結果……、

「お、っ……も、ッッッ!」「なんだこれ……ッ!」「混ぜ、ら、れない……っ!」「ぜんぜん動かないんだけど……!」「疲れた交替! 誰か交替!」「誰だ調子に乗って新聞紙ぜんぶ突っこんだヤツ!」「「「「「「おまえだろ!」」」」」」

 水を吸った大量の新聞紙の抵抗力に、悲鳴を上げはじめる生徒たち。全員が交代しながら、なんとか破砕し終わった頃、時刻は昼を回っていた。

「おいーっす!」

 同時に意気揚々と姿を見せたのは、火恋だった。その背中には破裂寸前まで膨らんだリュックを背負い、両肩に大きなバッグを提げている。

「弁当きた!」「弁当!」「待ってましたお弁当!」「お弁当!」「名前で呼べ!」

 火恋の抗議も、育ち盛りで疲労困憊の飢えた高校生には届かない。全員の瞳は爛々と巨大なリュックとバッグに注がれている。文化祭準備期間の恒例行事、火恋の弁当差し入れだ。
 夏休み中、火恋は弟妹の面倒や家事で忙しいため、あまり準備に参加できない。だから手伝い以外でもなにかしたいと思い、たまに来る時は弁当を持ってくるようになった。
 普通の主婦並みに主婦をしている彼女の弁当は、コンビニの菓子パンやファーストフードより圧倒的に上等だ。結果、クラスメイトの間で人気に火がつき、こうして恒例となった。もちろん費用は全員の割り勘だ。
 我れ先に割り箸を伸ばして次々と目当ての料理を奪っていく腹を空かせた一同。その後、思い思いにグループをつくり、談笑しながら暫しの休憩だ。

「どんな感じ?」

 幸太と火恋は窓際に寄せてあった机の上に座って並ぶ。デートの一件からしばらくは二人きりになると妙に意識したが、最近ようやく以前の調子に戻ってきた。
 もっとも、ショートパンツで胡座という体勢が目の毒であることに変わりはない。健康的だが絶妙な肉感を放つ太腿を露出する様は、青少年の理性には刺激が強すぎる。

「……外装も内装もいちおう順調だな。お化け探しに出た連中は、予算で買えるお化けグッズがないからって、いま手芸用品の専門店を探してる」
「あー。今年もやっぱり自作かぁ」
「また外装と内装に予算つっこみすぎたからな」

 そしておそらくは来年もそうなる。このクラスは妙に凝り性が多く内外装への執着が強い。テンションが上がると歯止めも利かず、納期や予算など知ったことではなくなる。

「そういえば、あっちはどう?」
「あっち? ―――ああ」

 すぐに創作のことだと思い至った。

「まだ大丈夫かな。一昨日30ページぶん送ったし、今日の朝までに40ページまでは貯めてある。まぁでもこの先どうなるか正直わからんから、まだまだ前倒しで進めないと」
「だねぇ。あたしも今のところ大丈夫だけど、小学校のプールが休みに入ったら、遊びにつれていったり宿題みたりで忙しくなるしなぁ」

 二人ともここまでは3日10ページという約束のペースを守っていた。
 だが油断はできない。幸太は宿題にいっさい手をつけていないし、火恋も家事や育児などやることが山のようにある。

「……っていうかさ。悠奈ちゃんもすごいよね。絶対に1日以内に返信もどってくるし」
「だよなぁ。俺いつも夜8時くらいに送ってるけど、次の日の朝にはもうコメント来てるし」

 思いを馳せるように天井を見上げながら呟く幸太。
 実際、悠奈の返信は凄まじく早かった。夜8時前後に提出している幸太には4時間後の深夜0時台に、深夜2時頃に送っている火恋でも24時間以内には必ずレビューが戻ってくる。どうやらミーティングは由仁の仕事で、レビューは悠奈の仕事らしい。
 自分の勉強や仕事もあるだろうに……改めて感謝と驚きに堪えない。
 だからこそ、こちらも約束を破るわけにはいかない。

「ねえねえ。ご夫婦サン」

 会話の間隙を狙っていたかのように、クラスメイトの女子が話しかけてきた。

「なに茜?」「ってかそのご夫婦さんってのいい加減やめろ」
「27日ってさ、空いてる?」

 幸太の抗議を無視して少女は本題を切り出す。

「27? ……って何曜だ?」
「土曜。さっきみんなで双子玉川でバーベキューしようって決まってさ」
「はや」「え、大丈夫なの? かなちゃんにバレない?」
「平気だって、デートじゃないし。それにバレたらそのときでしょ。赤信号みんなで渡れば怖くないってね」
「かなちゃんなら容赦なく突っこんできそうだけどな」
「で、どう?」

 顔を見合わせる幸太と火恋。
 7月27日。土曜日。
 予定では同好会のミーティング予定日だった。執筆に入るとテキストベースでは指示が難しいかもしれないとのことで、夏休みは毎週土曜日にミーティングがセットされている。
 ……でも、行きたい。せっかくの夏休みだし。
 二人の意思は無言でも互いに伝わった。
 原稿のストックはある。今週と来週はほかに大きな予定もない。戻ってくる修正のボリューム次第ではあるが、1日分なら貯められるだろう。
 いくら厳しい由仁でも、1日くらいなら認めてくれるのではないか……。

「うーん……先約あるけど、動かせるかもしれないから、ちょっと調整してみるわ」
「あたしも」
「おっけー。んじゃ、来週の水曜までにお願いね」

 約束が済むと、そろそろ始めるかという声が響き、休憩が終了。幸太と火恋も机から降りて、外装と内装それぞれのグループに混ざる。
 準備再開だ。



 ―――同じ頃。
 一人の少女が学校へ向かっていた。
 夏の木漏れ日と蝉の声に満ちた校舎前の歩道を、ぎこちない足取りでゆっくり歩いている。目的地へ到着するのを渋るかのように。
 実際、彼女は躊躇っていた。このまま学校へ行って良いものかと。
 しかし、止まらぬ足取りはやがて、少女を校門前に導く。
 そこでようやく、その足が止まった。

(……ほ、ほんとに行く……の?)

 立ち尽くした少女は……悠奈。
 脳内を巡るのは、道中おわりなく続く自問自答。
 本当はこんなことするつもりはなかった。ただ、朝起きたら無意識のうちに足が学校へ向かってしまい……気がつけば、逡巡を抱えたまま校門前まで来てしまった。
 交流する友達もいない。部活もやっていない。補習の予定もない。
 それなのに学校へやってきたのは、幸太と火恋の話を聞いたからだ。
 いつもは皆と話さない子が意外に積極的だったという、文化祭準備の話。
 以来、胸の奥に淡い期待がわだかまり続けていた。自分も準備を手伝いにきた体なら、みんなと仲良くなれるんじゃ……みんなもわざわざ来てくれたクラスメイトを無下にはしないはず……1学期は自己紹介の失敗をひきずってみんなに素っ気なくしてしまったけど、今からでも遅くないはず……。
 二人が羨ましかった。自分も二人のような生活が送りたかった。そうなりたくて、この高校へ入ったのだから。
 ―――だが、いくら理由を取り繕っても、最後の勇気が振り絞れない。
 もしこれで蚊帳の外に置かれたら……? いよいよ終わりだ。2学期からはもう学校に通うのが苦痛でしかないだろう。いまの環境は窮屈で楽しくはないが、少なくとも痛みはない。ならこのまま3年間、静かに乗り切るほうがいいんじゃないか……。
 何事につけても現実志向な悠奈の心は、机上の空論で説得し切れるほど甘くない。少しでも根拠の甘い論理は、理性が容赦なく打ち砕いていく。

「うっそ! 3クラス同じってこと!?」
(……ッ!?)

 ふと覚えのある声が聞こえ、咄嗟に近くの歩道橋の脚に隠れる悠奈。
 そろりと顔を覗かせて声の正体を窺うと、クラスメイトたちだった。

「そう。3組も7組も喫茶店だってさ」
「……まぁ、正直そうなるだろうなとは思ってたけど……」
「いざほんとにかぶっちゃうとねぇ……お客さん、くるかな?」

 彼女たちは矢保駅のほうへ歩いていき、その姿はすぐに見えなくなった。

(……あたし、なんで隠れてんだろ……)

 橋脚に背中を預け、思わず俯く悠奈。
 校門のほうからは楽しげな声が途切れることなく聞こえる。みんな文化祭の準備だろう。学校は昨日までと何も変わらない爽やかな賑やかさに包まれていた。

(……)

 歩道一本を隔てた先、すぐそこにある自分の学び舎が、ひどく遠く……眩しく感じる。
 自分を寄せつけまいと、逃げるように……拒むように……。
 ―――なんて惨めなんだろう。
 気がつけば、右頬を一筋の涙が伝い落ちた。咄嗟にうずくまり、隠すように小さな顔を膝に埋める。
 物陰とはいえ車道側からは丸見えだ。しかし、もはや他人の視線を気にする余裕など悠奈にはなかった。
 憧れた高校のはずだったのに。
 ようやくやり直せると思ったのに。
 それなのに……。
 今の自分は、クラスメイトと鉢合わせることに怯え、物陰に隠れている。
 仲良くなりたかったはずのクラスメイト。他愛ない話で盛り上がったり、勉強を教え合ったり、テストの失敗を笑い合ったり……。いっしょに教室を移動したり、いっしょに帰ったり、いっしょにご飯を食べたり……。
 ……たとえ理解はしてくれなくても……自分の趣味を受け入れてくれたり……。
 それなのに……。
 こんなふうにみんなを避けることなんて、望んでなかったのに……。
 いったいどこで失敗したんだろう。どうすればよかったんだろう。
 自分のなにがいけなかったんだろう……。
 ……思考はもはや、前を向かない。
 ただ現状を受け入れるだけの言葉を求め、彼女はただひたすら過去を漁りはじめる。
 ―――2分後。
 その足は、来た道を戻っていった。
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