本編

 ミーティング終了後は、文化祭の話題一色だった。
 悠奈は終始、幸太と火恋の去年の話に耳を傾けていた。二人の喫茶店は予想以上に繁盛して材料が足りなくなり、幸太は丸2日、自転車で立河の雑貨店と高校を往復していただけ。火恋は接客と宣伝担当だったため、空いた時間にじゅうぶん楽しんだようだ。
 最中、自分のクラスがなにをやるのか聞かれたのは、最初だけだった。二人とも話に夢中になって忘れてしまったのか、それとも薄々感づかれて気を遣わせてしまったのか。無理して場の雰囲気を和ませようとする風ではなかったので、後者はないと思いたいが……。
 悠奈は、自分のクラスがなにをやるのか、知らなかった。
 出し物を決めるホームルームが行われたのは知っている。だが、よく聞いていなかったので覚えていない。
 中学時代もそうだった。クラスのことには出来るだけ関心を持たず、周りとの協調が求められる時は、ただ言われたことを淡々とこなす。それが創作と最低限の人付き合いを両立する彼女なりの処世術だった。
 そうすれば、嫌われることはない。好かれることもないが。
 そうすれば、いじめられることはない。構われることもないが。
 ―――それが寂しくなかったかといえば、嘘になる。
 デビュー後のサイン会で、幸太という片思いめいた友達はできたが、中学校で遠慮なくライトノベルの話をできる友達はいなかった。彼のような人が、学校にもほしかった。
 何度かアニメや週刊漫画の話をしている友達に声をかけてみようと勇気を振り絞ったことがある。
 だが、無理だった。
 失うかもしれないものの大きさに、彼女の心は耐えられなかった。
 友達をつくるという夢を叶えるため、悠奈は國高を選んだ。偏差値が高い学校なら人を偏見に満ちた目で見る人はいないはず。ましてここは文化祭でメイド喫茶を出すような学校だ。
 大丈夫。きっと大丈夫―――。
 希望を胸に、彼女は必死に勉強し、そして見事に合格を勝ち取った。
 嬉しかった。新人賞を受賞した時よりも。ようやくありのままの自分でいられる。そう思うと、入学前は高校生活が楽しみでしかたなかった。
 ……だが現実は、そうはいかなかった。
 悠奈は自分の心に染みついた臆病の根深さを、入学初日に思い知らされる。

(し、霜月悠奈といいます。火野市の第一中学校から来ました。え、っと……)

 好きなものは―――。そのひとことが続かなかった。
 自分を打ち明けようとした彼女の口は、時が止まったかのように凍りついた。
 どのくらい立ち尽くしていたのか、彼女自身にもわからない。担任が「霜月さん?」と呼ぶ声が耳に入り、ようやく時間が動き出した。

(……あ。すみません……。よ、よろしくお願いします……)

 悠奈の自己紹介は、名前と出身校のみで終わった。
 その後、彼女は中学時代と変わらない学校生活を送る。
 目の前の二人のようには、いかなかった。

「悠奈ちゃん? どしたの?」

 体調が悪いとでも思われたのか、火恋が顔を覗きこんでくる。

「あ、いえ、えっと……」

 言葉に詰まる悠奈を救うかのように、そのとき携帯が震えた。

「あ……。ごめんなさい、ちょっと出てきます」

 席を立ち、テラスの端に移動。携帯を開いて着信相手を確認する。

(……っ)

 ―――担当編集の名前。その5文字を目にした悠奈は、思わず表情をしかめた。
 また次作のプロットの催促だろう。
 刊行中の『ミスティック・フリゲート』は、残り2巻で終了することが決まっている。担当には書き切ったと伝えてあるが、本当はもう続けるのがつらい。1冊を書くのに10冊近い専門書を漁り、内容を咀嚼し、作品に落としこむ労力は並大抵ではない。
 だが彼女は早くもレーベルの看板作家。次作までの時間を空けるわけにはいかない。小説に限らずあらゆるメディア作品は、世間から消えている時間が長いほどファンの熱は冷め、あっさり離れてしまう。その大半は二度と戻ってこない。
 電話に出る悠奈。内容は予想したとおりだった。

「……は、はい、わかってます……。なんとか夏休み中には……」

 次作の企画は既に通り、刊行は来年の春を予定している。そこへ向けてプロットの準備を始めたのが一年前。筆は早いほうだが、一作をゼロから書き上げるには最低でも3ヵ月かかる。それを踏まえて逆算すると、プロットはもう目処がついていなければならない。
 だが、実際には白紙同然だった。俗にいうスランプだ。

「え、いえ……まだ、その……だ、大丈夫です。いくつか考えてるものはあって……はい…‥は、はい……わ、わかりました……」

 その場をなんとか凌いで電話を切る悠奈。一つ、小さな溜め息が零れる。
 ふと視線を二人のほうへ向けると、文化祭の話で盛り上がっていた。
 展示をほぼ見られなかった怒りを目の前の友人に投げつけながらも、どこか楽しそうな表情を浮かべる幸太。
 申し訳なさそうに身を引きながらも、そんな彼の追及すら屈託ない素朴な笑顔で嬉しそうに受け入れる火恋。
 ―――眩しい。あまりにも。
 どこをどう切り取っても何気ない日常。だが、それすらも殊更に眩しく見える。自分の瞳が光を見失って久しいことを思い知らされる。
 ……痛いほどに。
 ……苦しいほどに。

「あ。悠奈ちゃん、電話おわった?」

 火恋が手を振っている。

「え、ええ。はい……」

 相手に届くかも微妙な小声で頷く悠奈。席に向かって歩き出す。
 いつか、自分の高校生活にも、あの二人のような日常が訪れるのだろうか……。
 作家になる夢は叶えた。
 行きたい高校に入学する夢も叶えた。
 ―――けど、それで手にした日常は、重かった。
 重かった。
 あまりにも。
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