本編

◯6月26日 國立高校

 約1週間の準備で間に合うはずもなく、幸太の期末試験の出来は散々だった。
 なんとか平均点に届けばと祈りながら、最後の世界史Bを乗り越える。終了のチャイムと同時にクラスが解放感で満たされ、早速はじまる答え合わせや遊びの誘い合わせ。幸太も背もたれに体を預けて、大きく背中を伸ばし緊張を解す。
 机に突っ伏していると、火恋が背中を突いてきた。

「どうだった?」
「聞くな……」

 ともあれ、あとは親の小言を乗り越えれば、待っているのは夏休み。文化祭の準備と創作活動に集中できる貴重な1ヵ月半だ。
 周囲が部活だカラオケだゲーセンだと盛り上がっている中、幸太は筆記用具をリュックに片して席を立つ。火恋は内装班の話し合いがあるため、今日の帰りは別々だ。
 プロットの締切まで残り1週間と少し。前回のミーティング以降は試験勉強にかかりきりだったため、一分一秒を無駄できない。
 教室を出て階段を降り2階へ。

「ねえねえ霜月さん」
(……ん?)

 下駄箱に到着した時、ふと悠奈の苗字を耳にし、その足が止まった。
 1階の廊下に視線を向けると、1年生の女子生徒二人と彼女の姿があった。
 友達と談笑中だろうか。だが眺めていると、どうにもそういう雰囲気ではない。
 直感的に、気づかれないよう下駄箱へ移動する幸太。

「このあとみんなでカラオケ行くんだけど、霜月さんもどう?」
「あ……ご、ごめん……今日ちょっと用事があって……」
「あー、そうなんだー。じゃあ、また今度ね!」
「う、うん、ごめんね……」

 申し訳なさそうに謝り、その場を離れる悠奈。どうやらそのまま帰路についたようだ。
 幸太も上履きを履き替える。

「……霜月さんってさ」

 下駄箱を離れようとしたとき、残された女子生徒の声が聞こえた。

「なーんか付き合い良くないよねぇ」
「だねー。いつも用事あるって。塾でも行ってるのかな?」

 二人はそのまま教室へ戻ったようで、話し声は徐々に遠のいていった。

(……)

 上履きを掴んだまま固まる幸太。
 聞いてはいけないものを聞いてしまった気がした。
 誘いをかけられており、二人の声音に辛辣な色はなかった。だから嫌われているわけではないだろう。しかし好意的な友情で結ばれているわけでもなさそうだった。
 思えば、悠奈と出逢ってから、彼女の話をまともに聞いたことがない。由仁とは頻繁に交流を重ね、互いに少なからず知り合えた気がするが、悠奈とは顔を合わせた回数こそ遥かに多いものの、大半が尾行だったため彼女のことはほとんど知らない。土曜日も大抵、自分たちと一緒にいるが、友達と過ごす日などあるのだろうか。以前、24時間365日をライトノベルに捧げていると言ってはいたが……。普段はどんな生活を送っているのだろう。

(……)

 幸太の足は、自然と彼女の後を追っていた。



「……」
「……」

 そして気がつけば、中王線に乗って悠奈の隣に立っていた。特に言葉を交わすこともなく。
 学校を出た彼女は、その足で國立駅に向かった。幸太の帰り道は矢保駅だが、中王線でも遠回りだが帰れるので問題はない。
 問題は、自分が何をしたいのかわかっていないことだ。
 今に至るまで明確な動機も考えもなく、ただ無意識に悠奈の後を追ってきた。彼女のクラスメイトが零した一言に、不思議と居ても立ってもいられなくなって。
 無意識に自分の過去と彼女の今を重ね合わせたのかもしれない。クラスで浮いていた自分。気の置ける友人が一人もいなかった自分と。
 悠奈も今、あのときの自分と同じ苦しみの中にいるのでは、と。
 だが、いざ駅で合流し、互いに「ど、どうも」と挨拶したのを最後に会話が続かない。
 思えば、気兼ねなく交わせる共通の話題は皆無だ。幸太は人前でもライトノベルやアニメの話をできるが、悠奈がどうかわからない以上、迂闊に話は振れない。
 結果、気まずそうにもじもじしたり、時おり横目で様子を気にしたりするのが関の山。
 悠奈も同じ様子で、たまに視線が合っては互いに目を逸らし合う。むしろ気を遣わせてしまったぶん、余計な配慮だった気すらしてきた。
 二人はその後も無言のまま、やがて電車は立河駅に入った。



 立河駅でモノレールに乗り換え、悠奈の降車駅である高畑不動に着くまで、結局まともに言葉を交わさなかった二人。

「じゃ、じゃあ、また……」
「は、はい、また……」

 悠奈は幸太にぺこりと頭を下げてモノレールを降車。ホームから階段を降りて改札を抜け、南側から駅舎を出る。
 そこで、深々と溜め息を吐いた。

(……せっかくいっぱい時間あったのに)

 また機会を逃してしまった。サイン会に続いて二度目だ。
 これまでの人生で友達に恵まれなかったから、他人との距離の測り方がわからない。周りに人がいる電車の中でいきなりライトノベルの話などしていいものか……。
 中学ではアニメやゲームが好きな子はいても、ライトノベルが好きな子はいなかった。まして自分で創作するほど熱中している子など。
 だからひた隠しにしてきた。おかげで学校の生活は平和だったが、楽しくはなかった。テレビは見ないし流行りの音楽も聞かないから、友達の話にはついていけない。ただ愛想笑いや相づちを繰り返すだけの日々。休みの日は創作に集中したいから、一緒に遊びに行ったのも指折り数えるほどだ。
 今のクラスでも上手くやれているとは言い難い。いじめられたり、はぶられたりされてはいないが、お世辞で仲が良いといえる友達すら皆無だ。
 もう少し付き合いを良くすれば、きっともっと皆と仲良くなれるのだろう。
 だが、無理だ。身の内で飽くことなく滾る欲望が創作以外に目を向けることを許さない。
 そうして改めて思い知る。自分には創作しかない。ライトノベルしかないのだと。
 だからこそ、この高校を選んだ。のだが……。

「……はぁ」

 再び零れる溜め息。
 自分の学生生活は、ずっとこの調子なのだろうか……。
 鬱々とした足取りで、悠奈はとぼとぼと家路についた。
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