本編
◯6月15日 立河駅 多馬モノレール改札前
第2回ミーティング以降、幸太と火恋はプロットづくりに励んだ。
楽ではなかった。1学期は中間試験がなく他学期より余裕があるとはいえ、授業はあるし火恋には家事もある。二人とも次第に疲労の色が濃くなり、幸太は授業中の居眠りが増えた。
一度、火恋の買い物を手伝った時、彼女の様子を葵にそれとなく尋ねてみた。いつも眠そうで洗濯物を畳んでいる途中の寝落ちなどが増えたが、なんだか楽しそうだという。無理を強いていないか気になっていたが、今のところ大丈夫そうだ。
6月に入ると期末試験が近づき、9月に待っている文化祭の準備も本格化した。
國立高校の文化祭は2日で来場者1万人超えという全国有数の規模を誇り、学生たちの意気込みも尋常ではない。3年生は1月から準備を開始し、ほぼ全生徒が夏休みを返上。最後の部活や体育祭の応援練習なども重なり、10月あたりまでは受験勉強を放棄。そのため進学校にもかかわらず浪人率は5割を超える。
幸太と火恋のクラスでも、5月頭には出し物がお化け屋敷に決定し、外装や内装、音響や小物制作など班の分担も終了。チームによってはすでに準備を始めており、教室の後ろには工具類や購入した資材が所狭しと積み上がっていた。
二人の夏休みも、連日の準備が待ち受ける。
これから忙しくなる。
プロットの締切から1週間後。6月15日。土曜日。
第3回ミーティング開催日。
天道様の気まぐれか、梅雨の晴れ間が広がったこの日。いつもと違い集合場所は多馬モノレールの多馬センター駅、その改札口前だ。
(……はぁ)
今日も今日とて真っ先に姿を見せた幸太は、券売機の横で頭を垂れていた。
理由は、これから我が身に待ち受ける拷問にも等しい所業。
由仁から課せられた火恋とのデートだ。
(……やばい。緊張がまったく抜けない……)
胸に手を当てると、全力疾走した後のように心臓が激しく脈打っている。
(……っていうか、ホントにこれ必要なのか? わざわざデ……デートなんてしなくても、そういう映画を見たり、本を読んだりするだけで十分な気が……)
由仁は荒療治だと言ったが、冷静に考えずとも荒すぎる気がする。照れや羞恥に抵抗をつけるだけなら、実体験として身に刻む必要はないのではないか……。
だが、もはやどんな疑問にも意味はない。もう決定事項なのだから。
携帯で時間を確認。10時15分。タイミングよくモノレールの到着する音が聞こえ、降りてきた群衆が改札に姿を見せる。その中に見覚えのある少女がいた。
「お、おまたせしました」
ぺこりと頭を下げた彼女の口調は、由仁ではなく悠奈のそれだった。
「あ、あれ? 今日は霜月さん、なんですね?」
ミーティングは由仁の役割だと思っていたが……。
「今日は先輩たちのデートが終わるまでやることがないので、それまで休みたいらしくて。起きたら『これだけ渡しといて』って、書き置きだけありました」
「やることがない?」
幸太の疑問には答えずリュックのフロントポケットを漁る悠奈。中から細長い物体を取り出して幸太に差し出す。
「これは?」
「ボイスレコーダーです」
「……あぁ」
幸太が受け取りシャツの胸ポケットへしまうと、二人は火恋を迎えにいくため、京桜線の多馬センター駅へ向けて歩き出す。多馬センターには京桜、小多急、モノレールの3路線が乗り入れるが、悠奈が使うモノレールだけは駅舎が離れている。
「ところで、なんで俺だけこっちで早めに集合だったんですか?」
「ボイスレコーダー渡すところを如月先輩に見られたくなかったんだと思います。デートのことがバレたら意味ないですから」
「あ、なるほど……」
世間話を交わしながら5分ほど歩くと駅に到着。
少し待っていると改札から火恋が現れた。今日はいつものリュックではなく、やや膨らんだトートバックを肩から提げている。
「おまたせー」
手を振りながら近づいてくるその笑顔はいつものように屈託がなく、その声はいつものように快活。どちらも幸太には見慣れた、聞き慣れた他愛ないものだ。
しかし、今の彼には、それすらも異様に眩しく映る。
「お、おう……」
返事もよそよそしさを隠しきれていない。目を合わせるのも逡巡してしまう。
「? どしたの?」
「い、いやべつに?」
火恋も彼の様子に違和感を覚えたのだろう。互いに些細な違いに気づかないほど付き合いは浅くない。
そのとき、タイミングを図ったかのように悠奈の携帯が鳴動する。
「あ、ごめんなさい。ちょっと待っててください」
二人から離れて電話に対応。1分ほどすると戻ってきた。
「すみません。ちょっと急ぎの仕事が入ったので、どっかで時間を潰しておいてもらっていいですか? すぐ片づくと思うので、終わったら連絡します」
「え゛」
幸太の頓狂な返答にはふれず、悠奈はぺこりと頭を下げるとリュックの紐をしっかり握り、てててと走り出してしまった。慌てて逃げるように。
唐突に取り残され、立ち尽くす幸太と火恋。
「行っちゃったね」
「……だ、だな」
「……」
「……」
「……とりあえず、終わるまでどっかで待とっか」
「……だ、だな」
改札前から歩き出す二人。そのとき幸太の携帯が震えた。
届いたのは一通のメール。
差出人。霜月悠奈。
『カフェで時間つぶしてますから2時間二人きりでお願いします。あとボイスレコーダー忘れないでください。日和ったら許しません。由仁』
由仁の容赦ない気遣いで火恋と二人きりにされた幸太。
いったいどうすればいいのか、時間を潰すにしてもなにをすれば……デートの経験などない彼には皆目検討がつかない。
だが、この悩みは10秒も経たないうちに解決される。
「っていうかさ! 多馬センターっていつからこんなキティちゃん推しになったの!?」
幸太の裾を引っ張りながら、改札前の天井を指差す火恋。示された先には様々なキャラクターのイラストが描かれていた。
「へっ? い、いつからって……わりと前からそうだけど……」
京桜線を走らせる京桜電鉄は、少し前から経営戦略の一貫で多馬市にある有名テーマパークと提携していた。そのため多馬センター駅のホームや改札は、パークのキャラクターたち一色で染め上げられている。
火恋はかわいいものが好きだ。その対象は人間に限らない。すぐさま幸太にスマホを渡して「写真とって写真!」と願い出る。
撮影を引き受ける幸太。……だったが、いざ撮るとなると、オートフォーカスにもかかわらず何度もピントがぼけてしまった。スマホに慣れていないのもあるが、それ以上にデートの緊張が手元を震わせる。4度目の撮影で、ようやくまともな写真になった。
「どうしたの? いつもならこんな失敗しないのに」
「い、いや別に」
怪しまれまいと濁すも、その挙動自体がすでに怪しい。火恋も首を傾げている。
二人はその後、駅の南へ。
パルテノン大通りへ上がる階段に描かれた猫のキャラクターが目の前に現れると、火恋のテンションは再び最高潮に達し、ここでも幸太に撮影を頼んだ。京桜電鉄同様、多馬市もまたテーマパークと手を組み、さまざまな政策でキャラクターたちを登用している。その蜜月ぶりは市長の名刺に看板の猫のキャラクターを印刷するほどだ。
駅周辺の随所に散りばめられたキャラクターイラストに大興奮の火恋。ひとつ見つけては幸太の腕を掴んで連れ回し写真をせがむ。しまいには、
「あ。すみませーん。写真お願いしてもいいですか?」
なぜか赤の他人に撮影を頼みはじめた。
「お、おい。撮ってほしいなら俺がやるって」
「だって、さっきから撮ってもらってばっかだからさ。今度は二人で撮ろうよ」
「はぁぁっ!?」
唐突な提案に思わず身を引く幸太。
「……どしたの?」
「い、いやいやいやべつになんでも! で、でもほらあれだ! 周りだってみんな自分たちの写真で忙しいんだから、ここはほら! やっぱり俺が撮るって!」
半ばひったくるように火恋からスマホを受け取ると、幸太は「ほら早く立って立って!」と火恋の背中を押して急かす。彼女は「えーでもー」としばし抵抗を見せたが、すぐに観念して一人で写真に収まった。撮影スポットは順番待ちのため、時間をかけるわけにはいかない。
……正直、後悔がないわけではない。だが、恥ずかしすぎる。
どうせ撮った写真を見る度胸もないと自分に言い聞かせて諦めをつける幸太。それではデートの目的に適わないのだが、今の彼にそんなことを考える余裕はなかった。
駅周辺にある撮影スポットをひと通り回ったあと、二人はテーマパークへつながる通りに入る。映画館やファーストフード店、スポーツグッズ販売店などが立ち並ぶ賑やかなエリアだ。
とはいえ、財布に余裕がない二人が入れる店は限られる。その足は自然とゲームセンターへ向かった。
「幸太! あれほしいあれ!」
店頭のクレーンゲームを指さしながら火恋が幸太の腕に巻きつく。
いつもなら嬉しい以上に鬱陶しく感じる仕草。だが今だけは反射的に身を引いてしまうほど、その魅力と距離感が理性に危うい。
「そ、そっか……やってみればいいんじゃないか?」
「取って♪」
「……は?」
「とって♪」
妙に愛らしい黄色い声と笑顔を近づけながら強請る火恋。
反射的に顔を逸らす幸太。
「い、いやお前……やるなら自分でやれよ。いつも頼んどいて取れないと文句い」
「と・っ・て」
一転、両頬をぷくっと膨らませながら、ずいと顔を覗きこむように鼻先まで接近してくる火恋。あまりの急接近に動揺した幸太の喉が、うっと鳴る。
「……と、とれなくても文句いうなよ」
財布から100円を取り出し、投入口へ差しこむ。
それにしても妙だなと彼は思った……かわりにやれと催促してくるのはいつものことだが、ここまで強引に押し切るなんて今まで一度もなかった。断ると駄々こそ捏ねても、だいたい最後には自分でやるのだが……。
指も腕もまともに動かない中で繊細な操作が要求されるクレーンゲームなど成功するわけがないが、こうなった以上やるしかない。
火恋の所望は、真ん中あたりに鎮座するカエルのぬいぐるみ。長らくテーマパークの人気者、その一角として君臨するキャラクターだ。周りのぬいぐるみに埋もれているため、視認できるのは頭の一部だけ。
勝率はかなり低い。にもかかわらず隣の火恋は、クレーンを爛々とした目で追っている。もはや取れて当然といった感じだ。実際これまで火恋に代行を頼まれたクレーンゲームの勝率は9割以上。取れないと文句を言われるのもそれ故だ。
もう少し右……奥……緊張で自由の利かない右手を駆使し、なんとか狙いの場所で止める。
クレーンが降下。ぬいぐるみの海へ潜ったアームが閉じ、再び上昇すると、見事にカエルのぬいぐるみが釣り上がった。
「おー! やったやったー! さすがだね!」
景品口から出てきたカエルを高々と掲げながら喜ぶ火恋。
「ま、まぁ……」
照れ臭そうに目を逸らす幸太。その表情は得意げだが、心の中は激しく波立っていた。
ゲームセンターを出てからも、念願のおもちゃを手に入れたこどものようにカエルを抱きながら満面笑顔の火恋。そこまで喜んでもらえると、取れて良かったと心底から思う。
再び歩き出した二人は、隣りにある巨大なビルへ。壁面に描かれた人型イラストの真似をして火恋が遊んでいると、二人の携帯が震えた。
『あともう少しで終わるので、先にお昼に行っててください。由仁』
由仁からのメールだった。受信時刻は12時37分。確かにいい時間だ。
「だと」
「そっかー。じゃあ先に公園いこっか」
「ああ。……………………ん?」
火恋の返答を何の気なしに聞き流した幸太の表情が曇る。
「公園ってなんだ? 昼飯だぞ?」
「そうだよ?」
何を今さらと言わんばかりに火恋は自分のバックをぽんぽん叩く。
「……は? お前、まさか今日も弁当つくってきたのか?」
「え? だって由仁ちゃんから『お金はらうので三人分お願いします』ってメールきたし」
「……へ?」
「……え?」
由仁に仕組まれたのだと気づくまでに、時間はかからなかった。
第2回ミーティング以降、幸太と火恋はプロットづくりに励んだ。
楽ではなかった。1学期は中間試験がなく他学期より余裕があるとはいえ、授業はあるし火恋には家事もある。二人とも次第に疲労の色が濃くなり、幸太は授業中の居眠りが増えた。
一度、火恋の買い物を手伝った時、彼女の様子を葵にそれとなく尋ねてみた。いつも眠そうで洗濯物を畳んでいる途中の寝落ちなどが増えたが、なんだか楽しそうだという。無理を強いていないか気になっていたが、今のところ大丈夫そうだ。
6月に入ると期末試験が近づき、9月に待っている文化祭の準備も本格化した。
國立高校の文化祭は2日で来場者1万人超えという全国有数の規模を誇り、学生たちの意気込みも尋常ではない。3年生は1月から準備を開始し、ほぼ全生徒が夏休みを返上。最後の部活や体育祭の応援練習なども重なり、10月あたりまでは受験勉強を放棄。そのため進学校にもかかわらず浪人率は5割を超える。
幸太と火恋のクラスでも、5月頭には出し物がお化け屋敷に決定し、外装や内装、音響や小物制作など班の分担も終了。チームによってはすでに準備を始めており、教室の後ろには工具類や購入した資材が所狭しと積み上がっていた。
二人の夏休みも、連日の準備が待ち受ける。
これから忙しくなる。
プロットの締切から1週間後。6月15日。土曜日。
第3回ミーティング開催日。
天道様の気まぐれか、梅雨の晴れ間が広がったこの日。いつもと違い集合場所は多馬モノレールの多馬センター駅、その改札口前だ。
(……はぁ)
今日も今日とて真っ先に姿を見せた幸太は、券売機の横で頭を垂れていた。
理由は、これから我が身に待ち受ける拷問にも等しい所業。
由仁から課せられた火恋とのデートだ。
(……やばい。緊張がまったく抜けない……)
胸に手を当てると、全力疾走した後のように心臓が激しく脈打っている。
(……っていうか、ホントにこれ必要なのか? わざわざデ……デートなんてしなくても、そういう映画を見たり、本を読んだりするだけで十分な気が……)
由仁は荒療治だと言ったが、冷静に考えずとも荒すぎる気がする。照れや羞恥に抵抗をつけるだけなら、実体験として身に刻む必要はないのではないか……。
だが、もはやどんな疑問にも意味はない。もう決定事項なのだから。
携帯で時間を確認。10時15分。タイミングよくモノレールの到着する音が聞こえ、降りてきた群衆が改札に姿を見せる。その中に見覚えのある少女がいた。
「お、おまたせしました」
ぺこりと頭を下げた彼女の口調は、由仁ではなく悠奈のそれだった。
「あ、あれ? 今日は霜月さん、なんですね?」
ミーティングは由仁の役割だと思っていたが……。
「今日は先輩たちのデートが終わるまでやることがないので、それまで休みたいらしくて。起きたら『これだけ渡しといて』って、書き置きだけありました」
「やることがない?」
幸太の疑問には答えずリュックのフロントポケットを漁る悠奈。中から細長い物体を取り出して幸太に差し出す。
「これは?」
「ボイスレコーダーです」
「……あぁ」
幸太が受け取りシャツの胸ポケットへしまうと、二人は火恋を迎えにいくため、京桜線の多馬センター駅へ向けて歩き出す。多馬センターには京桜、小多急、モノレールの3路線が乗り入れるが、悠奈が使うモノレールだけは駅舎が離れている。
「ところで、なんで俺だけこっちで早めに集合だったんですか?」
「ボイスレコーダー渡すところを如月先輩に見られたくなかったんだと思います。デートのことがバレたら意味ないですから」
「あ、なるほど……」
世間話を交わしながら5分ほど歩くと駅に到着。
少し待っていると改札から火恋が現れた。今日はいつものリュックではなく、やや膨らんだトートバックを肩から提げている。
「おまたせー」
手を振りながら近づいてくるその笑顔はいつものように屈託がなく、その声はいつものように快活。どちらも幸太には見慣れた、聞き慣れた他愛ないものだ。
しかし、今の彼には、それすらも異様に眩しく映る。
「お、おう……」
返事もよそよそしさを隠しきれていない。目を合わせるのも逡巡してしまう。
「? どしたの?」
「い、いやべつに?」
火恋も彼の様子に違和感を覚えたのだろう。互いに些細な違いに気づかないほど付き合いは浅くない。
そのとき、タイミングを図ったかのように悠奈の携帯が鳴動する。
「あ、ごめんなさい。ちょっと待っててください」
二人から離れて電話に対応。1分ほどすると戻ってきた。
「すみません。ちょっと急ぎの仕事が入ったので、どっかで時間を潰しておいてもらっていいですか? すぐ片づくと思うので、終わったら連絡します」
「え゛」
幸太の頓狂な返答にはふれず、悠奈はぺこりと頭を下げるとリュックの紐をしっかり握り、てててと走り出してしまった。慌てて逃げるように。
唐突に取り残され、立ち尽くす幸太と火恋。
「行っちゃったね」
「……だ、だな」
「……」
「……」
「……とりあえず、終わるまでどっかで待とっか」
「……だ、だな」
改札前から歩き出す二人。そのとき幸太の携帯が震えた。
届いたのは一通のメール。
差出人。霜月悠奈。
『カフェで時間つぶしてますから2時間二人きりでお願いします。あとボイスレコーダー忘れないでください。日和ったら許しません。由仁』
由仁の容赦ない気遣いで火恋と二人きりにされた幸太。
いったいどうすればいいのか、時間を潰すにしてもなにをすれば……デートの経験などない彼には皆目検討がつかない。
だが、この悩みは10秒も経たないうちに解決される。
「っていうかさ! 多馬センターっていつからこんなキティちゃん推しになったの!?」
幸太の裾を引っ張りながら、改札前の天井を指差す火恋。示された先には様々なキャラクターのイラストが描かれていた。
「へっ? い、いつからって……わりと前からそうだけど……」
京桜線を走らせる京桜電鉄は、少し前から経営戦略の一貫で多馬市にある有名テーマパークと提携していた。そのため多馬センター駅のホームや改札は、パークのキャラクターたち一色で染め上げられている。
火恋はかわいいものが好きだ。その対象は人間に限らない。すぐさま幸太にスマホを渡して「写真とって写真!」と願い出る。
撮影を引き受ける幸太。……だったが、いざ撮るとなると、オートフォーカスにもかかわらず何度もピントがぼけてしまった。スマホに慣れていないのもあるが、それ以上にデートの緊張が手元を震わせる。4度目の撮影で、ようやくまともな写真になった。
「どうしたの? いつもならこんな失敗しないのに」
「い、いや別に」
怪しまれまいと濁すも、その挙動自体がすでに怪しい。火恋も首を傾げている。
二人はその後、駅の南へ。
パルテノン大通りへ上がる階段に描かれた猫のキャラクターが目の前に現れると、火恋のテンションは再び最高潮に達し、ここでも幸太に撮影を頼んだ。京桜電鉄同様、多馬市もまたテーマパークと手を組み、さまざまな政策でキャラクターたちを登用している。その蜜月ぶりは市長の名刺に看板の猫のキャラクターを印刷するほどだ。
駅周辺の随所に散りばめられたキャラクターイラストに大興奮の火恋。ひとつ見つけては幸太の腕を掴んで連れ回し写真をせがむ。しまいには、
「あ。すみませーん。写真お願いしてもいいですか?」
なぜか赤の他人に撮影を頼みはじめた。
「お、おい。撮ってほしいなら俺がやるって」
「だって、さっきから撮ってもらってばっかだからさ。今度は二人で撮ろうよ」
「はぁぁっ!?」
唐突な提案に思わず身を引く幸太。
「……どしたの?」
「い、いやいやいやべつになんでも! で、でもほらあれだ! 周りだってみんな自分たちの写真で忙しいんだから、ここはほら! やっぱり俺が撮るって!」
半ばひったくるように火恋からスマホを受け取ると、幸太は「ほら早く立って立って!」と火恋の背中を押して急かす。彼女は「えーでもー」としばし抵抗を見せたが、すぐに観念して一人で写真に収まった。撮影スポットは順番待ちのため、時間をかけるわけにはいかない。
……正直、後悔がないわけではない。だが、恥ずかしすぎる。
どうせ撮った写真を見る度胸もないと自分に言い聞かせて諦めをつける幸太。それではデートの目的に適わないのだが、今の彼にそんなことを考える余裕はなかった。
駅周辺にある撮影スポットをひと通り回ったあと、二人はテーマパークへつながる通りに入る。映画館やファーストフード店、スポーツグッズ販売店などが立ち並ぶ賑やかなエリアだ。
とはいえ、財布に余裕がない二人が入れる店は限られる。その足は自然とゲームセンターへ向かった。
「幸太! あれほしいあれ!」
店頭のクレーンゲームを指さしながら火恋が幸太の腕に巻きつく。
いつもなら嬉しい以上に鬱陶しく感じる仕草。だが今だけは反射的に身を引いてしまうほど、その魅力と距離感が理性に危うい。
「そ、そっか……やってみればいいんじゃないか?」
「取って♪」
「……は?」
「とって♪」
妙に愛らしい黄色い声と笑顔を近づけながら強請る火恋。
反射的に顔を逸らす幸太。
「い、いやお前……やるなら自分でやれよ。いつも頼んどいて取れないと文句い」
「と・っ・て」
一転、両頬をぷくっと膨らませながら、ずいと顔を覗きこむように鼻先まで接近してくる火恋。あまりの急接近に動揺した幸太の喉が、うっと鳴る。
「……と、とれなくても文句いうなよ」
財布から100円を取り出し、投入口へ差しこむ。
それにしても妙だなと彼は思った……かわりにやれと催促してくるのはいつものことだが、ここまで強引に押し切るなんて今まで一度もなかった。断ると駄々こそ捏ねても、だいたい最後には自分でやるのだが……。
指も腕もまともに動かない中で繊細な操作が要求されるクレーンゲームなど成功するわけがないが、こうなった以上やるしかない。
火恋の所望は、真ん中あたりに鎮座するカエルのぬいぐるみ。長らくテーマパークの人気者、その一角として君臨するキャラクターだ。周りのぬいぐるみに埋もれているため、視認できるのは頭の一部だけ。
勝率はかなり低い。にもかかわらず隣の火恋は、クレーンを爛々とした目で追っている。もはや取れて当然といった感じだ。実際これまで火恋に代行を頼まれたクレーンゲームの勝率は9割以上。取れないと文句を言われるのもそれ故だ。
もう少し右……奥……緊張で自由の利かない右手を駆使し、なんとか狙いの場所で止める。
クレーンが降下。ぬいぐるみの海へ潜ったアームが閉じ、再び上昇すると、見事にカエルのぬいぐるみが釣り上がった。
「おー! やったやったー! さすがだね!」
景品口から出てきたカエルを高々と掲げながら喜ぶ火恋。
「ま、まぁ……」
照れ臭そうに目を逸らす幸太。その表情は得意げだが、心の中は激しく波立っていた。
ゲームセンターを出てからも、念願のおもちゃを手に入れたこどものようにカエルを抱きながら満面笑顔の火恋。そこまで喜んでもらえると、取れて良かったと心底から思う。
再び歩き出した二人は、隣りにある巨大なビルへ。壁面に描かれた人型イラストの真似をして火恋が遊んでいると、二人の携帯が震えた。
『あともう少しで終わるので、先にお昼に行っててください。由仁』
由仁からのメールだった。受信時刻は12時37分。確かにいい時間だ。
「だと」
「そっかー。じゃあ先に公園いこっか」
「ああ。……………………ん?」
火恋の返答を何の気なしに聞き流した幸太の表情が曇る。
「公園ってなんだ? 昼飯だぞ?」
「そうだよ?」
何を今さらと言わんばかりに火恋は自分のバックをぽんぽん叩く。
「……は? お前、まさか今日も弁当つくってきたのか?」
「え? だって由仁ちゃんから『お金はらうので三人分お願いします』ってメールきたし」
「……へ?」
「……え?」
由仁に仕組まれたのだと気づくまでに、時間はかからなかった。