本編

◯5月18日 國立市 カフェ

 第1回のミーティングから2週後の土曜日。
 新生ライトノベル同好会は再び國立市に集合した。前回のファミレスは鼻血騒動で入店が憚られるため、今回は國立駅近くのファストカフェ。その木漏れ日あふれるテラス席だ。
 この日は、幸太と火恋のノートの確認から始まった。
 幸太のノートは、作品名、巻数、ページ数と行数、面白かった点とその理由をとにかく箇条書きにしていた。一方、火恋のノートは、見開き1ページを表に見立て、作品名、巻数、ページ数、行数、分析項目のカテゴリ、そして分析結果を書いていくスタイルだ。
 どちらのノートも100ページを優に超えていた。
 由仁は二人のノートを10分ほど眺める。

「……いい感じですね。まだ粗いですけど、見るべき点には目が届いてる印象です」
「ほ、ほんとに?」

 褒められると思っていなかったのか、驚く火恋。また厳しく詰められるのではと内心おびえていた幸太も、予想外の賞賛に少し安堵した。……が、
「勘違いしないでください。内容はまだまだ甘いです。理由が曖昧ですからこのまま創作には生かせません。そもそも理由になってないものも多いです。これとか」
 幸太のノートの一部を指差す由仁。
 将棋をテーマとした作品の対局シーンを、熱いからとだけ理由づけしている箇所だ。

「熱いからなのは確かにそうですけど、なんでそう感じたのか考えないと意味がありません」
「で、でも、正直そうとしか……」
「そうとしかで考えるのをやめてはダメです。間違ってもいいから『こうじゃないか』という仮説を持ってください。仮説を立てて、それに沿った作品を書いて読んでみる。結果、熱いと感じなかったら、それは間違いだったと捨てればいいんです」
「間違ってもいいんですか?」
「間違えることで可能性がひとつ潰せます。一歩ですけど前に進めます。考えることをやめたら、そこで立ち止まり続けるだけです」
「……あ」
「間違えることは前進です。停滞でも後退でもありません。次は同じ失敗をしませんから、成功の確率が上がります。挑戦しないこと、考えないことこそ、停滞であり後退です」
「……いわれてみると、たしかに」

 意外な発見を噛みしめるかのように頷く火恋。

「最初から面白い作品が書けた人はいません。面白くない作品をたくさん書いて、失敗して、試行錯誤して、少しずつ面白い作品が書けるようになったんです」
「「……」」
「これも同じです。キャラクターの対局にかける熱い思いがあるからなのか、立ちはだかる巨大な壁に立ち向かう主人公の姿が熱いと感じるのか。それとも文章的な技術の影響なのか。短文をひたすら改行してスピード感を演出しているのか、あえて改行しないで読みの速度が上がるようにして熱量の代わりとしているからなのか。あるいは単語自体に力があるのか。考えられる理由はたくさんあります。少なくともシーンの内容に力があるのか、それを表現するテキストの力なのか、それだけでもはっきりさせてください」
「な、なるほど」
「ただ、ここで大事なのは客観的な理由を探すことです。先輩たちだけがそう感じる理由ではいけません。多くの人が共感できる理由かどうか見極める癖をつけてください」

 由仁の教えに、幸太は我が身を振り返る。
 こういう展開のほうがなんとなく面白い、こういうキャラクターのほうがなんとなく格好いい可愛い……思えば自分の作品は、数え切れない「なんとなく」の上に成り立っている。
 世間一般が面白いと思えるかどうかという視点など、持ったことがなかった。
 こうした細かいところのレベルが根本的に違うのだろう。新人賞に値する彼女のような人と、そうでない自分では。

「で、でもさ……みんなもそう思うかどうかって、どう判断すればいいの? 一人ひとり聞いて確かめるとか?」
「それはさすがに効率が悪いです。ネットが一番ですね」
「ラノベの書評ブログを見て勉強するとか、ですか?」
「ライトノベルにこだわる必要はありません。文芸小説でも映画でもいいですし、それ以外にもゲームのプレイ動画やアニメを見て視聴者のコメントを眺めるのも一つです。多くの人が同じコメントをしていれば、それは多くのファンが惹かれるポイントだとわかります」

 由仁はリュックからパソコンを取り出す。

「ですので、今後は余裕があれば、世間が魅力に感じる要素がどんなものかも調べてみてください。ただ無理はしないでいいです。1日1本プレイ動画のコメントを流し見るくらいでも構いません」
「は、はい」「う、うん」

 由仁のアドバイスを漏らさずメモする二人。

「では、今日の本題といきましょう。まず聞いておきたいんですが、お二人とも作品を書きたいテーマとかありますか?」
「テーマ……ですか」「うーん……」
「ああ。いま無理してひねり出さなくていいです。むしろないほうが助かります」
「え?」「どういうこと?」
「ちょっと制限を加えさせてもらいたいので」
「「制限?」」
「今回は、これまでライトノベルでほとんど取り上げられたことのないテーマで書いてもらいたいと思います」
「……取り上げられたことがない」「テーマ……?」

 由仁はパソコンの画面を二人に向ける。映し出されているのは、彼女の受賞作の他賞によるレビュー。どうやらGBの前に他へ応募していたようだ。

「私の場合、受賞作を書くにあたって同じ方法を使いました。漫画や映画などの人気作品を徹底的にチェックして、ライトノベルであまり見ないテーマを探したんです。そして、ある漫画雑誌で帆船時代の戦記を描いた作品が1000万部を超えているのを知って、ここだと思いました。それで書いた受賞作を、受賞前に別の賞へ出したときのレビューがこれです」

 画面に映る編集者のコメントを食い入るように見つめる幸太と火恋。

『帆船のバトルファンタジーは珍しいので興味を持ちました』
『帆船という難解なジャンルを一つのファンタジー作品としてわかりやすく魅力的に演出できているのが見事でした』

 受賞に届かなかったのが不思議なほど、絶賛の嵐だ。

「誰も書いてこなかったテーマでも、意外と受け入れられるんですね」
「最終的な判断は面白いかどうかですから。この方法はテーマ自体でオリジナリティを出せるので、うまくライトノベルとしてまとめられれば、かなり強いです。ネット投稿などには向きませんけど、新人賞ではとても有効な方法ですね」
「そうなんだぁ。ちょっと意外」
「でも言われてみると確かに、知らない世界がテーマのラノベって意外とありますよね。将棋とか政治とか農業とかシステムエンジニアとか。漫画でも、競技かるたとかハッカーとか」
「はい。ただ、レーベルによるところはあります。流行ジャンルや既存ジャンルが強いレーベルとは相性が悪いですし、過去に似たジャンルの作品が売れなかったところに応募しても、落ちる可能性が高いです」
「なるほど……」
「前にも話しましたけど、キャラクターはテンプレが重要です。ここは動かせません。じゃあストーリーや作風でオリジナリティを出すかというと、なかなかそうもいきません。そこの修行をこのノートで頑張ってもらってはいますけど、今から数ヵ月でレベルを大きく上げられるほど簡単じゃないのも事実だからです。そこで保険として、作品のテーマそれ自体でオリジナリティを出してもらおうと思います」

 由仁はパソコンのキーボードを叩きながら、話を続ける。

「レーベルにもよりますが、オリジナリティには大きく2つあります。テーマ自体が斬新という意味でのオリジナリティと、既存ジャンルの見せ方が斬新という意味でのオリジナリティです。後者は既存ジャンルに関する知識や感性が必要なため一朝一夕では形にできませんけど、ジャンル自体が確立されているため、外れるリスクが少ないです。前者はテーマ探しに嗅覚が必要ですが、これはそこまで難しくありません。ただ、応募できる新人賞が限られる点、ジャンルについて学ぶ時間が必要な点、学んだ知識をライトノベルとしてまとめるのが難しい点がデメリットです。結局どちらも一長一短ですね。今回、後者を選ぶのは、先輩たちに時間がないのと、私がサポートすることでデメリットを解消できるからです」

 由仁の説明に頷く幸太と火恋。

「では、次の宿題を渡しておきます。今から3週間を使って、応募作のプロットをつくってください。まだなにも教えていないので、いま言ったテーマのことだけ考えて、あとは自由にやってもらってかまいません。それを手直しして1ヵ月後にプロット完成、そこから1ヵ月半で作品を書いてもらいます」
「ってことは……」「い、一作3ヵ月……」

 絶句する幸太と火恋。死ぬ気で努力する誓いを立てたとはいえ、文字通り殺人的なペースをノルマとされれば、動揺するのも無理はない。

「時間がありませんから。ただ、3日とか4日置きくらいにデータを送ってください。3週間後にすべてを見るのは厳しいので、定期的に方向性や不足を修正していきましょう。それと、いま一つのファイルを先輩たちのメールアドレスにお送りしておきました」

 同時に火恋がスマートフォンをチェック。幸太が横から覗きこむ。
 送られてきたのは、一つのpdfファイル。
 タイトル『ライトノベル創作について』

「私の創作に関する考えをまとめておきました。プロットをつくるときの参考資料です」

 火恋がファイルをめくっていく。1ページに1つの配分でライトノベル創作に関する理論が図解とテキストで簡素かつ明快にまとめられていた。
 キャラクターの魅力は極端であるべき。
 設定にはリアリティがなければならない。
 ストーリーの熱量はラストほど高くなければならない。
 文章技巧・表現について。
 その総ページ数、252。
 誰もが認める一流作家の築き上げた技術の結晶が今、自分たちの手の中にあった。

「え……これ、もらっていいの?」

 突然の過分な送り物に、驚きを隠せない火恋。幸太も同じ気持ちだった。

「べつに隠すものでもないですから。それに他人の成功体験はあくまで一つの事例です。先輩たちが同じようにやって成功できるとは限りません。参考程度にしてください」

 由仁はパソコンを閉じて「よいしょ」とリュックにしまう。

「今日のところはそんな感じです。では、3週間後までにプロットをお願いします」



 第2回ミーティングは昼前に終了。その後、軽く歓談してから解散となった。
「仕事があるので」という由仁を國立駅まで送ってから、幸太と火恋は帰路につく。
 気温が上がり切らずに春めいた肌寒さの残る昼下がり。やわらかな日差しに湿る街道を、二人は自転車を押しながらゆっくり歩く。

「キャラクターの語尾とかまで事前に考えてるんだ。へぇ~」
「確かに言葉遣いって大事だよなぁ……それだけで惹かれるキャラいるし」
「セリフもサンプルでいいから、先に書いといたほうが良いんだって」
「なんで?」
「えーっとね……それでキャラのイメージがしっかりして書きやすくなる……あーこれわかるかも。書いてて『この子どんなふうにしゃべるんだろう?』って悩むこと結構あるし」

 火恋はスマホで由仁のスライドを眺めながら歩いていた。
 マナーとしては最悪だ。しかし、逸る気持ちを抑えられないのも幸太には理解できる。だからあえて注意はせず、かわりに彼が目となって往来の邪魔にならないよう注意していた。
 口にこそしないが、火恋も幸太の気遣いに感謝しているのだろう。先ほどから目を通したスライドの内容を必ず読み上げている。彼にも届くように。

「それにしても……やっぱりすごいんだね。受賞する人って」
「……ほんとになぁ。あそこまで考えてるんだもんなぁ」

 自然と漏れるつぶやきには、もはや感嘆しか宿らない。
 改めて悠奈と由仁が積み上げた膨大な努力、その驚異を思い知るスライドだった。自分と比べることさえ憚られる、圧倒的な質と量の努力を。
 間もなく火恋の自宅というところで、彼女がスマホをジャケットにしまう。
 会話がぱたりと途切れた。
 無言のまま、自転車を押したまま、街道を南下する二人。どちらとも交わす言葉を持たず、ただ静かに歩を進める。
 幸太の心中を漂うのは、やるせなさにも似た徒労感だった。無力感とでもいうべきか。
 新しい知見を得た充足感、貴重なデータまで用意してくれたことへの嬉しさは確かにある。
 だがそれよりも、夢と現実を隔てる埋め難いほどの実力差を目の当たりにした痛恨のほうが大きい。
 自分には足りないものが多すぎる。突きつけられたその現実を前に、今は未来を夢見るよりも、そこに手が届くのかと堪らず不安になる。

「……でもさ。ちょっと安心した」

 赤信号の交差点で立ち止まったとき、幸太の心を見透かしたかのように火恋が口を開いた。

「安心、って?」
「こうして実際に成功した人の話を聞くと、ちょっとは道が見えてきたっていうか……レビューでもっとこうしましょうって書かれても、具体的にどうすればいいか分からないから、そういう作品を書き続けちゃうわけでさ……だから直そうにも直せなくて、ずっと困ってて」
「たしかになぁ……二人で延々悩んで結局なんにも変わんなかったよなぁ」
「でも、こうして具体的にやればいいことが分かると、やっぱり安心する。悠奈ちゃんは参考程度にって言ったけど、参考にできるものがあるだけで、だいぶ違うし」

 自転車に跨る火恋。



「……ほんと、ありがとね、幸太」



 信号が変わった。

「え?」
「ほ、ほら青だよ青!」

 火恋はわざとらしく信号を指差すと、そのまま逃げるように走り出す。らしくもなく声を少し上ずらせながら。
 見え見えの照れ隠しだった。
 気心知れた相手ほど、面と向かって感謝するのは恥ずかしいもの。年頃なら尚更だろう。
 いつも、誰に対しても、裏表のない火恋。
 そんな彼女が恥じらいながら届けた感謝に、幸太はしばし茫然。
 にわかに体中を走り出す微熱とむず痒さ、そして逸る鼓動。
 身の内からこみあげる動揺が、隠し切れない。耳を染める赤、固く結ばれた唇、遠のく彼女に結ばれたまま虚ろに彷徨う視線、踏み出せない両足……。

(……そういうとこがずるいんだよ)

 なにかをごまかすように後頭部を掻きながらひとり呟く。
 いつもそうだ。普段はまるで鈍感なくせに、こっちが無防備なところへ狙い澄ましたかのように思わせぶりな一言を投げてくる。
 そのたびに、淡く一方的な恋心が焦らされる。
 ―――本当にうまくいくのか、正直なところ不安しかない。
 だが、火恋が確かな勇気を手に入れた。今はそれだけでいい。
 そのために悠奈に頼んだのだから。
 間もなく、信号が点滅しはじめる。
 幸太も自転車に跨り、急いでペダルを漕ぎ出した。
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