本編
関土橋手前の交差点が変わるのを待っている時、悠奈は幸太に尋ねた。
「……如月先輩って、時間とれるんですか?」
「え?」
「いえ、その……家事とかぜんぶ先輩たちが自分でやってるんですよね? 学校の時間もあるし勉強もしないといけないし……」
「あぁ、なるほど」
信号が変わり、2人は自転車を漕ぎ出す。
「たしかに俺なんかと比べると、あいつは圧倒的に時間がないですね。いくら弟や妹と分担してるっていっても、やっぱり限界がありますから」
「そう、ですよね」
「まぁでも、やると言ったらやるやつですから、大丈夫だと思いますよ。……むしろあいつの問題はべつのところにあるんです」
「べつの問題?」
「えぇ……まぁ、その……」
幸太はそこまで話して、なぜか沈黙。しばらく考えこむように黙りこんでいた。
「……さっきも話したように、あいつん家は両親が共働きなんです。それでも10人家族を養うには収入がギリギリで……だからあいつ、たぶん大学には進学しないんです」
「……就職、ですか?」
「ええ。本当は中卒で就職するつもりだったらしいんですけど、本音では高校に進学したかったのを親がわかってたみたいで、最終的に高校に進んだんです。ただ、大学に進む気はないみたいですね。下の子たちも進学して学費がかかりだしますから」
「……ええ」
「で。あいつ中学時代からライトノベルにはまりだして、時間があれば立河のラノベ図書館に入り浸ってたらしいんです。それでいつからか作家になりたいと思ったらしくて。ただ、そういう家庭事情なんで、最初は家族に隠れて応募してたそうなんです。でも、それがあるとき妹たちに、さっきの葵ちゃんと三女の澪ちゃんに見つかって」
「見つかって?」
「大半を火恋がやってた家事を、いつからか二人も分担するようになったそうです。表向きは大変そうだったから手伝いはじめたって理由らしいですけど、あいつが少しでも夢を追う時間をつくってあげようって意図なのは、まぁ見え見えでして。で、それを後から知った長男の翔大くんも手伝うようになって、いまでは四人で回してるんです」
「……いいご家族ですね」
「ただ、さすがにいつまでも夢を追うのは家族に迷惑がかかるから嫌らしくて。ちょうどそのころ俺があいつと出会って、意気投合して、同好会をつくってたんです。高校を卒業するまで本気でやって、なれたら専業か兼業かは置いといて、その道にも進む。なれなかったら諦めて仕事に集中するって」
「でも、仕事しながら目指してる方も、たくさんいますよ?」
「あいつ、仕事に影響が出るのを心配してるんです。クビにでもなったら、シャレにならないですからね」
「……長月先輩も、高校卒業までしかやらないんですか?」
「……まぁ……自分だけやるのも、ちょっと気が引けるというか……」
恥ずかしそうに言葉を濁す幸太。
やがて十字路に差しかかった。自宅が多磨市の幸太は南、火野市の悠奈は西が帰路だ。
「と、とにかく! そんなこんなで大丈夫だとは思います。じゃ、じゃあまた2週間後!」
幸太は早口で言い残して、そそくさと帰っていってしまった。
悠奈はしばしぽかんとしていたが、自分の信号が変わると自転車を漕ぎ出し、聖積桜ヶ丘駅方面へ向かう。……先ほどの幸太の話を振り返りながら。
彼がストーカー紛いの執念で自分を追い回していた理由も、今ならわかる。
高卒までしか猶予がない火恋のために、夢を追う最高の環境を用意しようとしたのだ。
恥も外聞も捨てて。ほかでもない、友の夢のために。
もしこれが小説の世界なら、美しい絆で結ばれた二人の夢は必ずかなうだろう。
(……)
だが。
どれほどきれいな友情も、どんなに尊い家族愛も、
現実においては、時に、あまりにも無力だ。
二人の境遇など、ほかの応募者の知るところではない。彼らは容赦なく、そのすべてを注ぎこんで、全身全霊で二人を潰しにくる。自分の夢をかなえるために。
それが、新人賞だ。
夢を現実に変えるために必要なものは、ただ一つ。
彼らよりも、誰よりも、努力すること。
努力したものが勝ち、努力で劣ったものが敗れ去る。あまりにもシンプルで、だからこそ覆しようのない、絶対不変の真理。
そして、努力のために何より必要なのは、時間だ。
二人にはそれがない。そして、わずか1年でアマチュアを受賞させるのは、自分が技術や心構えを教えても簡単なことではない。
(……どうしようかな)
悠奈は自転車を漕ぎながら、これからの方針について考える。
話を受けた時から不安はあった。それが、先の幸太の話で少なからず膨れ上がった。
彼が話しにくそうにしていたのは、こうなるのを……余計なプレッシャーを与えるのが申し訳なかったからだろう。話してくれたのは、顧問を引き受けた自分に核となる理由を隠し続けるのもまた申し訳ないと感じたからだろうか。
(でも……これが良いきっかけになるかも……)
自らを奮い立たせるように、心の中で呟く悠奈。
これを乗り切れば、自分の殻を破れるかもしれない。
次が、見つかるかもしれない……。
大丈夫だ。自分だって運で受賞したわけじゃない。きちんと戦略を立てて、狙って新人賞を獲ったんだ。
自分を安心させる言葉が、無意識に次々と脳内を駆け巡る。縋れる希望を求めるように。
正面に見える夕陽は、まもなく沈もうとしていた。
「……如月先輩って、時間とれるんですか?」
「え?」
「いえ、その……家事とかぜんぶ先輩たちが自分でやってるんですよね? 学校の時間もあるし勉強もしないといけないし……」
「あぁ、なるほど」
信号が変わり、2人は自転車を漕ぎ出す。
「たしかに俺なんかと比べると、あいつは圧倒的に時間がないですね。いくら弟や妹と分担してるっていっても、やっぱり限界がありますから」
「そう、ですよね」
「まぁでも、やると言ったらやるやつですから、大丈夫だと思いますよ。……むしろあいつの問題はべつのところにあるんです」
「べつの問題?」
「えぇ……まぁ、その……」
幸太はそこまで話して、なぜか沈黙。しばらく考えこむように黙りこんでいた。
「……さっきも話したように、あいつん家は両親が共働きなんです。それでも10人家族を養うには収入がギリギリで……だからあいつ、たぶん大学には進学しないんです」
「……就職、ですか?」
「ええ。本当は中卒で就職するつもりだったらしいんですけど、本音では高校に進学したかったのを親がわかってたみたいで、最終的に高校に進んだんです。ただ、大学に進む気はないみたいですね。下の子たちも進学して学費がかかりだしますから」
「……ええ」
「で。あいつ中学時代からライトノベルにはまりだして、時間があれば立河のラノベ図書館に入り浸ってたらしいんです。それでいつからか作家になりたいと思ったらしくて。ただ、そういう家庭事情なんで、最初は家族に隠れて応募してたそうなんです。でも、それがあるとき妹たちに、さっきの葵ちゃんと三女の澪ちゃんに見つかって」
「見つかって?」
「大半を火恋がやってた家事を、いつからか二人も分担するようになったそうです。表向きは大変そうだったから手伝いはじめたって理由らしいですけど、あいつが少しでも夢を追う時間をつくってあげようって意図なのは、まぁ見え見えでして。で、それを後から知った長男の翔大くんも手伝うようになって、いまでは四人で回してるんです」
「……いいご家族ですね」
「ただ、さすがにいつまでも夢を追うのは家族に迷惑がかかるから嫌らしくて。ちょうどそのころ俺があいつと出会って、意気投合して、同好会をつくってたんです。高校を卒業するまで本気でやって、なれたら専業か兼業かは置いといて、その道にも進む。なれなかったら諦めて仕事に集中するって」
「でも、仕事しながら目指してる方も、たくさんいますよ?」
「あいつ、仕事に影響が出るのを心配してるんです。クビにでもなったら、シャレにならないですからね」
「……長月先輩も、高校卒業までしかやらないんですか?」
「……まぁ……自分だけやるのも、ちょっと気が引けるというか……」
恥ずかしそうに言葉を濁す幸太。
やがて十字路に差しかかった。自宅が多磨市の幸太は南、火野市の悠奈は西が帰路だ。
「と、とにかく! そんなこんなで大丈夫だとは思います。じゃ、じゃあまた2週間後!」
幸太は早口で言い残して、そそくさと帰っていってしまった。
悠奈はしばしぽかんとしていたが、自分の信号が変わると自転車を漕ぎ出し、聖積桜ヶ丘駅方面へ向かう。……先ほどの幸太の話を振り返りながら。
彼がストーカー紛いの執念で自分を追い回していた理由も、今ならわかる。
高卒までしか猶予がない火恋のために、夢を追う最高の環境を用意しようとしたのだ。
恥も外聞も捨てて。ほかでもない、友の夢のために。
もしこれが小説の世界なら、美しい絆で結ばれた二人の夢は必ずかなうだろう。
(……)
だが。
どれほどきれいな友情も、どんなに尊い家族愛も、
現実においては、時に、あまりにも無力だ。
二人の境遇など、ほかの応募者の知るところではない。彼らは容赦なく、そのすべてを注ぎこんで、全身全霊で二人を潰しにくる。自分の夢をかなえるために。
それが、新人賞だ。
夢を現実に変えるために必要なものは、ただ一つ。
彼らよりも、誰よりも、努力すること。
努力したものが勝ち、努力で劣ったものが敗れ去る。あまりにもシンプルで、だからこそ覆しようのない、絶対不変の真理。
そして、努力のために何より必要なのは、時間だ。
二人にはそれがない。そして、わずか1年でアマチュアを受賞させるのは、自分が技術や心構えを教えても簡単なことではない。
(……どうしようかな)
悠奈は自転車を漕ぎながら、これからの方針について考える。
話を受けた時から不安はあった。それが、先の幸太の話で少なからず膨れ上がった。
彼が話しにくそうにしていたのは、こうなるのを……余計なプレッシャーを与えるのが申し訳なかったからだろう。話してくれたのは、顧問を引き受けた自分に核となる理由を隠し続けるのもまた申し訳ないと感じたからだろうか。
(でも……これが良いきっかけになるかも……)
自らを奮い立たせるように、心の中で呟く悠奈。
これを乗り切れば、自分の殻を破れるかもしれない。
次が、見つかるかもしれない……。
大丈夫だ。自分だって運で受賞したわけじゃない。きちんと戦略を立てて、狙って新人賞を獲ったんだ。
自分を安心させる言葉が、無意識に次々と脳内を駆け巡る。縋れる希望を求めるように。
正面に見える夕陽は、まもなく沈もうとしていた。