本編

 中学時代、オタクだと馬鹿にされて浮いていた幸太にとって、高校の入学式は期待と不安が入り混じる複雑な1日だった。
 中学のときのように「気持ち悪い」と足蹴にされ、孤独な3年間が始まるのか。
 同じ趣味を語り合える、そこまでいかずとも一緒に学生生活を楽しめる、はじめての友達ができるのか。
 少しでも希望どおりになるよう、必死に勉強して都立トップクラスの國立高校に入った。偏差値の高い高校ならまともな生徒が多いはず。自分と違うだけで他人を馬鹿にする生徒はいないはず。そう考えたのだ。変わった生徒が多いと噂されていたのも決め手だった。
 しかし、それでも不安は拭えず、過呼吸気味になるほどの緊張に胸を押し潰されたまま、新しいクラスメイトたちの自己紹介を俯きながら聞いていた。
 もちろんアニメやライトノベルが好きだなんて言う生徒はいない。むしろオタク気質を欠片も感じさせない、今風の少年少女ばかりだった。
 ここもダメか……幸太は諦めかけた。
 その矢先だった。

(附中の明誠中から来ました如月火恋です。8人きょうだいの一番上で保育園のお迎えとか行かなきゃいけないんで、放課後あんまり時間とれない日も多いんですけど、かまってやってください! 好きなものは料理とスポーツ全般。あとゲームとかライトノベルとか。土曜日はだいたい立河のラノベ図書館に入り浸ってます。よろしくお願いします!)

 衝撃だった。
 その少女は、クラスメイト全員の前で、堂々とライトノベルが好きだと言い放った。
 幸太は驚きのあまり、思わず顔を上げて彼女のほうを見た。
 目が合った。彼女は笑顔を返してくれた。
 いまだに欠片も色あせないほど強く記憶に残った、優しく、明るい笑顔。

(……!)

 瞬間、幸太は自分の心臓が大きく跳ねる音を聞いた。
 まるで太陽のような少女だと思った。
 それが、長月幸太と如月火恋の出会い。そして。
 ―――彼の初恋の瞬間だった。



 その後、回ってきた自己紹介で、幸太もアニメやラノベが好きであることをカミングアウトできた。火恋のおかげだった。
 帰路につこうとした時、彼のもとに火恋がやってきて、その日は延々と好きなラノベの話をしながら帰った。
 あの作品、読んだ?
 読んだ読んだ! ラストで号泣してページ破けて、読破までに4冊も買った!
 そ、そうなんだ……あはは。
 ―――以来、二人はほぼいつも一緒だ。背景は違えど、火恋も同じ趣味の話が通じる友達に飢えていたらしかった。
 そこへやがて、同じ趣味を隠していたほかの生徒も集まってくるようになった。クラスの5分の1くらいがラノベやアニメやゲームが好きだと知ったのは、わりと驚きだった。
 それ以外の生徒とも、うまくやれた。幸太が期待したとおり、國立高校の生徒は皆まともだった。オタクだからという理由で軽蔑などしない。一緒に昼ごはんを食べ、勉強を教え合い、遊び、帰った。
 中学時代が嘘のように楽しくて仕方なかった。

「長月先輩はどうですか?」

 由仁が尋ねる。覚悟を計るように力強く。
 だが、彼の心は揺るがない。
 答えは、もう決まっている。

「……もちろんです。すみませんでした」
「……わかりました。ただ、言ったからには、本気でやってもらいますよ」

 その言葉に、力強く頷く幸太と火恋。
 由仁は納得したのか、手帳を開いて予定を確認しはじめる。

「繰り返しですが、まず魅力ある作品とは何かを知ることから始めましょう。ライトノベルを読んで、なぜこのストーリーは多くの読者が惹かれているのか、なぜこのキャラクターはみんなが魅力だと感じるのか、自分なりに考えてメモしていってください。分析するのはキャラクター、ストーリー、設定、文章の4点。特にキャラクターです。作品はなんでもかまいません。ジャンルも問いません。再来週の土曜日に経過を確認させてもらいます」



 その後、今後のスケジュールを調整してから三人はファミレスを出た。

「二人とも、帰りは自転車?」
「俺はそうだけど」
「わ、私もです」
「あれ? 通学はいつも電車でしたよね?」
「そ、それは……そのほうが、逃げやすかったから……」
「……ご、ごめんなさい」

 会計のあたりから由仁の人格は悠奈に戻っていた。聞けば「私は説明とかあまり向いてないので……」とのことで、ミーティングでの指導は由仁が、原稿のチェックは悠奈が一任することになったそうだ。
 開口一番「わ、私……変なこと言いませんでしたよね?」と尋ねてきたので、どうやら由仁としての記憶はあやふやな部分も多いらしい。
 三人は高校で自転車を拾うと、そのまま附中市方面へ走る。
 やがて京桜線の分倍川原駅が見えてきた。その手前にある十字路を西に曲がれば、火恋の家はすぐそこ。幸太と悠奈の自宅は多磨市と火野市のため、もう少し先だ。
 だが、先頭を走っていた火恋は、信号が変わると十字路を直進。幸太もそれに続いた。

「あれ? 帰り道こっちじゃ……」
「ああ、ちょっとあいつの手伝いがあるんです」
「手伝い?」

 首を傾げる悠奈。
 幸太は「先に帰って大丈夫ですよ」と言ったが、気が引けるのか彼女もついてくる。
 火恋がやってきたのは、スーパーだった。

「んじゃ、幸太。これおねがい」

 自転車を駐輪場に停めると、火恋がスマートフォンで幸太にメールを送る。
 ニンジン3袋、ジャガイモ3袋、タマネギ5袋、ナス5袋、卵5パック、牛乳8本……

「……こ、これなんですか? すごい量ですけど……」

 横から覗きこんでいた悠奈が幸太に尋ねる。

「あいつの今日の買い物リストです。これでも半分なんですよ。もう半分はあいつの担当で」
「こ、この倍? なんでそんなに買うんですか?」
「あいつん家、大家族なんですよ。両親2人に子どもが8人。全部で10人家族なんで」
「じゅ、10人!?」
「ええ。一番上が16歳のあいつで、一番下が4歳の五女。両親は共働きだから、家のことは長女のあいつを中心に上の4人が交替で回してるんです。で、俺はあいつが買い物をするときに協力してるんです」
「そ、そうなんですか」

 入り口で火恋と別れた幸太は、指示された食材をあっさり探し当ててはカートのかごに放り込んでいく。悠奈も手伝ったが、はじめての店内に戸惑い、彼のようにはいかなかった。

「終わった?」

 メモを消化した頃、火恋がカートを押しながらやってきた。こちらもかごの中は食材と日用品が山盛りだ。
 会計を済ませ、火恋が持ってきた6枚のエコバックにすべて詰めると、3人で2つずつ持って駐輪場へ。自転車を回収し、押しながら帰路につく。
 火恋の自宅は、スーパーから歩いて5分ほどのマンションだった。
 先に自転車を停めてくるという火恋。幸太と悠奈は、しばし正面で待機する。

「「「にいちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」」」

 何やら慌ただしい足音とともに、上階のほうから叫び声が聞こえてきた。

「な、なんですか?」
「あーそっか……。今日あいつらも休みか……」
「あいつら?」
「火恋の弟と妹たちでずぶぅぇっ!」

 言い切るまえに幸太の体になにかが衝突。あまりの激痛に悶絶し、その場に無言で蹲る。

「うちとったりー!」
「おかし! おかし! おかしどこおかし!」
「あーもえちゃんずるい! はるもおかし! おかし!」

 苦しむ幸太には一瞥もくれず、彼が持っていた袋に群がる三人。全員幼稚園から小学校低学年くらいだろうか。小さな襲撃者たちは、我先に目当てのものを探し当てようと血気盛んだ。

「こらぁっ! あんたたちなにしてんのっ!」

 今度はその身内と思しき少女がマンションから出てきた。火恋よりも緋色に近い緩く波打つセミロングに、優等生を思わせる理知的な眼鏡が印象的な少女だ。

「あおねえきた! にげろー!」
「「にげろー!」」

 三人は目当てのものを手に、現れた少女の脇を駆け抜けてマンションへ逃げ帰った。

「まったく、いっつもいっつも! ……すみません、幸太さん。大丈夫ですか?」
「へ、平気平気……いやぶっちゃけかなり痛いけど、わりと慣れたし……」
「それもそれでって感じですけど……。ところで幸太さん、こちらの方は?」

 少女が悠奈を見ながら尋ねる。

「高校の後輩の子。用があって一緒だったんだけど、買い物も手伝ってくれたんだ」
「そうだったんですか。わざわざありがとうございます。荷物お預かりします」
「あ。いえ……」

 年に似合わない大人な対応を見せる年下の少女に、悠奈は少し照れくさそうだった。

「あれ、葵? もう帰ってたの?」

 火恋が駐輪場から戻ってきた。

「図書館がいつもより早く閉まっちゃって。荷物これでぜんぶ? 先に持ってっちゃうね」
「おーありがとー」

 葵はその細腕で6つのエコバックを持つと、そのまま楽々と階段を上がっていった。

「いやー、二人とも助かったよ。悠奈ちゃんありがとね」
「い、いえ」

 二人はそこで火恋と別れた。
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