本編

 ―――それは、突然の襲撃だった。

「だ、だめです艦長! これ以上は凌げません!」

 その船団は、イグニスのはるか西方を走っていた。西の新大陸から物資を運ぶ商船団とそれを護衛する護送戦隊の集団だ。
 護送にあたっていたのは、イグニス海軍・第一〇戦隊。発見されたばかりの新大陸と本国を結ぶ輸送船の防衛を専任とする特例戦隊だ。その規模は一〇隻。ほかの戦隊による支援を望めず、また未知の要素が多い海域を走るため、その戦闘力はイグニス海軍のなかでも際立っていた。

 ―――その戦隊がいま、炎上していた。

 一〇隻あった輸送船はほぼ全焼し、第一〇戦隊も六隻がマストを失って航行不能。さらに三隻が帆を失うなどして戦闘不能寸前に追い込まれていた。

(……海上でこれほどの炎熱系魔法を操るとは……信じられん)

 唯一無傷の旗艦からその惨状を目の当たりにした第一〇戦隊提督、シェルバ・ウォルハートの心には、怒りよりも先に驚きが湧き起こった。まさか海上戦闘で自分たちを圧倒するほどの《炎熱系魔法》を操る航戦魔道士がいるなどとは、信じられなかったのだ。

「シェルバさん! このままでは……っ!」

 どんな非常時でも常に冷静な副長も、このときばかりは例外だった。

「……やむを得ん。ロアークまで撤退だ! 戦える艦は殿として離脱を援護しろ! 急げ!」

 圧倒的敗北を喫した第一〇戦隊は、為す術なく逃亡するしかなかった。



     ⚓



 イグニス海軍・第一〇戦隊を壊滅させたのは、たった六隻からなる戦隊だった。
 構成は二隻の鋼鉄魔道戦艦と、四隻の木造魔道戦艦。全艦に航戦魔道士を乗せており、操る魔法は《全員が炎熱系》という、およそ海軍には異色の戦隊だ。
 ―――グランディア海軍・ツィーロン戦隊。
 グランディアは、二年前にグラム皇帝が即位して以降、大陸の覇権獲得を目論んで侵略政策を断行し続ける軍事大国だ。その版図はこの二年で倍以上に膨れ、現在は東方の大国インペリウムへの侵略戦争を断行している。
 ツィーロン戦隊は、そのグランディア海軍においてブレストウッド戦隊と双璧を為す、二大戦隊の一つだ。
 そのうちの一隻の鋼鉄艦がいま、もう一隻の鋼鉄艦へ接舷した。ただ一隻、船体だけでなく帆までが黒一色に染まった悪魔のような船だ。そして甲板から一つの人影が宙を舞い、もう一隻の鋼鉄艦へ飛び移る。

「ベルガ! これはいったいどういうつもりだ!」

 開口一番、怒声を張り上げたのは、一人の少女だった。
 鮮やかだがボサボサの金髪をアップにまとめており、精悍だが蠱惑的な褐色の肉体には、胸元の大きく開いた半袖のシャツに、腿の付け根からバッサリ乱暴に切り落とされたショートパンツを身に着けている。その上から海軍の提督用に用意された立て襟の黒いジャケットを羽織っているが、これも肘から先を乱暴に切り落としていた。そして四肢の首には、大量の赤い鉱石がはめこまれた金属輪を身につけている。
 ―――ジャンヌ・リーゼロッテ。
 ツィーロン戦隊の第二分隊を率いる、俊英と名高い少女だ。

「あぁ? うっせぇな。なんか文句でもあんのか?」

 彼女が歩み寄る先で待っていたのは、後部甲板の舷側に腰をかけて海を眺めている一人の男だ。獅子のような風貌と屈強な巨躯から、おそらく初対面の誰もが残虐にして粗暴という第一印象を抱くだろう。そして、それは欠片も間違いではない。
 第一分隊、そしてツィーロン戦隊すべてを率いる提督、ベルガ・ヴォルファング。かつて私掠船の首領として悪名を馳せ、その手腕から海軍に招聘された非道の船乗りだ。

「なぜこんな遠くにまで出てきた! 分遣隊の護衛が最優先だと言ったはずだ!」
「なんだ、んなことかよ。いいだろべつに。……いやしかし、まさかここまでお前の言ったとおりに事が上手く運ぶとはなぁ。輸送船だけ狙えば二倍くらいの戦力差なら問題ないなんて、どんな寝言かと思ったが、事実だったみてぇだな」
「私が言ったのは、輸送船団を壊滅させるだけなら、相手が倍程度の護送戦隊を伴っていても問題ないというだけだ! 輸送船団を伴った護送戦隊なら、倍程度の規模でも壊滅させられるということじゃない!」
「またうだうだ細かいことを……。いいじゃねぇか、どうせ復路で沈める予定だったんだからな。それともお前、俺の判断に文句でもあるってのか? この戦隊のトップは俺だ。お前の首輪を誰が握ってるのか、忘れたわけじゃねぇよなぁ?」
「き、貴様ぁ……ッ!」

 ベルガの物言いに、拳を握り締め歯を食い縛るジャンヌ。
 その怒りに反応したのか、彼女の周囲にほのかな燐光が煌めき―――突如、なにかが爆発した。
 途端に燃え上がる甲板前方の一点。事態に気づいたクルーたちが喚き散らしながら慌てて消火活動に走る。
 だが、ベルガだけは相変わらず涼しい表情を浮かべていた。

「……いやいや、恐ろしいねぇ。何の気なしに垂れ流してるマナだけで二〇メドルは離れたガネット石を誘爆させるなんざ尋常じゃねぇ。さすがはグランディア史上、随一の上級航戦魔道士様ってか。奴隷身分でよくそこまで成り上がったもんだ」
「いますぐこの船を沈めてもいいんだぞ」
「そんな脅しに意味がねぇことは、てめぇが誰より分かってるはずだ。まぁそういう飼い主に堂々と牙を向く傲慢な女は嫌いじゃない。調教しがいがあるからなぁ。カカカカッ!」
「……とにかく戦隊をいますぐ東へ戻せ! 本来の任務は分遣隊の護衛だ!」

 怒り任せに言い残すと、ジャンヌは踵を返し、自分の船へ戻っていった。



     ⚓



「あの糞野郎ッ! 自分の判断がどれだけまずいことか分かってんのか!」

 艦長室の椅子にずどんと腰を下ろした途端、ジャンヌの口からは罵詈雑言が飛び出した。

「ジャ、ジャンヌさん、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか! すぐそこにイグニス海峡の入口があるんだぞ! 私たちが離れた隙に分遣隊が敵戦隊と遭遇でもしたらどうするんだ!」

 たしなめる副長の青年にも怒りをぶつけるジャンヌ。ベルガ個人に対する怒りはもちろん、誰もが彼の行動の危険性を理解していないという点も彼女の苛立ちを加速させていた。

「ですが、今回の輸送船団の襲撃は、敵のいち戦隊の壊滅という戦果を引き出せたわけですし、べつにそこまで怒らなくても……」
「戦果が上がったから失策を帳消しにしろなんて理屈が通用するか。それに今回だって、一歩間違えればこっちがやられていたかもしれないんだぞ。自分で言うのもなんだが、ベルガたちは輸送船団を沈めただけで、護送戦隊を沈めたのは私たちだ」
「ま、まぁ、たしかにそうですけど……」
「本来の目的を半ば放棄して無駄に交戦を増やすなんざ戦犯ものだ。やはりあいつはどこまでいっても私掠船の親玉でしかない屑だ」
「ちょ! 誰かに聴かれたらまずいですよ!」
「かまうものか。それより早く本隊へ合流するぞ。さすがに心配だ」
「わかりました」

 話が終わると、副長は扉へ向かって歩き出した。
 すると、彼が部屋を出ようとしたとき、

「……すまない」

 その背中に、天を仰いで額に手を当てながらジャンヌが謝罪を述べる。それまでから一転して落ち着いた口調だ。

「はい?」
「……どうにも苛々すると当たり散らす癖が止まらない。……迷惑をかける」
「かまいませんよ、もう慣れましたし。それに、それたぶん一生直らないですよ」

 笑顔を浮かべて妙な指摘を口にした副長に、ジャンヌは怪訝そうに眉根を顰める。

「どういう意味だ?」
「きっとマナが影響してるんですよ、それ。炎熱系の人は総じて激情的な性格してますからね」
「……うるさい。さっさと行け」
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