本編

 レイナが素っ頓狂な声を上げて、手にしていたタブレットを放り投げた。

「あぁぁっ!!」

 大和は慌ててタブレットのもとへ駆け寄り、咄嗟に頭から滑りこむ。なんとかキャッチに成功し、間一髪で落としてしまう事態は免れた。
 だが、直後に部屋全体が振動するほど大きな物音が響いた。
 なにごとか。慌てて後ろを振り返る大和。
 そこには、ソファごとひっくり返って地面に転がるレイナの姿があった。

(う、うわっ!)

 咄嗟に顔を真っ赤に染めながら、物凄い勢いで顔を逸らす大和。ひっくり返った彼女は、顔を両膝で挟んだ非常に恥ずかしい格好を晒しており、さらにスカートが完全に捲れていた。つまり下着が丸見えだったのだ。
 彼女がそんな目に遭ったのは、タブレットをいじっている時に電源ボタンを押してしまい、いきなり発光したディスプレイに驚いたからだった。防水機能のおかげなのか、どうやら端末は生きてはいるようだ。

「……レ、レイナさま、だいじょうぶですか?」

 慌てて駆け寄るティオの助けを借りて、なんとか体を起こすレイナ。

「痛っっっ……な、なんですか、それはいったい……」
「これは、その……えっと……」

 どう説明したものかと必死に考える大和。さすがに怪しまれたのか、再びタブレットを覗きにきたレイナの横顔はひどく歪んでいた。

(や、やばい……どうしよう……)

 口をぱくぱくさせながら慌てふためく大和。もともと「なんの道具か覚えてない」とでも言って流すつもりだったのだが、もはやそれで見逃してもらえそうな雰囲気ではない。
 ―――だが、展開は意外な方向へ転がった。

「……あの」
「は、はい?」
「これはなんですか?」

 画面の一点を指差しながら尋ねるレイナ。その表情はなぜか柔らかかった。
 彼女の指先が示していたのは、帆船のアイコンだ。

「え? あ、ああ、これは……」

 ゲームですと答えようとした大和は、通じないだろうと判断して別の説明を考える。

「……ぼくの国の遊戯です。一国の参謀長として海軍を指揮して、世界の海を制覇する……とでも言えばいいのかな……」
「遊戯?」
「まぁ……。ちょ、ちょっと見てみますか?」

 話が逸れたのを好機と見た大和は、アイコンをダブルクリックして実行ファイルを起動する。

 これは素人が趣味で制作した海戦軍略シミュレーションゲーム『皇海記』だ。
 プレイヤーは帆船時代の欧州列強から一国を選び、そこの海軍参謀長となって欧州の海洋制覇を目指す。三ヵ月の戦争と一ヵ月の休戦期間を1タームとし、プレイヤーは毎週、艦隊や工廠に指示を出しながらゲームを進める。

 すぐにゲームが起動し、オープニングのメニュー画面が立ち上がる。広大な海の上に三本マストの巨大な横帆船が描かれたリアルなイラストが表示され、その上部に青色で縁取りされた明朝体のタイトルが踊った。
「はじめから」を選ぶとオープニングが長いので、セーブデータを適当にロード。主人公が拠点としている海軍本部―――某国大統領官邸のような白一色の立派な建物が映り、画面の左に「参謀本部」「艦隊工廠」「港湾」など様々なメニューアイコンが並ぶ。

 大和は、とりあえず「参謀本部」のなかの「作戦行動」さらに下の階層の「通商破壊戦」のアイコンをクリック。破壊目標とする航路を選び、手っ取り早く海戦のシーンを見せる。
 作戦行動が開始されると、画面が一転、海戦の様子を描いたCGに変わった。昔の従軍絵師が描いたかのような中世絵画風の筆致のイラストだ。そこに被さった砲撃音や発光といった多彩なエフェクトが、その迫力をいっそう際立たせる。

 ……ふと、大和はレイナが無言なことに気づいた。

 その視線をちらりと横へ向けると、彼女は玩具を目の前にしたこどものようにその瞳を輝かせていた。開いたままの口を閉じることも忘れて画面に魅入っている。
 やがて戦闘は自軍の勝利で終わり、ファンファーレのようなSEと共に「作戦完了」の文字が画面に表示された。

「……とまぁ、こんなやつでして………………レイナさん?」

 大和が話しかけてもレイナは無反応だった。放心したまま画面を見つめている。

「あ、あの……レイナさん?」
「へっ!? な、なんですか!?」
「どうしたんですか? ぼーっとしてましたけど……」
「い、いえ、なんでもありません」
「……もしかして、やりたいんですか?」

 試しに言ってみた大和の勘繰りに、レイナの顔が真っ赤に燃え上がった。

「し、失礼なこと言わないでください! 他人のものを物欲しそうに眺めるなど、そんな卑しい人間ではありません! た、ただ、気になるというか……その……そ、そう! 素性調査の一貫です! あなたの国を知るきっかけが、あるいはあるかもしれないという……」

 やたらに言い訳がましく饒舌である以上、それが嘘なのは明らかだった。
 ……そして。



     ⚓



「―――ああもうなんでですか!? なんでこんなに勝てないんですか! おかしいですよちゃんと定石は守ってるはずです!」

 部屋全体にレイナの金切り声が響き渡る。

「……レ、レイナさま、おちついて……」
「落ち着いて!? この状況に落ち着いていられると思いますか!? たしかにカタリナさんたちに比べたらまだ未熟ですが、私も戦隊の一つを預かる提督ですよ!? いかに遊戯の海戦とはいえ、一二連敗など恥以外のなにものでもありません!」
「……あ、あぅ」

 鬼の形相で食い気味に捲し立てるレイナを前に、ティオは引き下がるしかなかった。

(もうそんなに負けたのか……難易度イージーのはずなんだけど……)

 大和からタブレットとゲームの操作方法を教わったレイナが『皇海記』をプレーし始めてから、すでに一時間が経過していた。やたらに言い訳を垂れていた彼女だったが、大和が「ちょっとやってみます?」と水を向けると「し、しかたないですね。あなたがそこまで言うなら……」と白々しく乗ってきたのだ。

 結果、見事にはまってしまった。

 このゲームは制作者が海外にも広めようとしたのか、メニューアイコンが機能的で分かりやすく、ほぼ文字いらずの設計になっている。そのため日本語が読めないレイナでも、適宜フォローを入れるだけで簡単にプレーできた。
 最初こそ自動で遷移する画面やどこからともなく聴こえるSEに違和感を覚えていたようだが、これにもすっかり慣れていた。

 だが、プレー開始からこのかた連戦連敗。

 その苛立ちはすでに頂点に達しているようで、それでも投げ出さずに立ち向かいつづけるあたり、どうやらかなりの負けず嫌いらしい。

「あ、あの……レイナさん、大丈夫なんですか?」
「……なにかに入れこむと性格が変わっちゃうのはいつものこと。でもここまでなのは珍しい。たぶんよっぽど悔しいんだと思う」

 ソファーでタブレットを睨んでいるレイナの様子を、大和とティオは向かいのソファーから途方に暮れながら眺めていた。

(……ゲーム中毒者は時代を問わない、ってことか)

 そんなことを暢気に考えていると「ああもうっ!」とレイナが毒づいた。どうやら一三敗目を喫したようだ。その怒りは相当なものらしく、タブレットを握る両手がわなわなと震えている。

「あ、あの、レイナさん……あんまり強く握りすぎると壊れちゃうので……」
「黙りなさいッ!」
「は、はひぃぃぃっ!?」

 大和に八つ当たりするレイナ。

「だいたいこの遊戯がおかしいんですよ! まるで定石通りじゃないじゃないですか!」
「い、いや、そう言われても……僕の世界……じゃなかった、僕の国の定石通りではある……はずなんですけど……」
「でしたらその定石がおかしいんです! そもそも航戦魔法が使えないとか、この遊戯を考案された方はなにを考えているんですか!」
「コ、コウセンマホウ?」
「海戦に特化した一連の魔法体系です。あなたの国でも戦争で魔法を使うでしょう?」
「えっ? ま、まぁ……たぶん……」

 怪しまれまいと咄嗟に話を合わせる大和。

「ただ、このゲー……遊戯は、あくまで戦略が中心なんで、海戦そのものより海軍の運用を競うんです。だから魔法はないというか……」
「戦略なんて、遭遇した敵戦隊を撃滅すれば、それで終わりじゃないですか」

 当たり前のように言い放つレイナ。
 だが、その一言を耳にした大和は、唖然とした。
 そして、レイナが連敗を喫していた理由を察した。

「……あ、あの、もしかしてさっきから索敵と撃滅ばっかり繰り返してたんじゃ……」

 試しに尋ねてみると、案の定の答えが返ってきた。

「当然です。見敵必殺こそ必勝の常道です」

 自信満々に真顔で言い放つレイナを前に、大和は言葉を失い……そして思った。

「あ、あの……それじゃさすがに勝てないというか……」

 怒られまいかと不安に駆られながらも素直に感想を吐露する大和。
 このゲームは制作者が本格的な軍略シミュレーションを目指したらしく、海軍史家のマハンやコーベット、そして『戦争論』で有名なクラウゼヴィッツなどの戦略論・戦術論を多分に参照しており、かなり奥が深くなっている。単純に突撃して勝てるほど甘いゲームではない。

「なぜですか? 敵を見つけてこれを撃滅する。それが一番でしょう」
「でも……撃滅する以前に敵が全く見つからなかったんじゃないですか?」
「……うっ!」

 大和の指摘にレイナはぎくりと身を引いた。図星のようだ。

「海は広いですから、闇雲に探しても敵は見つかりませんよ。陸地と違って交通路も限られてませんから。実際もそうでしょう?」
「そ、それは……。じゃ、じゃあどうしろって言うんですか!?」
「え、いや、逆ギレされても……ちょ、ちょっと貸してください」
4/32ページ
スキ