本編
(……なんとか間に合いましたね)
白鯨を沈めたのはレイナだった。ジャンヌが今まさに食われようとしていたその瞬間、手にした氷の双剣でその背中に一撃を叩きこんだのだ。
白鯨は沈んだまま浮いてこない。
だが、もちろんまだ終わってなどいない。
レイナはこの隙にまずジャンヌのもとへと駆け寄る。そして彼女の体を担ぐと急いで白鯨が沈んだ地点から遠くへ避難させた。
「大丈夫ですか?」
「まぁ、な……右膝をやられたが……それよりあんた、その格好……」
「……あまり見ないでください」
レイナは恥ずかしそうにジャンヌから視線を逸らす。
いまの彼女は裸だった。正確には、極限まで薄い氷でつくられた影すら宿さない神秘的なドレスを裸体の上からまとっている。そのため、間近で凝視されない限り裸だとは気づかれないが、恥ずかしいことに変わりはない。
―――氷狼ノ息吹 。
すべてを凍てつかせると言われる絶対零度の氷を生成する、レイナが誇る最上位の氷雪系航戦魔法だ。そのあまりの威力ゆえに魔法耐性が施された海軍の制服ですら破壊してしまうため、使用するときは氷のドレスを生成するようにしている。
「……とにかくその脚ではもう戦えませんね。あとは私がなんとかしますから、あなたはここで待機していてください。船が逃げ切ったのを確認したら迎えに来ます」
本来なら自分が白鯨を止めたあと、破壊力に優れるジャンヌの一撃で確実に仕留めたかったが仕方ない。もはや彼女の脚では自らの魔法の反動に堪え切ることも難しいだろう。
「……待ちな」
だが、再び白鯨に立ち向かおうとするレイナを、そのジャンヌが呼び止めた。振り返ると彼女は膝が逝ったはずの右脚を踏ん張って懸命に立ち上がろうとしている。
「な、なにをしているんですか!」
「……この状態で私の右脚を凍らせろ。私の爆炎でも絶対に溶けないようにな。あんたが白鯨の動きを封じたところで私がこっから仕留めてやる」
「ふ、ふざけないでくださいっ! そんなことをしたらあなたの右脚は二度と使いものにならなくなるかもしれないんですよ!」
「このままじゃ白鯨に食われてお互い死ぬだけだろ。だったら右脚の一本なんざ安いもんだ。それに私の体内には爆熱系のマナが流れている。ちょっとやそっとじゃ壊死したりしない」
「ですが……っ!」
なおもレイナが抵抗しようとしたとき、後方で雄叫びが轟いた。白鯨が再び海面に姿を見せたのだ。
「早くしな。あいつを一撃で仕留める魔法となると、かなりの時間が必要だ」
「……分かりました」
レイナはジャンヌの気概の前に折れ、彼女の右脚を凍りつかせて地面に固定した。
これで彼女はもう逃げることもできない。
白鯨を仕留めない限り、待っているのは死だ。
「よし。詠唱が完了したら合図を送る。あとは任せた」
「ええ」
レイナは双剣を握り締め、迫る白鯨に向かって駆け出した。
*
ジャンヌが詠唱を開始した途端、白鯨は彼女のまとう爆炎を最大の脅威と認めたのか、何度も激流でその炎を消そうとした。
「させません!」
だが、それをレイナが許さない。双剣の海面に突き刺し、激流の前に巨大な氷壁を次々と生成。直撃した白鯨の激流は一瞬にして凍りつき、木っ端微塵に砕け散っていく。
彼女の妨害に怒りのまま吠え猛る白鯨。だが、レイナは怖じけることなく走り続ける。
すると白鯨は標的を切り替え、まずレイナを排除しにかかった。彼女めがけて巨大な水弾を何発も吐き出し殲滅にかかる。
だが、彼女はそのすべてを双剣で切り落として見せた。
それで魔法は効果がないと悟ったのか、今度は海中へ潜る白鯨。奇襲からの一呑みで一気に勝負をつけるつもりだろう。
脚を止めて、海面下の気配を探るレイナ。ジャンヌが狙われる可能性もあるため、広範囲を慎重に見極める。
(……右!)
そう読んだレイナは、咄嗟に左へ飛び退いた。
はたして、直後の一撃は予想通り彼女の右から見舞われた。
―――尾びれの一撃が。
「……え?」
突如、背中を突き抜ける尋常ならざる恐怖。
反射的に後ろを振り返る。
白鯨がいままさに自分を食らわんと凶悪な顎を開いていた。
先読みが裏目に出たのだ。
「くっ!」
レイナは急いで正面に分厚い氷壁を生成する。だが生成途中で白鯨に追突され、氷壁は無残に崩壊。白鯨は壁に阻まれて海中へ没したが、レイナも衝突の余波で大きく弾き飛ばされた。
「きゃ……っ!」
なんとか直撃は避けたが、まともに衝撃を叩きこまれた体は痺れて動かない。いま狙われたら終わりだ。
(まず……い……っ!)
双剣を海面に突き刺してなんとか立ち上がるレイナ。
そのとき海面下に不気味な気配を感じた。―――白鯨だ。
(……間に合わないっ!)
逃げたら食われる。そう判断したレイナは急いで自分の真下の海面に大量のマナをこめてその強度を一気に高める。直後、白鯨が海面に猛烈な速度で突進。その身が宙に浮くほどの激震が直下から突き抜けてきた。なんとか海面を割られずには済んだが、それでも骨が折れたかと思うほどの衝撃をまともに食らってしまい、またしても地面に倒れ伏す。
(……まだ、ですか?)
心中でジャンヌに語りかけながら懸命に立ち上がるレイナ。その体はドレスのおかげで傷一つないが、衝撃までは吸収できないため見た目以上にダメージを負っていた。
だが、まだだ。まだ白鯨の動きを封じるわけにはいかない。
(いかに氷狼ノ息吹の凍度をもってしても白鯨を止められるのはせいぜい三〇秒。あの人の詠唱が完了してからでないと仕留め損ねる可能性がある……)
再び白鯨の気配を探るレイナ。いままで以上に意識を集中する。あと一撃もらったらもはや立ち上がる自信はない。
―――だが、その集中を寸断する爆音が後方から轟いた。
反射的に振り返るレイナ。
視線の先には、その右腕に天を灼かんとするほどに立ち昇る爆炎を巻きつけたジャンヌの姿があった。どうやら詠唱が完了したようだ。
直後、白鯨が吠え声と共に海面を割って現れた。その猛威に桁違いの脅威を感じたのか、レイナに背中を見せてジャンヌめがけて物凄い勢いで泳ぎ出す。
(……いましかない!)
レイナはその隙を逃さなかった。
双剣を咄嗟に海面へ突き刺し、その身に宿る全てのマナを海面へ注ぎこむ。
突如、震え出す海面。それも尋常な揺れではない。この海全体、世界全体が震撼するかのような海震だ。あの白鯨も思わずその突進を止めるほどの。
そして、それが決着となった。
動きを止めた白鯨の周囲に突然、巨大な氷柱が海面を破って出現する。一本。二本。三本。四本。そして五本。得体の知れない現象に戦いているのか、その中心で白鯨がしきりに頭部を左右に振る。
―――その動きが急に止まった。
そして同時に、白鯨の周囲の海面から無数の氷片が煙のように立ち昇り煌めき舞う。
いったいなにが起こっているのか? その真意を探ろうとしているのか、白鯨はその巨大な左目を見開き、眼球をぎょろぎょろ必死に回している。
―――恐怖。
あの最凶最悪の海獣と恐れられてきた怪物がいま、明らかに恐怖していた。
白鯨はその動きを完全に封じられたのだ。レイナがすべてのマナを注ぎこんで周囲の海面を凍らせたことによって。
「いまです!」
レイナが叫ぶまでもなかった。
ジャンヌはその右腕をゆっくりと持ち上げ、白鯨の開かれた大口に狙いを定める。それがなにを意味するのか瞬時に理解したのか、白鯨が絶叫を上げながら必死に氷の束縛から逃れようと暴れ回った。だが、これまでの氷と違い、すべてのマナを注ぎこんだ氷は文字通りの絶対零度。もはやどれだけ抵抗しようと砕けることはない。
「終わりだ」
すべてのガネット石が砕け散り、悪の権化めいた爆炎がジャンヌの身を包む。
輝く赤光。
迸る爆炎。
そのすべてが彼女の右腕一本に収斂し―――そして、
「緋鳳乃真理 」
放たれた豪火の一閃が、白き化物を貫いた。
白鯨を沈めたのはレイナだった。ジャンヌが今まさに食われようとしていたその瞬間、手にした氷の双剣でその背中に一撃を叩きこんだのだ。
白鯨は沈んだまま浮いてこない。
だが、もちろんまだ終わってなどいない。
レイナはこの隙にまずジャンヌのもとへと駆け寄る。そして彼女の体を担ぐと急いで白鯨が沈んだ地点から遠くへ避難させた。
「大丈夫ですか?」
「まぁ、な……右膝をやられたが……それよりあんた、その格好……」
「……あまり見ないでください」
レイナは恥ずかしそうにジャンヌから視線を逸らす。
いまの彼女は裸だった。正確には、極限まで薄い氷でつくられた影すら宿さない神秘的なドレスを裸体の上からまとっている。そのため、間近で凝視されない限り裸だとは気づかれないが、恥ずかしいことに変わりはない。
―――
すべてを凍てつかせると言われる絶対零度の氷を生成する、レイナが誇る最上位の氷雪系航戦魔法だ。そのあまりの威力ゆえに魔法耐性が施された海軍の制服ですら破壊してしまうため、使用するときは氷のドレスを生成するようにしている。
「……とにかくその脚ではもう戦えませんね。あとは私がなんとかしますから、あなたはここで待機していてください。船が逃げ切ったのを確認したら迎えに来ます」
本来なら自分が白鯨を止めたあと、破壊力に優れるジャンヌの一撃で確実に仕留めたかったが仕方ない。もはや彼女の脚では自らの魔法の反動に堪え切ることも難しいだろう。
「……待ちな」
だが、再び白鯨に立ち向かおうとするレイナを、そのジャンヌが呼び止めた。振り返ると彼女は膝が逝ったはずの右脚を踏ん張って懸命に立ち上がろうとしている。
「な、なにをしているんですか!」
「……この状態で私の右脚を凍らせろ。私の爆炎でも絶対に溶けないようにな。あんたが白鯨の動きを封じたところで私がこっから仕留めてやる」
「ふ、ふざけないでくださいっ! そんなことをしたらあなたの右脚は二度と使いものにならなくなるかもしれないんですよ!」
「このままじゃ白鯨に食われてお互い死ぬだけだろ。だったら右脚の一本なんざ安いもんだ。それに私の体内には爆熱系のマナが流れている。ちょっとやそっとじゃ壊死したりしない」
「ですが……っ!」
なおもレイナが抵抗しようとしたとき、後方で雄叫びが轟いた。白鯨が再び海面に姿を見せたのだ。
「早くしな。あいつを一撃で仕留める魔法となると、かなりの時間が必要だ」
「……分かりました」
レイナはジャンヌの気概の前に折れ、彼女の右脚を凍りつかせて地面に固定した。
これで彼女はもう逃げることもできない。
白鯨を仕留めない限り、待っているのは死だ。
「よし。詠唱が完了したら合図を送る。あとは任せた」
「ええ」
レイナは双剣を握り締め、迫る白鯨に向かって駆け出した。
*
ジャンヌが詠唱を開始した途端、白鯨は彼女のまとう爆炎を最大の脅威と認めたのか、何度も激流でその炎を消そうとした。
「させません!」
だが、それをレイナが許さない。双剣の海面に突き刺し、激流の前に巨大な氷壁を次々と生成。直撃した白鯨の激流は一瞬にして凍りつき、木っ端微塵に砕け散っていく。
彼女の妨害に怒りのまま吠え猛る白鯨。だが、レイナは怖じけることなく走り続ける。
すると白鯨は標的を切り替え、まずレイナを排除しにかかった。彼女めがけて巨大な水弾を何発も吐き出し殲滅にかかる。
だが、彼女はそのすべてを双剣で切り落として見せた。
それで魔法は効果がないと悟ったのか、今度は海中へ潜る白鯨。奇襲からの一呑みで一気に勝負をつけるつもりだろう。
脚を止めて、海面下の気配を探るレイナ。ジャンヌが狙われる可能性もあるため、広範囲を慎重に見極める。
(……右!)
そう読んだレイナは、咄嗟に左へ飛び退いた。
はたして、直後の一撃は予想通り彼女の右から見舞われた。
―――尾びれの一撃が。
「……え?」
突如、背中を突き抜ける尋常ならざる恐怖。
反射的に後ろを振り返る。
白鯨がいままさに自分を食らわんと凶悪な顎を開いていた。
先読みが裏目に出たのだ。
「くっ!」
レイナは急いで正面に分厚い氷壁を生成する。だが生成途中で白鯨に追突され、氷壁は無残に崩壊。白鯨は壁に阻まれて海中へ没したが、レイナも衝突の余波で大きく弾き飛ばされた。
「きゃ……っ!」
なんとか直撃は避けたが、まともに衝撃を叩きこまれた体は痺れて動かない。いま狙われたら終わりだ。
(まず……い……っ!)
双剣を海面に突き刺してなんとか立ち上がるレイナ。
そのとき海面下に不気味な気配を感じた。―――白鯨だ。
(……間に合わないっ!)
逃げたら食われる。そう判断したレイナは急いで自分の真下の海面に大量のマナをこめてその強度を一気に高める。直後、白鯨が海面に猛烈な速度で突進。その身が宙に浮くほどの激震が直下から突き抜けてきた。なんとか海面を割られずには済んだが、それでも骨が折れたかと思うほどの衝撃をまともに食らってしまい、またしても地面に倒れ伏す。
(……まだ、ですか?)
心中でジャンヌに語りかけながら懸命に立ち上がるレイナ。その体はドレスのおかげで傷一つないが、衝撃までは吸収できないため見た目以上にダメージを負っていた。
だが、まだだ。まだ白鯨の動きを封じるわけにはいかない。
(いかに氷狼ノ息吹の凍度をもってしても白鯨を止められるのはせいぜい三〇秒。あの人の詠唱が完了してからでないと仕留め損ねる可能性がある……)
再び白鯨の気配を探るレイナ。いままで以上に意識を集中する。あと一撃もらったらもはや立ち上がる自信はない。
―――だが、その集中を寸断する爆音が後方から轟いた。
反射的に振り返るレイナ。
視線の先には、その右腕に天を灼かんとするほどに立ち昇る爆炎を巻きつけたジャンヌの姿があった。どうやら詠唱が完了したようだ。
直後、白鯨が吠え声と共に海面を割って現れた。その猛威に桁違いの脅威を感じたのか、レイナに背中を見せてジャンヌめがけて物凄い勢いで泳ぎ出す。
(……いましかない!)
レイナはその隙を逃さなかった。
双剣を咄嗟に海面へ突き刺し、その身に宿る全てのマナを海面へ注ぎこむ。
突如、震え出す海面。それも尋常な揺れではない。この海全体、世界全体が震撼するかのような海震だ。あの白鯨も思わずその突進を止めるほどの。
そして、それが決着となった。
動きを止めた白鯨の周囲に突然、巨大な氷柱が海面を破って出現する。一本。二本。三本。四本。そして五本。得体の知れない現象に戦いているのか、その中心で白鯨がしきりに頭部を左右に振る。
―――その動きが急に止まった。
そして同時に、白鯨の周囲の海面から無数の氷片が煙のように立ち昇り煌めき舞う。
いったいなにが起こっているのか? その真意を探ろうとしているのか、白鯨はその巨大な左目を見開き、眼球をぎょろぎょろ必死に回している。
―――恐怖。
あの最凶最悪の海獣と恐れられてきた怪物がいま、明らかに恐怖していた。
白鯨はその動きを完全に封じられたのだ。レイナがすべてのマナを注ぎこんで周囲の海面を凍らせたことによって。
「いまです!」
レイナが叫ぶまでもなかった。
ジャンヌはその右腕をゆっくりと持ち上げ、白鯨の開かれた大口に狙いを定める。それがなにを意味するのか瞬時に理解したのか、白鯨が絶叫を上げながら必死に氷の束縛から逃れようと暴れ回った。だが、これまでの氷と違い、すべてのマナを注ぎこんだ氷は文字通りの絶対零度。もはやどれだけ抵抗しようと砕けることはない。
「終わりだ」
すべてのガネット石が砕け散り、悪の権化めいた爆炎がジャンヌの身を包む。
輝く赤光。
迸る爆炎。
そのすべてが彼女の右腕一本に収斂し―――そして、
「
放たれた豪火の一閃が、白き化物を貫いた。