本編

「……ご迷惑をおかけしました」

 道中、無言のまま屋敷へ戻った大和たち三人。ひとまず応接間で一休みしようとソファに腰を下ろしたところで、レイナが深々と頭を下げた。

「い、いや、どう考えてもレイナさんのせいじゃ……」

 レイナをなだめる大和。しかし、彼女の表情は晴れない。
 その後、誰も口を開くことなく、ただ無言の時間だけが流れていく。
 大和はなにか言ってあげないとと思いつつも、気の利いた一言はなにひとつ出てこなかった。
 こみ上げる不甲斐なさに歯痒さが募る。
 レイナは自分のせいで大怪我を負い、あらぬ疑いから軍法裁判にまでかけられた。しかし、彼女は自分を欠片も責めない。自分が雇い入れた責任感ゆえか、あるいは別の理由からか……。

(……こんなときにも、なんにもできないのか……僕は……)

 大和が苦悶していると、応接間の扉が開いた。三人がそちらを振り向くと、使用人の一人が「失礼します」と頭を下げる。
 そして、その後ろからもう一人の人物が姿を現した。カタリナだ。
 彼女は真っ直ぐ空いているソファに向かい、腰を下ろす。その表情は至って真面目で、このあいだのような悪ふざけもなかった。

「急にごめんなさい。体はもう大丈夫なの?」
「はい。ありがとうございます」
「そう、よかった。……話はフレイアから聴いたわ。今回の軍法裁判は、私と彼女の名前でいったん白紙に戻したから安心して。あまり良いことじゃないけど、いまは内輪で揉めている場合じゃないしね」
「……申し訳ありません」
「気にしないで。……ただこのままだと、戦争が終わったあとにまた同じことになる可能性があるわ。あなたが国を裏切ってなんかいないことはわかっているけど、今回の一件が原因で世間のシャルンホルスト家に対する風当たりが強くなるだろうし。だから、それまでになにか手を打てればいいんだけど……」
「手?」

 大和が尋ねる。

「レイナが国を裏切っていないという明確な証拠を示すということよ。言い換えるなら、国の勝利に貢献したという明確な証拠ね」
(勝利に貢献した証拠……)

 つまり、それさえ示せれば、レイナを窮状から救うことができる。

「ところで、カタリナさん。今日はなぜこちらに?」
「実はフレイアに話があったんだけど、あなたたちにも訊いておきたいと思ってね。少し前に入った情報なんだけど、グランディアがついにダンジェネス海峡を突破したらしいわ。インペリウム海軍も粘っているみたいだけど、このままだとデニス海の制圧も時間の問題ね」
「ほ、ほんとですか?」
「ええ。どうやら南岸のほぼすべての戦力をデニス海の攻略に回したらしいの。あとルヴェリオ戦隊の大部分を解体して、その全員を南岸要塞の守備兵に回したという報告もあるわ」
「……つまり、これまで守備兵として各軍港に張りついていた陸軍を、対インペリウム戦に動員できるようになったということですか?」
「そういうこと。国内で自給自足できるからこそ取れる戦略ね。まさかそこまでするとは思わなかったけど、その軍勢が陸路からダンジェネス海峡の岬まで進んで、陸海共同でインペリウム海軍を排除したらしいの」
「リディア海の交通路を捨ててまで短期決戦に賭けたわけですか……」
「ええ。でもそのおかげで、こっちにはまずい展開になったわ。ダンジェネス海峡まで前線を伸ばしやすくはなったけど、肝心の海峡をグランディア陸海軍に押さえられたからね。ここを突破してデニス海へ入ってインペリウムを支援するのは容易じゃない。かといって大陸の東側へ回ろうにも、南はケープサンドの一件で警戒を強化しているでしょうし、北は知ってのとおりこの時期は流氷で通れない。本来はもう少し速く前線を伸ばして、インペリウム海軍とグランディア海軍を挟撃して撃破するつもりだったんだけど……ひとあし遅かったわ」
「たしかに動きようがありませんね……。ヤマトさんはどう思いますか?」

 だが、そのレイナの質問は、大和の耳には届かなかった。

「……ヤマトさん?」

 再度尋ねるレイナの声も、大和の耳を素通りする。
 彼は瞳を閉じて俯いたまま、なにやら顰めっ面でぶつぶつ独り言を呟いていた。
 その様子にきょとんと顔を見合わせるレイナとティオ、そしてカタリナの三人。

(……考えろ……考えろ……)

 そんな彼女たちをよそに、大和はいま必死に頭を回していた。
 どうすれば勝てるのか。ただその答えだけを求めて。
 その心に、先ほどまでの鬱屈とした感情は、もはやなかった。
 あるのは、カタリナの言葉だけ。レイナが勝利に貢献した明確な証拠さえあれば、それで彼女を救うことができる―――その一言が、彼の心に灯をつけていた。
 そうだ。泣き言を言っている場合じゃない。
 それではレイナの窮状はなにも変わらない。
 逃げるのは簡単だ。すべてを捨てて、諦めればいい。いままでだってずっとそうしてきた。
 だが、それで変えられたことなんて、なに一つなかったじゃないか。
 さっき自分は、なんで逃げようとした? 簡単だ。自分が責任を負いたくないからだ。レイナたちに迷惑がかかるという言い訳を取り繕って、その本音から目を逸らしてまで。
 卑怯だ。自分はとんでもなく卑怯だ。逃げることしか考えていなかった。
 自分のことしか考えてなかった。

(……助けるんだ……絶対に……っ!)

 だから、大和は必死に考えつづける。脳が焼き切れるのではないかと思うほどに。
 自分のせいで窮地に追いこんでしまったレイナを救うために。
 デニス海の突破は困難。
 南のアフィーリカ大陸を迂回して東岸から支援するのも困難。
 北から迂回するのは、そもそも不可能。
 バルティア海から揚陸するのも現実的ではない。
 なら、どうすればいい?
 一見すると八方塞がり。正面突破くらいしか手はない。しかしそれはダメだ。レイナが勝利に貢献した明確な証拠が必要である以上、限りなく確実に勝利を手繰り寄せる戦略でなければならない。
 なにかあるはずだ。
 なにか。

「あの……ヤマトさん、大丈夫ですか? もしかして体調が悪いのでは……」
「そういえば、ヤマトくん顔色わるいわね。なにかあったの?」
「……ここ最近、私に協力してくださっているだけでなく、遅くまで言葉の勉強などもされていたので、もしかしたら疲れがたまってしまっているのかも……」

 ―――そのとき、大和の独り言がぷつりと止まる。

(……勉強?)

 直後、その一言をきっかけに、一つのアイデアが閃いた。

(……待てよ、もしかしたら……)

 黙々とアイデアを検証する大和。
 そんな彼を、ただただ見守る三人。

(……いける。もし僕の予想どおりなら、グランディアは《絶対に》この作戦に気づけない。そして成功すれば、確実にイグニス陸軍をインペリウムへ揚陸することができる。問題は確実性がなさすぎるってことだけど、それさえ突破できれば……)

 そこまで考えをまとめた大和は、意を決して自分の意見を口にした。

「西へ行きましょう」

 途端、応接間の空気が凍りついた。
 彼の突然にして不可解な提案に、三人はぽかんとしている。

「……西、ですか?」

 さすがのレイナも当惑気味だ。当然だろう。戦場は東にあるのだから。
 だが、大和は微塵の迷いも見せずに強く頷く。

「はい、西です。相手に気づかれず確実にインペリウムへ陸軍を揚陸するには、それしかありません。そしてこの方法なら、まず相手に気づかれないと思います」
「……ヤマトくん。私にもあなたの言っていることがよく分からないわ。西へ進んでいったいどうしようというの? インペリウムは東にあるのよ?」

 カタリナも困惑している。しかし大和はそれでも下がらない。

「はい。わかっています。……そこで、一つ確認させて欲しいんです。その答え次第では、この作戦は力を失います。ですが、もし有効であれば、確実に勝利を引き寄せることができるはずです」
「……その確認というのは?」

 神妙な面持ちでカタリナが尋ねる。
 そして大和は、一呼吸を置いてから、その質問を口にした。



「……この世界の『創海記』という神話、あれは本当にあったことなんですか?」
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