本編

 ケープサンドで敗北を喫したイグニス海軍・第一一戦隊は、援軍として現れた第一二戦隊とともにランドエンドへ帰還した。数的には圧倒的優位だったが、敵の罠が仕掛けられている可能性と第一一戦隊の疲弊を考慮して撤退を選択したのだ。
 その道中、シャルンホルストには重苦しい空気が流れていた。誰も、一言も、話さない、まるで葬儀のような空気が。
 その理由は、レイナにあった。
 ケープサンドで船を逃がすために負傷した彼女が、いまも目を覚まさないのだ。
 あの日、ティオがレイナを旗艦へ連れ戻した時、彼女はすでに意識不明の重体。全身に火傷や打撲をいくつも負っており、早急な治療が必要なことは明らかだった。
 しかし、イグニスでも極めて貴重な回癒系の上級航戦魔道士は本国にしかいない。そのため大和たちは、急いで本国へ帰還することになったのだ。

 大和もランドエンドに着くまで、無言を貫いていた。充てがわれた自室に閉じこもり、誰とも会わず、なにも話さず。
 その姿は、まるで引きこもりのようだった。
 ―――だが、それは船内の空気に合わせてのことではなかった。

(……僕のせいだ)

 塞ぎこんでいる原因は、敗戦の重責にあった。
 大和は、ケープサンドの失敗を自分の責任として一身に背負いこんでいた。

(……やっぱり、無理だったんだ。……普通に考えて、このあいだまでただの高校生だったやつに、こんな役目が務まるわけないじゃないか……それなのに、最初のまぐれ当たりで調子に乗って、頼りにされて舞い上がって…………そのせいで、レイナさんは……船のみんなは……)

 寝台の隅で抱えた膝のあいだに顔を埋め、自分を責め続ける大和。その顔は血の気を失って真っ青に染まり、目は隈だらけで、まるで屍人のような人相だ。
 とは言え、無理もない。ケープサンドの敗戦は、旗艦だけで死者二四名・負傷者三八名を出す大惨事となった。
 圧倒的劣勢だったことを考えればその程度で済んで僥倖なのだが、彼の心は自分の作戦で大勢の死者が出たという事実で完全に押し潰されていた。
 自分のせいで、大勢の仲間が死んだ。
 自分が、殺した。
 ギルヴァンティでも同じ苦しみは味わったが、いまは事情が違った。あのときはその後の賞賛で緩和された重い事実も、いまの大和には到底受け止めることなどできなかった。

「……ヤマトさん」

 部屋の扉がノックされた。ティオの声だ。

「……食事、置いとく。……また来る」

 彼女は毎日、朝昼晩と部屋を訪ねてきては、食事を外に置いていってくれる。
 その健気な優しさに、最初は思わず涙が流れ落ちた。
 だが、同時に強烈な自己嫌悪にも襲われた。
 自分にはそんな価値などない。
 自分は船を窮地に陥れたのだ。そのせいでレイナは瀕死の重傷を負い、船の仲間が大勢、命を落とした……。
 いまとなっては、もはや流れる涙すら出ないほど、大和の体は枯れ果てていた。
 あの日から、食器が空になったことは一度もない。



     ⚓



 やがてランドエンドが見えたころ、大和はもはや一言も発することができないほどに衰弱しきっていた。下船するときにクルーの肩を借りなければならないほどに。
 そして帰還後も、部屋にこもりっぱなしの生活は変わらなかった。
 メルティをはじめ屋敷の使用人たちは、その見るに堪えない様子に只ならぬ事情を察したのか、あえて干渉はしてこなかった。おそらくティオが経緯を説明してくれたのだろう。彼女にそこまで気を遣わせている事実に激しい後ろめたさを覚えたが、そんな羞恥を気にするほどの余裕は、いまの大和にはなかった。
 ―――そして、帰還から三日後。
 彼は、一つの結論を下す。

(……やっぱりダメだ。このままこんなこと続けてたら、いつかもっととんでもないことになる……船が沈んだり……)

 その情景を想像するだけで、その身が震える。
 そうだ。今回はまだ被害が小さいほうだったのだ。レイナやティオ、そして戦隊のクルーたちが、その身を挺して船を、戦隊を守り通してくれたから。
 第一一戦隊がギルヴァンティで勝利を上げたのも、そしてケープサンドで一隻たりとも沈まなかったのも、すべては自分の戦略のおかげなどではない。戦隊の人たちの力だ。
 それなのに自分は、自分の知識が通用したと勘違いした。褒められ、認められ、頼りにされて舞い上がった。味をしめた。
 自分はレイナたちのために知恵を絞っていたのではない。ただ認められたい欲求のために、いい顔をしていただけだ。たとえそれが無意識であれ。

 ―――屋敷を出よう。大和はそう決めた。

 すべての事実を話して謝って、そして一人でもとの世界へ戻る方法を探そう。ここにいては迷惑になる。
 大和は、ゆっくりと寝台から起き上がり、荷物をまとめはじめた。もっとも、荷物はこの世界へ一緒に飛んできたリュックだけだが。
 レイナから借りたこの世界の服を脱いで畳み、寝台の上に重ねて置く。そして元の服に着替えてリュックを背負い、最後に一度、部屋を振り返り、廊下に出た。
 これでレイナやティオともお別れだ―――そう思うと、たった数ヵ月しか一緒にいなかったのに、卒業式など比較にならないほどの物悲しさがこみ上げた。それが、彼女たちともっと一緒にいたいという気持ちの顯れであることには、気づきながらもあえて目を逸らす。
 その目に薄っすらと涙を浮かべながら、大和は一歩を踏み出す。
 ―――だが、その歩みを止めるものがあった。

(……足音?)

 誰かが廊下を駆けてくる音だ。どんどんこちらへ近づいてくる。
 廊下の端へ視線を向ける。薄っすらとした人形の影が徐々に大きくなり、やがてその姿が鮮明に浮き上がった。

(ティオさん?)

 向かってくるのはティオだった。
 だが、いったいどれほどの距離を走ってきたのか、その足を引きずりながらなんとか前に進んでいるという体だ。そして、ついに体力が尽きたのか、途中で脚をもつれさせて転んでしまった。

「だ、大丈夫ですか、ティオさん!」

 急いで駆け寄る大和。慌ててティオの体を抱き起こす。彼女は息をするのにも苦労するほど疲れ果てていた。いったいなにがあったというのか。
 とりあえず彼女の息が落ち着くのを待ってから尋ねよう。……そう思ったとき、ティオが大和のシャツを力なくつかんだ。彼の体に必死に縋るように。

「……ヤ、ヤマト、さん……。たすけ……て……」
「た、たすけて? いったいなにがあったんですか? どっか痛いんですか?」

 ティオがこんなに慌てふためくのは、ケープサンドでレイナが逃走の殿に出たとき以来だ。その事実が咄嗟に脳裏を過り、嫌な予感が一気に募った。
 ―――そして、その予感は、限りなく最悪な形で的中した。

「……レ、レイナさまが、軍法裁判にかけられて……」



     ⚓



 軍法裁判。
 その名の通り軍の規律や法規に背いたものを裁く公判だ。通常は戦意に欠ける態度や、命令や準則違反を罰することで軍内を引き締めるためのものだが、ときに利権争いや私刑の舞台となることもある。
 たとえば、1745年。イングランドではツーロンの海戦に臨んだ司令官トマス・マシューズと麾下の提督であるリチャード・レストックに対して査問会が開かれた。作戦失敗の責を問われたのだ。
 この失敗の原因は明らかだった。レストックがマシューズの命令を無視しつづけ、艦隊が機能しなかったことだ。当時、イングランド海軍は戦闘に臨む際、所定の隊列を組んでから交戦することが艦隊戦術準則によって定められていたが、レストックは整列の命令を無視して隊列に加わらなかった。これは、自分が司令官に選ばれるものとばかり思っていた彼の、マシューズに対する逆恨みだったといわれている。
 査問会でレストックは「交戦に参加しようにも、私はまだ隊列に入っていなかったから、準則上、戦闘には参加できなかった」と主張。もちろん屁理屈だ。しかしその結果、査問会はマシューズが艦隊の運用を誤ったと彼に有罪判決を下し、レストックは無罪に。
 そしてこの冤罪判決以降、イングランド海軍は腐敗を極め、凋落の一途を辿ることになる。



 12月22日。レイナの軍法裁判は、唐突に開かれた。
 ティオによれば、イグニス海軍では各戦隊の提督以上の人物に、自由に軍法裁判を招集する権利が与えられているらしい。かつてのイングランドのように、早期に罰することで腐敗が広がらないようにするためだろう。懲罰権というわけだ。
 大和はティオにつれられて、急いでレイナのところへ向かう。彼女の法廷は港に停泊中の第一二戦隊、その旗艦とのことだった。
 ―――そう。今回の軍法裁判を招集したのは、同戦隊長のエルヴィンだ。

(で、でも、いったいなんで……レイナさんはなにもしていない……)

 そうだ。レイナは軍に背くようなことなどしていない。大和はそれを知っている。それなのに彼女はいま裁かれようとしていた。
 だからこそ余計に不安が募った。レイナは非がないのに裁かれようとしている。それはまさに軍法会議が理不尽な動機で開かれていることのなによりの証だ。
 エルヴィンはケープサンドでの敗戦を理由に、レイナを提督の座から引きずり降ろそうとしているのではないか。マシューズを貶めたレストックのように。
 そう思った途端、大和の心には猛烈な後ろめたさが広がった。レイナが自分のかわりに裁かれようとしているという後ろめたさが。
 思い返せば、彼女は大和の戦略・戦術を、あくまでも自分の名前で軍議の場で話し、戦隊のクルーたちにも通達していた。それは万が一のとき、自分に責任が降りかからないよう、彼女が配慮したからではないだろうか。
 ……その万が一が、起きてしまったのだ。
 商業区画を抜けて港に入る。そして第一二戦隊の停泊する埠頭へ向かうと、旗艦の周りにはすでに人だかりができていた。群衆はどうやら第一一戦隊と第一二戦隊のクルーのようだ。前者は裁判に対する非難を、後者はレイナに対する裁きを口々に叫んでいる。
 埠頭にごった返した群衆を押し退けて前へ出る大和とティオ。すると船の舵輪の前に、用意された椅子に座るレイナの姿があった。その両脇には帯剣した二人の青年。そして彼女の正面にはエルヴィンが立っている。さらに船の舷側にはクローディアの姿もあった。

(レイナさん……っ!)

 帰還後の最初の再会が傍聴席ごしの被告人になるとは、思いもよらなかった。見たところ体調に問題はなさそうだが、いまはそれどころではない。

「さて。それじゃあ時間もないから始めようか」

 レイナの前に立つエルヴィンが口を開く。

「まず、君が今回こうして召喚された理由は……もう分かっているな? 簡単に説明すると、君には反逆の疑いがかかっている。先のケープサンドへの作戦を敵に密告した疑いだ」
「み、密告だって? そんな馬鹿なことあるか!」

 理不尽な言い分に堪らず怒声を張り上げる大和。だが、彼の声は周囲の群衆の声に掻き消された。屈強な海の男たちの声量には、彼のような虚弱な青年の声など歯が立たない。
 ティオによれば、イグニスの軍法裁判の判決は原告と被告の主張をもとに、群衆の代表者と立会人が最終的な判決を下す。代表者は原告と被告がそれぞれ五人ずつ指名でき、立会人は提督以上の人物一名が原則だ。今回でいえば、クローディアがこの役なのだろう。

「なにをおっしゃっているのか理解できません。少なくとも私は作戦を外部に漏らしてなどいませんし、クルーの皆さんも同じです」

 自信満々のエルヴィンに対して、レイナもまるで動じない。背筋を伸ばして毅然とした態度を崩さず、凛とした声で潔白を誓う。

「では、なぜ君はわざわざ危険を犯して岩礁地帯に突入していったんだ? それが愚策だというのは、こどもでもわかると思うが?」
「相手の旗艦の力を考えてのことです。あの船一隻が残っているだけで、グランディア海軍の戦力は桁が変わります。だからこそ一隻のあのときが好機と見て、討伐に向かいました」
「それだけ相手の力量を評価していた事実と、わざわざ不利な岩礁地帯に突入したという事実は、どう考えても矛盾すると思うが?」
「岩礁の外を回っては逃げられると判断したまでです」
「戦力では、相手は魔道戦艦一隻に哨戒艇二隻。君はその倍は戦力を持っていた。半数で哨戒艇を牽制すれば、外回りでも問題なく追跡できた可能性があったのでは?」
「哨戒艇に航戦魔道士が乗っていなければ、そうかもしれません。ですが、乗っていた可能性もありました。後者の可能性を考えて、実際のように判断しました」
「……ふん。ずいぶんと言い訳が上手いじゃないか。さすがは国賊の娘」

 レイナが流暢に弁解するのが気に入らないのか、エルヴィンは吐き捨てるように言い放つ。それに対してレイナの体がぴくりと反応した。

「……お父様は国賊などではありません」
「どうかな。あの事件は証拠も十分にそろっていたし、君の父親の船に乗っていたクルーからも明確な証言が得られていたそうじゃないか。それとも君は、当時の裁判が間違っていたとでもいうのか? 当時の戦隊長たちが無能だったとでも?」
「そ、そういうわけでは……」

 途端、言葉に詰まるレイナ。
 エルヴィンはその隙を見逃さなかった。

「おい聴いたか、みんな! いまの言葉を! 事もあろうに彼女は偉大なる我らが先人たちを公然と侮辱したぞ! その命を厭わずにこの国の礎を築いた英雄たちをだ! これを万死に値する罪と言わずしてなんと言う!」

 エルヴィンの戯曲めいた語りに、待ってましたと言わんばかりに群衆が熱狂する。

「違います! 私はそんなつもりでは……ッ!」
「そしてこれこそ彼女の父親が国賊であったなによりの証だ! シャルンホルスト家には、この国を貶める下賤な血が流れている! このような穢らわしい国賊の血がこのイグニスの高貴なる大地に流れることを許していいのか! この悪女はいつの日か必ず、このイグニスに災いをもたらす! あの国賊である父親と同じようにな! それに聴くところによれば、この女の父親は自分の船に乗っていた女たちから気に入った者を選び出し、自分の屋敷に連れこんで女中として侍らせていたと聴くぞ!」
「そ、そんな事実はありません! 訂正しなさいッ!」

 烈火の如く激昂するレイナ。だが、椅子から立ち上がったところで、両脇の青年二人に取り押さえられ、床に組み伏せられてしまった。

(だめだ……このままじゃ……)

 群衆にもみくちゃにされるばかりでなにもできない大和の心には、ただ不安だけが募っていった。場の流れは、もはや完全にエルヴィンだ。
 裁判は本題から完全に逸れていたが、熱狂の坩堝と化した群衆はお構いなしだった。それもエルヴィンの狙いだろう。彼はレイナの怒りをわざと煽ることで、彼女を徐々に、しかし確実に劣勢に追いこんでいた。
 そして、その話術も嘘と事実を巧みに利用していた。レイナの父が女性を侍らせていたというのは嘘だろうが、一方、いまの屋敷にかつて彼の船に乗っていた女性が多くいるのもまた事実だ。つまり受け取り方によっては、エルヴィンの言うとおりにも見える。見える以上、彼が嘘をついているとは言いきれない。

「……やれやれ、どうやらまだ納得いかないようだな」

 エルヴィンがゆっくりとレイナに近づく。そして目の前に立つと、彼女を見下すように怪しく嗤った。

「まぁいい。それじゃあ証拠を見せてやろう。君が間違いなく国賊であるという揺るぎない証拠を。―――連れてきたまえ」

 エルヴィンが誰かに命じる。
 すると二人の青年が彼の前に歩み出てきた。なんとか群衆の隙間からその姿を確認すると、一人は軍議の日にエルヴィンと一緒にいた青年だ。そしてもうひとり、彼の横に肩を強張らせながら怯えている謎の少年が立っていた。

(……あの子が、証拠?)

 どういうことか。いったいなにが始まるというのか。
 不気味に静まり返る群衆。
 彼らに向かって、エルヴィンが一人、口を開いた。

「この少年は、私がギルヴァンティを張っていたときに遭遇したグランディア艦から捕らえた捕虜だ。そして、イグニス海軍の何者かがグランディア海軍へケープサンドの作戦を密告したと教えてくれた協力者でもある」
(……えっ?)

 大和は愕然とした。
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