本編
「……逃がしてしまいましたね」
ケープサンドの港に停泊したジャンヌの船の甲板で、副長の青年が呟いた。
「こっちは哨戒艇一隻が沈没。向こうは旗艦ほか三隻の合わせて四隻が損傷軽微ってとこでしょうか。結局一隻も沈められませんでしたね」
「こっちの戦力を考えれば上々だ。これでガネット石の供給が止まることはないし、乗り気じゃなかった陸軍も実際に相手が攻めてきたのを見て、今後は陸海両面を重点的に守ると言っているしな」
「しかし、まさか援軍がいるとは思いませんでしたね。あらかじめ二隊に分けて、あえて先発隊を発見させて油断を誘うつもりだったんでしょうか」
「いや、それはさすがにできすぎだ。ただの偶然だろう」
冷静に答えるジャンヌ。
だが、その心には小さくない後悔が燻っていた。
(……あそこであの援軍が来なければ《白鯨殺し》の首はもちろん、敵の旗艦を沈めることもできたんだが……)
いままさにレイナに止めを刺そうとした瞬間、突如として沖合に現れた向こうの援軍のせいでその機会は失われた。自分の詰めが甘かったと言えばそれまでなのだが。
その後、敵戦隊はこちらの哨戒艇一隻を沈めると、ジャンヌの船が戦域へ駆けつける前に全艦を率いて退散。ジャンヌ自身が密かに最大の目標としていた《白鯨殺し》を沈めることは叶わなかったが、ケープサンド防衛という当初の目的は達成できた。とりあえず、それで納得することにする。
「ところで、準備のほうはどうなってる?」
「はい。明日の朝一には出港できます。……ですが、いいんですか?」
「なにがだ?」
「本当にグランディアへ戻るんですか? 俺らに気を遣ってるんなら、やめてください。このまま国に戻ったら、ジャンヌさんは間違いなく……」
副長の言葉がそこで切れる。もっとも、その先は言われずともわかっていた。
だが、やはりこのままクルーたちの未来を閉ざすわけにはいかない。国へ戻って、すべては自分の独断だと言えば、彼らは減給や謹慎程度で済むだろう。
「何度も言わせるな。命令違反は犯したが、すべてはグランディアを守るためだ。いまはとにかく準備を急げ」
「……はい」
ジャンヌの決意に満ちた言葉に、副長もただ頷くしかなかった。
⚓
その後、クルーたちは明日の出港へ向けて忙しなく動き回り、作業は夕方あたりにようやく終了。夜は束の間の休息となった。
クルーの大半が陸に上がり、わずかな安らぎのひと時を楽しむなか、ジャンヌは一人、船の甲板から海を眺めていた。
―――おそらくは、自身最後の海戦となったであろう舞台を。
(……べつに好きで入った海軍じゃなかったが、いざ最後となると、なんだか不思議と寂しい気もするな)
彼女の心には、自分でも意外に思うほどの寂寥感が広がっていた。
「なにしてるんです?」
そんな彼女の背中に声をかけるものがいた。副長の青年だ。
「―――いや。あれが最後の海戦かと思うと、意外なほどあっけなく終わったもんだと思ってな。軍人の去り際なんざ、嫌な意味で派手なもんだと思っていたが」
「最後って……」
ジャンヌがあっさり言い放った一言に、副長は言葉を詰まらせた。どうやら彼のなかでは、まだ気持ちの整理がついていないようだ。
「そんな顔をするな。そもそも私は命令に違反したことを後悔などしていない。最悪死罪になるとわかった上でやったんだ。お前が気に病む必要なんかない」
「ですが……」
「それに……もうそろそろ、こんな兵器としての生活と縁を切りたいとも思っていたしな」
「兵器としての生活……?」
その物騒な表現が気になったのか、副長が恐々と口ずさむ。
「聴いたことはないか? その昔、陸軍が上級魔道士を量産しようとした計画があったと。―――私はそこで生み出された出来損ないだ」
「ッ!?」
突然の告白に驚愕した副長の青年が、思わず一歩、後ずさる。その顔は、まるで見てはいけないものでも目にしたかのように、ひどく引きつっていた。
「……まぁ大半の軍人は、ただの噂だと思っていたらしいがな。私の両親は、陸軍がどこからか連れてきた二人の奴隷だった。この肌を見ても分かるようにな。どうやら相当なマナを秘めていたらしい二人は、そのまま望まぬ契を強いられ、そして私が産まれた。私はそのあとすぐ陸軍に保護されたから二人の顔も名前も知らない。二人が一度でも私を抱いてくれたのか、そんなことすらわからない」
「……そ、そんなこと、許されるんですか?」
「許されないからこっそりやっていたんだ。実際、私が誕生してからしばらくして、計画は中止された。成果が出ないからなのか、露見する危険があったからなのか、その理由は知らないがな。そのあと、八歳の時、マナをうまく扱えないことを理由に私は海軍へ回された。陸軍に弱いやつは必要ないから、お払い箱ってわけだ」
「……」
「そこからは地獄だった。お前も知ってると思うが、海軍は陸軍で役立たずの烙印を押された連中の掃き溜めだ。特に上の方は軒並みな。私はそんな連中の直属に置かれたが……まぁ、どうなったかは大体わかるだろ。朝と昼は航戦魔道士としての修練という名目で奴らの鬱憤を晴らす木偶の坊にされ、夜は……そういうことだ。……だから私は強くなった。自分も仲間も守れるようにな」
「……」
「覚えておけ。グランディア海軍にいる限り、力こそがすべてだ。お前みたいにこれから指揮官として生きていく人間は特にな。弱いやつは船の仲間どころか自分の身も守れない。強くなければ、敵より先に身内に潰されて終わりだ」
切々と紡がれる艦長の言葉を、副長の青年は、ただ静かに、聴いていた。
ジャンヌは、それ以上、なにも語らなかった。
ケープサンドの港に停泊したジャンヌの船の甲板で、副長の青年が呟いた。
「こっちは哨戒艇一隻が沈没。向こうは旗艦ほか三隻の合わせて四隻が損傷軽微ってとこでしょうか。結局一隻も沈められませんでしたね」
「こっちの戦力を考えれば上々だ。これでガネット石の供給が止まることはないし、乗り気じゃなかった陸軍も実際に相手が攻めてきたのを見て、今後は陸海両面を重点的に守ると言っているしな」
「しかし、まさか援軍がいるとは思いませんでしたね。あらかじめ二隊に分けて、あえて先発隊を発見させて油断を誘うつもりだったんでしょうか」
「いや、それはさすがにできすぎだ。ただの偶然だろう」
冷静に答えるジャンヌ。
だが、その心には小さくない後悔が燻っていた。
(……あそこであの援軍が来なければ《白鯨殺し》の首はもちろん、敵の旗艦を沈めることもできたんだが……)
いままさにレイナに止めを刺そうとした瞬間、突如として沖合に現れた向こうの援軍のせいでその機会は失われた。自分の詰めが甘かったと言えばそれまでなのだが。
その後、敵戦隊はこちらの哨戒艇一隻を沈めると、ジャンヌの船が戦域へ駆けつける前に全艦を率いて退散。ジャンヌ自身が密かに最大の目標としていた《白鯨殺し》を沈めることは叶わなかったが、ケープサンド防衛という当初の目的は達成できた。とりあえず、それで納得することにする。
「ところで、準備のほうはどうなってる?」
「はい。明日の朝一には出港できます。……ですが、いいんですか?」
「なにがだ?」
「本当にグランディアへ戻るんですか? 俺らに気を遣ってるんなら、やめてください。このまま国に戻ったら、ジャンヌさんは間違いなく……」
副長の言葉がそこで切れる。もっとも、その先は言われずともわかっていた。
だが、やはりこのままクルーたちの未来を閉ざすわけにはいかない。国へ戻って、すべては自分の独断だと言えば、彼らは減給や謹慎程度で済むだろう。
「何度も言わせるな。命令違反は犯したが、すべてはグランディアを守るためだ。いまはとにかく準備を急げ」
「……はい」
ジャンヌの決意に満ちた言葉に、副長もただ頷くしかなかった。
⚓
その後、クルーたちは明日の出港へ向けて忙しなく動き回り、作業は夕方あたりにようやく終了。夜は束の間の休息となった。
クルーの大半が陸に上がり、わずかな安らぎのひと時を楽しむなか、ジャンヌは一人、船の甲板から海を眺めていた。
―――おそらくは、自身最後の海戦となったであろう舞台を。
(……べつに好きで入った海軍じゃなかったが、いざ最後となると、なんだか不思議と寂しい気もするな)
彼女の心には、自分でも意外に思うほどの寂寥感が広がっていた。
「なにしてるんです?」
そんな彼女の背中に声をかけるものがいた。副長の青年だ。
「―――いや。あれが最後の海戦かと思うと、意外なほどあっけなく終わったもんだと思ってな。軍人の去り際なんざ、嫌な意味で派手なもんだと思っていたが」
「最後って……」
ジャンヌがあっさり言い放った一言に、副長は言葉を詰まらせた。どうやら彼のなかでは、まだ気持ちの整理がついていないようだ。
「そんな顔をするな。そもそも私は命令に違反したことを後悔などしていない。最悪死罪になるとわかった上でやったんだ。お前が気に病む必要なんかない」
「ですが……」
「それに……もうそろそろ、こんな兵器としての生活と縁を切りたいとも思っていたしな」
「兵器としての生活……?」
その物騒な表現が気になったのか、副長が恐々と口ずさむ。
「聴いたことはないか? その昔、陸軍が上級魔道士を量産しようとした計画があったと。―――私はそこで生み出された出来損ないだ」
「ッ!?」
突然の告白に驚愕した副長の青年が、思わず一歩、後ずさる。その顔は、まるで見てはいけないものでも目にしたかのように、ひどく引きつっていた。
「……まぁ大半の軍人は、ただの噂だと思っていたらしいがな。私の両親は、陸軍がどこからか連れてきた二人の奴隷だった。この肌を見ても分かるようにな。どうやら相当なマナを秘めていたらしい二人は、そのまま望まぬ契を強いられ、そして私が産まれた。私はそのあとすぐ陸軍に保護されたから二人の顔も名前も知らない。二人が一度でも私を抱いてくれたのか、そんなことすらわからない」
「……そ、そんなこと、許されるんですか?」
「許されないからこっそりやっていたんだ。実際、私が誕生してからしばらくして、計画は中止された。成果が出ないからなのか、露見する危険があったからなのか、その理由は知らないがな。そのあと、八歳の時、マナをうまく扱えないことを理由に私は海軍へ回された。陸軍に弱いやつは必要ないから、お払い箱ってわけだ」
「……」
「そこからは地獄だった。お前も知ってると思うが、海軍は陸軍で役立たずの烙印を押された連中の掃き溜めだ。特に上の方は軒並みな。私はそんな連中の直属に置かれたが……まぁ、どうなったかは大体わかるだろ。朝と昼は航戦魔道士としての修練という名目で奴らの鬱憤を晴らす木偶の坊にされ、夜は……そういうことだ。……だから私は強くなった。自分も仲間も守れるようにな」
「……」
「覚えておけ。グランディア海軍にいる限り、力こそがすべてだ。お前みたいにこれから指揮官として生きていく人間は特にな。弱いやつは船の仲間どころか自分の身も守れない。強くなければ、敵より先に身内に潰されて終わりだ」
切々と紡がれる艦長の言葉を、副長の青年は、ただ静かに、聴いていた。
ジャンヌは、それ以上、なにも語らなかった。