本編
ツィーロン戦隊を撃破後、イグニス戦隊は沈んだ仲間たちの救出と、残されたグランディア軍の残党の保護に走った。
レイナの旗艦も、敵戦隊へ潜りこませた最も被害の大きな《グランディア艦》へと急ぐ。ティオに指揮を任せた偽装船だ。
船はなんとか海上に浮いていた。だが、その被害は極めて甚大。特に船体中央下部の大穴が致命傷で、沈むのは時間の問題だった。
レイナは旗艦を沈船の横で止めて、急いでクルーたちを送りこみ救助活動にあたらせる。大半のクルーはすでに海へ逃げ出していたが、負傷して動けなくなったクルーに付き添って船に残ったものたちもまだ大勢いた。
次々と旗艦へ移される《死》傷者たち。
そのあまりに悲惨な光景を前に、大和は思わず目を逸らした。
腕が妙な方向へ曲がっていたり、全身が切り傷だらけだったりするのは、まだ軽傷なほうだ。なかには片腕を失ったクルーや、一目で助からないと分かるほど全身血まみれのクルーもいる。
そして、無残にも頭の一部が吹き飛んだクルーの遺体を目の前にしたとき、一気にこみ上げた吐き気に耐えきれず、彼は舷側から海上へ吐いた。
(……こ、これが……戦争……)
想像を絶する痛々しい現実に、大和の心はもはや耐えられなかった。
彼は何の気なしにレイナのほうへ視線を向ける。彼女は誰よりも率先して負傷者の運搬と治療にあたっていた。そのシャツは大量の鮮血で真紅に汚れ、綺麗な髪や顔も負傷したかのように血みどろだ。
そんな彼女の姿に、大和は自分が急に恥ずかしくなった。助けを求める人がたくさんいるときに自分は自分の心配しかしていない……。
しかし、そう思っても体が言うことをきかない。無意識のうちに恐怖が四肢を萎縮させていた。
―――そのとき、沈船から運ばれてきた負傷者を目にして、彼は言葉を失った。
「ティ、ティオさん……」
一人のクルーに担がれてきた負傷者はティオだった。目立った流血などはないが、だらりと垂れ下がった左腕にひどい火傷を負っている。いつもの眠気たっぷりの愛らしい童顔も見る影はなく、いまは命を繋ごうと必死に荒い呼吸を繰り返していた。
レイナが近寄ると、ティオはその瞼をなんとか持ち上げて、彼女を見上げた。
「……レイナ……さま……うま、く……いき……ました、か……?」
「ええ。本当によくやってくれました。いまは休みなさい」
「……よかっ……た……」
その一言を最後に、彼女は意識を失い、そのまま旗艦の船内へと運ばれていった。
(……あんな、小さい子が……)
彼女の姿を目にした大和の心に、底知れぬ罪悪感が膨れ上がる。
ティオはレイナに任務を指示されたとき、なんの躊躇もなく従った。それが誰よりも危険な任務であることは分かっていたはずなのに。顔には出ていなかったが、途方もない不安や恐怖もあったはずなのに。
だが、彼女はそのすべてを押し殺し、自軍の勝利のために最前線に身を投じ、その命を賭けた。
それなのに自分はレイナに守ってもらってばかりで、負傷者の救助にも協力できない。自分から甲板で生死を共にすると言っておいて、結局はこの様だ。誰もが自分の戦略のもとで戦い、傷を負い、命を失ったというのに……。
そんな大和をよそに、自軍の救助と敵軍の保護は迅速に進み、一時間後には終了。イグニス第一一戦隊はギルヴァンティを離れ、西へ向かった。
死傷者、六一名。
結末は、勝利。
これが彼の、最初の戦績となった。
―――その後、レイナたちから少し離れて航行していた陸軍輸送船団が勝利の報告を受けてギルヴァンティへ急行し、これをグランディアから奪還。東の戦況が拮抗しているためか、あるいは海軍の上層部がギルヴァンティに戦略的価値を認めていなかったのか、同地は守備兵がほとんど割かれておらず、要衝にも関わらずあっさりイグニスの支配下に入った。
……そして。
この一戦を契機として、戦況は大きく動き始める。
⚓
「あ……っんの糞野郎がぁッ!」
酒場の隅でジャンヌの巨大な怒りが弾けた。だが、周囲の喧騒がそれ以上に大きいからか、彼女の声はほかの客の耳には届かず、そのまま虚空へと消えていく。
「……おいジャンヌ。グラスをテーブルに叩きつけるな。割ったらまた倍にして返してもらうぞ」
彼女の正面には、カウンター越しに店主の男性が立っていた。初老間近とも思しき細身の男性だが、その全身は屈強と形容するに相応しいほど筋骨隆々としている。
「……うっさいな。私が割るたびに新調できて嬉しがってんの知ってんだからな。むしろ感謝して欲しいくらいだ」
臆さずに言い返すジャンヌ。かなり荒れているのは誰の目にも明らかだった。
だが、店主の男性は鼻を鳴らすだけで、不満も皮肉も口にしない。付き合いの長い彼は、彼女が意味もなく怒りを露わにしないことを知っているからだ。
「……今回はなにがあった」
「……次、失敗したら左遷だとさ。ベルガの野郎、今回の敗戦をすべて私のミスとして報告しやがったんだ。部下を信じて一任させてみたが、やっぱりダメだったとかなんとか言ってな。最後にはあいつが承認したくせにだ。おまけにギルヴァンティを押さえられたと知った政治屋連中が、海軍は頼りにならないから南岸防衛にあたる陸軍を増やせって要請したのもあって、陸軍からも散々に言われた……くそっ、あそこの価値を理解しないで防備を手薄にしていたのは、そもそも自分たちだろうがッ!」
ギルヴァンティの敗戦後、彼女は戦隊を率いてツィーロンへ退避したが、待っていたのは叱責の嵐だった。もともと奴隷身分から成り上がった彼女は上層部や出世を争うほかの提督たちに嫌われているため、ここぞとばかりに集中砲火を浴びた。
一方、ベルガはツィーロン戦隊のトップであるにも関わらず、敗戦の責をジャンヌになすりつけることで見事にお咎めなしに終わった。
そして連日に及ぶ尋問にも等しい軍議が今日で終わり、ジャンヌはその憂さを晴らすために馴染みの店に顔を出したのだった。戦隊は急ぎ再建中のため、大半のクルーは皆、休養中だ。
「あいつも相変わらずだな。私掠船団を解体されて少しはおとなしくなるかと思ったが、存外に世渡りが上手いというか」
「あとでいらついていたのを見ると、完全に白ってわけじゃないみたいだけどな。もとからあいつに敵対している一派も、これを機に蹴落としにかかるだろうし」
「たしかにな。……しかしまぁ、こういうのもなんだが、今回の海戦も指揮自体はお前が取ってはいたんだろ?」
「……そうだよ。だから余計に苛々するんだよ。一任されていたのは事実だし、敗北した一番の原因も私が相手の戦術を見抜けなかったからだ」
「《白鯨殺し》か……ローザリア教が国教のうちじゃ悪の権化みたいな言われ方をしちゃいたが、まさかお前を上回るほどの実力者だとはな」
「私はまだ負けちゃいない!」
ジャンヌは反射的に叫んだ。だが店主の男性は諭すように、
「強がるな。現実を受け入れろ。目を逸らした分だけ弱くなるぞ。お前の悪い癖だ」
「ぐ……っ!」
「で? 実際、状況はどうなんだ?」
店主の一言で拗ねてしまったのか、あるいは少し頭が冷えたのか、ジャンヌはしばし黙りこんだあと、
「……状況は厳しい。ギルヴァンティを奪われたことで主導権を失った。それとイグニスは戦隊の配置を再編していたんだが、そっちがまるで予想外だった」
「予想外?」
「ああ。報告にあったスピットファイア戦隊への合流は、ふりだったんだ。あれは南岸の戦隊を増強するための一手なんかじゃなかった。むしろ逆だった」
「逆?」
ジャンヌの意味ありげな言葉に店主は眉をひそめる。
「……イグニスはまず、戦艦一〇隻をブレストウッドの目の前に配置して、こっちの出撃を封じようとした。これは想定の範囲内だ。そして、それに気づいたブロント戦隊のうち一五隻が、この封鎖部隊を排除するために西へ向かった。……だが、途中でどこからともなく現れた二〇隻のイグニス戦艦によって撃退されたらしい」
「どこからともなくだって?」
「ああ。最初は北に五隻が確認できて、その後に西から一〇隻とさらに遅れて五隻が現れたらしい。それでしかたなく撤退したらしいが、二隻が沈められたそうだ」
「……いったいどういうことだ?」
困惑する店主。
ジャンヌはグラスに残ったレイモンの果汁を一気に煽ると、たぶんと前置きした上で彼の疑問に答えた。
「……あいつら、全戦隊でもって、ユーロシア大陸に蓋をしたんだ」
レイナの旗艦も、敵戦隊へ潜りこませた最も被害の大きな《グランディア艦》へと急ぐ。ティオに指揮を任せた偽装船だ。
船はなんとか海上に浮いていた。だが、その被害は極めて甚大。特に船体中央下部の大穴が致命傷で、沈むのは時間の問題だった。
レイナは旗艦を沈船の横で止めて、急いでクルーたちを送りこみ救助活動にあたらせる。大半のクルーはすでに海へ逃げ出していたが、負傷して動けなくなったクルーに付き添って船に残ったものたちもまだ大勢いた。
次々と旗艦へ移される《死》傷者たち。
そのあまりに悲惨な光景を前に、大和は思わず目を逸らした。
腕が妙な方向へ曲がっていたり、全身が切り傷だらけだったりするのは、まだ軽傷なほうだ。なかには片腕を失ったクルーや、一目で助からないと分かるほど全身血まみれのクルーもいる。
そして、無残にも頭の一部が吹き飛んだクルーの遺体を目の前にしたとき、一気にこみ上げた吐き気に耐えきれず、彼は舷側から海上へ吐いた。
(……こ、これが……戦争……)
想像を絶する痛々しい現実に、大和の心はもはや耐えられなかった。
彼は何の気なしにレイナのほうへ視線を向ける。彼女は誰よりも率先して負傷者の運搬と治療にあたっていた。そのシャツは大量の鮮血で真紅に汚れ、綺麗な髪や顔も負傷したかのように血みどろだ。
そんな彼女の姿に、大和は自分が急に恥ずかしくなった。助けを求める人がたくさんいるときに自分は自分の心配しかしていない……。
しかし、そう思っても体が言うことをきかない。無意識のうちに恐怖が四肢を萎縮させていた。
―――そのとき、沈船から運ばれてきた負傷者を目にして、彼は言葉を失った。
「ティ、ティオさん……」
一人のクルーに担がれてきた負傷者はティオだった。目立った流血などはないが、だらりと垂れ下がった左腕にひどい火傷を負っている。いつもの眠気たっぷりの愛らしい童顔も見る影はなく、いまは命を繋ごうと必死に荒い呼吸を繰り返していた。
レイナが近寄ると、ティオはその瞼をなんとか持ち上げて、彼女を見上げた。
「……レイナ……さま……うま、く……いき……ました、か……?」
「ええ。本当によくやってくれました。いまは休みなさい」
「……よかっ……た……」
その一言を最後に、彼女は意識を失い、そのまま旗艦の船内へと運ばれていった。
(……あんな、小さい子が……)
彼女の姿を目にした大和の心に、底知れぬ罪悪感が膨れ上がる。
ティオはレイナに任務を指示されたとき、なんの躊躇もなく従った。それが誰よりも危険な任務であることは分かっていたはずなのに。顔には出ていなかったが、途方もない不安や恐怖もあったはずなのに。
だが、彼女はそのすべてを押し殺し、自軍の勝利のために最前線に身を投じ、その命を賭けた。
それなのに自分はレイナに守ってもらってばかりで、負傷者の救助にも協力できない。自分から甲板で生死を共にすると言っておいて、結局はこの様だ。誰もが自分の戦略のもとで戦い、傷を負い、命を失ったというのに……。
そんな大和をよそに、自軍の救助と敵軍の保護は迅速に進み、一時間後には終了。イグニス第一一戦隊はギルヴァンティを離れ、西へ向かった。
死傷者、六一名。
結末は、勝利。
これが彼の、最初の戦績となった。
―――その後、レイナたちから少し離れて航行していた陸軍輸送船団が勝利の報告を受けてギルヴァンティへ急行し、これをグランディアから奪還。東の戦況が拮抗しているためか、あるいは海軍の上層部がギルヴァンティに戦略的価値を認めていなかったのか、同地は守備兵がほとんど割かれておらず、要衝にも関わらずあっさりイグニスの支配下に入った。
……そして。
この一戦を契機として、戦況は大きく動き始める。
⚓
「あ……っんの糞野郎がぁッ!」
酒場の隅でジャンヌの巨大な怒りが弾けた。だが、周囲の喧騒がそれ以上に大きいからか、彼女の声はほかの客の耳には届かず、そのまま虚空へと消えていく。
「……おいジャンヌ。グラスをテーブルに叩きつけるな。割ったらまた倍にして返してもらうぞ」
彼女の正面には、カウンター越しに店主の男性が立っていた。初老間近とも思しき細身の男性だが、その全身は屈強と形容するに相応しいほど筋骨隆々としている。
「……うっさいな。私が割るたびに新調できて嬉しがってんの知ってんだからな。むしろ感謝して欲しいくらいだ」
臆さずに言い返すジャンヌ。かなり荒れているのは誰の目にも明らかだった。
だが、店主の男性は鼻を鳴らすだけで、不満も皮肉も口にしない。付き合いの長い彼は、彼女が意味もなく怒りを露わにしないことを知っているからだ。
「……今回はなにがあった」
「……次、失敗したら左遷だとさ。ベルガの野郎、今回の敗戦をすべて私のミスとして報告しやがったんだ。部下を信じて一任させてみたが、やっぱりダメだったとかなんとか言ってな。最後にはあいつが承認したくせにだ。おまけにギルヴァンティを押さえられたと知った政治屋連中が、海軍は頼りにならないから南岸防衛にあたる陸軍を増やせって要請したのもあって、陸軍からも散々に言われた……くそっ、あそこの価値を理解しないで防備を手薄にしていたのは、そもそも自分たちだろうがッ!」
ギルヴァンティの敗戦後、彼女は戦隊を率いてツィーロンへ退避したが、待っていたのは叱責の嵐だった。もともと奴隷身分から成り上がった彼女は上層部や出世を争うほかの提督たちに嫌われているため、ここぞとばかりに集中砲火を浴びた。
一方、ベルガはツィーロン戦隊のトップであるにも関わらず、敗戦の責をジャンヌになすりつけることで見事にお咎めなしに終わった。
そして連日に及ぶ尋問にも等しい軍議が今日で終わり、ジャンヌはその憂さを晴らすために馴染みの店に顔を出したのだった。戦隊は急ぎ再建中のため、大半のクルーは皆、休養中だ。
「あいつも相変わらずだな。私掠船団を解体されて少しはおとなしくなるかと思ったが、存外に世渡りが上手いというか」
「あとでいらついていたのを見ると、完全に白ってわけじゃないみたいだけどな。もとからあいつに敵対している一派も、これを機に蹴落としにかかるだろうし」
「たしかにな。……しかしまぁ、こういうのもなんだが、今回の海戦も指揮自体はお前が取ってはいたんだろ?」
「……そうだよ。だから余計に苛々するんだよ。一任されていたのは事実だし、敗北した一番の原因も私が相手の戦術を見抜けなかったからだ」
「《白鯨殺し》か……ローザリア教が国教のうちじゃ悪の権化みたいな言われ方をしちゃいたが、まさかお前を上回るほどの実力者だとはな」
「私はまだ負けちゃいない!」
ジャンヌは反射的に叫んだ。だが店主の男性は諭すように、
「強がるな。現実を受け入れろ。目を逸らした分だけ弱くなるぞ。お前の悪い癖だ」
「ぐ……っ!」
「で? 実際、状況はどうなんだ?」
店主の一言で拗ねてしまったのか、あるいは少し頭が冷えたのか、ジャンヌはしばし黙りこんだあと、
「……状況は厳しい。ギルヴァンティを奪われたことで主導権を失った。それとイグニスは戦隊の配置を再編していたんだが、そっちがまるで予想外だった」
「予想外?」
「ああ。報告にあったスピットファイア戦隊への合流は、ふりだったんだ。あれは南岸の戦隊を増強するための一手なんかじゃなかった。むしろ逆だった」
「逆?」
ジャンヌの意味ありげな言葉に店主は眉をひそめる。
「……イグニスはまず、戦艦一〇隻をブレストウッドの目の前に配置して、こっちの出撃を封じようとした。これは想定の範囲内だ。そして、それに気づいたブロント戦隊のうち一五隻が、この封鎖部隊を排除するために西へ向かった。……だが、途中でどこからともなく現れた二〇隻のイグニス戦艦によって撃退されたらしい」
「どこからともなくだって?」
「ああ。最初は北に五隻が確認できて、その後に西から一〇隻とさらに遅れて五隻が現れたらしい。それでしかたなく撤退したらしいが、二隻が沈められたそうだ」
「……いったいどういうことだ?」
困惑する店主。
ジャンヌはグラスに残ったレイモンの果汁を一気に煽ると、たぶんと前置きした上で彼の疑問に答えた。
「……あいつら、全戦隊でもって、ユーロシア大陸に蓋をしたんだ」