本編

 ジャンヌが睨んだのは、大破した二隻目の陰から現れた一隻のグランディア艦だ。

「スターボード! あの南東の船に向かえ!」
「ちょ、ジャンヌさん!? 敵は左舷ですよ!? どこ行くんです!」

 副長が焦って制止にかかる。だが、彼女は聴き入れなかった。なぜなら、

「よく見ろ! あれは《うちの船》じゃない! 《やつらが連れてきたうちの船》だ!」
「……えっ?」
「まんまとやられた……あの煙幕の狙いはこっちの隊列を乱すことじゃない。向こうのクルーを乗せたうちの船を潜りこませて、内側からしかけるためだ。急げ!」

 ジャンヌは戦隊内に忍びこんだ敵艦めがけて自船を急行させる。その間にも戦隊の混乱をついてさらに一隻が沈められた。これで残りは八隻。自分の分隊だけで見れば三隻だ。

「総員! 操船要員を最低限だけ残して艦内に避難! ほかの船にはすぐこの船のそばから離れて西の敵船を迎撃するように伝えろ!」

 ジャンヌの令を受けて甲板上のクルーたちが慌ただしく作業に移る。そして、その遂行を確認すると、彼女は右腕―――大量のガネット石がはめこまれた腕輪をゆっくりと敵船へ向けて持ち上げ、静かに瞳を閉じた。

「―――汝、北限に君臨せし氷狼に仇なす者よ。彼の息吹に凍てつきしその双翼に永久の安寧を欲すなら、その身に宿し凛然たる業火を我に授け給え」

 詠唱に反応して右腕のガネット石が一斉に赤々と輝き始める。まるで太陽でも召喚したかのような神々しい眩さが彼女を包みこみ……そして、

「―――緋鳳乃翼エル・カーレイト

 魔法名の発動とともに腕輪のガネット石が一つ砕け、《炎の槍》が敵艦めがけて放たれた。その射速は凄まじく、敵艦まで一五〇メドルはあった距離を、ものの二秒たらずでなきものにしてしまった。
 ―――緋鳳乃翼エル・カーレイト。威力を削るかわりに速度を限界まで高めたジャンヌの爆熱系遠距離航戦魔法だ。それでも一発につきガネット石を一つ削るという途轍もない量のエレメントがこめられており、中型の木造艦なら一撃、鋼鉄艦でも数発で航行不能にできる反則級の威力を兼ね備えている。ジャンヌがグランディア海軍史上で最強と呼ばれる所以の一つだ。
 その襲来に気づいた敵艦が、咄嗟に航戦魔法で応戦。炎槍めがけて風の塊を正面から衝突させる。だが、炎槍の威力が桁違いなのかまるで止まらない。その後、立て続けに放たれた三発の風弾を受けて、ようやくその軌道がわずかに逸れ、遠い海上に着弾。数十メドルはあろうかという瀑布のごとき水柱が豪快に噴き上がった。

「へぇ。撃ち落とせないまでも軌道を逸らすとはやるもんだな。それなら……」

 ジャンヌはつづけて次弾を放つ。今度は三発連続だ。
 これには敵船も対処できなかった。最初の一発は明後日の方向へ逸らされたが、二発目は舷側を貫き、そして三発目は船尾をごっそり削り取った。
 敵艦は瞬く間に大炎上。動きを完全に停止し、クルーたちが次々と海中へ身を投げ始める。

「終わりだ」

 ジャンヌは止めの一発を放った。炎槍が猛烈な速度で敵艦めがけて飛来する。
 ―――だが、その一撃は突如、海上で爆散した。

「なっ……ッ!?」

 ジャンヌの面に驚愕が走る。いくら威力を削っているとはいえ、自分の航戦魔法が一撃で落とされるなど予想だにしなかったのだ。
 誰だ。咄嗟に撃墜した魔法の発射源と思しき右舷を振り返る。
 一隻の鋼鉄艦がいた。三本マストの中型縦帆船。機動性と切り上がり性能を重視したスクーナータイプ。―――だが、そんな艤装よりなにより彼女の目を引いたのは、メインマストの頂点で棚引く旗だった。氷のマナの化身と言われる狼を模した紋章が刻まれた純白の三角旗だ。

(あれはシャルンホルスト家の紋章……《白鯨殺し》か!?)

 神さえも恐れるといわれる《白鯨》をたった一隻で討ち果たしたイグニスの魔道戦艦の噂はジャンヌも知っていた。そして、それがシャルンホルスト家の者による所業だということも。
 その事実に気づいたジャンヌは……嗤っていた。

「―――そういうわけか。ここを要所だと見抜いた戦略眼といい、風上の利をあんなふうに使う戦術眼といい、どんなやつかと思ったが……久しぶりに面白いやつが出てきたもんだ」

 その笑みは、まるで積年の恨みを晴らす相手でも見つけたかのようだった。



     ⚓



「……まさか、あれほどの爆熱系の使い手がいるとは思いませんでした」

 敵方の苛烈な攻勢を目の当たりにしたレイナは、その猛威に驚きを隠さなかった。

「そ、そんなに凄いんですか?」
「あれほどの上級航戦魔道士と一対一で渡り合える魔道士はイグニスでも数えるほどです。史上稀に見る使い手と言っていいと思います」

 彼女の言葉に大和は、ごくりと喉を鳴らす。まさかそれほどの凄腕が相手だとは想像もしていなかった。

「ですが、こちらも負けるわけにはいきません。―――全艦に令! 各自近くの敵艦を追撃しつつティオたちの救援を急いで! ハードポート! 針路七二度!」

 レイナの旗艦は戦隊への指示と同時に、敵の鋼鉄艦へ向かう。

「魔道部隊はあの黒船の舷側を狙ってください! 相手の魔法は私が落とします!」

 そのとき、敵の甲板が赤々と輝いた。

「レ、レイナさん! 次が来ます!」

 だが、大和の警告よりも早く、レイナは始動していた。

「―――汝、比類なき死を囲いし者よ。北限より纏いし冷厳にして荘厳なる息吹を以て、我が信道を阻む者、その命数を食らい尽くし給え」

 レイナの詠唱に合わせて、彼女の周囲を無数の氷の破片が煌めくように舞い踊る。その様は戦争中にも関わらず目を奪われてしまうほどに美しく幻想的だった。

「―――氷狼ノ牙フィズ・ヴォル・ファング

 敵艦から炎槍が飛来するのと同時に魔法が発動。レイナの周囲に無数の氷刃のような魔弾が一瞬で生まれ、その五つが恐るべき速さで打ち出された。
 海上で双方が次々と激突、そして爆散していく。

(す、すご……っ)

 そのあまりに非現実的な光景を前に、大和はただ絶句するしかなかった。彼の世界ではアニメやゲームのなかでしかあり得なかった光景が、いま目の前に現実として広がっている。
 その後もレイナと敵の航戦魔道士の撃ち合いは止まらない。だがその力が完全に互角なのか、一撃を以て一撃を撃ち落とす展開に終始した。
 しかし、それが本当の意味で互角でないことは、大和にも分かっていた。

(このままならレイナさんが押し切って終わりだ。相手の航戦魔道士はエレメントが限られてるけど、レイナさんは半永久的に航戦魔法を使える。ってことは……)

 敵はどこかで大きな一発に賭けるはず。大和はそう確信していた。

 ―――そして、《それ》は来た。

 敵艦の甲板が鮮血を吹き出したように、それまでとは比較にならないほど赤い輝きを放つ。

「―――汝、永遠に禁獄たる氷原を司りし者よ。その右手を冷徹なる天秤に捧げ、その左手を失われし万華の鉄鎖に結ばれし者よ」

 レイナも危険を感知したのか、新たな詠唱に入った。同時に彼女の周りで無数の氷片が煌めき始め、意志を宿したかのように旋回し始める。

「幾千の霊験、幾万の灯火を刈り尽くす絶界の凍刃を以て我が一元の命数を喰らいその縛を解き放ち、身の内に眠りし絶対なる凍獄の息吹を我に与え給え」

 レイナの詠唱完了と同時に、その一閃は敵艦から放たれた。もはや人の目で追うことなどかなわない音速の熱線。大和がその飛来に気づいたとき、もうそれはすでに目の前まで迫っていた。

「―――氷獄ノ女王ブレイズ・ディア・アブソリュート

 直後、途轍もない衝突音が轟いた。

「うわぁぁッッッ!」

 衝撃の余波に大和は堪らず吹き飛ばされ、甲板を激しく転げ回る。途中でなんとか四肢を踏ん張り、落水は免れた。

(い、いったいなにが……ッ!?)

 甲板に伏せたまま、なんとか顔だけを起こす。
 目の前には巨大な氷の壁が無数に並んでいた。そしてそれが次々と熱線によって打ち砕かれている。そのたびに鼓膜が破れそうな炸裂音が弾け、大和は咄嗟に両手で耳を塞いだ。
 相手の爆熱系航戦魔法とレイナの氷雪系航戦魔法の激突。それも詠唱の長さや目の前の衝突の激しさから察するに、相当な力がぶつかりあっている。
 大和はレイナを見た。普段、滅多に表情を崩さない彼女だが、いまは懸命に歯を食いしばっている。《白鯨殺し》という偉業を成し遂げた彼女をしてそこまで追いこむ相手の力は相当なものなのだろう。事実レイナの氷壁は一瞬にも満たないほど猛烈な勢いで次々と打ち砕かれていく。
 だが、半分ほど割られたところで、熱線の勢いが次第に陰り始めた。氷一枚を打ち破る時間が伸び始めたのだ。

(ど、どっちが……っ)

 固唾を呑んで見守る大和。
 相手が押し切るのか、レイナが守り切るのか。
 ―――そして、決着は訪れた。
 氷壁が残り一〇枚ほどになったとき、熱線が一気に先細りし始め……その数秒後、ついに消滅した。対するレイナの氷壁は、残り三枚。

「や、やった……?」

 大和が思わず呟く。レイナもほっとしたのか、ふぅと大きく息を吐き出した。
 すると、敵艦はこちらの撃滅を諦めたのか東へ転舵。ほかの戦艦も次々とその後に続く。海域から離脱し始めたのだ。その数、残り五隻。
 大和は立ち上がって周囲を見回す。イグニスの魔道戦艦は残り九隻あった。

「……か、勝った?」

 大和の疑問に答えたのは、レイナだった。

「―――ええ。私たちの勝利です」

 彼女の疲れきった、それでも明るい笑顔に、大和は勝利を確信した。
 勝鬨が起こった。



     ⚓



(……まさか、あれほどの力を持っているとは思わなかった)

 海域から離脱するツィーロン戦隊、その旗艦の上でジャンヌは一人、右手の腕輪を見つめていた。はめこまれていたガネット石は最後に放った航戦魔法で一つ残らず砕け散り、いまは無骨な金属輪だけがそこにある。
 船上は敗戦のショックからか、誰もが口を閉じていた。
 無理もなかった。ジャンヌが分隊長に着任して以降、ツィーロン戦隊はこれまでただの一度も敗北を知らないのだ。さらに、リディア海は自分たちのほうがよく知る海域。そこで同規模の戦隊に敗北を喫するなど、思ってもみなかったのだろう。
 しかしそんな船上にあって―――ジャンヌの心は逆に湧き立っていた。
 たしかに敗北それ自体に屈辱も感じていたし、海域に置き去りにせざるを得なかった仲間に申し訳なさも覚えていた。
 だが……彼女の心には、それ以上の昂揚感が広がっていたのだ。
 思わず緩みそうになる頬を必死に制するジャンヌ。いまの彼女は、感情を抑えるのに苦労するほど興奮していた。
 その理由は、もちろん一つ。

(海軍に入って五年……驕るわけじゃないが、どこの戦隊が相手でも負ける気なんかしなかった。今回だってそうだ。それがまさか、本気を出しても沈められない相手と出会う日が来るなんてな……)

 遥か西の彼方、ギルヴァンティの方角を振り返りながら、ジャンヌはクルーの誰にも見られないよう、密かに歪んだ笑みを浮かべた。

(―――《白鯨殺し》。面白いじゃないか)
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