本編

 その日、イグニス海軍・第一一戦隊は、一〇隻の魔導戦艦と事前に拿捕した一隻のグランディア艦を率いてギルヴァンティの沖を南下していた。グランディアの西に隣接する国家エメラダ、その西岸およそ二〇海里ほどの海域だ。
 大和はいま、操舵手のさらに後ろ、後部甲板でレイナとティオと共にいた。

「……このあたりまで来るのも久しぶりですね」
「来たことあるんですか?」
「ええ。本当に数えるほどですが。―――ところでヤマトさん」
「はい?」
「……そろそろ教えてくれませんか? ツィーロン戦隊がギルヴァンティでどのようにこちらを待ち受けているのかを」

 そう尋ねるレイナの声色はどこか不安気だった。そろそろギルヴァンティが近いからだろうか。
 大和は念のため、なるべく臆さず安心させるように答えようと意識した。

「実際に向こうの陣容を見ない限りはなんとも言えません。ですが、想定できる相手の戦術はいくつかあります。たとえば、海峡を塞ぐように縦列に船を配して、絶えず航戦魔法で迎撃しつづけるとか。もっともこれはありえないでしょうけど」
「なぜですか?」
「戦隊全体の機動性を失うからです。全艦が足を止めることになるので、咄嗟の事態に対応できません。それにこちらが犠牲を惜しまずに一点突破をかければ、確実に破れます」
「では、相手はどう出てくると?」
「それは―――」

 大和は最も可能性が高いと思われる展開とそれに対する戦術をレイナとティオに伝える。
 聴き終えたレイナはしばし黙りこんでいたが、やがて呆れたように小さく息を吐き出した。

「……いったいどうやったらそんなことを思いつくんですか?」
「い、いや……まぁ……なんとなく……」
「なんとなくでこんなことを思いつけるなら、これまで海戦でさんざん苦労してきた私の努力が虚しくなってきます」
「す、すみません」

 するとレイナは「冗談ですよ」と笑った。

「分かりました。相手の出方を見るまではなんとも言えませんが、まずはその想定でいきましょう。ティオ、準備を」
「……はい」

 そのとき、メインマストに登っていた見張りが叫んだ。

「レイナさん見えた! 左舷一点に船影! グランディアの戦隊だ!」



     ⚓



「―――ジャンヌさん! 左舷二点、距離三海里に船影! イグニスの戦隊です!」

 ほぼ同時に、ギルヴァンティ海峡を走っていたジャンヌの鋼鉄艦、その見張りもイグニス戦隊の襲来を告げていた。

「数は!?」

 彼女の隣に控える副長の青年が尋ねる。

「えっと……合計一二隻! うち一隻は拿捕したと思われるうちの艦船です!」

 報告が終わるのと同時に敵戦隊が北岸の奥から姿を現した。旗艦と思しき鋼鉄艦を先頭に楔形の陣形で向かってくる。

「全艦に信号! 出港前に指示したとおりの隊列で海峡を封鎖するように伝えろ! 航戦魔道士の半数は魔道甲板の左舷で待機! もう半分は甲板左舷で待機だ!」

 クルーの一人がジャンヌの指示を信号旗で全艦へ伝えると、ツィーロン戦隊・合計一二隻が一斉に動き出した。六隻ずつの小隊を形成し、それぞれ北と南に分かれ、どちらも円を描くように回転しながら海峡を塞ぐ。俯瞰すれば8の字を描いているように見える形だ。
 ベルガは現場での指揮をジャンヌに一任していた。上層部への事後報告の際に自分の名義に置き換えるため、誰がやろうと関係ないからだ。それなら勝率は高いほうが良い。
 もちろんその処遇に納得などしていないジャンヌだが、致し方ない。彼の機嫌を損ねて解雇でもされれば、アイリーンを助ける手段を失ってしまう。

「……どう動いてくるでしょうか?」

 副長の質問にジャンヌは即答した。

「あるとすれば二つだ。一つは、縦列に陣を組んで二円のあいだを中央突破。最も手薄なのはそこだからな。そうでなければ、純粋に魔法戦で全艦を潰しにくるだろう」
「北か、あるいは南の大陸沿岸ぎりぎりを通過するという可能性は?」
「限りなくゼロだ。北の断崖沿いを走れば、上にいるうちの陸軍からも目が届く。見つかった途端、頭上から陸戦魔法を浴びて終わりだ。向こうも陸軍の援護くらいは想定しているだろう。南の海岸線沿いは遠浅だから、こっちの目が届かないほど遠くまではいけない」
「……となると、中央を割ろうとする可能性が最も高そうですね」
「それならこっちは、片方の部隊を西へ動かして相手の背後をつけばいい。挟撃して一気に優勢に立てる。仮に背後が取れなくても、側面と前面から叩けるこっちが圧倒的に有利だ」
「そのまま強引に東へ抜けられる可能性は?」
「それはない。それに、それで抜けられても少数だから、こっちが追撃をかければ容易に潰せる。そうである以上、向こうもそんな危険は冒さないだろう。仮にそのまま東へ逃げ切れたとしても、イグニスがリディア海で頼れる同盟国はインペリウムだけだが、インペリウムへつながるデニス海への道はうちの艦隊が封じている。つまり東へ抜けても、ただの袋のねずみに変わりはない」
「たしかに」
「おしゃべりはここまでだ。―――タッキング! ハードスターボード! 戦闘要員は敵船が射程に入り次第、迎撃! 船上の航戦魔道士は炎が艤装に燃え移らないように注意しろ!」

 ジャンヌの指示で船が右に回頭。
 両戦隊の距離が詰まる。
 空気を切り裂くように張り詰める緊張感。
 逸る鼓動。

(……さて。どうくる?)

 そして、互いの距離が三〇〇メドルを切ったとき、一斉に大量の炎弾が放たれた。



     ⚓



「―――スターボード! 開き変え! 迎撃用意!」

 船上にレイナの声が響く。
 船が南南西へ回頭。同時に魔道甲板の舷側から射出された大量の水弾が迫り来る炎弾と衝突。両者が弾け、海域全体を震わせるほどの振動と轟音が一帯に広がった。

「う……わっ……っ!」

 あまりの衝撃に、思わず頭を抱える大和。

「ヤマトさんは下へ行ってください! デッキは危険です!」
「い、いえ、大丈夫です! ここにいます!」
「ですが……っ」
「みんな僕の戦略のもとで戦ってくれてるのに、その僕だけ隠れてるなんてできません!」

 レイナの目を見て、毅然と答える大和。
 もちろんこの決断は、レイナたちからすればデメリットしかない。大和は海戦自体の力にはなれないし、自分の身を自分で守れるかも怪しい。極論、邪魔なだけだ。
 だが、それでも大和は、出港するときに決めていた。
 自分の戦略に命を賭ける人たちがいる限り、自分もその場に一緒にいようと。
 もちろん、それはとんでもなく恐ろしい決断だった。いまも、少しでも気を抜くと立っていられないほどに脚が震えている。
 ―――しかし、それでも彼の気持ちは変わらなかった。

「……わかりました。では、私のそばを絶対に離れないでください」

 レイナの表情は最後まで渋かったが、どうやら彼の心意気を買ったようだ。大和は小さく頷くと彼女の後ろに回る。

「タッキング! ハードスターボード!」

 旗艦が北西へ回頭し、風上へ切り上がる。
 イグニス戦隊は敵戦隊と向かい合うように横一列に並び、それぞれが相手に向かって行っては航戦魔法で応戦、そして即座に引き返すというヒットアンドアウェイを繰り返した。
 無数に飛び交う炎弾と水弾が、海峡中で次々と炸裂しては轟音とともに激しく散っていく。
 だが、ツィーロン戦隊の壁はなかなか打ち破れない。むしろ円軌道で走るツィーロン戦隊のほうが詠唱時間の隙を補って間断なく攻撃をしかけられるため、イグニス戦隊は徐々に押され始めていった。
 ―――しかし、レイナに焦りはなかった。

「……ヤマトさんの予想どおりですね」

 相手の動きが、大和が事前に知らせた敵方の戦術とぴったり一致していたからだ。

「海峡を塞ぐように戦隊を配置することで、リディア海への侵入を防ぐ。円軌道で走ることで詠唱時間の隙をなくし、かつ機動性も維持して咄嗟の事態にも対応可能。となると、こちらが採れる戦術は、縦列を組んでの中央一点突破くらいですが、そう来ると分かっていれば対処もしやすい……たしかに隙がありませんね」
「ええ。ですが、だからこそ活きる戦術があります」
「はい。―――全艦に信号! いったん距離をとります!」

 レイナの指示を受けて、イグニス戦隊は一度、引き下がった。だが、ツィーロン戦隊は追ってこない。海峡の最も狭い部分を離れたら現行の戦術が破綻するからだ。

「総員、横列を組んで攻勢準備! 旗艦の合図で一斉に砲撃開始!」

 そして、全艦が横一列に並ぶと、再びツィーロン戦隊へと向かっていった。

「―――あとはティオ次第ですね」



     ⚓



(……また突っこんできた?)

 一度は退いたかに見えたイグニス戦隊が再び自軍に横列で向かってきたのを見て、ジャンヌは訝しげに目を細めた。

「なにか策があるんでしょうか?」

 隣の副長も不思議そうな表情を浮かべている。

「……さぁな。単純に横列でしかけても無駄なことは分かったはずだが……」

 両戦隊の距離が三〇〇を切る。だが、相手はまっすぐこちらへ走ってくるだけだ。なにか策を弄しようという動きも見られない。

(……まぁいい。なにをしてこようと潰せばいいだけの話だ)

 だが二〇〇を切ったとき、イグニス戦隊が突如、針路を南東へ切り替えた。こちらの航戦魔法の射程に入ったため、それを迎撃できるように舷側を向けたのだろう。舳先を向けていては絶好の的になるだけだ。

「砲撃開始! 水弾の撃墜は最低限にして敵船のデッキを狙え!」

 ジャンヌの指示を受けて、魔道甲板から何発もの炎弾が放たれた。それまでのような水弾の迎撃ではなく、今度は相手の戦隊を沈めにかかる。物理的な損壊を与えるだけの水弾と違って、炎弾は一撃でも当たれば木造艦を燃やせるため、簡単に航行不能にできるのが最大の利点だ。
 だが、かわりに自船の近くに水弾が着弾するようになってきた。

「ハードスターボード! 開き変え!」

 戦術の要である旋回軌道を崩すことはできないため、水弾を躱すために取れる航路が限られるのがグランディア側の弱点だ。だが、ジャンヌはそんな制約も苦にせず、軽々と敵の攻撃を躱していく。
 それでも、イグニス戦隊は一隻も欠けることなくツィーロン戦隊へ向かってきた。
 双方の距離がついに一〇〇を切る。

(……ん?)

 そのとき、それまで散発的に水弾を放っていたイグニス戦隊が、南東へ針路を切り替えるのと同時に一斉に砲撃してきた。まるで壁のように大量の水弾がツィーロン戦隊へ迫ってくる。

「迎撃しろ!」

 ジャンヌの一喝でグランディア戦隊も次々と炎弾を放った。
 双方の魔弾が一斉に衝突し、空を割らんばかりの轟音と震動が弾ける。同時に大量の水弾が一度に撃ち落とされたことで、濃霧のような水蒸気が両軍のあいだにたちこめた。
 巨大な霧の塊が追い風に煽られて、そのままツィーロン戦隊を呑みこみにかかる。

(……これが狙いか!)

 唐突に視界を奪われたクルーたちが、一様に慌てふためき出した。

「惑わされるな! 敵の船影は視認できる! 影を目がけて攻撃を続けろ!」

 ジャンヌの喝を受けて、魔道甲板と上甲板の航戦魔道士たちは即座に砲撃を再開。ほかの船もすぐそれに倣った。
 視界が失われたなか、四方で爆音だけが轟く。その恐怖にクルーたちは縮こまっていたが、ジャンヌは毅然と敵影の群れだけを見据えていた。
 やがて霧の壁が晴れて、視界が開ける。
 晴れ渡った目の前には燃え上がる船が一隻あった。炎弾が直撃したイグニスの戦艦だ。ほかに小破して速度が落ちている船も二隻、確認できる。
 対して自軍はベルガの第一分隊の一隻が甲板に水弾の直撃を食らったのか、マストを折られて航行不能に陥っていた。そして全体の隊列も完全に乱れている。

(……被害は向こうのほうが上か。こっちも隊列が崩れたのは痛いが、これくらいなら十分に立て直せる)

 ジャンヌはすぐに信号兵に次の指示を伝えようとした。
 ……そのときだった。

 ―――突如、自船の後方で炸裂音が轟いた。

「なっ!?」

 咄嗟に振り返るジャンヌ。
 そこでは自軍の船が一隻、煙を噴き上げて大破していた。メインマストが根本から折られており、なにかがガネット石を刺激したのか甲板が大炎上している。

「い、いったいなにが……ッ!?」

 そんな彼女の疑問を嘲笑うかのように、今度は左舷側から爆音が聴こえた。反射的にそちらを振り向くと、さらに一隻が盛大に燃え上がっている。
 だがそのとき、ジャンヌは二隻が大破した原因に気がついた。



「―――ッ! あの船か……ッ!」
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