本編

 翌朝、大和はレイナに請われて軍議に同行することになった。自分が参加して良いのか疑問だったが、レイナ曰く問題ないとのことだ。

(イグニス海軍のクルーは個々の戦隊ごとの徴兵制や志願制ですので、いきなり見知らぬ人がいても問題ありません)

 そういうわけで、二人について支部へ向かうことになった大和は、まずレイナからこの世界の男性ものの服を借りてそれに着替えた。かつて彼女の父・オリバーが若いころに着ていたという綿のシャツに七分丈のズボンだ。
 そして三人は、使用人たちに見送られながら屋敷を出た。
 住宅街と商店区画を抜けて向かった先は、港の西にあるイグニス海軍のランドエンド支部。鉄柵に囲われた広大な緑地に立つ、大学のキャンパスめいた雰囲気が特徴的な煉瓦造りの建物だ。

「……ここが?」
「ええ。イグニス海軍のランドエンド支部です。一番大きな建物が中央棟で、司令室や会議室などがあります。そして右手の奥にある細長い建物の集まりは宿舎です。ランドエンド以外の土地からここに配属された海軍籍の人たちは、あそこに泊まるんです。と言っても、戦時中の今はほぼ空ですが」
「……そう言えば、いま戦争中なんですよね? それにしては町の雰囲気が明るいというか、あんまり非常事態らしくなかった気がするんですけど……」

 素通りしてきた商店区画は、早朝にもかかわらず賑やかだった。

「イグニス国民にとって戦争とは、海軍が外に出ていって、勝って戻ってくることなんです。これまで本土を侵されたことが一度もありませんから、危機感が湧かないのもしかたないんですよ。海軍も港に常駐していますから彼らにとっては馴染み深いですし、開戦以後に税金が上がったりもしていません。つまり、戦争が始まったと言っても、彼らの生活は平時とほとんど変わっていないんです」
「そうなんですか」

 そんな話をしながら歩いていると、門扉が見えてきた。

「……ん? 誰かいますね」

 その前に二つの人影があった。どちらも少女で、うち一人はレイナと同じ外套を羽織っている。ということは、彼女も提督だろうか。
 近づくと向こうも大和たちに気づき、こちらを振り向いた。

「あら。久しぶりね」

 うちの一人、レイナと同じ格好の少女が口を開く。
 緋色の長く綺麗な髪に同色の瞳、髪を飾る黄色いカチューシャは愛らしくも品があり、その身なりはネクタイの色が赤である以外、レイナと瓜二つ。腰にはレイピアのような細剣を差しており、先ほどから崩さない厳しい面持ちや優雅な立ち居振る舞いの端々から漲る自信は、いかにも勝ち気な貴族のご令嬢といった印象を窺わせる。

「……お久しぶりです。クローディア」

 どうやらレイナの知人のようだ。しかし、彼女の口調はあまり歓迎的ではない。その険しい横顔から、大和にも二人が気の合わない間柄であることだけはすぐに理解できた。

「今回はまともな戦果を上げて帰ってきたのかしら? 提督に昇任して以来、出ていくたびに物資を食い潰して帰ってきてるだけみたいだけど」

 その物言いも、かなり上から目線で挑発的だ。

「……それはちがう! レイナさまは……」
「ティオ」
「……で、でも」

 咄嗟に反論しようとしたティオをレイナが止める。あの大人しいティオが食ってかかるほどの怒りを公然と露わにしたのが、大和にはかなり意外だった。

「はっ! 自分の部下にかばわれるようじゃ世話ないわね。……それに」

 クローディアと呼ばれた少女は、そこで視線を大和に向けた。その鋭い眼光には明らかな敵意が宿っており、反射的に「うっ……」と身を引いてしまう。

「……どこで拾ってきた朴念仁か知らないけど、男を侍らせる余裕があるなんて、私もずいぶんとナメられたものね」
「べつにあなたを下に見てなどいません。それに、彼は私の大切な協力者です。侮辱は許しません」
「まぐれあたり一発で提督になった分際で偉そうな口きくんじゃないわよ。―――行くわよ」

 隣の女性に命じたクローディアは、そのまま門扉を抜けて中へと入っていった。
 気まずい静寂が流れる。

「……レ、レイナさん、いまの人は?」
「―――クローディア・シルベストリ。第七戦隊の提督で、海軍に多くの英傑を輩出したシルベストリ家の一人娘です。彼女の父親であるディアス様は、かつて海軍総司令官も務めていました」
「……なんか、やたらにつっかかってきてましたけど……」

 大和の質問に、レイナは切り出しにくそうに小さくため息を吐いた。
 かわりにティオが口を開く。

「……あの人は、前からずっとレイナさまを目の敵にしてる。一気に昇進してきたレイナさまに追い抜かれるのを怖がって。だから、いつもああやって……」
「ティオ、やめなさい」
「……ご、ごめんなさい」

 レイナがたしなめると、ティオは押し黙ってしまい、しょんぼりと項垂れる。だがレイナも本気で叱ったわけではないのか、その頭をそっと撫でてやった。

「―――行きましょう」

 どうやら深い事情があるようだ。
 大和はそうとだけ納得し、歩を進めるレイナにつづいて門を潜った。



     ⚓



 軍議が行われるという二階の一室は、狭くて豪華だった。いかにも高そうな絨毯の上に黒光りする木製の巨大な丸テーブルが置かれ、さながら大企業の重役会議でも始まりそうな雰囲気だ。
 室内にはすでに複数人の姿があり、うち二人が椅子に腰をかけていた。
 一人はクローディアで、もう一人は男性だ。人当たりは良さそうだが、どことなく胡散臭そうな……大和の世界で言えば、ナンパやキャッチセールスに向いていそうな雰囲気を放っている。レイナと同じ外套を羽織っているということは、彼も提督なのだろう。その後ろには側近と思われる男性と女性が一人ずつ控えていた。

「……エルヴィン・ゴルドシュミット。ゴルドシュミット公爵家の長男で、第一二戦隊の提督」

 彼をじっと見ていた大和に気づいたのか、ティオが小声で教えてくれた。

「公爵家? ってことは貴族なんですか?」
「……貴族が箔をつけるために海軍に入るのは、よくあること」

 クローディアのときといい、ティオの物言いは外見に似合わずストレートだった。あるいはこれが地で、会ったばかりのときは猫を被っていたのだろうか。

「第一二戦隊ってことは、レイナさんよりも後に提督になったんですか?」
「……エルヴィンさんのほうが先。でも、レイナさまがすぐ追い抜いて、エルヴィンさんが末席になった。だからレイナさまをよく思ってない点では、クローディアさんと同じ」
「……そ、そうなんですか」

 出る杭は打たれると言うが、どうやらレイナには意外と敵が多いようだ。
 そんな関係性だからか、レイナは二人と言葉を交わすこともなく、空いている椅子の一つに腰を下ろした。ティオがその後ろに控えたので、大和も彼女の隣でしばし待機する。
 三分くらいしたところで、部屋の前の扉が開いた。
 入ってきたのは二人の女性だ。どちらもやはり提督用の外套を羽織っている。
 前を歩く女性は、紫色のボサボサの短い髪に母性的な顔立ちが目を惹き、その身なりはシャツに短いタイトスカートといった格好だ。
 一方、後ろの女性は対照的に、眼光鋭い瞳と一九〇に届こうかという高い身長が印象的だった。セミロングの茶髪をサイドで緩くまとめており、その身をパンツスーツのような服装で包んでいる。

「……ティオさん、あの二人は?」
「……背の低いほうがカタリナさん。第一戦隊の提督で、イグニス海軍の総司令官。高いほうはフレイアさん。第三戦隊の提督で、ここランドエンド戦隊のトップ。カタリナさんを補佐する二人の総参謀長の一人でもある」

 つまるところ、海軍のナンバー1と2ということか。
 そんな二人が入室したからか、それまでも緊迫していた部屋の空気がいっそう引き締まった。

「みんな朝早くに集まってもらって悪いわね。私も今日の昼にはここを出ないといけないから、ここしか時間がなくてね」

 カタリナが空いた椅子の一つに腰を下ろしながら集まった面々を労う。フレイアは立ったまま彼女の横に控えた。

「そういうわけで、早速で悪いけど本題。すでに伝えたとおり、先月の終わりに第一〇戦隊がグランディア海軍の襲撃を受けて壊滅したわ。そしてその直後、ツィーロン戦隊の一部がブレストウッドに合流したという情報も入ってる。狙いはもちろん、こちらの制圧でしょうね。最悪、本土侵攻も企んでると思うわ。そこで三人には、これらを踏まえた上で今後の展開について意見を出して欲しいの」
「そんなの決まってるじゃないですか」

 真っ先に口を開いたのは、クローディアだった。

「さっさと潰せばいいだけです。本土を侵攻される前に相手の近海を哨戒して、敵戦隊を捜し出して、叩き潰す。それだけです」

 レイナとの一幕から薄々わかってはいたが、どうやらクローディアはかなり好戦的な性格のようだ。
 だが、そんな彼女の意見に、もう一人の青年―――エルヴィンが待ったをかけた。

「待ちたまえ。今回の一件はこれまでと明らかに状況が違う。まずは向こうの狙いを見極めるべきだ。第一〇戦隊の報復を誘っている可能性だってある」
「だったら応じるまでよ。むしろいつも捜し出すのに苦労してるんだから、わざわざ交戦してくれるならありがたい話だわ」
「馬鹿か君は。こちらが報復を逸って攻めこめば、向こうに有利な海域に引きこまれて迎撃されるだけだ。そもそもそれが狙いかもしれないんだぞ」
「向こうが開けた海域に出る前に、こっちが先にブレストウッドとブロントに蓋をすればいいじゃない。両方とも戦隊の規模は大きくても港湾自体は狭いから、一度に同時に出撃できるのはせいぜい10隻。出撃してきた10隻を順次撃滅していけばいいだけよ」
「それは敵が誘いに乗ればだろう。乗らなかったらどうするんだ」
「乗るように仕向ければいいわ。片方だけ蓋をすれば、もう片方はそれを開けるために戦隊を出撃させる。ただでさえ両岸の戦力は拮抗してるんだから。10隻でブレストウッドに蓋をして、ブロント戦隊を半分くらい誘い出す、そしてこれを潰す。なにか問題が?」
「とにかく、だ。今は急いで情報を集めて、グランディアの狙いを探るのが優先だ」

 自信満々のクローディアに対して、エルヴィンは良く言えば冷静な、悪く言えば表面的な批判に留まっていた。
 二人の応酬はその後もつづいたが、どこまでいっても並行線だった。
 そんな二人を尻目に、大和はレイナを見た。彼女は終始、沈黙を守っている。

(……大丈夫かな)

 自分の意見を口にするのが怖いのだろうか。大和は若干の不安を覚えていた。
 昨晩、彼がレイナに話した戦略は、この時代の人間からすればおよそ理解不能だろう。それは耳にしたときのレイナとティオの反応からも明らかだ。
 この世界は、大和が親しんだ17、18世紀の欧州列強並みには戦略論が発達していない。逆に言えば、だからこそ大和の知識が活きるとも言えるが。
 しかし、故にこの場で大和の策を披露すれば、荒唐無稽に聴こえて相手にされない可能性も高い。最悪それだけで提督の椅子を失う可能性もある。ただでさえ彼女の周囲には敵が多いのだから。
 ―――だが、すべてを聴いたあと、レイナは言った。

(私はヤマトさんを信じます)

 出逢って一週間くらいしか経っていない自分を、レイナは信じると言い切った。
 あの澄み切った瞳で。大和の目を見て。
 そんな彼女の決意を見守ることしかできない歯痒さが、大和にはもどかしかった。

「二人とも落ち着きなさい」

 そのとき、白熱していたクローディアとエルヴィンの舌戦にカタリナが口を挟んだ。途端に室内が一瞬で静まり返る。

「とりあえず二人の言いたいことは分かったわ。そこに付随する課題もね。ただ、どちらもあとは決断の問題でしかない以上、これ以上の議論は無意味よ」
「……はい」
「……わかりました」

 互いに相手を論破できなかったことが悔しいのか、二人とも渋々といった表情で引き下がる。
 そして、カタリナはレイナに視線を向けた。

「―――それで、レイナはどう? 昨日もどったばかりで、ほとんど考える時間もなかったのが申し訳ないけど」

 その場の全員の視線が、彼女に集中する。
 沈黙。
 緊張。
 ―――そして、

「……私は」

 彼女が最初に口にした一言に、その場にいた全員が凍りついた。

「まず、ギルヴァンティを押さえにいきます」
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