本編

 ―――その日の夕方。
 大和はあてがわれた屋敷の一室で、寝台に胡座をかきながら庭を眺めていた。そこには小さな噴水や色鮮やかな花壇などがあり、どこも綺麗に整えられている。

 レイナの屋敷は広い庭を持つ戸建てで、質素だが立派なつくりをしていた。
 屋敷は二階建ての煉瓦建築で、一階には五〇人は入るであろうリビングと思しき広い部屋や同程度の応接間、そして蔵書が一〇万を超えるという図書室などがあった。二階にはレイナやティオ、メルティの個室以外に、客人のために空けてある部屋が数室あり、いま大和がいるのはその一つだ。

 屋敷にはメルティ以外にも使用人がたくさんおり、先代の家主が国賊扱いで処刑されたにしては意外だった。なかを案内してくれたティオにそれとなく尋ねると、誰もが先代の時代から仕えている人たちで、レイナ同様いまでも彼の無罪を信じているのだという。ちなみに船のクルーたちも、その大半が同じ理由でレイナと一緒にいるらしい。

「……ヤマトさん、いらっしゃいますか?」

 薄ぼんやり庭の景色を眺めていると、レイナが部屋の扉をノックした。

「あ、はい。どうぞ」

 促すとレイナが「失礼します」と入ってきた。その手になにやら模造紙を丸めたような筒を持っている。

「申し訳ありません。戻るのが遅くなりました」
「なにかあったんですか?」

 レイナは寝台に腰を下ろす。大和も胡座を解いて寝台の縁に腰かけた。

「ええ……。あまりよろしくない報告がありました。先月、西の新大陸から輸送船団を護送していた第一〇戦隊が、グランディア海軍の襲撃に遭って壊滅したそうです。残存艦は離島のロアークに避難したようですが、復旧には相当な時間を要するとのことでした」
「グランディア海軍?」
「私たちが交戦中の国です。ここ数年で大陸の版図を一気に塗り替えて、近年その脅威を増しています。少し前に隣国のインペリウムに侵攻して、イグニスはインペリウムと同盟する形でグランディアに宣戦を布告しました」

 レイナは立ち上がると、寝台の上に持ってきた紙を広げる。
 それは地図だった。

「昨年、グランディアが西の隣国エメラダの領土を一部掠奪したあとの最新版です。現在はこちら、東の大国インペリウムの領土を狙って侵略をつづけています。そして私たちは、グランディアの覇権拡大に待ったをかけるためにインペリウムと同盟して両国の戦争に介入しました。これ以上グランディアの勢力が強まると、最悪イグニスへの本土侵攻もあり得ますので」

 淡々と説明をつづけるレイナ。
 ―――しかし、このとき大和は、彼女の話よりもべつの事実に強く気を引かれていた。……いや。驚愕したと言っても良い。
 その目が釘づけになったのは、地図に刻まれた世界の姿。

 それは、大和の世界のヨーロッパの地図に瓜二つだったのだ。

 たとえば、イグニスはイングランド、グランディアはフランス、エメラダはスペイン、インペリウムはドイツにそれぞれ対応していると言える。
 ほかにも、イタリアと思しきイタリカ半島なる陸地、そこが突き出したリディア海という地中海そっくりの海、その北東に広がる黒海に相当するデニス海、さらに北にはバルト海に相当するバルティア海という海もあった。
 大陸自体もユーロシア大陸と、どこかで聴いたような名前だ。そしてリディア海の南には、アフリカと思しきアフィーリカという大陸の北端が見切れている。
 一方、小アジア半島に相当する地域から東はごっそり消えており、かわりに海が広がっていた。トルコより東側が海に沈んだ地図とでもいえば分かりやすいか。

(……どういうことだろ。細かい違いはあるけど、ここまでそっくりだなんて……)
「……ヤマトさん? どうかしましたか?」
「へっ? あ、ああ、すみません……つづけてください」
「あ、はい。―――それで、戦隊が一つ壊滅したことを受けて、海軍は明日、緊急で軍議を開くそうで、今日はその報告でした」

 そこまで話したところで、レイナは意を決するように一呼吸を挟んだ。

「……ヤマトさん。先日、私がお願いしたこと、覚えていますか?」

 ―――きた。
 大和の心臓が一度、ドクンと強く打ち、体が大きく震える。

「……はい」

 その一言を絞り出すだけでも、喉が詰まりかけるほどの緊張に襲われた。

「あのときはゆっくり考えてくださいと言いましたが、そうも言っていられなくなりました。ですが、勝手なことだと重々承知で再度お願いします。どうか私に協力してくれませんか?」

 レイナが大和の右手をとり、その両手で包みこむようにぎゅっと握る。
 二つの綺麗な瞳は、ただじっと彼の目を見つめていた。どれだけ彼女が本気で自分の協力を求めているのか……それを知るのにこれ以上の証明は必要ない、そう思えるほど強い視線だった。

 ―――大和の脳裏に、ティオから聴いた話が過る。

 この気丈な瞳の裏に、どんな恐怖や不安を押し殺しているのだろうか。自分とそう変わらない年頃の少女の両肩には、いったいどれほどの重責が伸しかかっているのだろうか。嫌なことから逃げてばかりだった自分には、まるで想像できない。
 ―――彼女の気持ちに応えたい。
 大和の心には、その思いが紛れもない本音としてあった。
 だが、戦争に関わりたくないという思いもまた、紛れもない本音だった。

「……レ、レイナさんが僕を必要としてくれるのは嬉しいけど……僕は正直、戦争が怖いです。……いえ。戦争で自分が死ぬかもしれないことが怖い。……そ、それに僕の知識なんて付け焼き刃だから、本当に通用するかどうかも……」

 どっちつかずの言い訳を並べる大和。
 するとレイナが、大和の手を握った両手に額を近づけた。その姿はまるで、主神たる彼に仕える巫女が祈りを捧げるようにですらあった。

「安心してください。ヤマトさんが死ぬことはありません。―――私がいる限り」

 彼女の一言に、大和の心が大きく跳ねた。
 それが、すべてだった。

「……わ、分かりました」

 その一言は、まるで勝手に転がりだすように自然と口を吐いて出ていた。自分の耳に入って初めて、とんでもないことを口にしてしまったと焦りを感じるほど自然に。
 しかし、それでも言葉は止まらなかった。

「どこまで協力できるかわかりませんけど……で、できる限りのことなら……」

 それは彼の頭ではなく、心が彼女に協力することを望んだ、なによりの証だった。

「―――ありがとうございます!」

 大和の返答を聴いたレイナは、嬉しそうに笑った。その笑顔を前に、彼女と間近で向き合っているのが途端に恥ずかしくなった大和は、咄嗟に顔を赤くして視線を彼女から逸らす。
 するとレイナも「……あ」と、反射的に両手を離した。どうやら無意識のうちに彼の右手を握っていたようだ。それだけ必死だったのだろう。
 しばし顔を赤くして俯いたまま、向かい合う二人。

「……と、ところで、明日の軍議ってなに話すんですか?」

 なんとか空気を変えようと、大和が話題を振る。

「あ……え、ええ。ここではなんですので、広い部屋に移りましょうか。ティオもいたほうが良いので……」

 レイナは照れ臭そうに寝台から立ち上がり、広げた地図をくるくると丸める。
 そして、二人は部屋を出て一階へと向かった。
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