気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像

◯水晶霊月2節目 16:00 港町テミルナ

「――――――どうしよう」

 夕暮れ時の活気に包まれた港町を一人の魔導士が歩いていた。照りつける夕陽すら呑みこむほどの真紅の外套と頭巾に身を包んだ小柄な少女だ。
 その足取りは重く、小さな背中は自分の臍でも見ているのかと思えるくらい丸まっている。とぼとぼ歩き回る姿はさながら乞食の徘徊にも似ていた。

「魔導書……あれがないと……」

 無意識に呟かれた消え入りそうな声は、夕刻の買い物客で賑わう市場の活況に容易く掻き消されてしまい、自分の耳にも届かない。市場が最も盛り上がるこの時間帯は、露天商や行商人が喉を潰さんとする勢いで、絶え間なく客を呼びこみ続けている。
 だが、豊かな食材や雑貨には脇目も呉れず、少女は歩き続ける。魔力を応用して人々の気配を無意識に察知しながら、器用に雑踏を避けていく。
 その朦朧とした意識を、失った魔導書の行方に必死に結びつけながら―――。



 ―――事の発端は、三〇分程前。
 魔導少女と三人の仲間たちは、ブーゲンビリアの森から港町へ戻ってきた。
 途中に拓かれた魔導の都スフィーナで身を休めることも考えたが、これから目指す娯楽都市マッカランへは、このテミルナから出ている早馬を利用する方が圧倒的に速い。その為、テミルナまで戻る方が得策だと判断したのだ。
 だが、聖大陸への唯一の窓口であり、故に大陸間交易の拠点でもある為、テミルナの物価は極めて高い。宿屋一泊でも四人だと結構な額になる。
 その為、守銭奴である大道芸人風のリーダー―――ユーイチの金銭感覚を考えれば、所持金よりも時間を取るなど普段ならあり得ない選択だ。だが、今の彼にはマッカランで待っているカジノの誘惑の方が遥かに大きかったのだろう。
 もっとも、魔導少女と他の二人からすると、真っ当な宿屋で眠ることができる久しぶりの機会だったので、断る理由など欠片もなかったのだが。
 だが、予想外に値が張った早馬の手配を終えてから宿屋へ向かう道中、ユーイチは少し軽くなったギル袋の中身をしつこく睨んでいた。
 ―――そして、彼は一言、静かに呟く。

「…………足りない」

 それが合図となって、連れの三人の脚もピタリと止まる。直後……深々と溜め息をついてから続きを引き取ったのは、妙な踊り子姿の女だった。

「なによいきなり。丸一日ギル稼ぎに費やしたってのに、まだ稼ぎ足りないわけ?」
「丸一日で10万ギルにも届かなかったんだぞ? それもこれもメルリープが助けを一人も呼ばないからだ……せっかく手加減して仲間が来るのを待ってやったってのに」
「あれだけ毎日のようにタコ殴りにしてりゃ、向こうさんだって流石にこっちの顔すら見たくなくなるだろうさ。それに、既に100万を遥かに越えてるじゃねぇか。道具袋共々持たされる方の身にもなって欲しいもんだぜ」

 露出多めの拳闘士が笑いながら荷物持ちとしての不満を漏らす。

「なに言ってんだ。100万ギルなんて、カジノの景品を全て手に入れる想定でいったら全く資金不足だ。大体お前が戦闘に参加すれば、もっと時間は短縮できたから、目標の50万くらいは稼げた筈なんだ。それなのに一人筋トレで戦闘は傍観なんて穀潰し以外の何者でもない」
「もともと連中が出てこなかったんだから同じだろ? それに、いくらリーダーの命令でも、ポリシーばかりは譲れないな」
「ハリソンから筋肉とポリシー取ったら、何も残らないからね」

 踊り子女剣士が皮肉めかして口を挟む。
 彼女や魔導士の少女は言わば、拳闘士の男―――ハリソン・ゲイルが戦闘を放棄すればツケが回ってくる立場だ。ともあれ、彼の「女子供には手を出さない」というポリシーに少なからず共感している為、取り立てて文句を喚き散らすこともない。

「筋肉は鍛えておくに越したことはないからな。見てみろ、このイカす大胸筋! そして上腕二頭筋! さらに胸鎖乳突筋! これさえあれば高価な防具なんか必要ない。なんせ天然の鎧だ。ここまで薬草いらずの俺ほどコストパフォーマンス抜群、経済的なメンバーもいないだろうが。財布を圧迫しない俺にむしろ感謝して欲しいくらいだ。ロゼッタも少しは鍛えた方が良いぞ。そんな形だといくら強くても長丁場に耐えられないからな!」

 誇示するように力こぶを見せつけるハリソンに、話を振られた魔導少女―――ロゼッタは顔を赤らめて必死に両手を突き出す。

「い、いえいえいえいえ! あたしは大丈夫です間に合ってます!」
「いやいや、あんた明らかに間に合ってないでしょ。……でも、小顔で色白で髪サラサラで小柄なりにスタイル抜群とかホント反則よね。女の子としての魅力は十分間に合ってるってわけね、羨ましい限りだわホントに」

 踊り子女剣士が今度はロゼッタを皮肉るように口を開く。だが、そこに嫌味っぽさは欠片も感じられない。ロゼッタ自身も、そうした口調が彼女の癖だと知っているので、恥ずかしくはあっても嫌な気はしない。

「い、いえ、そんな、シャロンさんだって十分綺麗だと思いますけど……」
「『だって』ってことは、自分が綺麗って自覚あるんだぁ? ちょっぴり上から目線?」
「あわわ違います! あたしそんなつもりじゃ!」
「なに慌ててんのよ、ああもう可愛いなあもう!」

 踊り子女剣士―――シャロン・ハーヴェストは、もう我慢できないとでも言わんばかりの勢いでロゼッタに飛びつくと、唐突に全身をまさぐり始めた。

「ほらほら! なに食べたらこんな可愛くなれるのかお姉さんに教えなさいよ!」
「あひゃっ! ダメですダメですくすぐったいです! わひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 間に合っていると公言した筋力をフル稼働して、ロゼッタはシャロンの拘束から逃れようと暴れ回る。頭巾が脱げ、魔導書を落とし、それでも必死にじたばたと。とは言え、魔導士の彼女と本来は剣士のシャロンが力比べをした所で結果は明らかだった。
 だが、そんな微笑ましい光景には見向きもせず、ユーイチは何やら考えこんでいる。
 そこに不穏な気配を感じ取る者は、不運なことに一人もいなかった。
 やがてハリソンが、こう呟くまでは……。

「―――おっ? ユーイチの奴、どこ行った?」

 三人は一旦馬鹿騒ぎを中断して辺りを見回す。
 確かにハリソンの言う通り、ユーイチの姿が見当たらなかった。
 とは言え、三人ともそこまで深刻には捉えていなかった。彼がいきなり姿を眩ますことは意外と頻繁にあることだったからだ。
 だから、数分後にユーイチが戻ってくるまで、三人とも気づかなかった。
 彼本人以外に、もう一つ消えているものがあったことに……。



 消えたもの、それはロゼッタの魔導書だった。
 シャロンと揉み合っているうちに落としたのを、ユーイチがこっそり拾ったのだ。
 そして、そのまま雑貨屋に駆けこんだ彼は、あろうことか魔導書を売り払っていた。引き換えの大金の出所をシャロンが吐かせた所、全てが明らかになったのだ。
 ロゼッタは討伐隊の中で最強の魔導士だ。
 ユーイチは自分とシャロンの職業の習熟度を上げる為、ハリソンとロゼッタを戦闘要員として重宝していた。その為、ロゼッタは既に全八属性の魔術を上級どころか禁術クラスまでマスターする程に強さを磨き上げていた。
 その魔導の粋を結集した全詠唱記述済みの魔導書であれば、当然高値がつく。
 ユーイチがその魅力に打ち克てる筈がなかったというわけだ。
 そこで、ロゼッタは討伐隊を離脱し、一人で魔導書を探すことにした。
 詠唱を破棄できない彼女は、魔導書がなければ一人の幼気な少女に過ぎない。いても足手まといだ。だから迷惑をかけまいと脱隊を決め、単独行動を取ることにした。
 彼女の一人旅の目的は一つ、魔導書を取り戻すこと。
 そこで早速ユーイチが売り払った雑貨屋に向かったのだが、残念ながら魔導書は早くも誰かに買われてしまっていた。その場で尋ねた買い手の身形を探し求めて町中も歩き回ったが、結局得るものはなかった。
 旅の行商人らしかったので、既に次の町へ向かってしまった可能性も高い。
 しかし、その行商人の行き先以上に、今は別の問題がロゼッタを追い詰めていた。

(もし見つかっても……、どうやって買い戻そう……)

 それが当座、彼女の最大の悩みだった。
 パーティーを離れた今、彼女に充分な財力はない。
 ユーイチによれば、魔導書の売値は30万ギルとのこと。つまり、買い戻すにはそれ以上の額が必要になると予想できる。
 だが、稼いでいる時間はない。その間に魔導書の行方は今以上に不鮮明になってしまうだろう。シャロンがユーイチから売値だけでも取り上げようとしてくれたが、彼の必死の抵抗を前に結局叶わなかった。
 ユーイチではないが、手っ取り早く大金を入手する方法も並行して考えなければならない。勿論、そんな都合の良い儲け話などある筈がない。
 だから……、今のロゼッタには、子供じみた妄想を言い訳に現実から逃避するのが精一杯だった。

(……名前、書いとけば良かった……)

 彼女は消えた魔導書と手にする見込みのない大金に思いを巡らせながら、とぼとぼと港町の雑踏の中へ埋もれて行った。

          ‖

 ロゼッタが陰鬱な表情で町中を徘徊している頃。
 港町テミルナの至る所で妙な出来事が起こっていた。
 それは、ある意味では事件と言えた。だが、傷を負った者もいなければ、建物が破壊されたわけでもない。何かが盗まれた形跡もない。
 現場となったのは一ヶ所ではなく、アパートメントの一部屋、武具店、図書館、港湾施設、商工ギルドの事務所など様々だった。だが、各々の施設に関連性も見出せない。
 ただ―――それぞれの現場に唯一共通するものがあった。
 現場に残されていた、一つの袋。
 その口を麻紐で縛られた、ぼろぼろの革袋。
 そこには―――金貨が入っていた。
 場所によって多少の違いはあれど、金貨が入っていることだけは確かだった。
 唐突に出現した施しめいた金貨に、送られた者たちは例外なく戸惑ったが、その表情はすぐに喜びへと変わった。
 彼や彼女には分かっていたのだ。……いや、正確にはそう信じこもうとした。

 それが、世界に名を轟かせる伝説の義賊『疾風義賊』によってもたらされた、僅かばかりの救いに違いないと……。

          ‖

 義賊の噂が密かに立ち始めた夕刻。
 一つの人影が、人目を避けるように歩いていた。
 ぼろぼろの外套に目元以外を布で覆った、盗賊のように不審極まりない格好だ。
 しかし、人通りが多く様々な服装が目につくからか、誰も気にする素振りを見せない。
 人影は建物の間の物陰に身を潜めると、転がっていた木箱に腰を下ろす。

「…………」

 そこで人影は、何やら古びた雑記帳のような物を懐から取り出す。

「…………」

 それを慎重な手つきで捲っていく。
 そこには様々な人物名、所在地、何やら意味あり気な様々な桁の数字が幾つも所狭しと並んでいた。中には上から赤いバツ印で潰されているものもある。
 何も知らない人が見れば、その粗雑な風貌と相まって、雑記帳はお尋ね者のリストのように思えたかもしれない。真紅の十字は、さながら処刑完了の印を思わせる。
 やがて、人影は雑記帳を懐にしまって立ち上がると、その場を迷いなく後にした。
 見定めた獲物に意識を集中しているのか、その雑記帳が地面に落ちてしまったことに気づきもしないまま……。
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