気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像
娯楽都市マッカラン 闘技場 医務室
決勝戦が始まる少し前……。
医務室は次々と運びこまれてくる負傷者で大わらわになっていた。
午前も一人の屈強な拳闘士のせいで多忙を極めたばかりなのだが、休む間もなく午後も大量の急患が押し寄せている。そのせいか、看護師たちの表情には疲労の色しかなく、体を引き摺るように歩く様は、ゾンビが介抱に回っているようだった。
だが、引っ切りなしに訪れる負傷者にも、医務室がパンクすることはなかった。
元々要塞都市として整備されていたマッカランは、娯楽都市への転換を図る中でも一定の軍事的機能を残していた。
その為、この医務室も大量の負傷者を受け入れられるよう広さが尋常ではなく、ベッドで言えば優に一〇〇床は確保されている。
加えて、甚大な怪我を負った出場者も少なく、軽い手当てだけで部屋を後にする者が多かったのも救いだった。
―――そんな医務室の一角。
重傷患者用に隔離されたスペースのベッドに、全身を包帯で綺麗に包まれた一人の青年が横になっていた。唯一露な両目も、今は眠っている為、静かに閉じられている。
そこは重傷者への心的配慮や衛生上の理由から、それぞれのベッドが四方をカーテンで区切られて個室化されていた。
「……ったく、だから止めときゃ良かったのよ」
そのベッドの端に頬杖をついて青年に語りかける女が一人。踊り子のような格好をしているが、その腰のベルトには短剣を差していた。
青年を挟んで向かいには、看護師たちの午前の苦境の原因となった男―――露出多めの拳闘士が薄ら笑っている。
「まあまあ、そう言ってやるなって。あれはさすがに相手が悪すぎだ。炎熱系の低級魔術をあれだけ使いこなせるヤツがいるなんて、そうそう思わないさ」
「何言ってんの。あたしたちはもっと凄いのが身近にいたじゃない」
「ロゼッタみたいのが当たり前にいるとは、誰も思わないだろ」
「……はぁ。まあ、これで懲りてくれりゃいいけどさ」
口では厳しくも不安気な面持ちで青年を見守る女―――シャロン・ハーヴェスト。
対する拳闘士―――ハリソン・ゲイルは、カーテンの外の様子を覗き見ていた。
「しっかしまあ、包帯やら薬やらがなくなるくらい大人数が参加するとは、そんなに命賭けてまで100万ギルとか欲しいもんかね?」
「普通に働いたら1年は軽くかかるからね。目が眩むもんなんじゃん? あたしには分からないけど。……って言うか、医療品が無くなったのは、あんたが午前中に暴れまくった影響の方がデカイでしょうよ。おかげで看護師の人たち可哀想に、さっきからスフィーナの秘薬がぶ飲みで、みんな水っ腹やら気分壊すやら、医務室の光景じゃないわよ」
「いやいや俺も別に悪気があってやったわけじゃねぇって」
悪びれる様子もなく苦笑いを浮かべるハリソン。
今の医務室は二つの意味で悲惨と言えた。
一つは言わずもがな、大量の負傷者だ。しかし、負傷を別にして危機に瀕している者たちが部屋の中には転がっていた。
それが、治療を担うはずの看護師たちだ。
医薬品や医療品が底を尽き始めると、看護師たちは回復魔術で治療を続けた。だが、その為の魔力も無限ではない。よって普段は重傷者のみに限定して施すのだが、今はそんな悠長な事態ではなくなっていた。
そのため魔力が尽きかけた都度、魔導の都スフィーナが精製した秘薬で魔力を補給していたのだが―――結果、次々と看護師たちが倒れていった。
それは過労のせいではなく、偏に秘薬のせいだ。
秘薬は即効性があり、かなりの程度魔力を回復できる便利な代物だ。だが、その代償として味を犠牲にしたらしく、体力を削られる程に不味いと言われている。
しかし、味を言い訳に治療を放棄することなどできない。看護師たちは決死の覚悟で秘薬を飲んでは介抱に走り―――死屍累々と倒れていった。
結果、医務室には負傷者と並んで看護師が共倒れになるという異常な光景が広がっていた。秘薬の飲み過ぎで水っ腹に苦しむ看護師、味に耐え切れず胃液を吐き出している看護師、気を失ったまま仰向けに白目を向いている看護師。
もはや、どちらが運びこまれた要看護者か分からない始末だ。
「しっかしよ。お前も変なヤツだよな」
医務室の観察に飽きたのか、ハリソンはカーテンを閉めた。
「何がよ?」
「そんなにこいつのこと気に入らないなら、何だって一緒にいるんだよ」
その問いに、シャロンは一瞬、口を噤む。
「……別にいいじゃない。大したことじゃないわよ」
「大したことじゃないんなら、話しても大丈夫だよな?」
ハリソンは一切嫌味を感じさせずに催促する。シャロンは暫し黙っていたが、やがて沈黙に耐えかねたかのように、重々しく口を開いた。
「……証明よ」
「証明?」
「そう。これが最強だって言う証明」
シャロンは腰の短剣を叩いてみせる。
「そういや、いつもその剣つけてるな」
「前にも言ったけど、あたしの家は代々キャンベルの鍛冶屋でね。父さんは町の中でも群を抜いて腕の立つ職人だった。年に一度の品評会でも、毎年優勝する程にね」
それから、暇潰しを兼ねてシャロンは語った。
―――キャンベルでは毎年、鍛冶屋が己の才を競い合う品評会と称した剣闘会が開かれる。その名誉は鍛冶屋の評判に直結する為、どこも必死に優勝を目指す。参加する剣闘士は任意の為、どこの鍛冶屋も大金を積んで腕利きに依頼を出す。
その品評会の栄誉を独占し続けたのが、シャロンの父だった。
だが……輝かしい栄光の陰には、陰湿な嫉妬や理不尽な怒りがつきまとう。
シャロンが一〇歳の時に、事件は起きた。
町で発生した殺人事件の凶器として、父の剣が発見されたのだ。
港湾倉庫の中に捨てられた死体の喉元に突き立てられて……。
それが後に一部の鍛冶屋による陰謀であることが判明するのだが、その証拠は既に隠滅され、白日の下に晒す機会は永遠に失われてしまった。
幸い父は殺人の汚名を被ることはなかったが、店の評判は一気に失墜した。
間接的とは言え、残虐な事件の凶器として見つかった為、悪評が立つのも早かった。終いには手にした者を呪うとまで言われる始末だった。
「―――つまり、その悪評を雪ぐためってことか?」
「あの魔女リリスを倒した剣、その剣を生んだ鍛冶屋ってなれば、失った以上の名誉を手にできる。だからあたしはここにいる。流石に一人じゃ倒すどころか探すこともできやしないしね。討伐隊ならアインシュヴァルツの後ろ盾も得られる」
「なるほどね。目的達成の為なら、こいつの不徳も少しは目を瞑るってか」
「瞑ってるわけじゃないわ。それに全てが済んだら全部城主にバラすわよ」
「おおっ、おっかねぇ!」
両目を大きく見開いて本気で驚くハリソン。
その時―――。
「…………ん?」
ふと、ハリソンが窓の方を振り向いた。
「どうしたの?」
「いや、今窓の外を何かが通ったような……」
要領を得ない彼の言葉に、シャロンも窓の方を確認する。
だが、外には人影一つ見えない。庭木が風に揺れているのが目につくくらいだ。
シャロンは、近づいて窓を開けてみる。
「…………へっ?」
死角となっていた窓の下から視界に飛びこんできたのは――――――。
―――一人の少女が医務室の中を見回していた。
特に怪我はしていない。服装も看護師のそれと違い、真紅のマントを羽織っている。その襟元には朱色の羽飾りが輝いていた。だが、見る者の目を何より引くのは、その小さな背中には不釣り合いの巨大な蛇腹のハンマーを背負っている点だ。
負傷した知人の見舞いだろうか……周囲の人々はそう思っていたが、むしろ少女の狙いは真逆と言えた。
(えっと……窓際の重傷者用のベッド……奥から三番目……)
何やら手紙のようなものを広げながら、少女は歩を進める。
やがて、その足は―――。
(あっ、ここですここです)
シャロンとハリソン、そしてユーイチが眠るカーテンの前で止まった。
(さて、一仕事です)
心中で意気ごむと少女はハンマーに手をかけた。そして高らかに口笛を吹き鳴らす。
だが、それは決して人の耳には聴こえない。言わば犬笛だ。とは言え、彼女が呼びかけたのは犬ではない。
「…………ん?」
カーテンの奥から気の抜けた声が聴こえた。
「どうしたの?」
「いや、今窓の外を何かが通ったような……」
続けて野太い声。その声には聴き覚えがあった。なにせ声の主は昨日、自分がハンマーで仮死させたばかりだ。
「…………へっ?」
二人の気配が窓際に向かうのを確認した少女は、そっとカーテンを開けて無音で中へ踏みこむ。案の定、二人は窓の外を眺めたまま少女に背中を向けている。
「いっ、いや……こ、これ?」
必死で動揺を押さえこもうと声を殺すシャロン。
「―――――狼……だよな?」
窓の下、二人の死角に隠れるように芝生で横になっていたのは―――巨大な狼だ。
それは少女が獣笛で呼び寄せた銀狼なのだが、もちろん二人に分かるはずもない。明らかに場違いな獣を認めて、訳が分からないまま固まっている。
その背後をあっさり取った少女は、ハリソンの脳天目がけて手にしたハンマーを思い切り振り下ろした。
強制的に仮死状態に陥れるハンマーの為、ハリソンは声もなく膝から崩れ落ちる。闘技場を荒し回った男とは思えない程に、あまりにも弱々しく。
その物音に、シャロンが反射的に隣を向く。
「えっ? ……ちょ、ちょっとハリソン、どうし…………、―――――――――ッ!」
突然仲間が倒れたことに不気味な悪寒を覚え、シャロンの気が激しく動転……する間もなく、彼女はその犯人を目撃することになった。
もっとも―――目の前まで迫っていたハンマーだけだったが。
そうして眠っていたユーイチ共々二人を回収したフレイア。
三人と彼らの荷物をフェンリルの背中に乗せて、今は宿屋へ戻る為に空を歩いていた。あまりに空高い為、地上からは小さな点にしか見えないだろう。
ハンマーの仮死状態は、ハンマーの反対側で叩かなければ治らないので、急ぐ必要はない。二日続けての重労働となったので、フェンリルを急かすことはしなかった。
「やれやれ、ホントによく死ぬ人たちです。少しは身の程を弁えて行動して欲しいものですね。ともあれ、今日もお疲れさまでした」
フェンリルの頭を撫でると、獰猛な外見とは裏腹の愛らしい声が漏れた。その声にフレイアの疲弊し切った心身も幾分か癒される。
「さて、宿屋に届けたらどうするですかねー」
仕事終わりにどこへ遊びに行こうか指折り考え始める暢気なフレイア。
―――直後。
フェンリルが180度方向転換し、一気に急加速した。
「わひゃぁっ!」
反射的にフェンリルの体にしがみつくフレイア。
すると、先程まで自分たちがいた場所、ちょうど闘技場の遥か上空にまで届くほどの巨大な火柱が立ち昇っていた。
火山が噴火したように烈しく猛る炎熱によって一帯の空気が灼け焦げていき、その乾いた音が生々しく爆ぜる。
その気配を逸早く察したフェンリルが、咄嗟に躱してくれたようだ。
突然の事態に息が上がるフレイア。だが、徐々に火勢が萎んでいくのが分かると、彼女の気持ちも落ち着いてきた。
「あ、危なかったです……。一体何事ですかね? 闘技場は低級魔術しか使えないって話ですけど……。ともあれありがとうです、フェンリル。助かったです」
フェンリルは誇らし気に鼻を一つ鳴らした。
「やれやれ、こんな怖い所に長居は無用ですね。宿屋までお願いするです」
フェンリルの体を撫でながら頼むと、相棒も同意の一吠えを上げ、先程までよりも少し足早に宿屋へ向かって歩き出した。
徐々に闘技場から離れていくと―――恐怖の反動で巨大な安堵感がどっと押し寄せた。
その為、フレイアは注意力が散漫になってしまっていた。
―――だから、気づかなかった。
フェンリルに括りつけた三人の持ち物袋が、地上に落ちてしまっていたことに……。
決勝戦が始まる少し前……。
医務室は次々と運びこまれてくる負傷者で大わらわになっていた。
午前も一人の屈強な拳闘士のせいで多忙を極めたばかりなのだが、休む間もなく午後も大量の急患が押し寄せている。そのせいか、看護師たちの表情には疲労の色しかなく、体を引き摺るように歩く様は、ゾンビが介抱に回っているようだった。
だが、引っ切りなしに訪れる負傷者にも、医務室がパンクすることはなかった。
元々要塞都市として整備されていたマッカランは、娯楽都市への転換を図る中でも一定の軍事的機能を残していた。
その為、この医務室も大量の負傷者を受け入れられるよう広さが尋常ではなく、ベッドで言えば優に一〇〇床は確保されている。
加えて、甚大な怪我を負った出場者も少なく、軽い手当てだけで部屋を後にする者が多かったのも救いだった。
―――そんな医務室の一角。
重傷患者用に隔離されたスペースのベッドに、全身を包帯で綺麗に包まれた一人の青年が横になっていた。唯一露な両目も、今は眠っている為、静かに閉じられている。
そこは重傷者への心的配慮や衛生上の理由から、それぞれのベッドが四方をカーテンで区切られて個室化されていた。
「……ったく、だから止めときゃ良かったのよ」
そのベッドの端に頬杖をついて青年に語りかける女が一人。踊り子のような格好をしているが、その腰のベルトには短剣を差していた。
青年を挟んで向かいには、看護師たちの午前の苦境の原因となった男―――露出多めの拳闘士が薄ら笑っている。
「まあまあ、そう言ってやるなって。あれはさすがに相手が悪すぎだ。炎熱系の低級魔術をあれだけ使いこなせるヤツがいるなんて、そうそう思わないさ」
「何言ってんの。あたしたちはもっと凄いのが身近にいたじゃない」
「ロゼッタみたいのが当たり前にいるとは、誰も思わないだろ」
「……はぁ。まあ、これで懲りてくれりゃいいけどさ」
口では厳しくも不安気な面持ちで青年を見守る女―――シャロン・ハーヴェスト。
対する拳闘士―――ハリソン・ゲイルは、カーテンの外の様子を覗き見ていた。
「しっかしまあ、包帯やら薬やらがなくなるくらい大人数が参加するとは、そんなに命賭けてまで100万ギルとか欲しいもんかね?」
「普通に働いたら1年は軽くかかるからね。目が眩むもんなんじゃん? あたしには分からないけど。……って言うか、医療品が無くなったのは、あんたが午前中に暴れまくった影響の方がデカイでしょうよ。おかげで看護師の人たち可哀想に、さっきからスフィーナの秘薬がぶ飲みで、みんな水っ腹やら気分壊すやら、医務室の光景じゃないわよ」
「いやいや俺も別に悪気があってやったわけじゃねぇって」
悪びれる様子もなく苦笑いを浮かべるハリソン。
今の医務室は二つの意味で悲惨と言えた。
一つは言わずもがな、大量の負傷者だ。しかし、負傷を別にして危機に瀕している者たちが部屋の中には転がっていた。
それが、治療を担うはずの看護師たちだ。
医薬品や医療品が底を尽き始めると、看護師たちは回復魔術で治療を続けた。だが、その為の魔力も無限ではない。よって普段は重傷者のみに限定して施すのだが、今はそんな悠長な事態ではなくなっていた。
そのため魔力が尽きかけた都度、魔導の都スフィーナが精製した秘薬で魔力を補給していたのだが―――結果、次々と看護師たちが倒れていった。
それは過労のせいではなく、偏に秘薬のせいだ。
秘薬は即効性があり、かなりの程度魔力を回復できる便利な代物だ。だが、その代償として味を犠牲にしたらしく、体力を削られる程に不味いと言われている。
しかし、味を言い訳に治療を放棄することなどできない。看護師たちは決死の覚悟で秘薬を飲んでは介抱に走り―――死屍累々と倒れていった。
結果、医務室には負傷者と並んで看護師が共倒れになるという異常な光景が広がっていた。秘薬の飲み過ぎで水っ腹に苦しむ看護師、味に耐え切れず胃液を吐き出している看護師、気を失ったまま仰向けに白目を向いている看護師。
もはや、どちらが運びこまれた要看護者か分からない始末だ。
「しっかしよ。お前も変なヤツだよな」
医務室の観察に飽きたのか、ハリソンはカーテンを閉めた。
「何がよ?」
「そんなにこいつのこと気に入らないなら、何だって一緒にいるんだよ」
その問いに、シャロンは一瞬、口を噤む。
「……別にいいじゃない。大したことじゃないわよ」
「大したことじゃないんなら、話しても大丈夫だよな?」
ハリソンは一切嫌味を感じさせずに催促する。シャロンは暫し黙っていたが、やがて沈黙に耐えかねたかのように、重々しく口を開いた。
「……証明よ」
「証明?」
「そう。これが最強だって言う証明」
シャロンは腰の短剣を叩いてみせる。
「そういや、いつもその剣つけてるな」
「前にも言ったけど、あたしの家は代々キャンベルの鍛冶屋でね。父さんは町の中でも群を抜いて腕の立つ職人だった。年に一度の品評会でも、毎年優勝する程にね」
それから、暇潰しを兼ねてシャロンは語った。
―――キャンベルでは毎年、鍛冶屋が己の才を競い合う品評会と称した剣闘会が開かれる。その名誉は鍛冶屋の評判に直結する為、どこも必死に優勝を目指す。参加する剣闘士は任意の為、どこの鍛冶屋も大金を積んで腕利きに依頼を出す。
その品評会の栄誉を独占し続けたのが、シャロンの父だった。
だが……輝かしい栄光の陰には、陰湿な嫉妬や理不尽な怒りがつきまとう。
シャロンが一〇歳の時に、事件は起きた。
町で発生した殺人事件の凶器として、父の剣が発見されたのだ。
港湾倉庫の中に捨てられた死体の喉元に突き立てられて……。
それが後に一部の鍛冶屋による陰謀であることが判明するのだが、その証拠は既に隠滅され、白日の下に晒す機会は永遠に失われてしまった。
幸い父は殺人の汚名を被ることはなかったが、店の評判は一気に失墜した。
間接的とは言え、残虐な事件の凶器として見つかった為、悪評が立つのも早かった。終いには手にした者を呪うとまで言われる始末だった。
「―――つまり、その悪評を雪ぐためってことか?」
「あの魔女リリスを倒した剣、その剣を生んだ鍛冶屋ってなれば、失った以上の名誉を手にできる。だからあたしはここにいる。流石に一人じゃ倒すどころか探すこともできやしないしね。討伐隊ならアインシュヴァルツの後ろ盾も得られる」
「なるほどね。目的達成の為なら、こいつの不徳も少しは目を瞑るってか」
「瞑ってるわけじゃないわ。それに全てが済んだら全部城主にバラすわよ」
「おおっ、おっかねぇ!」
両目を大きく見開いて本気で驚くハリソン。
その時―――。
「…………ん?」
ふと、ハリソンが窓の方を振り向いた。
「どうしたの?」
「いや、今窓の外を何かが通ったような……」
要領を得ない彼の言葉に、シャロンも窓の方を確認する。
だが、外には人影一つ見えない。庭木が風に揺れているのが目につくくらいだ。
シャロンは、近づいて窓を開けてみる。
「…………へっ?」
死角となっていた窓の下から視界に飛びこんできたのは――――――。
―――一人の少女が医務室の中を見回していた。
特に怪我はしていない。服装も看護師のそれと違い、真紅のマントを羽織っている。その襟元には朱色の羽飾りが輝いていた。だが、見る者の目を何より引くのは、その小さな背中には不釣り合いの巨大な蛇腹のハンマーを背負っている点だ。
負傷した知人の見舞いだろうか……周囲の人々はそう思っていたが、むしろ少女の狙いは真逆と言えた。
(えっと……窓際の重傷者用のベッド……奥から三番目……)
何やら手紙のようなものを広げながら、少女は歩を進める。
やがて、その足は―――。
(あっ、ここですここです)
シャロンとハリソン、そしてユーイチが眠るカーテンの前で止まった。
(さて、一仕事です)
心中で意気ごむと少女はハンマーに手をかけた。そして高らかに口笛を吹き鳴らす。
だが、それは決して人の耳には聴こえない。言わば犬笛だ。とは言え、彼女が呼びかけたのは犬ではない。
「…………ん?」
カーテンの奥から気の抜けた声が聴こえた。
「どうしたの?」
「いや、今窓の外を何かが通ったような……」
続けて野太い声。その声には聴き覚えがあった。なにせ声の主は昨日、自分がハンマーで仮死させたばかりだ。
「…………へっ?」
二人の気配が窓際に向かうのを確認した少女は、そっとカーテンを開けて無音で中へ踏みこむ。案の定、二人は窓の外を眺めたまま少女に背中を向けている。
「いっ、いや……こ、これ?」
必死で動揺を押さえこもうと声を殺すシャロン。
「―――――狼……だよな?」
窓の下、二人の死角に隠れるように芝生で横になっていたのは―――巨大な狼だ。
それは少女が獣笛で呼び寄せた銀狼なのだが、もちろん二人に分かるはずもない。明らかに場違いな獣を認めて、訳が分からないまま固まっている。
その背後をあっさり取った少女は、ハリソンの脳天目がけて手にしたハンマーを思い切り振り下ろした。
強制的に仮死状態に陥れるハンマーの為、ハリソンは声もなく膝から崩れ落ちる。闘技場を荒し回った男とは思えない程に、あまりにも弱々しく。
その物音に、シャロンが反射的に隣を向く。
「えっ? ……ちょ、ちょっとハリソン、どうし…………、―――――――――ッ!」
突然仲間が倒れたことに不気味な悪寒を覚え、シャロンの気が激しく動転……する間もなく、彼女はその犯人を目撃することになった。
もっとも―――目の前まで迫っていたハンマーだけだったが。
そうして眠っていたユーイチ共々二人を回収したフレイア。
三人と彼らの荷物をフェンリルの背中に乗せて、今は宿屋へ戻る為に空を歩いていた。あまりに空高い為、地上からは小さな点にしか見えないだろう。
ハンマーの仮死状態は、ハンマーの反対側で叩かなければ治らないので、急ぐ必要はない。二日続けての重労働となったので、フェンリルを急かすことはしなかった。
「やれやれ、ホントによく死ぬ人たちです。少しは身の程を弁えて行動して欲しいものですね。ともあれ、今日もお疲れさまでした」
フェンリルの頭を撫でると、獰猛な外見とは裏腹の愛らしい声が漏れた。その声にフレイアの疲弊し切った心身も幾分か癒される。
「さて、宿屋に届けたらどうするですかねー」
仕事終わりにどこへ遊びに行こうか指折り考え始める暢気なフレイア。
―――直後。
フェンリルが180度方向転換し、一気に急加速した。
「わひゃぁっ!」
反射的にフェンリルの体にしがみつくフレイア。
すると、先程まで自分たちがいた場所、ちょうど闘技場の遥か上空にまで届くほどの巨大な火柱が立ち昇っていた。
火山が噴火したように烈しく猛る炎熱によって一帯の空気が灼け焦げていき、その乾いた音が生々しく爆ぜる。
その気配を逸早く察したフェンリルが、咄嗟に躱してくれたようだ。
突然の事態に息が上がるフレイア。だが、徐々に火勢が萎んでいくのが分かると、彼女の気持ちも落ち着いてきた。
「あ、危なかったです……。一体何事ですかね? 闘技場は低級魔術しか使えないって話ですけど……。ともあれありがとうです、フェンリル。助かったです」
フェンリルは誇らし気に鼻を一つ鳴らした。
「やれやれ、こんな怖い所に長居は無用ですね。宿屋までお願いするです」
フェンリルの体を撫でながら頼むと、相棒も同意の一吠えを上げ、先程までよりも少し足早に宿屋へ向かって歩き出した。
徐々に闘技場から離れていくと―――恐怖の反動で巨大な安堵感がどっと押し寄せた。
その為、フレイアは注意力が散漫になってしまっていた。
―――だから、気づかなかった。
フェンリルに括りつけた三人の持ち物袋が、地上に落ちてしまっていたことに……。