気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像
娯楽都市マッカラン 某貴族屋敷
―――少し前から嫌な予感はしていた。
一気に慌ただしくなった貴族屋敷の屋根裏で、ジャンヌは荒れた息を整える。緊張と不安の入り乱れた表情で、激しく移り変わる状況に耳を澄ましながら。
(……まさか気づかれてたなんて)
貴族への復讐で屋敷に忍びこんだが、今は逆に袋の鼠になってしまっていた。
明確に姿を見られたわけではないが、明らかに屋敷内の雰囲気が一変したことで、自分の侵入を勘づかれたことだけは理解できた。一体どこで下手を売ったのかジャンヌ自身掴みかねていたが、どれだけ過去を振り返っても目の前の現実は変えようがない。そう自分に言い聴かせて、ジャンヌは脱出することに全神経を集中する。
武器はあるが振るう気はなかった。相手の血気が高まれば、それだけ逃げ切れる可能性が低くなる。一人二人の重傷者が出たくらいで怖じ気づく連中なら効果的だが、貴族の私兵はともかく町の自警団はそう容易く挫かれそうにない。逆に血を見せると、その意地に火を点けてしまいかねない。
そうして確実な打開策が思い浮かばぬまま、計算された探索網は徐々にジャンヌの逃げ道を塞ぎつつあった。
(どうすれば……)
せめて貴族だけでも殺害してしまおうかとも考えた。雇い主の死体が挙がれば連中にも動揺が走るだろう。乱れた統制の隙をついて逃げ出す算段が立つかもしれない。
だが、その決断は下されなかった。
ジャンヌの心を引き止めたのは、幼馴染みのエドワードの存在だった。
彼は自分が復讐することを望んではいない。その思いを束の間の再会で知らされた。
だが、ここで貴族を殺せば、その犯人が誰か彼には一発で分かるだろう。
ジャンヌが町に戻ってきたタイミングと因縁の貴族の死亡日が一致したとなれば、彼なら自ずと辿り着く結論だ。
それで彼を悲しませることは、ジャンヌの本意ではなかった。
今にして思えば、エドワードに再会した段階で復讐の炎は消えかかってしまったのかもしれない。
「鼠一匹に一体いつまでかかってんだ! さっさとここへ連れてこい!」
屋根裏の綻びた隙間から大広間の様子を窺うジャンヌ。
そこは自分の捜索の拠点となっているらしく、貴族本人や使用人、自警団長と思しき男など大勢が集っている。
その内の一人、小太りの貴族は豪華な椅子にふんぞり返って威張り散らしていた。
「申し訳ありません、今暫くお時間を……」
頭を下げて弁明を述べる自警団長。だが貴族の怒りは収まらない。
「その文句はもう聴き飽きたわ!」
「す、すみません! ですがもう暫くです。西館に向かった者たちの捜索が終われば屋敷内の捜索は完了です。これで見つからなければ更に絞りこめます」
「屋敷内にいなければ、どこにいると言うんだ。中庭は儂の私兵が常時張っていたとはいえ、侵入を許した段階で節穴も同然だ。もうとっくに外へ逃げ出してる可能性だってないわけじゃあるまい。にも関わらず、町には一切手を伸ばさず、この屋敷だけ捜索してるのはどういうわけだ?」
「今朝の盗難騒動の警備の為、この界隈の周辺警備は午後より特に強化しておりました。貴方が賊の気配を感じ取られた時間以降、不審人物の目撃情報は挙がっておりません。ですので、まだ屋敷内に残っていると考えるのが妥当かと……」
「ふん。まあいい。そいつらの目も節穴じゃないことを祈りたいものだ」
どうやら捜索は佳境に入りつつあるようだった。
状況が掴めるとジャンヌの焦りが一段と高まった。このままでは捕縛も時間の問題だろう。だが、下手に動いても狭まりつつある網を抜け出すのは不可能に近い。
冷や汗が頬を、そして背中を伝う。
(……今までの報いかしらね)
だが、この期にジャンヌが浮かべたのは、絶望に打ち拉がれた表情ではなく―――なぜか自虐的な苦笑いだった。
◯水晶霊月3節目 13:00 娯楽都市マッカラン 宿屋
「―――まったく、これだけの重労働にも関わらずお給料が雀の涙とか、ほんと報われない仕事です。神様ならもうちょっと気前良くして欲しいものです」
愚痴を零しながら宿屋に戻ってきたのは、真紅のマントを羽織った少女だった。その背中には身の丈程もある巨大な蛇腹のハンマーを背負っている。
少女―――フレイアは、町中を駆け回って、主人公一行の武具や道具の差分の調整を終えてきた所だった。
「えっと、これで残りは本人たちが持ってる道具だけですか。皆さんが死んだら戻しに行けばいいですね」
フレイアは懐から取り出したメモ書きを眺めて何事か確認している。その口調は淡々としており、およそ人間の死を扱う風ではない。もっとも、彼女の言う「死亡」とは、本当の意味での「死亡」ではない為、便宜的な単語に過ぎないのだが。
「えっと……死亡予定場所は闘技場ですか。日時は……あと30分後。ちょっと急がないと危ないですね」
フレイアは手紙を懐にしまうと、宿屋の建物には向かわずに中庭へ足を向ける。そこにいる相棒を迎えに行く為だ。
本来なら全ての作業を相棒の銀狼フェンリルと共に行うのだが、呼びに行った時のフェンリルは中庭で大量の子供たちと遊んでいた。何やら楽し気な雰囲気だったので邪魔するのは悪いと思い、フレイアは道具の調整を一人で行ってきたのだ。
だが、一行を宿屋に戻すのは大仕事だ。流石に一人では難しいので、フェンリルの助けを借りなければならない。
「さて、終わってるですかね?」
中庭を覗くと、そこにいたのはフェンリルだけだった。
主に気づいたフェンリルは、自分からフレイアに近づいてきた。その頭を撫でてやると嬉しそうに鳴きながら目を細める。
「もう大丈夫ですか?」
同意するように優しく鼻を鳴らすフェンリル。その一言でフレイアが自分に気を遣っていたのを察したのか、甘えるように体を寄り添わせている。
「くすぐったいですよ。それにいつも頑張ってくれてるから当然です。―――さて、じゃあ早速で悪いですけど一仕事です。またあの人たちを迎えに行かなきゃならないです」
今度は気合いを入れるように小さく吠えると、フェンリルはフレイアの前に屈んだ。銀色に輝く見事な体躯を撫でながら、フレイアはその背中に乗る。
そして―――フェンリルは恐るべき跳躍力で宿屋の屋上に飛び乗った。
そこからは町全体が一望できた。
「場所は闘技場です。ここから北に見える卵形の建物ですね。人に見つかると厄介なんで空を走っていくです」
フレイアの言葉に鼻を威勢良く鳴らしたフェンリルは、そのまま空に向かって飛び上がると、天馬の如く空を翔けていった。
‖
その30分程前……。
フェンリルと別れたメルリープたちは、闘技場の長蛇の列に並んでいた。
「……ホントにやるの?」「当たり前だよ。みんなで一緒に決めたじゃん」「……でも正直怖いんだけど」「あたしも。こんなことなら、もっとちゃんと魔術の修行やっとけば良かった……」「……やっぱりマスターの言う通りだね、普段ちゃんとやってないと、いざって時に困るんだ」「マスター……ちゃんとあたしたちのこと考えてくれてたんだね」「いつも厳しいけど」「いつも怒るけど」「いつも口煩いけど」「いつもお小遣いたくさんくれるし」「いつも遊んでくれるし」「いつも美味しいご飯作ってくれるし」「いつもポエムの内容が寂しいし」「読んでるこっちが恥ずかしいけどね」
少し前まで徹底的に扱き下ろしていたマスターのノエルに対する認識を、今は全員が改めていた。
その劇的な心変わりを為したのが、まさか狼であるとは誰も思わないだろう。
更に30分程前……。
「……つまり、あたしたちもマスターの為に何かしてあげないとダメ?」
宿屋の中庭で始まったメルリープたちと巨大な狼の談義は収束を迎えつつあった。
最初こそ主人のことを一方的に批判していただけの彼女たちだったが、狼の言葉に諭されて徐々に自分たちにも非があることに気づき始めたのだ。
もっとも、狼は自ら言葉を発したわけではなく、メルリープたちが示したカードを選んでいただけだ。その為、当のカードを差し出していた彼女たち自身、既に答えを自覚していたと言えなくもない。
事実、たったいま狼の前に差し出されたカードも『うん』と『搾り取れるだけ搾り取ったら次の獲物を探せ』の二つだ。
狼は当然、『うん』を前に出した。その選択は彼女たちも予想していたものだ。
「でも……一体何をすればいいのか……」
既に最初の威勢は尽きており、今のメルリープたちは自らの考えに自信を失っていた。狼の『うん』に対しても、彼女たちなりの答えを導けずに項垂れている。
―――そんな彼女たちに感じる所があったのか……狼はのそりと立ち上がると、横に溜まったカードをごそごそと前脚で漁り始めた。
狼の意図が掴めないメルリープたちは、ただ薄ぼんやりと様子を眺めている。
やがて、狼は三枚のカードを自分の前に並べた。
『お友達だから』
『阿呆か寝技は寝てやれ』
『いますぐ死んでよし』
「「「「「「「「「「「「「???」」」」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「「「「???」」」」」」」」」」」」」
揃って首を傾げるメルリープたちを余所に、狼は三枚を綺麗に横に並べる。
そして、頭の一文字目以外を自分の前脚で隠してしまった。
狼はメルリープたちに向かって小さく吠えた。どうやら、いま目の前に並んだカードに伝えたいメッセージがこめられているようだ。
残ったのは三文字―――『お』『れ』『い』
二文字目の『れ』が反転していたので、メルリープたちは一瞬、単語を読み取ることができなかった。
「……おれい、ですか?」
狼が頷いた。
「おれい」「おれい」「おれい……」
神妙な面持ちで反復するメルリープたち。
―――言われてみれば、日頃ノエルに対して何か感謝を示したことはない。不満に対して文句を返したことはあっても、世話に対して礼を言ったり恩返しをしたりするなど、そもそも発想が浮かばなかった。おそらく彼女が自分たちの面倒を見ることを、どこかで当たり前と考えていたからだろう。
もしかしたら……そういう日頃の小さな努力こそ、ノエルは認めて欲しいし受け止めて欲しいのではないだろうか……。
彼女の振る舞いに不平不満を並べ立てるのは簡単だ。だが、その意図を自分たちは理解しようと努めただろうか。
―――全員の気持ちが不思議と一つに固まったのか、メルリープたちは驚くほど同時に顔を上げた。その表情には憑き物が落ちたような清々しさが見て取れる一方、受け入れた現実にまだ困惑を隠せない複雑な顔色も窺える。
狼と相対してきたメルリープが、改めて正座を整える。ほかのメルリープたちもそれに倣って姿勢を正す。
「狼さん、ありがとうございました」
強い決意を宿した声で、深々と頭を下げながら『お礼』を述べる。
「確かにあたしたちは、マスターに感謝する気持ちを忘れていた気がします。……いえ、気がしますじゃないですね。そうした気持ちを少しも持っていなかった……。自分の理屈でマスターのことを都合良く考えていただけ……表向きは感謝していたことでも、結局は自分が満足して嬉しかった感情表現に過ぎなかった。あたしたちは嬉しくて感謝したことはあっても、感謝して嬉しかったことはなかった……」
狼は何も言わない。ただ静かにメルリープたちを見守っている。
「……あたしたち、目が覚めました。これまではずっと夢の中だったんです。マスターが何でもやってくれる、そうなるようにしようとあたしたちが一方的に捩じ曲げてきた都合の良い夢……。でも、そんなところに友情は芽生えません。あたしたち、もう一回マスターときちんとやり直します!」
メルリープたちは強い意志を瞳に宿し、狼と向き合っていた。その眼差しに決意の程を感じたのか、激励するように小さく唸った。
それに後押しされたかのようにメルリープたちは立ち上がると、代わる代わる狼にお礼を言って中庭を後にした。
芽生えたばかりの決意を、花開かせるために。
そうしてやって来たのが、闘技場だった。
宿屋を飛び出した後、商業区画の通りで道化師のような身形の男が撒いている宣伝のビラを拾ったのがキッカケだった。
ビラによれば、今日限りの特別なトーナメントが開催され、優勝すれば100万ギルの賞金が手に入るとあった。彼女たちはその賞金をノエルへの贈り物にしようと決め、今は全員でエントリーを待っている所だ。
とは言え、瞬間沸騰した決意は冷めるのも早い。
臆病な彼女たちの中には、周りの参加者を眺めて弱気になる者もいた。
「……ダメ。あたしやっぱり怖い」
一人が頭を抱えて、その場にへたりこむ。
それまでの彼女たちなら、その臆病風が伝播して全員で逃げ出していただろう。
だが、今回の決意は固かった。
「何言ってんの! みんなで頑張ろうって決めてここまで来たじゃん!」「あたしだって怖いよ……でもマスターの為だもん!」「あたしも脚、震えてるし」「あたし、息あがってきた……」「あたしも痛いの嫌だけど……」「緊張で漏れそう……」「でも、マスターの恩返しの為だよ!」「ちょっと痛いのなんて、マスターの今までの苦労に比べたらどうってことないよ」「そうだよ頑張ろうよ!」「全員でやればなんとかなるって!」
―――結果、彼女たちは無事、全員エントリーすることになる。
同じトーナメントに、恐怖の魔導少女や因縁の守銭奴の青年、そして自分たちの親玉がエントリーしていることなど知りもしないまま―――。
―――時は再びフレイアとフェンリルが合流した頃に遡る。
既にエントリーが締め切られた闘技場に、一人の女が現れた。
先程まで酒場で自棄酒を煽り、偶然知り合った少女に愚痴を零していた彼女は、自分の使い魔である妖精たちを探して町中を走り回っていた。
酒場で出逢った少女によれば、彼女たちは宿屋の中庭にいるはずだった。だが、戻った時には既に誰もいなかった。
そこで、女は娯楽施設にやってきた。
彼女の主がこの町にやって来た目的が、この娯楽施設だったからだ。
(メルのやつ……どこ行ったのかしら?)
まるで親が見失った我が子を捜すように不安気な表情で辺りを見回す女―――ノエルはすぐにカジノの方へ向かって駆け出した。
それと同時に……一日限りの祭典の幕が上がった――――――。
―――少し前から嫌な予感はしていた。
一気に慌ただしくなった貴族屋敷の屋根裏で、ジャンヌは荒れた息を整える。緊張と不安の入り乱れた表情で、激しく移り変わる状況に耳を澄ましながら。
(……まさか気づかれてたなんて)
貴族への復讐で屋敷に忍びこんだが、今は逆に袋の鼠になってしまっていた。
明確に姿を見られたわけではないが、明らかに屋敷内の雰囲気が一変したことで、自分の侵入を勘づかれたことだけは理解できた。一体どこで下手を売ったのかジャンヌ自身掴みかねていたが、どれだけ過去を振り返っても目の前の現実は変えようがない。そう自分に言い聴かせて、ジャンヌは脱出することに全神経を集中する。
武器はあるが振るう気はなかった。相手の血気が高まれば、それだけ逃げ切れる可能性が低くなる。一人二人の重傷者が出たくらいで怖じ気づく連中なら効果的だが、貴族の私兵はともかく町の自警団はそう容易く挫かれそうにない。逆に血を見せると、その意地に火を点けてしまいかねない。
そうして確実な打開策が思い浮かばぬまま、計算された探索網は徐々にジャンヌの逃げ道を塞ぎつつあった。
(どうすれば……)
せめて貴族だけでも殺害してしまおうかとも考えた。雇い主の死体が挙がれば連中にも動揺が走るだろう。乱れた統制の隙をついて逃げ出す算段が立つかもしれない。
だが、その決断は下されなかった。
ジャンヌの心を引き止めたのは、幼馴染みのエドワードの存在だった。
彼は自分が復讐することを望んではいない。その思いを束の間の再会で知らされた。
だが、ここで貴族を殺せば、その犯人が誰か彼には一発で分かるだろう。
ジャンヌが町に戻ってきたタイミングと因縁の貴族の死亡日が一致したとなれば、彼なら自ずと辿り着く結論だ。
それで彼を悲しませることは、ジャンヌの本意ではなかった。
今にして思えば、エドワードに再会した段階で復讐の炎は消えかかってしまったのかもしれない。
「鼠一匹に一体いつまでかかってんだ! さっさとここへ連れてこい!」
屋根裏の綻びた隙間から大広間の様子を窺うジャンヌ。
そこは自分の捜索の拠点となっているらしく、貴族本人や使用人、自警団長と思しき男など大勢が集っている。
その内の一人、小太りの貴族は豪華な椅子にふんぞり返って威張り散らしていた。
「申し訳ありません、今暫くお時間を……」
頭を下げて弁明を述べる自警団長。だが貴族の怒りは収まらない。
「その文句はもう聴き飽きたわ!」
「す、すみません! ですがもう暫くです。西館に向かった者たちの捜索が終われば屋敷内の捜索は完了です。これで見つからなければ更に絞りこめます」
「屋敷内にいなければ、どこにいると言うんだ。中庭は儂の私兵が常時張っていたとはいえ、侵入を許した段階で節穴も同然だ。もうとっくに外へ逃げ出してる可能性だってないわけじゃあるまい。にも関わらず、町には一切手を伸ばさず、この屋敷だけ捜索してるのはどういうわけだ?」
「今朝の盗難騒動の警備の為、この界隈の周辺警備は午後より特に強化しておりました。貴方が賊の気配を感じ取られた時間以降、不審人物の目撃情報は挙がっておりません。ですので、まだ屋敷内に残っていると考えるのが妥当かと……」
「ふん。まあいい。そいつらの目も節穴じゃないことを祈りたいものだ」
どうやら捜索は佳境に入りつつあるようだった。
状況が掴めるとジャンヌの焦りが一段と高まった。このままでは捕縛も時間の問題だろう。だが、下手に動いても狭まりつつある網を抜け出すのは不可能に近い。
冷や汗が頬を、そして背中を伝う。
(……今までの報いかしらね)
だが、この期にジャンヌが浮かべたのは、絶望に打ち拉がれた表情ではなく―――なぜか自虐的な苦笑いだった。
◯水晶霊月3節目 13:00 娯楽都市マッカラン 宿屋
「―――まったく、これだけの重労働にも関わらずお給料が雀の涙とか、ほんと報われない仕事です。神様ならもうちょっと気前良くして欲しいものです」
愚痴を零しながら宿屋に戻ってきたのは、真紅のマントを羽織った少女だった。その背中には身の丈程もある巨大な蛇腹のハンマーを背負っている。
少女―――フレイアは、町中を駆け回って、主人公一行の武具や道具の差分の調整を終えてきた所だった。
「えっと、これで残りは本人たちが持ってる道具だけですか。皆さんが死んだら戻しに行けばいいですね」
フレイアは懐から取り出したメモ書きを眺めて何事か確認している。その口調は淡々としており、およそ人間の死を扱う風ではない。もっとも、彼女の言う「死亡」とは、本当の意味での「死亡」ではない為、便宜的な単語に過ぎないのだが。
「えっと……死亡予定場所は闘技場ですか。日時は……あと30分後。ちょっと急がないと危ないですね」
フレイアは手紙を懐にしまうと、宿屋の建物には向かわずに中庭へ足を向ける。そこにいる相棒を迎えに行く為だ。
本来なら全ての作業を相棒の銀狼フェンリルと共に行うのだが、呼びに行った時のフェンリルは中庭で大量の子供たちと遊んでいた。何やら楽し気な雰囲気だったので邪魔するのは悪いと思い、フレイアは道具の調整を一人で行ってきたのだ。
だが、一行を宿屋に戻すのは大仕事だ。流石に一人では難しいので、フェンリルの助けを借りなければならない。
「さて、終わってるですかね?」
中庭を覗くと、そこにいたのはフェンリルだけだった。
主に気づいたフェンリルは、自分からフレイアに近づいてきた。その頭を撫でてやると嬉しそうに鳴きながら目を細める。
「もう大丈夫ですか?」
同意するように優しく鼻を鳴らすフェンリル。その一言でフレイアが自分に気を遣っていたのを察したのか、甘えるように体を寄り添わせている。
「くすぐったいですよ。それにいつも頑張ってくれてるから当然です。―――さて、じゃあ早速で悪いですけど一仕事です。またあの人たちを迎えに行かなきゃならないです」
今度は気合いを入れるように小さく吠えると、フェンリルはフレイアの前に屈んだ。銀色に輝く見事な体躯を撫でながら、フレイアはその背中に乗る。
そして―――フェンリルは恐るべき跳躍力で宿屋の屋上に飛び乗った。
そこからは町全体が一望できた。
「場所は闘技場です。ここから北に見える卵形の建物ですね。人に見つかると厄介なんで空を走っていくです」
フレイアの言葉に鼻を威勢良く鳴らしたフェンリルは、そのまま空に向かって飛び上がると、天馬の如く空を翔けていった。
‖
その30分程前……。
フェンリルと別れたメルリープたちは、闘技場の長蛇の列に並んでいた。
「……ホントにやるの?」「当たり前だよ。みんなで一緒に決めたじゃん」「……でも正直怖いんだけど」「あたしも。こんなことなら、もっとちゃんと魔術の修行やっとけば良かった……」「……やっぱりマスターの言う通りだね、普段ちゃんとやってないと、いざって時に困るんだ」「マスター……ちゃんとあたしたちのこと考えてくれてたんだね」「いつも厳しいけど」「いつも怒るけど」「いつも口煩いけど」「いつもお小遣いたくさんくれるし」「いつも遊んでくれるし」「いつも美味しいご飯作ってくれるし」「いつもポエムの内容が寂しいし」「読んでるこっちが恥ずかしいけどね」
少し前まで徹底的に扱き下ろしていたマスターのノエルに対する認識を、今は全員が改めていた。
その劇的な心変わりを為したのが、まさか狼であるとは誰も思わないだろう。
更に30分程前……。
「……つまり、あたしたちもマスターの為に何かしてあげないとダメ?」
宿屋の中庭で始まったメルリープたちと巨大な狼の談義は収束を迎えつつあった。
最初こそ主人のことを一方的に批判していただけの彼女たちだったが、狼の言葉に諭されて徐々に自分たちにも非があることに気づき始めたのだ。
もっとも、狼は自ら言葉を発したわけではなく、メルリープたちが示したカードを選んでいただけだ。その為、当のカードを差し出していた彼女たち自身、既に答えを自覚していたと言えなくもない。
事実、たったいま狼の前に差し出されたカードも『うん』と『搾り取れるだけ搾り取ったら次の獲物を探せ』の二つだ。
狼は当然、『うん』を前に出した。その選択は彼女たちも予想していたものだ。
「でも……一体何をすればいいのか……」
既に最初の威勢は尽きており、今のメルリープたちは自らの考えに自信を失っていた。狼の『うん』に対しても、彼女たちなりの答えを導けずに項垂れている。
―――そんな彼女たちに感じる所があったのか……狼はのそりと立ち上がると、横に溜まったカードをごそごそと前脚で漁り始めた。
狼の意図が掴めないメルリープたちは、ただ薄ぼんやりと様子を眺めている。
やがて、狼は三枚のカードを自分の前に並べた。
『お友達だから』
『阿呆か寝技は寝てやれ』
『いますぐ死んでよし』
「「「「「「「「「「「「「???」」」」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「「「「???」」」」」」」」」」」」」
揃って首を傾げるメルリープたちを余所に、狼は三枚を綺麗に横に並べる。
そして、頭の一文字目以外を自分の前脚で隠してしまった。
狼はメルリープたちに向かって小さく吠えた。どうやら、いま目の前に並んだカードに伝えたいメッセージがこめられているようだ。
残ったのは三文字―――『お』『れ』『い』
二文字目の『れ』が反転していたので、メルリープたちは一瞬、単語を読み取ることができなかった。
「……おれい、ですか?」
狼が頷いた。
「おれい」「おれい」「おれい……」
神妙な面持ちで反復するメルリープたち。
―――言われてみれば、日頃ノエルに対して何か感謝を示したことはない。不満に対して文句を返したことはあっても、世話に対して礼を言ったり恩返しをしたりするなど、そもそも発想が浮かばなかった。おそらく彼女が自分たちの面倒を見ることを、どこかで当たり前と考えていたからだろう。
もしかしたら……そういう日頃の小さな努力こそ、ノエルは認めて欲しいし受け止めて欲しいのではないだろうか……。
彼女の振る舞いに不平不満を並べ立てるのは簡単だ。だが、その意図を自分たちは理解しようと努めただろうか。
―――全員の気持ちが不思議と一つに固まったのか、メルリープたちは驚くほど同時に顔を上げた。その表情には憑き物が落ちたような清々しさが見て取れる一方、受け入れた現実にまだ困惑を隠せない複雑な顔色も窺える。
狼と相対してきたメルリープが、改めて正座を整える。ほかのメルリープたちもそれに倣って姿勢を正す。
「狼さん、ありがとうございました」
強い決意を宿した声で、深々と頭を下げながら『お礼』を述べる。
「確かにあたしたちは、マスターに感謝する気持ちを忘れていた気がします。……いえ、気がしますじゃないですね。そうした気持ちを少しも持っていなかった……。自分の理屈でマスターのことを都合良く考えていただけ……表向きは感謝していたことでも、結局は自分が満足して嬉しかった感情表現に過ぎなかった。あたしたちは嬉しくて感謝したことはあっても、感謝して嬉しかったことはなかった……」
狼は何も言わない。ただ静かにメルリープたちを見守っている。
「……あたしたち、目が覚めました。これまではずっと夢の中だったんです。マスターが何でもやってくれる、そうなるようにしようとあたしたちが一方的に捩じ曲げてきた都合の良い夢……。でも、そんなところに友情は芽生えません。あたしたち、もう一回マスターときちんとやり直します!」
メルリープたちは強い意志を瞳に宿し、狼と向き合っていた。その眼差しに決意の程を感じたのか、激励するように小さく唸った。
それに後押しされたかのようにメルリープたちは立ち上がると、代わる代わる狼にお礼を言って中庭を後にした。
芽生えたばかりの決意を、花開かせるために。
そうしてやって来たのが、闘技場だった。
宿屋を飛び出した後、商業区画の通りで道化師のような身形の男が撒いている宣伝のビラを拾ったのがキッカケだった。
ビラによれば、今日限りの特別なトーナメントが開催され、優勝すれば100万ギルの賞金が手に入るとあった。彼女たちはその賞金をノエルへの贈り物にしようと決め、今は全員でエントリーを待っている所だ。
とは言え、瞬間沸騰した決意は冷めるのも早い。
臆病な彼女たちの中には、周りの参加者を眺めて弱気になる者もいた。
「……ダメ。あたしやっぱり怖い」
一人が頭を抱えて、その場にへたりこむ。
それまでの彼女たちなら、その臆病風が伝播して全員で逃げ出していただろう。
だが、今回の決意は固かった。
「何言ってんの! みんなで頑張ろうって決めてここまで来たじゃん!」「あたしだって怖いよ……でもマスターの為だもん!」「あたしも脚、震えてるし」「あたし、息あがってきた……」「あたしも痛いの嫌だけど……」「緊張で漏れそう……」「でも、マスターの恩返しの為だよ!」「ちょっと痛いのなんて、マスターの今までの苦労に比べたらどうってことないよ」「そうだよ頑張ろうよ!」「全員でやればなんとかなるって!」
―――結果、彼女たちは無事、全員エントリーすることになる。
同じトーナメントに、恐怖の魔導少女や因縁の守銭奴の青年、そして自分たちの親玉がエントリーしていることなど知りもしないまま―――。
―――時は再びフレイアとフェンリルが合流した頃に遡る。
既にエントリーが締め切られた闘技場に、一人の女が現れた。
先程まで酒場で自棄酒を煽り、偶然知り合った少女に愚痴を零していた彼女は、自分の使い魔である妖精たちを探して町中を走り回っていた。
酒場で出逢った少女によれば、彼女たちは宿屋の中庭にいるはずだった。だが、戻った時には既に誰もいなかった。
そこで、女は娯楽施設にやってきた。
彼女の主がこの町にやって来た目的が、この娯楽施設だったからだ。
(メルのやつ……どこ行ったのかしら?)
まるで親が見失った我が子を捜すように不安気な表情で辺りを見回す女―――ノエルはすぐにカジノの方へ向かって駆け出した。
それと同時に……一日限りの祭典の幕が上がった――――――。