気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像

娯楽都市マッカラン 商業区画

 朝方に殺伐としていた一帯の雰囲気は、今や真逆の調子で盛り上がっていた。
 盗難騒動の犯人探しに躍起になっていた町民や自警団だったが、どれだけ探してもそれらしい不審者は見つからなかった。あらゆる店の中、建物の隙間、下水道まで徹底的に捜索されたが、有力な手がかり一つ洗い出すことができなかった。
 結局捜索は早々と打ち切られ、町民たちはそれぞれの生業に戻っていった。
 ―――そんな矢先。
 町唯一の診療所で事件は起こった。
 事件と言っても、医師が殺害されたり、再び盗難被害が発生したわけではない。
 寧ろその逆―――。
 午前に盗まれた物品が綺麗に戻ってきたのだ。
 その噂は一気に町中を伝播した。
 犯人も挙がらないうちに盗品だけ戻ってきた事実には、町民も嬉しさ半分不気味さ半分の微妙な表情を並べたが……。
 他の店や住居でも同様に盗品が戻り出すと、嬉しさの方が勝り始めた。
 そして、噂はやがて一本の白羽の矢を放つ。
 ―――『疾風義賊』が現れた―――と。
 聖大陸、魔大陸を問わず、世界にその名を轟かせる謎の義賊。
 彼もしくは彼女が、自分たちを救ってくれたのだと……。

 その予想は、ある意味では的を射ていた。
 もっとも―――その矢が的を射るのは、もう少し先の話なのだが……。

          ‖

娯楽都市マッカラン 噴水広場

 嬉々とした笑顔のソニアと狼狽塗れのエリオが広場を後にする中―――頬を膨らませながら二人の背中を眺める人物が一人。
 真紅の頭巾に外套という童話のような格好が妙に似合っている小柄な少女だ。

「もぐもぐ……さっひのおもひろいひとたちだ、あふぁててどこいくんでほーかね」

 朝食の席で見かけた妙な二人組だと気づき、買ったばかりのピプロシキにぱくつきながら薄ぼんやりと見送っている。

「んぐぅ……。はー、満足♪」

 ピプロシキを食べ終えると、少女は近くのベンチに腰を下ろした。
 そして、膝の上に先程手に入れたばかりの分厚い本を乗せる。
 ―――彼女が買い戻そうとずっと必死だった魔導書を。
 その表紙を労るように撫でながら、少女は虚空を見上げて思案に耽る。

「さて……ノエルさんのお礼どうしよっかな……」

 少し前に別れた一人の女性の名前を呟きながら―――。



 話は少し前に遡る。
 少女―――ロゼッタは、酒場で一人の女性の相席に着いていた。

「だからね……安月給な上に大勢の子供がいるような状況じゃ、館の掃除とかご飯の準備とかだけで一日終わっちゃうのよ……」
「……大変ですね」

 目の前の美しい女性―――ノエルは少し前まで浴びるように蜂蜜酒を飲んでいたが、今は何も口にしていない。だが、酒の成分の影響か、その口調はやや間延びしている。声色は今にも泣き出しそうで、ロゼッタも思わず同情的な気分になっていた。
 ノエルは仕える主人の命で、夜を徹してノルシュヴァイン山脈を越え、ここまでやって来たらしい。それも主人と付き人の二人を乗せた巨大な客車を同居人の子供たちと一緒に担いで。もはや冗談でも笑えない過酷な難業だ。
 その話に、ロゼッタは色々な連想を巡らした。
 何よりも気になったのは、ノルシュヴァイン山脈の北に町などあっただろうかと言うことだ。
 現在最も信憑性に足る地図では、魔大陸最北端の町はこのマッカランとされている。確かに世界中を踏破した人間など未だいない為、未開の地に等しい山脈以北に知られざる町村があっても不思議ではないのだが、やはり違和感は禁じ得ない。
 加えて気になったのが、大勢の子供だ。
 ノエルは明らかに若い。言葉遣いと容姿は大人びているが、年齢で言えば自分とそう大差ないだろう。そんな人が大勢の子供を養っているという事実が俄には信じ難い。
 そんな彼女の愚痴も、延々と同じ内容を繰り返しながら、間もなく一時間に達しようとしていた。

「昨日もさ……いきなり夜にみんな呼んでこいって言われて、仕方なく全員連れてノルシュヴァイン山脈に行ったのね。そうしたら、今からマッカランに行くから運べって言い出すのよ。信じられる? 夜の山道ってだけでも十分危ないのに、朝までにマッカランまで着いとけって。おかげでみんなから非難轟々よ。私だって被害者なのに……」

 とは言え痛々しく疲弊し切ったノエルの姿を前にしては、色々と追究する気には到底なれなかった。

「それで……その皆さんが出て行っちゃったんですか?」

 ノエルは小さく頷くと、一枚の紙をロゼッタに差し出した。そこには一文『もうつかれました さがさないでください あなたのメルより』と書かれている。

「な、なんと言うか……」

 ロゼッタは言葉を失った。それはノエルの不遇を察してと言うよりも、こんな古典的な家出文句を使う人が未だにいるのかという驚きの方が大きかった。

「そりゃ思い返せば、確かにちょっと厳しいことも言ったけどさ……。ちゃんと面倒見てきたつもりよ? 欲しい物があればなるべく買ってあげたし、お小遣いだって心配だから多めにあげたし、献立の希望はいつも聴いてあげたし、時間があれば遊んであげたし、魔術の修行だって付き合ってあげたし、眠れなきゃ絵本だって読んであげたのに……」
「も、物凄い子煩悩ですね……」

 本来なら賞賛すべきなのだろうが、なぜかロゼッタは軽く引いていた。だが、見抜かれた様子はない。ノエルは過去に思いを馳せるように瞳を瞑っている。

「世話好きなのかしらね……。いやね、実はその子たちの面倒を見る前に、別の子の面倒を見てたことがあってさ。まあ、まだ六歳だったから、屋敷の手伝いしながらその子の遊び相手になってただけなんだけど、いつの間にか私のことお姉様とか呼び出してさ。最初はちょっとくすぐったかったけど、馴れると意外と良いもんでね……」

 楽し気に話していたノエルだったが―――そこで一転、表情は暗くなり、深い溜め息を一つ吐き出した。

「ホントに、どこでどう間違えたんだか……」

 そしてテーブルに伏すと、両腕の中に顔を隠してしまった。
 泣いているのだろうか……ロゼッタはどう慰めたものか困惑してしまったが―――。
 そこでふと―――一つの予想が脳裏を過った。

「……あ、あの」
「ん? なぁに?」

 ノエルは顔を上げた。

「もしかして、その大勢の子供たちって……双子というか、そっくりですか?」
「そうだけど……」

 半ば予想通りのノエルの即答に、ロゼッタは苦笑いするしかなかった。
 その〈大勢の子供たち〉に思い当たり過ぎる節があったからだ。

「あ、ああぁ、そうですかぁ……。あ、あの、多分大丈夫だと思いますよ。そのうち戻ってくるかと……」
「え、どうして?」
「さっきたまたま宿屋に寄ったんですけど、中庭にその子たちいましたよ。宿屋に泊まってる……えっと、別の人に『ご主人とうまく付き合う秘訣を教えてもらいたい』って頼みこんでましたから、心配ないんじゃないかと」

 流石に狼と言うのは憚られたので、そこだけは嘘を挟んだ。
 そのロゼッタの一言に、ノエルの表情に僅かな生気が戻った。対するロゼッタの方は先程から顔が引き攣っており、その声も震えている。

「……ホント?」
「はい! だから早くその子たちの所に戻ってあげてくださいこんなところでお酒飲んでちゃダメですって大丈夫きっとうまくいきますよ!」
「……どうしたの? 急に様子が変になったけど」
「いっ、いえいえいえいえ! 何でもありませんよ! あ、あは、あははは!」

 明らかに挙動不審で早口のロゼッタ。ノエルは不思議そうに眺めていたが、特段追究するつもりはないようだ。

「―――そうね。とりあえず本人たちと話してみるわ。って言うか、あの子たちまだ宿屋にいたんだ。慌てて探しに出たから、全く気づかなかったわ……」

 恥ずかしそうに笑いながら席を立つノエル。

「あっ、そうだ」

 すると彼女は、自席の後ろに置いておいた何物かを引っ張り出すと、それをテーブルの上に乗せた。結構な重さがあるようで、少しテーブルが揺れた。

「これ、ロゼッタにあげるわ。私が持ってても仕方ないから」
「これ? ……うわっ! なんですかこの大金! ままままさか盗んだとか!?」
「人聞き悪いわね。後ろ暗いお金じゃないわよ、安心して」
「で、でも、こんなの貰えませんよ。それに給金が安くて困ってるなら、なおさらその子たちに使ってあげたりした方が……」
「そうしたいのはやまやまなんだけどね。このお金このままだと我がままなご主人に巻き上げられそうでね。そうなったら、どうせロクなことに使わないわ。まあ、私も酒代に消してやれって自棄になって持ってきたんだけど、そんなことに使うくらいだったら、少しでも誰かの役に立つ方が嬉しいし」

 そう微笑むノエルは、先ほどまで鬱屈していた女性とは別人のように見えた。生気がなかった表情は明るくなり、誰もが振り返る美人へ一瞬で生まれ変わったようだ。
 その立ち居と笑顔にロゼッタも思わず見惚れていた。

「どうしたの?」
「……へっ? あっ、ああいえ、すみませんぼーっとしちゃって」
「……でも、ほんと付き合ってくれてありがとう。おかげでスッキリしたわ。またどっかで会ったら、次はロゼッタの話を聴かせてね。それじゃ」

 そのままノエルは酒場を後にしてしまった。
 ロゼッタの目の前に、その大半を彼女が稼いだとも知らない大金を残して。



 そのおかげで、ロゼッタは魔導書を買い戻すことができた。
 古書店の店主は半日もしないうちに大金を持って来たロゼッタを少し訝しんでいたが、偽金ではないと分かると素直に魔導書を差し出してくれた。
 そうして、彼女は本来の目的を果たすことができたのだ。

「……まさか、メルリープたちの親代わりだとは思わなかったけど」

 ロゼッタはノエルとの会話を振り返る。
 その事実に気づいた瞬間を思い出すだけでも鳥肌が立つが、メルリープたちの親代わりということはつまり―――ノエルは魔族ということだ。
 考えてみれば、彼女の話はやや抽象的だった。固有名詞は出てこないし、どことなく言葉を選んでいるような話し振りだった。おそらく自分が魔族であることを悟られないように気を回していたのだろう。

「でも、良い人だったなぁ」

 ロゼッタの表情がくすりと緩む。
 昨今凶暴化が騒がれ、人間は例外なく敵視しがちな魔族だが、その中にもあんなに清く真っ直ぐな人がいるのかと思うと、何だか嬉しかった。
 紫色の髪はおそらく半妖の証だろう。噂に聴いた程度だが、魔族と人間の混血児の中には紫色の髪と瞳を持って生まれる子がいるらしい。とは言え、人間でも紫の髪は珍しくない為、先の酒場でも誰一人彼女が半妖だとは勘繰っていない様子だった。
 だが、もし本当に半妖であるならば……。
 それで彼女がどれほどの苦労を強いられてきたのか、到底ロゼッタの想像の及ぶ範疇ではない。禁忌とされる半妖の子は、生きるか死ぬかではなく、どう死ぬかしか選べないとすら言われる。
 そんな絶望にも耐え抜いた彼女の言葉であり姿だからこそ、彼女はあれほど自分の心に素直でいられるのかもしれない。誰かを思いやることができるのかもしれない。頭が思わず真っ白になって見惚れてしまうほどに。

「……でも、流石にあんな大金を一方的に貰うのはなぁ……」

 そんなノエルに何かお礼ができないか―――ロゼッタは噴水広場で考えていた。
 手にした大金は100万ギルを遥かに超えていた。それを愚痴の掃き溜め程度の役回りで貰っては寧ろ後味が悪過ぎる。
 ロゼッタは腕を組んで更に悩む。

「でもノエルさんの好きなものとか知らないから、やっぱり手堅くお金がいいかな。となるとカジノだけど……あたし運がないからなぁ」

 そうして当てのない贈り物を探していると―――突如、鳴り物の音が響いた。
 道化師のような身形の男が、何やら紙をバラ撒きながら跳ね回っている。広場の人々は地面に転がったそれを興味深そうに拾っていた。

(……瓦版かな)

 ロゼッタもベンチから立ち上がって、近くの一枚を手に取る。
 そこには、願ってもない宣伝文句が踊っていた。
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