気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像

◯水晶霊月3節目 12:30 娯楽都市マッカラン 某貴族屋敷

「―――先月の闘技場の上がりはどうだ?」

 廊下から聴こえるその一声に、広間を調べていた女は慌てて暖炉に身を隠した。
 少し前まで領主の屋敷にいた彼女―――ジャンヌは、その直前に訪れた貴族屋敷に戻っていた。その時は裏庭から聴き耳を立てるだけだったが、今は使用人やメイドたちの目を盗んで屋敷中を調べて回っていた。
 幼馴染みの領主を訪れる前も潜入を試みていたのだが、途中で聴き知った連中の企みを急いで彼に伝えようと屋敷を離れていた。
 もっとも、その目的は最終的に未達に終わったが。

「昨年のこの時期と比較しても上々ですね。テミルナとの交通網が一定整備されたのもあってか、聖大陸からの観客も増えています」

 二つの声は部屋の前で立ち止まり―――静かに扉が開く。
 それとほぼ同時に、ジャンヌは暖炉から続く煙突の中を器用に上り途中で止まった。壁面に両脚と背中を突っ張って宙に浮いている状態だ。

「客層は?」
「時節柄か、各都市の貴族や要人の関係者が多いですね。腕の立つ護衛でも探しに来ているのではないでしょうか」
「町の様子はどうだ。例の盗難騒動は収まったのか?」

 そこでやや間があった。

「……それが、少々不可解な事態になっておりまして……」
「不可解?」

 小太り貴族の顔が歪む様が容易に想像できる下品な声。

「まだ自警団が犯人の捜索を続けており、事件自体は解決していないのですが……その一方で今度は義賊が出たと別の騒ぎが発生しております」
「義賊だぁ?」

 そのだらしない一言にジャンヌの瞼が微かに反応する。

「ええ、例の『疾風義賊』です。と言いますのも、早朝に盗み出された物品が次々と所有者の手元へ戻されているようなんです。ですので、町民は義賊が取り戻してくれたと騒いでおりまして……自警団も犯人探しを続けたものか困惑しております」
「盗んだ輩が自分で戻したとかじゃないのか? どこから何を盗んだか知ってるのはそいつだけだろ」
「ええ、そう考えるのが妥当ではありますが……そうなりますと盗んだ理由も戻した理由も判然としません」

 使用人の当惑を余所に、小太り貴族は「ふん」と太々しく鼻を鳴らす。

「大方生活苦で盗みを働いたものの、良心の呵責に負けたとかだろ。状況が鎮まったのなら自警団をここへ呼び寄せる。話がある」
「了解しました」

 そこで二人の会話は終わり、続けて扉が鈍く軋むような音がした。どうやら使用人が部屋を後にしたようだ。
 ジャンヌは少し疲労が溜まり出したのを感じて、一旦屋根に上がる為、少しずつ煙突を上り始めた。音を立てないように、体を滑らせないように慎重に……。
 その為――――――彼女は耳にすることができなかった。

「……大きな鼠を掃除しないとな」

 暖炉を横目で睨みながら薄汚く嗤う貴族の一言を…………。

          ‖

娯楽都市マッカラン 噴水広場

 時を三〇分ほど前に遡る。
 町の中央、マッカランの全区画を結ぶ噴水広場にやって来た二つの人影があった。

「―――ダメダメまったくダメね。あんな小柄な齧歯類みたいにおどおどしっぱなしの領主なんて使いもんにならないわ」
「……その形容もどうかと思うけど」
「なんでよ。餌を探す鼠の動きにそっくりだったじゃない」
「いくら双子でも、ソニアと僕の感性を一緒にしないで欲しいな」
「……今日はいちいち気に障る言い方するわね、あんた」

 取り留めない遣り取りを紡ぎながら噴水広場に入ってきた双子―――ソニアとエリオのカンパネルラ姉弟。
 朝食後、二人は領主の屋敷を訪れていた。町を取り巻く現状について尋ねるためだ。
 だが、エリオの下調べ通り領主は町の統治から完全に締め出されており、極論全く役に立たなかった。
 それで話を簡単に切り上げて、丘を降りてきた所だ。
 二人はベンチの一つに並んで腰を下ろす。

「さって、どうしますかね。調査しろって言われても、情報が全部隠蔽されてるとなると手掛かりゼロだけど」
「現場押さえた方が早いかもね」
「世の中そんなあっさりいったら、あたしたち仕事失うわよ」

 気怠そうなソニアの言葉に何やら返そうと口を開きかけたエリオだったが、彼女の方を向いたところでふと思い止まった。
 食べ物の匂いでも嗅ぎ分けるように、ソニアが鼻を利かせていたからだ。

「……なんか臭うわね」
「そこで売ってるピプロシキじゃなくて?」

 噴水の前に出ている賑やかな屋台を指差すエリオ。だが自分の検討が外れていることは彼にも薄々分かっていた。
 ソニアが鼻を利かせるのは決まって「しない臭い」を嗅ぎ当てたときだ。
 天性の勘とでも言えば良いのか―――彼女は事件や魔獣の襲撃など「非日常」が放つという独特の気配を臭いで感じ取ることができる。原理は不明だが、おそらく人の目に見えない存在を野生動物が感知できる特性と似たものだろう。
 双子のエリオには、その才能はない。とは言え、彼がそれを羨ましがったり妬んだりしたことは一度もなかった。
 天性の勘だけなら嫉妬を覚えたかもしれない。だが、臭いを嗅ぎ当てるという動物的な方法が、どうにも彼には羞恥としか感じられず受け入れ難い。
 その埋め合わせなのか、彼には年齢に相応しない、ずば抜けた思考力が宿った。
 言わば感性の姉と論理の弟が互いを補完し合う形だ。
 だが、エリオの冗談にもソニアは無言を貫く。臭いの正体を突き止める為か、瞳を閉じたまま鼻を鳴らしている。
 すると―――いきなり両目を見開き、ベンチから勢いよく体を起こした。
 あまりに突然の豹変振りに、流石のエリオも面食らってしまった。

「な、なにいきなり!?」
「行くわよ!」

 脈絡のないソニアの一言に狼狽するエリオ。

「い、行くってどこへ?」
「商業区画よ! 早くしなさい! いなくなっちゃうでしょ!」

 駄々を捏ねるように焦るソニアの様子にエリオは困惑を隠せない。その腕をソニアが乱暴に引っ張り、強引にベンチから引き剥がされる。
 ソニアはエリオを引っ張りながら、一目散に商業区画の方へ駆け出した。

「ちょ、ちょっと待ってよ! 一体何なのさ!?」
「臭ったのよ!」
「臭った!?」

 支離滅裂な返答の真意を問うように復唱したエリオに、ソニアが満面の笑顔を輝かせて臭いの正体を告げる。

「現れたのよ――――――あの『疾風義賊』が!」
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