気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像
◯アルティア神暦1806年 聖大陸北端 イーディスの村
極聖の神アルティアによって世界が統一されてから、1800年を経た時代。
世界は二つの巨大な大陸―――聖大陸と魔大陸を中心に、発展を続けていた。
その聖大陸の遥か北端、学術都市国家ミルフォートの領内で世を忍ぶように拓かれた小さな村から物語は始まる。
主人公が村を飛び出す理由は実に月並み。
「―――こんな辺鄙な村で一生を終えるのなんて真っ平だ」
その如何にもフリーシナリオに相応しい一念のみを抱えて彼は生家を飛び出し、やがて軍事都市国家アインシュヴァルツの支援のもと、世界を覆った魔女の闇を払う英雄として名を馳せることになるのだが……。
それはまだ、かなり先の話。
◯水晶霊月2節目 13:00 魔宮
西の聖大陸と対を成す東の魔大陸の最北端に突き出た岬。
極寒で有名な蛍雪の町ノーティスと同緯度ということもあり、一帯は万年止むことも溶けることも知らない豪雪に覆われている。その南側には雄大なノルシュヴァイン山脈が天然要塞のように聳えている為、大陸民であっても訪れたことのある者は皆無に等しい。山脈が遭難と自殺の名所の為、踏み入ろうとする者自体いないからだ。
そんな岬の最端に、一体いつ誰が見たのか、一つの巨大な宮殿があると囁かれ出したのがつい数年前のこと……。
―――魔女リリスの魔宮。
間もなくアルティア神暦1800年という記念すべき節目を迎える時代に、突如現れて世界を常闇に陥れた謎の魔女。
その秘めたる目的の一切は謎に包まれており、いつからか人々は不可解な恐怖に怯える他なくなっていた。
そんな彼女の住処が大陸の遥か北方、極寒の彼方に潜んでいると言われている……。
―――その宮殿の一室。
王宮の執務室のように広い空間で、三人の女が何やら遊戯に興じていた。
一人は美しい深緑色の長い髪が特徴的な長身の女で、怠そうに寝転がっている。その背中には薔薇の葉のように毒々しい威圧的な翼が、人間で言う尾てい骨の辺りからは一本の尻尾がそれぞれ生えていた。翼は折り畳まれているが、広げれば相当なサイズに達することが容易に想像できる。
その女―――魔女の正面に座っている女は群青色のセミロングが印象的で、魔女と同じく翼と尻尾が生えていた。小悪魔である彼女のそれらは、魔女の女と比べて些か小柄で威厳を欠くが、やや童顔の幼い雰囲気にはそれが相応しくも思える。
そして、二人と三角形を成すように控える女は、魔女と瓜二つの外見をしている彼女の影武者だった。
室内には格調高いテーブルと豪奢な造りの手織り絨毯が用意されているだけで、一切の生活感がない。逆に言えば、贅沢に無駄を生むことで豪華絢爛が一層際立っている。
外は勢いよく吹雪いているが、その轟音も室内には届かず、硝子窓も頑丈に嵌め殺されているのか微かに震える気配すらない。
「…………ちょっとリーフィア、早くハートの8出しなさいよ。あんたが抱えてんのバレバレなのよ」
「え、ええっ? それじゃゲームにならないですよ……」
「真っ先に倒されたあんたには、それくらいがお似合いなのよ」
そんな魔女の宮殿の一室で、明らかに場違いな盛り上がりに夢中の三人。
その為か、優に二〇メートルは遠くにある部屋の扉が開いたことには、誰一人として気づかなかった。
入ってきたのは一人の女。三人と異なり、畳まれた刺々しい翼もなければ、魔女が揺らして遊んでいるような鏃型の尻尾もない。唯一、鮮やかな紫色の瞳と短い髪が一際目を引くが、外見だけで言えば魔女の仲間と言うよりも人間に近い。
その表情が、暢気に遊ぶ三人を目の当たりにした途端、鬼の形相へ変容する。
そして、三人の輪へ大股で威圧的に近づいていく。
「はい、上がりです」
「あっ! ちょっとリムル、影武者が先に上がってんじゃないわよ!」
「ルール上は問題ない筈では? ……あっ、お疲れさまですノエルさん」
最初に女―――ノエルの入室に気づいたのは、影武者の魔女―――リムルだった。
そして続けてノエルに気づいた魔女―――リリスが俯せに寝転がったまま面倒臭そうに口を開く。
「ん? ああ、あんたか、部屋の掃除終わった? じゃあ次は浴室お願いね。それが終わったら客間と宝物庫もよろしく。……ほら、あんたの番よ、リーフィア」
鏃型の尻尾を左右に振りながら掃除を押しつけると、リリスはカード遊びに戻る。
ノエルが覗き見ると、それはファンタンドミノだった。以前にリリスが「こんな僻地だと娯楽がないからつまらない」と言い出し、部下に人間を攫わせてその人物から教わったカードゲームの一つだ。
「……リリス様?」
あまりにだらしがない主の様子に怒りを覚えたのか、その声は小刻みに震えていた。
だが、当のリリスは次に出すカードを迷っている小悪魔―――リーフィアの指の動きを真剣に目で追っている。執拗に威圧感を飛ばしながら。
「ううぅぅっ……、パ、パス1」
「だからハートの8出せって言ってるでしょ!? その右端のよ右端の!」
「ひええっ!? ダ、ダメですダメです! 引っ張らないで下さい!」
「リ・リ・ス・様ぁ!?」
耐えかねて張り上げたノエルの怒声に、リリスも苛立たし気な顰めっ面を向ける。
「何よさっきから五月蝿いわね。あんたも入りたいんなら、まずさっさと掃除を終わらせてきなさいよ」
「そういうこと言ってるんじゃありません! なに暢気にトランプとかやっちゃってんですか! いつ敵が襲って来るか分かんないんですよ!? あとリーフィアもリムルさんも普通に付き合ってないで止めて下さいよ!」
「で、でも、あたし住処追われちゃったから……」
巻き添えを食らったリーフィアは、必死に頭を振って的外れな言い訳を零す。対してリムルは悪びれもせずに満面の笑顔を浮かべている。
「私は影武者ですので、本体に逆らうわけにはいきません」
彼女の言葉にリリスが怠そうに頷く。
「そうそう、大体あいつらが一向にここに来ないのがいけないのよ。アインシュヴァルツで依頼を受けたっきり、全く音沙汰ないじゃない。こっちだって暇なんだから、来るならさっさと来て欲しいくらいだわ。ほらリーフィア、あんたの番」
「…………パ、パス2」
「だから、ハートの8出せって言ってんのよ!」
「だから、暢気に遊んでんじゃないって言ってんですよ!」
反射的に飛び出たノエルの一括に、リリスの動きがピタリと止まった。
そこに何やら不穏な気配でも察したのか、ノエルも思わず一歩引いて身構える。
寝転がっていたリリスは、何か意を決したようにすっと立ち上がった。
「……なによいつもいつも偉そうに。そこまで言うならあんた、あいつらを今すぐここへ連れてきなさいよ」
「……はへっ?」
突拍子のない命令にノエルの思考と挙動が完全に固まった。
一瞬冗談かと思ったが、リリスの目は全く笑っていない。明らかに本気だ。その長身のせいもあって全身から痛烈な圧迫感が迸っている。
リリスの言う「あいつら」とは、彼女の討伐隊のことだ。
魔大陸と対を成す聖大陸の軍事都市国家・アインシュヴァルツが組織した部隊で、人間が魔物の親玉と目しているリリスの討伐を最終目的としている。
これまでノエルは再三、連中の征圧をリリスに進言してきたのだが、彼女は面倒なのか全く聴き入れようとしなかった。
だが、何度も煩く言ってきたせいか、ついに堪忍袋の緒が切れたようだ。
「そうしたら戦闘でも何でもやってやるわよ。まあ、ただの半妖のあんたにぃ? そんな大層な役が務まるとは到底思えないけどねぇ」
嫌らしく挑発めいた口調で見下すリリスに、ノエルの眉間が酷く歪む。
「……ず、随分と好き放題言ってくれますね」
「だってホントのことだし?」
徐々に深まる険悪な雰囲気にリーフィアは「あわあわあわ……」と狼狽するばかりの一方、リムルは「あらあらまあ」と微笑まし気に目を見開いている。
やがて、ノエルの我慢が破裂した。
「…………いいでしょう、だったら今すぐ連れてきてあげますよ! 油断が過ぎて倒されないようにせいぜい気をつけて下さいねっ!」
「ふん、上等よ。ああそうそう、出来なかったら来週以降の給金減らすから覚悟しときなさい。メルたちのせいで金庫も随分と寂しくなったからね」
「……はっ?」
「あと今回の経費は全部自分の財布から出してもらうわよ。あんた最近やけに怪しい申請多いからね。今回ばかりは落とさないわよ」
二発続けて放たれた宣告に戸惑うノエル。
だが、ここ最近、自分の部下がリリスの金庫を圧迫しているのは確かに事実だ。
元々人間の通貨であるギルを使う魔族は少ないが、ノエルのように必要とする存在もいる。身体組成が人間に近い魔女や妖魔などが主にそうだ。
そんな魔族の収入源は旅人の落とした財宝や鉱山採掘など様々だ。特に人間が立ち入れない厳しい環境下でのみ入手できる鉱物や作物などは非常に高値で取引される。そうした稀少な交易品を目当てに魔族と取引する人間は意外と多い。
その金庫が枯渇気味なのか、リリスは給金削減と経費全額負担を宣言してきた。それはつまり、ノエルの生活が困窮することを意味する。
だが―――ここで引き下がっては敗北必至だと自分に言い聴かせてノエルは決意を立て直す。一体何と勝負しているのか、もはや自分でも分からないまま。
「え、ええ、ええ! いいですよいいですとも! やってやろうじゃないですか!」
強気な姿勢を崩さず、怒りに任せて挑戦状を受け取り部屋を後にするノエル。
やがてこみ上げると分かり切った後悔から、それでも必死に目を逸らしながら……。
極聖の神アルティアによって世界が統一されてから、1800年を経た時代。
世界は二つの巨大な大陸―――聖大陸と魔大陸を中心に、発展を続けていた。
その聖大陸の遥か北端、学術都市国家ミルフォートの領内で世を忍ぶように拓かれた小さな村から物語は始まる。
主人公が村を飛び出す理由は実に月並み。
「―――こんな辺鄙な村で一生を終えるのなんて真っ平だ」
その如何にもフリーシナリオに相応しい一念のみを抱えて彼は生家を飛び出し、やがて軍事都市国家アインシュヴァルツの支援のもと、世界を覆った魔女の闇を払う英雄として名を馳せることになるのだが……。
それはまだ、かなり先の話。
◯水晶霊月2節目 13:00 魔宮
西の聖大陸と対を成す東の魔大陸の最北端に突き出た岬。
極寒で有名な蛍雪の町ノーティスと同緯度ということもあり、一帯は万年止むことも溶けることも知らない豪雪に覆われている。その南側には雄大なノルシュヴァイン山脈が天然要塞のように聳えている為、大陸民であっても訪れたことのある者は皆無に等しい。山脈が遭難と自殺の名所の為、踏み入ろうとする者自体いないからだ。
そんな岬の最端に、一体いつ誰が見たのか、一つの巨大な宮殿があると囁かれ出したのがつい数年前のこと……。
―――魔女リリスの魔宮。
間もなくアルティア神暦1800年という記念すべき節目を迎える時代に、突如現れて世界を常闇に陥れた謎の魔女。
その秘めたる目的の一切は謎に包まれており、いつからか人々は不可解な恐怖に怯える他なくなっていた。
そんな彼女の住処が大陸の遥か北方、極寒の彼方に潜んでいると言われている……。
―――その宮殿の一室。
王宮の執務室のように広い空間で、三人の女が何やら遊戯に興じていた。
一人は美しい深緑色の長い髪が特徴的な長身の女で、怠そうに寝転がっている。その背中には薔薇の葉のように毒々しい威圧的な翼が、人間で言う尾てい骨の辺りからは一本の尻尾がそれぞれ生えていた。翼は折り畳まれているが、広げれば相当なサイズに達することが容易に想像できる。
その女―――魔女の正面に座っている女は群青色のセミロングが印象的で、魔女と同じく翼と尻尾が生えていた。小悪魔である彼女のそれらは、魔女の女と比べて些か小柄で威厳を欠くが、やや童顔の幼い雰囲気にはそれが相応しくも思える。
そして、二人と三角形を成すように控える女は、魔女と瓜二つの外見をしている彼女の影武者だった。
室内には格調高いテーブルと豪奢な造りの手織り絨毯が用意されているだけで、一切の生活感がない。逆に言えば、贅沢に無駄を生むことで豪華絢爛が一層際立っている。
外は勢いよく吹雪いているが、その轟音も室内には届かず、硝子窓も頑丈に嵌め殺されているのか微かに震える気配すらない。
「…………ちょっとリーフィア、早くハートの8出しなさいよ。あんたが抱えてんのバレバレなのよ」
「え、ええっ? それじゃゲームにならないですよ……」
「真っ先に倒されたあんたには、それくらいがお似合いなのよ」
そんな魔女の宮殿の一室で、明らかに場違いな盛り上がりに夢中の三人。
その為か、優に二〇メートルは遠くにある部屋の扉が開いたことには、誰一人として気づかなかった。
入ってきたのは一人の女。三人と異なり、畳まれた刺々しい翼もなければ、魔女が揺らして遊んでいるような鏃型の尻尾もない。唯一、鮮やかな紫色の瞳と短い髪が一際目を引くが、外見だけで言えば魔女の仲間と言うよりも人間に近い。
その表情が、暢気に遊ぶ三人を目の当たりにした途端、鬼の形相へ変容する。
そして、三人の輪へ大股で威圧的に近づいていく。
「はい、上がりです」
「あっ! ちょっとリムル、影武者が先に上がってんじゃないわよ!」
「ルール上は問題ない筈では? ……あっ、お疲れさまですノエルさん」
最初に女―――ノエルの入室に気づいたのは、影武者の魔女―――リムルだった。
そして続けてノエルに気づいた魔女―――リリスが俯せに寝転がったまま面倒臭そうに口を開く。
「ん? ああ、あんたか、部屋の掃除終わった? じゃあ次は浴室お願いね。それが終わったら客間と宝物庫もよろしく。……ほら、あんたの番よ、リーフィア」
鏃型の尻尾を左右に振りながら掃除を押しつけると、リリスはカード遊びに戻る。
ノエルが覗き見ると、それはファンタンドミノだった。以前にリリスが「こんな僻地だと娯楽がないからつまらない」と言い出し、部下に人間を攫わせてその人物から教わったカードゲームの一つだ。
「……リリス様?」
あまりにだらしがない主の様子に怒りを覚えたのか、その声は小刻みに震えていた。
だが、当のリリスは次に出すカードを迷っている小悪魔―――リーフィアの指の動きを真剣に目で追っている。執拗に威圧感を飛ばしながら。
「ううぅぅっ……、パ、パス1」
「だからハートの8出せって言ってるでしょ!? その右端のよ右端の!」
「ひええっ!? ダ、ダメですダメです! 引っ張らないで下さい!」
「リ・リ・ス・様ぁ!?」
耐えかねて張り上げたノエルの怒声に、リリスも苛立たし気な顰めっ面を向ける。
「何よさっきから五月蝿いわね。あんたも入りたいんなら、まずさっさと掃除を終わらせてきなさいよ」
「そういうこと言ってるんじゃありません! なに暢気にトランプとかやっちゃってんですか! いつ敵が襲って来るか分かんないんですよ!? あとリーフィアもリムルさんも普通に付き合ってないで止めて下さいよ!」
「で、でも、あたし住処追われちゃったから……」
巻き添えを食らったリーフィアは、必死に頭を振って的外れな言い訳を零す。対してリムルは悪びれもせずに満面の笑顔を浮かべている。
「私は影武者ですので、本体に逆らうわけにはいきません」
彼女の言葉にリリスが怠そうに頷く。
「そうそう、大体あいつらが一向にここに来ないのがいけないのよ。アインシュヴァルツで依頼を受けたっきり、全く音沙汰ないじゃない。こっちだって暇なんだから、来るならさっさと来て欲しいくらいだわ。ほらリーフィア、あんたの番」
「…………パ、パス2」
「だから、ハートの8出せって言ってんのよ!」
「だから、暢気に遊んでんじゃないって言ってんですよ!」
反射的に飛び出たノエルの一括に、リリスの動きがピタリと止まった。
そこに何やら不穏な気配でも察したのか、ノエルも思わず一歩引いて身構える。
寝転がっていたリリスは、何か意を決したようにすっと立ち上がった。
「……なによいつもいつも偉そうに。そこまで言うならあんた、あいつらを今すぐここへ連れてきなさいよ」
「……はへっ?」
突拍子のない命令にノエルの思考と挙動が完全に固まった。
一瞬冗談かと思ったが、リリスの目は全く笑っていない。明らかに本気だ。その長身のせいもあって全身から痛烈な圧迫感が迸っている。
リリスの言う「あいつら」とは、彼女の討伐隊のことだ。
魔大陸と対を成す聖大陸の軍事都市国家・アインシュヴァルツが組織した部隊で、人間が魔物の親玉と目しているリリスの討伐を最終目的としている。
これまでノエルは再三、連中の征圧をリリスに進言してきたのだが、彼女は面倒なのか全く聴き入れようとしなかった。
だが、何度も煩く言ってきたせいか、ついに堪忍袋の緒が切れたようだ。
「そうしたら戦闘でも何でもやってやるわよ。まあ、ただの半妖のあんたにぃ? そんな大層な役が務まるとは到底思えないけどねぇ」
嫌らしく挑発めいた口調で見下すリリスに、ノエルの眉間が酷く歪む。
「……ず、随分と好き放題言ってくれますね」
「だってホントのことだし?」
徐々に深まる険悪な雰囲気にリーフィアは「あわあわあわ……」と狼狽するばかりの一方、リムルは「あらあらまあ」と微笑まし気に目を見開いている。
やがて、ノエルの我慢が破裂した。
「…………いいでしょう、だったら今すぐ連れてきてあげますよ! 油断が過ぎて倒されないようにせいぜい気をつけて下さいねっ!」
「ふん、上等よ。ああそうそう、出来なかったら来週以降の給金減らすから覚悟しときなさい。メルたちのせいで金庫も随分と寂しくなったからね」
「……はっ?」
「あと今回の経費は全部自分の財布から出してもらうわよ。あんた最近やけに怪しい申請多いからね。今回ばかりは落とさないわよ」
二発続けて放たれた宣告に戸惑うノエル。
だが、ここ最近、自分の部下がリリスの金庫を圧迫しているのは確かに事実だ。
元々人間の通貨であるギルを使う魔族は少ないが、ノエルのように必要とする存在もいる。身体組成が人間に近い魔女や妖魔などが主にそうだ。
そんな魔族の収入源は旅人の落とした財宝や鉱山採掘など様々だ。特に人間が立ち入れない厳しい環境下でのみ入手できる鉱物や作物などは非常に高値で取引される。そうした稀少な交易品を目当てに魔族と取引する人間は意外と多い。
その金庫が枯渇気味なのか、リリスは給金削減と経費全額負担を宣言してきた。それはつまり、ノエルの生活が困窮することを意味する。
だが―――ここで引き下がっては敗北必至だと自分に言い聴かせてノエルは決意を立て直す。一体何と勝負しているのか、もはや自分でも分からないまま。
「え、ええ、ええ! いいですよいいですとも! やってやろうじゃないですか!」
強気な姿勢を崩さず、怒りに任せて挑戦状を受け取り部屋を後にするノエル。
やがてこみ上げると分かり切った後悔から、それでも必死に目を逸らしながら……。