気紛れたラスボスを振り回す気紛れた群像
娯楽都市マッカラン 某酒場
酒場のマスターや給仕たちは困惑していた。
その原因の人物は店内の端、中二階の陰に覆われた薄暗い一角で浴びるように蜂蜜酒を呷り続けていた。グラスを空けては突っ伏し、空けては突っ伏しを繰り返している。
外見は若く、紫色の短髪に同色の透き通った瞳という独特の外見だ。素面で町中を歩いていれば、擦れ違う者が例外なく振り返りそうな美しい顔立ちをしている。
だが、それを今の彼女から感じ取るのは極めて難しい。
彼女の前には空いたグラスが一〇は並んでおり、右手には蜂蜜酒で満たされた別のグラスが握られている。そして先程から一人でぼそぼそと愚痴を吐き続けていた。愚痴を吐き疲れたら酒で喉と頭を慰める。いわゆる「面倒臭い客」というやつだ。
美人が一人で店内に佇んでいると、大抵は柄の悪い不埒者が声の一つもかけるのが常なのだが、その特異な外見のせいもあってか、誰も近づこうとはしない。
ただ一人―――たった今店内に入ってきてしまった一人の少女を除いては。
「あ、あの……ここ、空いてますか?」
少女は明らかに怯えていた。とは言え、酒乱としか思えない女を前にしては誰しも同様の反応を見せるだろう。酒場慣れしていないのかもしれない。
この時代の酒場には様々な種類がある。宿屋に併設された申し訳程度の店もあれば、酒場と冠するものの食事処と大差ない店も多い。葡萄酒や麦酒など特定の酒類を提供する専門店のような店もある。この酒場は食事がメインだったので、こうして酒とは無縁の少年少女が入ってくることも日常茶飯事だ。
「……んん? ああ、はい、大丈夫ですよ。どーぞどーぞ……」
疲れ切った声で相席を勧める女。
一度入店した店を立ち去る度胸はないらしく、少女は女の向かいに縮こまるように腰を下ろした。
店員一同、彼女に心底から同情する以外にできることはなかった……。
(―――どどどどどうしよう! 怖い怖い何だかこの人怖いよ絶対危ない人だよっ!)
表向きは必死に平静を装いながらも、少女―――ロゼッタの心中では抑えようのない動揺が激しく逆巻いていた。体は凍りついたように微動だにしない。
目の前の女はロゼッタが席についてからも、テーブルに突っ伏して何やら愚痴と思しき小言を零し続けている。その右手に握られたグラスには、粘性に富んだ柑橘色の酒が注がれていた。それとは別に、目の前には大量の空のグラスが並んでいる。
朝から自棄酒だろうか。
だが、このまま近寄り難い雰囲気のテーブルでは店員も水一つだって運びに来られないだろう。ロゼッタは勇気を振り絞って声をかけてみることにする。
「あ、あの。大丈夫ですか?」
呪文のように止めどなく紡がれ続けていた女の愚痴が途切れた。
女はテーブルを向いていた面を上げて、顎をテーブルにつける。
「……ああ、まあ、うん、どうぞお気遣いなく。ちょっと色々ありましてね……」
体を起こす元気はないのか、姿勢はテーブルに突っ伏したままだ。地面を這う小型の爬虫類の類いを思わせる。
ようやく目にできた表情を見る限り、どうやら酔っている風ではない。だが顔色には疲労の色が濃く、生気を失った目尻や口角が微睡むように下がっている。
その姿を目にした途端、彼女に対するロゼッタの第一印象は綺麗に霧散した。
今は目の前の女性が、言うなれば恋人に切られた縁を思って泣き腫らしているように見えた。
(……悪い人じゃなさそうかな)
「あ、あの……相席のお礼じゃないですけど、良かったら話くらいなら聴きますよ?」
その提案を聴いた女性は、しょぼくれた瞳でロゼッタを見上げる。「ホントに?」と懇願するような彼女の面持ちを前に、ロゼッタは笑顔で小さく頷く。印象が一気に逆転した反動か、その胸中には女性に対する仄かな愛着が芽生えていた。
もっとも、提案した一番の理由は「男女の恋慕を巡る悲喜交々に純粋な興味があった」だったりしたのだが。
「……そう?」
怒られた子供のように愛らしい声で呟く女性。
「はいっ! こんなあたしでも良ければ、なんでも話してください。あっ、あたしロゼッタって言います。一応これでも魔導士の卵です」
拳闘前のように両腕を構えて気合いを入れるロゼッタ。
「ロゼッタ……ロゼッタ……うーん、どっかで見たことあるような……まあいいか。私はノエルよ。よろしくねロゼッタ」
「はいっ!」
この勘違いから来た安易な安請け合いでロゼッタは心底後悔することになるのだが……今の彼女はただ胸を高鳴らせるばかりだった。
‖
娯楽都市マッカラン 闘技場
「―――うっし、んじゃ一稼ぎしてくるぜ! 期待してろよ!」
年甲斐もなくはしゃいで駆け出していく仲間の背中を見送りながら、寒冷地にあるまじき軽装の女は溜め息を零す。
「あんな安請け合いして、ホントに大丈夫なわけ? あいつ……」
不安と疑念の入り交じった表情を浮かべて苦々しく呟く女。だが、そう言う自分の格好こそ心配すべきだと周囲の誰もが思っていることにはまるで気づかない。
外套こそ羽織っているものの、それは肩にかけているだけに等しい。身につけているものは民俗衣装のような露出の多い装束で、どことなく踊り子を思わせる。
「カジノには興味ないって言ってたからな。なら闘技場の賞品を総嘗めにしてきてもらう以外にやらせることはない」
女の隣に立つ大道芸人風の男が、さも当然といった口調であっさりと言い放つ。
彼はつい先程まで町中を盗難騒動で騒がせていた張本人だ。少し前に噴水広場で合流したが、ようやく軍資金がまとまったとかで早速カジノに引っ張られてきた。
「だったら、もっとマシな装備渡せば良かったのに。ほぼ無防備じゃない、あいつ」
「あいつの図体に合うサイズの装備品が少ないんだから仕方ないだろ」
「お金ならたくさんあるじゃない。少しは買ってやったらどうなの?」
「あいつの装備は使い回せないから燃費が悪い」
「……あんたさ」
淡々と答えた男を、怒りの視線で睨みつける女。
「前にも言ったけどさ、ホントそれだけは止めて欲しいんだけど」
「それ?」
「使い回しよ、使い回し」
「何でだよ」
「……あんたは自分が着た鎧を、あたしが着たいと思うのか? ハリソンが履いたブーツをあんたは履きたいのか?」
「懐具合が最優先だ。共有できるものをわざわざ人数分買う必要なんかない。その為に防具は売らないで残してあるんじゃないか」
「……預かり所で埃被ってるだけじゃない」
そこまで潔い答えは予期しておらず、女は怒りを通り越して、もはや呆れ果てるしかなかった。ここまで金に五月蝿い人間など過去に一人も見たことがない
「なんならシャロンも向こうに行ってきて良いぞ。カジノは俺一人で十分だからな。この元手100万ギル、今日の夜までには桁を変えてやる」
あっさりと話題を切り替える男―――ユーイチ。踊り子の女―――シャロン・ハーヴェストにも、もう食い下がる気など欠片もなかった。
「……いや、言われるまでもなくもう勝手にさせてもらうけど……って言うか、あんたホントよく見つからなかったわね」
シャロンの言葉に、ユーイチに対する同情や感嘆は欠片もない。
「外の壺とか捨てられたままのチェストや衣装箱を漁ったくらいだからな。もとより不要なものなんだから貰っても問題ないだろ」
「……お願いだから、カジノでイカサマとか勘弁してよ?」
もっともな懸念に釘を刺すも、ユーイチは飄々としている。
「そんな無粋なことするか。ホントにイカサマする気なら、最初からこんな大金稼ぐわけないだろ」
「……そりゃそうだけど……」
理屈の上では納得できるが、いきなり他人の家を物色し始めた前科がある為、シャロンに心底からの納得感はない。
「とにかくだ。俺はこれから一世一代の大勝負で忙しいから。じゃな」
妙な決意を表明しながら、ユーイチはシャロンに背中を向ける。そのまま振り返ることもなく、カジノの方へ歩いていった。
「……まだ二〇歳にもなってないくせに、もう人生の大一番って……ホントどんだけお金にしか興味がないんだか……」
そんな彼の背中を最後まで見送ることもなく、シャロンもあっさり彼に背中を向けて、闘技場の観客席へ向かった。
‖
娯楽都市マッカラン 西の丘
ジャンヌがエドワードと再会を果たした少し後―――。
二人のいた屋敷から離れた西の丘の端から、草地に胡座をかきながら見事な絶景を堪能する一人の少女の姿があった。
西の丘は町を囲う壁よりも遥かに高いため、周囲の景色が一望できる。特に西側は遠くにブーゲンビリアの森や港町テミルナがあるくらいで一面草原が広がっており、その雄大さは一目見た者から言葉を奪い、虜にすることで有名だ。
快晴の下では、北方遥か彼方を走る冠雪豊かなノルシュヴァイン山脈の稜線が綺麗に見て取れる。視界を遮るものがない為、そこからは山脈の巨大さが真に感じられ、拝んだ者は必然、畏怖の思いを駆り立てられる程、痛烈な印象を抱くことになる。
暇潰しに丘を訪れた少女―――フレイアも、例外ではなかった。
彼女はいつも天空高くから世界を見下ろしており、丘から見える光景以上の迫力を体感したことが何度もある。だが、見慣れた視点を脱して地に足をつけて見渡す世界は、また別の意味で感慨深いものがあった。
「―――やっぱり綺麗な景色って、いいものです」
ただただ壮大な風景だけが広がる空間の為、瞳を閉じて静かに風を感じると、思わずいつもの癖が出てしまいそうだった。
「あまりに気持ちよくてなんだか眠くなってきてしまうです……せっかくだから少しだけ横に……」
甘い微睡みに包まれたフレイアは、瞼をくすぐる眠気に負けて、草地の上に俯せに横たわる。頬を撫でるように触れる草花の感触がやや痒かったが、それもまた心を和らげるのに一役買った。
そのまま、フレイアは少しだけ眠ってしまった。
――――――――――――
「……んぁ?」
―――彼女が目を覚ましたのは、およそ数一〇分後。
「……んんんっ! ふぅ……いけないいけない、思わず眠ってしまったです」
だが、よほど眠りが深かったのか、フレイアは優に数時間は眠った感覚だった。体を起こして寝ぼけ眼を擦りながらも、その表情は爽快感に満ちている。
「……えっと、いま何時くらいですかね?」
―――そんな彼女を唐突に現実へ引き戻す一言が背中に突き刺さる。
「仕事中に寄り道した上、堂々と昼寝とは良い度胸だね、フレイア」
振り返らずとも声の正体に気づいたのか、フレイアの背中が一瞬でピンと伸びる。少し残っていた眠気も、驚くほど一気に吹き飛んだ。
「どうにも帰りが遅いと思ったら……、てっきりボクにピッタリな美しくエレガントで素晴らしくゴージャスなお土産でも探してくれてると思ってたのに……」
その人を食ったような言い回しを平然と口にできるのは、一人しかいない。
恐る恐る振り返ると案の定―――立っていたのは主であるアルティアだった。
向き合った途端、気色悪い冷や汗がフレイアの背中を伝う。
「あ、あぁ、はは、ははは……ど、どうも……」
「どうもじゃないよ、どうもじゃ。どこで道草食ってんのかと思ったら、ホントに道草食べてるし」
「えっ?」
「口」
冷たい表情のアルティアが自分の口を指差しながら、口元を調べろと促している。従って見ると口から何やら細長い草がぶら下がっていた。
どうやら寝ている間に口の中へ入ったようだ。
フレイアは慌てて吐き出す。
「やれやれ……いくら食べる物がないからって、まさか寝たまま野草を生で食べるとは……そこいらの野生の魔獣でもそこまで行儀悪くないのに、ボクは悲しいよホント」
目頭を押さえながら、態とらしく悲しがるアルティア。
「ちちち違うです! 寝てたらたまたま入っちゃっただけです!」
フレイアは全身を折ったり畳んだりしながら全力で否定する。だがアルティアは彼女を無視してマイペースに話を続ける。
「まあ、ぶっちゃけキミの食い意地が世界中の草原を砂漠に変えた所でボクには大して興味がない。それよりそろそろ手元に死亡予告が届くだろうからよろしくね」
「えっまた!? 昨日の今日ですよ? ……いやそうじゃなくて。あたし、そこまで食い意地とか張ってないです!」
突然の通達とあらぬ誤解に慌てふためくフレイア。
「って言うか、天宮からこっちに降りてくるならついでに持ってきてほしかったです」
「残念、これ思念体。それじゃあ気をつけてね」
「あ、ちょっと待っ……!」
フレイアの制止も届かず、アルティアの思念体は手を振りながら霧の如く消えた。
「……まったくどこまで勝手な人です。あれがこの世界の神様だなんて、下界の皆さんがホント可哀想になるです。――――――ん?」
愚痴を吐露していたフレイアだが、そこでふと首を傾げる。
「……気をつけてね?」
アルティアが最後に言い残した一言が、フレイアの心に引っかかった。
と言うのも、過去に一度もそんな心配などしてもらったことがないからだ。
だから嬉しく思う……などある筈もなく、寧ろ心中では嫌な予感が加速度的に膨れ上がっていく。
その勘が的中するまでに、時間はかからなかった。
突如、自分の周囲に影が広がり始める。
「ん? 急に曇って……ってええぇ――――――――――――っ!」
頭上を見上げたフレイアの目に飛びこんできたのは、まるで隕石のような何かが自分を目がけて一直線で落下してくる光景だった。
間一髪、横に思いきり飛び退いて躱すと、その物体は激しい轟音と地響きを立てながら彼女のいた場所に半分以上めりこんだ。
その墜落の勢いを喧伝するかのように、巨大な土煙が轟々と噴き上がる。
あのままその場に留まっていたら……そう思った途端、弥立つ程の恐怖でフレイアの手足や顎が激しく震え始めた。
やがて、煙が晴れると、隕石の正体が明らかになった。
巨大な岩。ただただ、巨大な岩だ。
岩には太い縄が縦横に一周ずつ巻かれていて、その縄に括りつける形で何やら手紙のようなものがぶら下がっている。
その状況はフレイアにとって、過去を焼き回したような身に覚えのある筈の状況なのだが、光景の異常性から冷静な判断力が鈍っており恐怖が拭い切れない。
「……な、なんですかね?」
フレイアは怯えながらも岩に近づき手紙を取り外す。
中身を確認すると、いつも通りの死亡予告通知だった。
一つだけ―――冒頭にアルティアからのメッセージが添えられている以外は。
『手紙だけだと風で飛んでっちゃうから、重しをつけました』
酒場のマスターや給仕たちは困惑していた。
その原因の人物は店内の端、中二階の陰に覆われた薄暗い一角で浴びるように蜂蜜酒を呷り続けていた。グラスを空けては突っ伏し、空けては突っ伏しを繰り返している。
外見は若く、紫色の短髪に同色の透き通った瞳という独特の外見だ。素面で町中を歩いていれば、擦れ違う者が例外なく振り返りそうな美しい顔立ちをしている。
だが、それを今の彼女から感じ取るのは極めて難しい。
彼女の前には空いたグラスが一〇は並んでおり、右手には蜂蜜酒で満たされた別のグラスが握られている。そして先程から一人でぼそぼそと愚痴を吐き続けていた。愚痴を吐き疲れたら酒で喉と頭を慰める。いわゆる「面倒臭い客」というやつだ。
美人が一人で店内に佇んでいると、大抵は柄の悪い不埒者が声の一つもかけるのが常なのだが、その特異な外見のせいもあってか、誰も近づこうとはしない。
ただ一人―――たった今店内に入ってきてしまった一人の少女を除いては。
「あ、あの……ここ、空いてますか?」
少女は明らかに怯えていた。とは言え、酒乱としか思えない女を前にしては誰しも同様の反応を見せるだろう。酒場慣れしていないのかもしれない。
この時代の酒場には様々な種類がある。宿屋に併設された申し訳程度の店もあれば、酒場と冠するものの食事処と大差ない店も多い。葡萄酒や麦酒など特定の酒類を提供する専門店のような店もある。この酒場は食事がメインだったので、こうして酒とは無縁の少年少女が入ってくることも日常茶飯事だ。
「……んん? ああ、はい、大丈夫ですよ。どーぞどーぞ……」
疲れ切った声で相席を勧める女。
一度入店した店を立ち去る度胸はないらしく、少女は女の向かいに縮こまるように腰を下ろした。
店員一同、彼女に心底から同情する以外にできることはなかった……。
(―――どどどどどうしよう! 怖い怖い何だかこの人怖いよ絶対危ない人だよっ!)
表向きは必死に平静を装いながらも、少女―――ロゼッタの心中では抑えようのない動揺が激しく逆巻いていた。体は凍りついたように微動だにしない。
目の前の女はロゼッタが席についてからも、テーブルに突っ伏して何やら愚痴と思しき小言を零し続けている。その右手に握られたグラスには、粘性に富んだ柑橘色の酒が注がれていた。それとは別に、目の前には大量の空のグラスが並んでいる。
朝から自棄酒だろうか。
だが、このまま近寄り難い雰囲気のテーブルでは店員も水一つだって運びに来られないだろう。ロゼッタは勇気を振り絞って声をかけてみることにする。
「あ、あの。大丈夫ですか?」
呪文のように止めどなく紡がれ続けていた女の愚痴が途切れた。
女はテーブルを向いていた面を上げて、顎をテーブルにつける。
「……ああ、まあ、うん、どうぞお気遣いなく。ちょっと色々ありましてね……」
体を起こす元気はないのか、姿勢はテーブルに突っ伏したままだ。地面を這う小型の爬虫類の類いを思わせる。
ようやく目にできた表情を見る限り、どうやら酔っている風ではない。だが顔色には疲労の色が濃く、生気を失った目尻や口角が微睡むように下がっている。
その姿を目にした途端、彼女に対するロゼッタの第一印象は綺麗に霧散した。
今は目の前の女性が、言うなれば恋人に切られた縁を思って泣き腫らしているように見えた。
(……悪い人じゃなさそうかな)
「あ、あの……相席のお礼じゃないですけど、良かったら話くらいなら聴きますよ?」
その提案を聴いた女性は、しょぼくれた瞳でロゼッタを見上げる。「ホントに?」と懇願するような彼女の面持ちを前に、ロゼッタは笑顔で小さく頷く。印象が一気に逆転した反動か、その胸中には女性に対する仄かな愛着が芽生えていた。
もっとも、提案した一番の理由は「男女の恋慕を巡る悲喜交々に純粋な興味があった」だったりしたのだが。
「……そう?」
怒られた子供のように愛らしい声で呟く女性。
「はいっ! こんなあたしでも良ければ、なんでも話してください。あっ、あたしロゼッタって言います。一応これでも魔導士の卵です」
拳闘前のように両腕を構えて気合いを入れるロゼッタ。
「ロゼッタ……ロゼッタ……うーん、どっかで見たことあるような……まあいいか。私はノエルよ。よろしくねロゼッタ」
「はいっ!」
この勘違いから来た安易な安請け合いでロゼッタは心底後悔することになるのだが……今の彼女はただ胸を高鳴らせるばかりだった。
‖
娯楽都市マッカラン 闘技場
「―――うっし、んじゃ一稼ぎしてくるぜ! 期待してろよ!」
年甲斐もなくはしゃいで駆け出していく仲間の背中を見送りながら、寒冷地にあるまじき軽装の女は溜め息を零す。
「あんな安請け合いして、ホントに大丈夫なわけ? あいつ……」
不安と疑念の入り交じった表情を浮かべて苦々しく呟く女。だが、そう言う自分の格好こそ心配すべきだと周囲の誰もが思っていることにはまるで気づかない。
外套こそ羽織っているものの、それは肩にかけているだけに等しい。身につけているものは民俗衣装のような露出の多い装束で、どことなく踊り子を思わせる。
「カジノには興味ないって言ってたからな。なら闘技場の賞品を総嘗めにしてきてもらう以外にやらせることはない」
女の隣に立つ大道芸人風の男が、さも当然といった口調であっさりと言い放つ。
彼はつい先程まで町中を盗難騒動で騒がせていた張本人だ。少し前に噴水広場で合流したが、ようやく軍資金がまとまったとかで早速カジノに引っ張られてきた。
「だったら、もっとマシな装備渡せば良かったのに。ほぼ無防備じゃない、あいつ」
「あいつの図体に合うサイズの装備品が少ないんだから仕方ないだろ」
「お金ならたくさんあるじゃない。少しは買ってやったらどうなの?」
「あいつの装備は使い回せないから燃費が悪い」
「……あんたさ」
淡々と答えた男を、怒りの視線で睨みつける女。
「前にも言ったけどさ、ホントそれだけは止めて欲しいんだけど」
「それ?」
「使い回しよ、使い回し」
「何でだよ」
「……あんたは自分が着た鎧を、あたしが着たいと思うのか? ハリソンが履いたブーツをあんたは履きたいのか?」
「懐具合が最優先だ。共有できるものをわざわざ人数分買う必要なんかない。その為に防具は売らないで残してあるんじゃないか」
「……預かり所で埃被ってるだけじゃない」
そこまで潔い答えは予期しておらず、女は怒りを通り越して、もはや呆れ果てるしかなかった。ここまで金に五月蝿い人間など過去に一人も見たことがない
「なんならシャロンも向こうに行ってきて良いぞ。カジノは俺一人で十分だからな。この元手100万ギル、今日の夜までには桁を変えてやる」
あっさりと話題を切り替える男―――ユーイチ。踊り子の女―――シャロン・ハーヴェストにも、もう食い下がる気など欠片もなかった。
「……いや、言われるまでもなくもう勝手にさせてもらうけど……って言うか、あんたホントよく見つからなかったわね」
シャロンの言葉に、ユーイチに対する同情や感嘆は欠片もない。
「外の壺とか捨てられたままのチェストや衣装箱を漁ったくらいだからな。もとより不要なものなんだから貰っても問題ないだろ」
「……お願いだから、カジノでイカサマとか勘弁してよ?」
もっともな懸念に釘を刺すも、ユーイチは飄々としている。
「そんな無粋なことするか。ホントにイカサマする気なら、最初からこんな大金稼ぐわけないだろ」
「……そりゃそうだけど……」
理屈の上では納得できるが、いきなり他人の家を物色し始めた前科がある為、シャロンに心底からの納得感はない。
「とにかくだ。俺はこれから一世一代の大勝負で忙しいから。じゃな」
妙な決意を表明しながら、ユーイチはシャロンに背中を向ける。そのまま振り返ることもなく、カジノの方へ歩いていった。
「……まだ二〇歳にもなってないくせに、もう人生の大一番って……ホントどんだけお金にしか興味がないんだか……」
そんな彼の背中を最後まで見送ることもなく、シャロンもあっさり彼に背中を向けて、闘技場の観客席へ向かった。
‖
娯楽都市マッカラン 西の丘
ジャンヌがエドワードと再会を果たした少し後―――。
二人のいた屋敷から離れた西の丘の端から、草地に胡座をかきながら見事な絶景を堪能する一人の少女の姿があった。
西の丘は町を囲う壁よりも遥かに高いため、周囲の景色が一望できる。特に西側は遠くにブーゲンビリアの森や港町テミルナがあるくらいで一面草原が広がっており、その雄大さは一目見た者から言葉を奪い、虜にすることで有名だ。
快晴の下では、北方遥か彼方を走る冠雪豊かなノルシュヴァイン山脈の稜線が綺麗に見て取れる。視界を遮るものがない為、そこからは山脈の巨大さが真に感じられ、拝んだ者は必然、畏怖の思いを駆り立てられる程、痛烈な印象を抱くことになる。
暇潰しに丘を訪れた少女―――フレイアも、例外ではなかった。
彼女はいつも天空高くから世界を見下ろしており、丘から見える光景以上の迫力を体感したことが何度もある。だが、見慣れた視点を脱して地に足をつけて見渡す世界は、また別の意味で感慨深いものがあった。
「―――やっぱり綺麗な景色って、いいものです」
ただただ壮大な風景だけが広がる空間の為、瞳を閉じて静かに風を感じると、思わずいつもの癖が出てしまいそうだった。
「あまりに気持ちよくてなんだか眠くなってきてしまうです……せっかくだから少しだけ横に……」
甘い微睡みに包まれたフレイアは、瞼をくすぐる眠気に負けて、草地の上に俯せに横たわる。頬を撫でるように触れる草花の感触がやや痒かったが、それもまた心を和らげるのに一役買った。
そのまま、フレイアは少しだけ眠ってしまった。
――――――――――――
「……んぁ?」
―――彼女が目を覚ましたのは、およそ数一〇分後。
「……んんんっ! ふぅ……いけないいけない、思わず眠ってしまったです」
だが、よほど眠りが深かったのか、フレイアは優に数時間は眠った感覚だった。体を起こして寝ぼけ眼を擦りながらも、その表情は爽快感に満ちている。
「……えっと、いま何時くらいですかね?」
―――そんな彼女を唐突に現実へ引き戻す一言が背中に突き刺さる。
「仕事中に寄り道した上、堂々と昼寝とは良い度胸だね、フレイア」
振り返らずとも声の正体に気づいたのか、フレイアの背中が一瞬でピンと伸びる。少し残っていた眠気も、驚くほど一気に吹き飛んだ。
「どうにも帰りが遅いと思ったら……、てっきりボクにピッタリな美しくエレガントで素晴らしくゴージャスなお土産でも探してくれてると思ってたのに……」
その人を食ったような言い回しを平然と口にできるのは、一人しかいない。
恐る恐る振り返ると案の定―――立っていたのは主であるアルティアだった。
向き合った途端、気色悪い冷や汗がフレイアの背中を伝う。
「あ、あぁ、はは、ははは……ど、どうも……」
「どうもじゃないよ、どうもじゃ。どこで道草食ってんのかと思ったら、ホントに道草食べてるし」
「えっ?」
「口」
冷たい表情のアルティアが自分の口を指差しながら、口元を調べろと促している。従って見ると口から何やら細長い草がぶら下がっていた。
どうやら寝ている間に口の中へ入ったようだ。
フレイアは慌てて吐き出す。
「やれやれ……いくら食べる物がないからって、まさか寝たまま野草を生で食べるとは……そこいらの野生の魔獣でもそこまで行儀悪くないのに、ボクは悲しいよホント」
目頭を押さえながら、態とらしく悲しがるアルティア。
「ちちち違うです! 寝てたらたまたま入っちゃっただけです!」
フレイアは全身を折ったり畳んだりしながら全力で否定する。だがアルティアは彼女を無視してマイペースに話を続ける。
「まあ、ぶっちゃけキミの食い意地が世界中の草原を砂漠に変えた所でボクには大して興味がない。それよりそろそろ手元に死亡予告が届くだろうからよろしくね」
「えっまた!? 昨日の今日ですよ? ……いやそうじゃなくて。あたし、そこまで食い意地とか張ってないです!」
突然の通達とあらぬ誤解に慌てふためくフレイア。
「って言うか、天宮からこっちに降りてくるならついでに持ってきてほしかったです」
「残念、これ思念体。それじゃあ気をつけてね」
「あ、ちょっと待っ……!」
フレイアの制止も届かず、アルティアの思念体は手を振りながら霧の如く消えた。
「……まったくどこまで勝手な人です。あれがこの世界の神様だなんて、下界の皆さんがホント可哀想になるです。――――――ん?」
愚痴を吐露していたフレイアだが、そこでふと首を傾げる。
「……気をつけてね?」
アルティアが最後に言い残した一言が、フレイアの心に引っかかった。
と言うのも、過去に一度もそんな心配などしてもらったことがないからだ。
だから嬉しく思う……などある筈もなく、寧ろ心中では嫌な予感が加速度的に膨れ上がっていく。
その勘が的中するまでに、時間はかからなかった。
突如、自分の周囲に影が広がり始める。
「ん? 急に曇って……ってええぇ――――――――――――っ!」
頭上を見上げたフレイアの目に飛びこんできたのは、まるで隕石のような何かが自分を目がけて一直線で落下してくる光景だった。
間一髪、横に思いきり飛び退いて躱すと、その物体は激しい轟音と地響きを立てながら彼女のいた場所に半分以上めりこんだ。
その墜落の勢いを喧伝するかのように、巨大な土煙が轟々と噴き上がる。
あのままその場に留まっていたら……そう思った途端、弥立つ程の恐怖でフレイアの手足や顎が激しく震え始めた。
やがて、煙が晴れると、隕石の正体が明らかになった。
巨大な岩。ただただ、巨大な岩だ。
岩には太い縄が縦横に一周ずつ巻かれていて、その縄に括りつける形で何やら手紙のようなものがぶら下がっている。
その状況はフレイアにとって、過去を焼き回したような身に覚えのある筈の状況なのだが、光景の異常性から冷静な判断力が鈍っており恐怖が拭い切れない。
「……な、なんですかね?」
フレイアは怯えながらも岩に近づき手紙を取り外す。
中身を確認すると、いつも通りの死亡予告通知だった。
一つだけ―――冒頭にアルティアからのメッセージが添えられている以外は。
『手紙だけだと風で飛んでっちゃうから、重しをつけました』